第12話『美少女のバレンタイン大作戦』

 今日も朝日が昇り、また新たな一日が始まる。

 ただ、その日に限って言えば、日常の何でもない一日とは重みが違った。

 特に、男性たちにおいては、多大な期待に胸を膨らませる者から半分あきらめているような者まで、大なり小なり意識せずにはおれないその日とは?

 そう。今日は2月14日。『バレンタインデー』と呼ばれる日を迎えたのだ。



 日頃やんちゃだが実はウブな二年C組の中学生男児たちも、朝から何気ない風を装ってはいるものの、実は心中穏やかではなかった。

 クラス一の美少女、田城美由紀からのチョコを期待して、男子どもは戦々恐々としていた。

 そして彼女が本命でない者も、クラスの意識している子からのチョコを狙い、それはもう胸がはちきれんばかりの期待を持って登校して来ているのだ。

 クラス一、いや学校一とも言われる成績優秀・眉目秀麗の美由紀に最も近い距離にいると噂される男子・福田孝太は、まるで徴兵されて戦地にでも赴くかのような悲壮な決意をもって登校した。

 彼が神風特攻隊として散ってしまうことになるのかどうか、皇国の興廃この一戦にあり、だった。

「……メッカはこっちだったよな」

 先日、社会の授業で習ったアラーの神に祈りを捧げるべく、彼はイスラム教の聖地の方角を向き、土下座して頭を廊下にこすり付けた。

「神様仏様イエス様マホメット様! どうか美由紀からチョコをゲットできますように。夜露死区! 主の御名によって。ラーメン」

 雑多な宗教がごった煮になった祈りを捧げる孝太。しかも本当はアーメンと言いたかったのだろうが、単なる麺類の名前になっている。それにしたって、イスラム教ではなくキリスト教だ。

 廊下を歩いていた生徒たちは青ざめて、孝太をこわごわと避けて通った。



 礼拝を終えたにわかイスラム教信者の孝太は、土俵上気合い十分の横綱状態になり、二年C組の教室のドアを勢いよくガラリと開けた。

「おはよ~~っ!」

 そう言ってクラス全体を一望した孝太は、唖然とした。

 女子たちは普段と全然変わりなく、それぞれ気の合うグループに分かれてキャッキャッと談笑しているのに——

 野郎どもは自分の席についたまま動きもせず、やたら物欲しそうな、血走った目をギラギラさせているではないか!

  決してそれは、寝不足のせいばかりではないだろう。



 ……こっ、これは野獣の目や!



 あまりに露骨な男どもの『チョコくれくれオーラ』にドン引きした。

 先ほどの奇行のことを思えば、孝太も決して人のことは言えないのだが。

 それにしても……

 チョコを渡す方の女子だって、もう少しいつもと違う雰囲気があってもよさそうなものだと思うのだが? 孝太が観察する限り、まったく変わった様子は見られない。彼女たちは平常心そのもである。

 もし、これが内心の動揺を隠す演技だとしたら、C組の女子は全員アカデミー主演女優賞ものである。



 一時間目、数学。

 孝太が観察する限り、始業前にチョコをもらった男子はいないようだった。



 ……これからが、勝負や。



 関数や方程式どころではなかった男子どもは、先生に当てられてそのほとんどがトンチンカンな答えをしてしまい、先生と女子たちの失笑を買った。ただ、男子だけは誰も笑ったりからかったりしなかった。

 当てられた者の気持ちが身にしみて分かっていたし、次はわが身と恐れをなしていたからだ。



 二時間目の理科が終わっても、教室内でチョコの受け渡しのような行為はどこにも目撃されなかった。

 それは、孝太が軍事レーダーか魚群探知機のように、それこそ神経をアンテナのように張り巡らせて観察していたから、まず間違いない。

 さらに不思議なことに、教室内でどこからも『バレンタイン』なる話題が一切上がってこないのだ。女子どもだって、今日が何の日か知らないはずがないのに、これはいったいどういうわけなのか?

「そう言えばさぁ、バ……」

 クラス一の美少女、田城美由紀が後ろの席の朝倉瞳にそう言いかけた瞬間。

 孝太を始めとするクラス中の男子の背中は、陸に上げられた魚のようにビックゥ~と跳ねた。

「……ラエティ番組って、最近面白いのないよねぇ」

 一斉に、男子がハァッとため息をつく。

 碇シンジ君も、真っ青になるシンクロ率である。

 今ので、男子諸君の寿命は3分は確実に縮まったと思われる。



 ついに、昼休みに突入。後半戦前のハーフタイムだ。

 たまりかねた孝太は、クラスの男子全員のケータイに招集メールを一斉送信した。 弁当を食べると、続々と不自然に教室を出る男子たち。

 不思議に思ったC組一の俊足・宮田菜緒は、ゾロゾロ出て行く挙動不審な男子たちの背中に声をかけた。

「あんたたち、そんなに固まってどこへ行くのよ?」

 孝太は、菜緒を振り返ってぶっきらぼうに言う。

「トイレだよ!」

「……はぁ」

 菜緒はキョトンとした。

「男子トイレは下にもあるから、分かれて行けば~?」

 無邪気な菜緒は孝太の言葉を鵜呑みにして、あんなに大勢で行ったら一箇所では便器が足りないだろうに、と余計な心配をした。



 体育館裏に集合したC組男子を前に、孝太は確認をとった。

「この中で、女子から一個でもチョコもらったやつ、いるか?」

 お互い、顔を見合わせるが、誰も手を挙げる者はいなかった。

「……マジかよ」

 孝太には、わけが分からなかった。自分だけが、ということなら分かる。

 しかし、クラスの誰もというのは、もはや異常と言わざるを得ない。

「大輔、お前本当にもらってないのか?」

 サッカー部のキャプテンを務める室木大輔に聞く。彼は、陸上部のエース・宮田菜緒の彼氏である。

「いんや、何も。菜緒からも、まだ何も言ってこない」

「……じゃあ良輝はどうだ?」

 話を振られた増田良輝も、狐につままれたような顔をしていた。

 彼は、C組一の読書家であり弁の立つ朝倉瞳の彼氏だった。

「大輔に同じく。試しにさっき、遠まわしにバレンタインの話に持っていきかけたんだけど……朝倉にはうまくはぐらかされちまった」

 それを聞いた他の男子たちは、下を向いて青くなった。

 なぜなら、クラスの中でもスポーツマンでイケメンっぽい、として人気の高い孝太と大輔すらチョコをもらえてないんだとしたら、自分たちになんてなおさら回ってくるはずがない! そう思ったのである。



 午後の授業からは、男子からはまったく覇気というものが感じられなくなった。

 体育の1000m走ではみなだらけて、普段の平均タイムを思いっきり下回るような最低記録を出して、先生に叱られる始末であった。

 希望をなくした人間というものは、かくも哀れなものか? そんなことを思わされるような有様だった。

 そしてそのまま、ついに6時間目の授業が終わり、帰りの会も終了。

 担任も教室から出て行き、とうとうあとは帰宅する者は帰宅、部活のある者はそちらへという局面を迎えてしまった。

 ショックのあまり、男子ですぐに席を立って帰れる者はいなかった。

 


 その時だった。

「男子たち! みな席を立たないでそのままで!」

 突然、美由紀の凛とした大声が教室に響く。

 それと同時に、宮田菜緒が恐ろしく敏捷な身のこなしで、教室のドアと窓のすべてに鍵をかけてゆく。

 さぁ、何が何だかわけも分からずビックリしたのは男共のほうである。

 美由紀を先頭に、手に綺麗な包装紙とリボンにくるまれたチョコを持った女子全員が、黒板前にズラリと集結した。

「それではっ。ただ今よりC組女子による、『バレンタインデーチョコ贈呈会』 を始めさせていただきます!」

 マイク代わりの黒板消しを握った美由紀の言葉に、男子一同は度肝を抜かれた。



 ……謀られた!



 美由紀は、いつだって誰よりも一枚上手であった。

「まずは、聴いてください。C組女子による合唱です。曲は、『すみれ色の涙』 」

 宮田菜緒が、CDラジカセを操作する。数秒して、カラオケ用のメロディーが流れた。岩崎宏美の、懐かしの名曲だった。

 かなり歌いこんで練習したのか、なかなかにうまかった。

 しかも、何だか胸にしみるメロディーだった。

 いつもケンカしたり、ふざけたりしているあの女子とは見違えた。

 まさに、セーラー服の天使たち。



 曲が終わった時、男子たちはみな心からの拍手を捧げた。

 誰一人として野次を飛ばしたり、からかったりするものはいなかった。

 その時、鍵で閉ざされた教室のドアをコンコン、と叩くものがあった。

 ドア近くにいた朝倉瞳が駆け寄り、低い言葉で言う。

「合言葉行くわよ。……碇シンジ君がしゃべれるドイツ語は?」

 ドアの向こうから、女子の声が聞こえる。

「バ、バームクーヘン?」

「おっけ」

 瞳が鍵を開けると、2年A組の高倉綾子が入ってきた。

 彼女はかつていじめ問題でC組と因縁の決闘をしたことがあったが、今では大の仲良しである。

「あ、綾チン、来てくれてありがとうね~」

 美由紀がうれしそうな声で綾子を教室に迎え入れた。

 綾子もまた、手にチョコを持参して来ていた。



 その後、男子たちは一列に並ばされた。

 そしてその前に、同じように女子が向かい合って並ぶ。

 そうして、男女のペアがズラリとできた。

 そこでやっと、綾子が呼ばれたわけが分かった。

 C組は、男子の数が女子より一人多い。

 だから、誰もあぶれないように一人女子の応援を呼んでいたのだ。

 心憎いことに、列をよく見ると——

 孝太には美由紀、良輝には瞳、大輔には菜緒といった具合に、仲が良いとすでに分かっているカップルは、きちんとくっつけて調整していた。

 それ以外でも、美由紀の観察で互いに、またはどちらかが気がありそうだ、と分析した者同士もペアにするなど、かなり計画的犯行(?)だった。

 ペア同士きちっと並べたのを見て、美由紀が淡々と語り始めた。



 ……え~、贈呈式を行なう前に、まずバレンタインの本当の意味をみなさんに知っておいてもらいたいと思います。

  起源は、ローマ帝国時代にさかのぼります。

  ローマ帝国皇帝クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止した。キリスト教司祭だったヴァレンティヌス(バレンタイン)は秘密に兵士を結婚させたが、捕らえられ、処刑された。その処刑の日が、2月14日。

  つまり、ただ好きな子にチョコをあげるっていうだけじゃなく、もともとは 『愛し合う者たちを命を捨ててまで守った』 という聖バレンタインの深い愛をたたえて祝うためのものだったのね。

  今、私たちC組の女子プラス助っ人一同は、日頃お世話になっている男子のみなさんに、チョコに感謝の気持ちを託して贈呈したいと思いま~す!」



 美由紀の解説の後、女子から心のこもったチョコが、男子全員に手渡された。

 あまりに気恥ずかしく、照れるなどという生易しい次元ではなかった。

 男子たちは、顔から火が出そうなほど真っ赤になっており、さながら石炭を次々に放り込まれてカッカとエンジンが燃える機関車のようであった。

 しかし、次の瞬間、もっと恐るべきことが起きた。

「じゃあみんな、いいわね? せぇ~のっ……!」



 チュッ



 男子一同は、その場に凍りついた。

 女子たちはそれぞれ、ペアの男子に抱きついてきて両腕を背中に回し、頬にキスしてきたのだ!



 ボカン!



 あちらこちらで、富士山が噴火した。

「ハレホレヒレハレ」

 美由紀の唇が頬に触れた瞬間、孝太は痴漢撃退の機械で電流でも流されたかのように、ヘナヘナとその場に倒れた。

 美由紀に次いで美少女とされるA組の綾子にそうされた、C組の山崎信吾も幸せそうな笑みを浮かべてマットに沈んだ。

「ああっ、大丈夫!?」

 大丈夫なわけがない。

 倒れた二人を介抱しながら、美由紀は一言。

「……ちょっとやりすぎたかな?」



「何だよ、オレに話って」

 女子によるバレンタインデーチョコ贈呈会が終了した直後の、まだ興奮冷めやらぬ間に、孝太は朝倉瞳から廊下に連れ出された。

「誰も、見てないわね」

 瞳は周囲をキョロキョロして、念を入れて確認をしていた。

 そして安心したのか、制服のポケットからスマホを取り出して操作しだした。

「今、画像送っといたから、確認してみて」

 次の瞬間、孝太のスマホの着信音が鳴った。

 ショートメールに添付された画像を見て、孝太は驚いた。



「……昨日ね、女子は全員集まって、今日のチョコをみんなで手作りしたの。ほら、美由紀ちゃんって料理に関しては悪魔的に下手でしょ?  昨日もね、美由紀ちゃん一人うまく行かなくって、しまいには大泣きしちゃったの。

 信じられる? あのクールでしっかり者の美由紀がよ? でもねぇ、たかがチョコ溶かして型に流し込むだけのことで、ど~やったら爆発なんて起きるのかしらねぇ?」

 そう言って瞳は、首を傾げる。

 孝太のケータイの液晶パネルには、爆発で跳ねたらしいチョコまみれになり台所の床にペッタリ座り込む美由紀の姿があった。そして、目からは大粒の涙をこぼして、泣いていた。

「この幸せ者! 美由紀ちゃんの涙の結晶がそのチョコなんだからね、ありがたくいただきなさいよっ。それ、食べて大丈夫かどうかは……知らない」

 じゃあ文芸部の部活あるからバイバイ、と言いのこして瞳は去って行った。



 孝太は思わず、誰にも見られない一階の階段裏に逃げ込んだ。

 泣いている美由紀の画像を見ていると、胸が打たれた。

 孝太まで、泣きたくなってきた。そして文字通り涙を流した。

 だって、そのために彼はわざわざこの場所までやってきたのだから。

 この画像は、オレの宝物にしよう——。

 孝太は言いようのない不思議な感情で胸をいっぱいにしながら、そう思うのだった。



 日頃、他人の恋路の世話ばかりしている美由紀だったが、今回は、思わぬ形で朝倉瞳からの援護射撃を受けた。

 やっぱり、日頃から他者に尽くしておくと、いつかはいいことがあるものだ。

 美由紀は、そんな恥ずかしい写メがこっそり孝太の手に渡ったのも知らないで、すまし顔で吹奏楽の部活に出かけていったのだった。

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