第16話『美少女は宿題を忘れた男子の味方』
2年C組の中学生・山崎信吾は、人生最大のピンチを迎えていた。
……オレ、なんであんな言い訳しちゃったんだろ。
人間というものは実に都合の良いもので、その時はそうする気満々だったくせに、いざやってみて後で失敗だったと分かったとたんに「あんなことするんじゃなかった……」 なんて後悔している。
今日、先週から出されていた国語の宿題が回収された。
それはただの宿題とは違い、中間・期末の試験結果に加えて、その次に重要視されるファクターとして成績に加味されると予告されていたものだ。それだけに、内容に関しても読書感想文や漢字の書き取り、はたまた自分で俳句を作るなど多岐に渡り、まとまった量があった。
信吾はかなりアバウトな性格だった。
とにかく、メモをとるとか大事なことを覚えておくために何か工夫するということができない子だった。信吾は、宿題忘れと忘れ物の常習犯であった。
いつかなどは遠足の日を覚え間違い、皆が普通に登校してくる中、一人だけリュックにジャージ姿で現れた信吾は、大いに恥をかいたものだった。彼の家は忙しい老舗の和菓子屋であったから、親が信吾のことに気を回すにも限界があった。
「おい山崎。宿題はどうしたんだ」
国語の教師でもあり、2年C組の担任でもある中畑先生は、仏頂面をして信吾の席の周囲をウロウロした。
クラスメイトの注目を受けて、信吾はドギマギした。
『赤信号 みんなで渡れば怖くない』というキャッチフレーズがある。
もしも宿題を忘れた者が他にもいたら、何だか負債感が分割されたような感じがして気が楽になるのだが……皮肉なことに信吾以外に忘れた者はいないときたから、余計にプレッシャーがかかった。
しかも、この宿題は、ただの宿題とは違い、成績にも大きく影響するものなのだ。
和菓子屋を営む父母は、日頃から将来は店を継げと言ってくる。和菓子屋に生まれておきながら、皮肉なことに彼はそれほど和菓子が好きではなかった。当然、和菓子職人になどなりたいとは思わない。
しかしである。
親に対抗して自分の道を行くためには、やはり少しはいい成績を取っておかなければ説得力に欠け、不利には違いない。
だから、忘れ物の王者である信吾であっても、今回の宿題を忘れたのは痛かった。
もし、純粋なテストの点数に履かせてもらえるゲタがゼロなら、信吾の国語の成績の低さはいかばかりであろう。
追いつめられた信吾が、ついに口にした言葉。
「……宿題はやったんですけど、ノートを忘れましたっ」
本当を言えば、信吾は宿題にはまったく手をつけていない。
だから、これは真っ赤なウソである。
信吾は、ない頭で一生懸命考えた。
確かに宿題の量は少なくはないが、帰ってから遊ばずにずっと頑張れば、何とか終わるはず。今日はマンガも見れないしTVゲームもお預けになるが、それはこの際仕方がない。
忘れたと言えば、じゃあ明日は必ず持って来い、と言ってもらえるだろう——
そういう打算から出た言葉である。
しかし。今日の信吾はどこまでもついていなかった。
「じゃあ、放課後ノートを取りに帰れ」
信吾の心臓は、凍りついた。
……ウソっ!
多分、今信吾の目の前で誰かが手をヒラヒラさせても、彼は反応しなかったであろう。ウソというものは、ついてしまえばその場は良くても、遅かれ早かれ何らかの形でツケが回ってくるものである。信吾の場合は、皮肉にもその報いが一瞬にして返ってきた格好になる。
「じゃ、先生待ってるからな。できるだけ急げよ」
チャイムが鳴って、授業はお開きになった。
次の時間割りの用意どころか、休み時間に友人との談笑にも加わらなかった信吾は、ショックのあまり口を開けてボケーッとしていた。どう考えても、宿題を片付けてなおかつ不自然でない時間に先生に届けるなんて、不可能だ!
「ボクの二学期は終わったっ。この世の終わりだっ。ハルマゲドン接近だっ」
信吾は、大げさに苦悩した。
6時間目が終了し、今しがた帰りの会も終わった。
普通に考えれば、本当は宿題などやっていないということを正直に言うしかない。
それはかなり勇気のいることだが、他に選択肢はない。そもそも、悪いのはウソなどついた信吾自身なのである。
担任の中畑先生が出て行った瞬間、信吾に背後から声をかける者があった。
「山崎くん、ちょっと」
声の主を見て、信吾は焦った。
黒いロングヘアーが特徴的な、クラス一番の美人・田城美由紀。
今クラス一と言ったが、サポーター(?)によっては学年一・果ては学校一と評価する者までいた。
また彼女はただ美人であるだけでなく、成績優秀。部活では、吹奏楽部のフルートの名手。普段、話すことも滅多にない彼女から声をかけられた信吾は「僕、何かまずいことでもしたっけ? 」と悪いほうに発想した。
その時、クラスの方々から声が上がった。
「田城、さっきメール回ってきたけど、どういうことだよ? どうしても今日部活抜けられないんだけど……やっぱり、残らなきゃダメ?」
実は昼休みに、美由紀は信吾を除くC組の全員に、スマホであるメッセージを一斉送信していたのだ。
文面はこうである。
「本日放課後、残れる者はできるだけ残られたし。大事な作戦あり」
さて。彼女は一体なぜそんなことをしたのか?
美由紀に呼ばれた信吾は、弾かれたように急いで美由紀の前に立った。
近くで目を見て話すことなど滅多にないから、慎吾はどうしても話の内容以上に、美由紀の顔や体のほうに注意が行ってしまう。
信吾は、「今はそんな場合じゃないっ」と何とかかんとか自己暗示をかけて、美由紀の話に集中する努力をした。
美由紀は、切れ長の吸い込まれるような瞳を信吾に向けて、こう指摘した。
「山崎くん。あなた、本当は国語の宿題なんてしてないんでしょ」
「エッ、どうして分かったの……!?」
図星を突かれた信吾は、焦った。
しかし、フン、と鼻息ひとつついた美由紀はあきれ顔で言った。
「……そんなもの、誰でも分かるわよ。『宿題はやったんですけどノートを忘れました』なんてね、手が古すぎるのよ。しかも、あなたはウソがヘタだしね。
そんなこの世の終わり、なんて顔をズーッとしてたら、おかしいと思わないほうがどうかしてるわ」
さて。どうしても部活を抜けられない8名を除いた26名が残った。
美由紀は、その場を仕切り、『山崎信吾・宿題完遂大作戦』を開始した。
「ど、どうしてウソなんかついたボクのために、そこまでしてくれるんだい?」
恐る恐る尋ねる信吾に、美由紀はニッコリ笑って信吾の肩に手を置いた。
「だって、同じC組の仲間じゃないの。困った時はお互い様よ」
美由紀と体が触れたのは、実にこれが初めてだった信吾は、ポウッと恍惚の表情を浮かべた。
「……ったく」
近くで、誰よりも美由紀を好きだと自負する福田孝太が、嫉妬混じりにうめいた。
「山崎くん。あんた、ノートに貼り付けるプリントはどこにあるの?」
問題を一つ一つ解決していくため、美由紀は信吾に質問をしていった。
「あ……あれ、家だわ。忘れちゃった」
「あらら」
その場に残っていたC組一同はズッコケた。
「そうねぇ。どうするか——」
美由紀は腕組みをして教室内をグルグル歩き回った。彼女が歩くたびに揺れるセーラーのスカート。少しきつめの西日に照り映える黒髪。キューティクルが健康な証拠か、光の加減で『天使の輪』が鮮やかに見える。本当に、美由紀が歩き回るだけで絵になってしまう。
「山崎くんの家に取りに帰って、そこからやってたんでは間に合わないっか。よっし。私に考えがあるの。みんな、聞いてくれる?」
作戦を美由紀から聞いて、それぞれの分担を了解した皆は、円陣を組んだ。
全員が手を重ね、孝太が音頭を取る。
「ファイト、オー!」の掛け声で、それぞれが持ち場に散っていった。
まず、美由紀は二年A組のボス・高倉綾子にメールを送信した。
彼女とは一ヶ月前、因縁の対決の後仲良しになっていた。
C組の俊足、宮田菜緒が陸上部の練習をどうしても抜けられなかったため、校内一周競争の最高記録を持つ彼女に応援を頼むことにしたのだ。信吾の家の住所を綾子に教えると——
「あ、そこの和菓子屋さんならよく知ってる。まかせといて」
そう言い残して、さっそく綾子は信吾が忘れたプリントをダッシュで取りに行った。ちなみに、信吾と綾子とは、バレンタインの時にチョコを渡し、チュー(ほっぺだが)までしたという浅からぬ縁がある。
「さぁ。綾子が帰ってくるまでにやれることやるわよっ」
美由紀は、全員を図書室に集めた。ここなら、まず先生がフラフラやってくることはないだろうという読みからである。
例の宿題の分量は、多い。美由紀はクラス全員に内容を分割して当たらせた。
一冊のノートではそれが不可能なので、ルーズリーフの紙を皆に配った。
そのお陰で、課題全体は15分足らずで完成。
美由紀はその紙を集めてページを順番に並べた。
信吾には、最近ノートを新しくルーズリーフにしてみたのだ、ということにさせた。そこに、綾子が運んでくるプリントを貼り付ければ、あとは提出である。
信吾は、涙が出るほど感激した。
「C組は最高や。このクラスになってよかったぁ!」
その時、トイレに行っていた女子数人が、血相を変えて図書室に駆け込んできた。
「中畑が来るっ!」
「エエッ」
一同は突然のハプニングに泡を食った。
「山崎くん、机の下に! 男子、密集して座って!」
美由紀の指示が飛ぶ。
「オラオラ、急いだ急いだ!」
ぐずぐずしている信吾を力ずくで机の下に押し込めたのは、孝太だった。さっきの美由紀とのやりとりが尾を引いているのか、必要以上に力がこもっているように思えるのは気のせいだろうか?
ガラッと、図書室のドアが開いた。
「おお、何だ? C組は揃って勉強会でもしているのか?」
中畑先生は、そう言いながら本棚を物色しだした。
「先生は、何でまた図書室に? 珍しいじゃん」
孝太の質問に、中畑先生は本棚に目を走らせながら答える。
「次の授業の題材を探そうと思ってな。教科書通りだと、次はちょっと退屈な話だからなぁ。お前たち、それじゃ面白くないだろ?……って、お前ら仲がいいことだな。男子同士、そんなにひっついて楽しいかぁ?」
孝太を始めとするC組の男子は、焦った。
足元にかくまっている信吾が見つかってしまえば、宿題を取りに帰っていないことが、そしてまだ仕上がっていないことがバレてしまうではないか!
「そ、そうなんっすよ。オレたちC組の男子は、兄弟分も同然で仲がいいんっすよ。アハハハハ」
引きつった笑いを返しながら、彼らは内心ヒヤヒヤであった。
本を数冊見繕って満足した中畑先生は、図書室を出ようとした。C組の女子の、あまりにうれしそうな黄色い声が飛んだ。
「キャーッ先生カッコイイ! 早く戻って仕事の続き頑張ってね~」
何だか不自然な、脈絡のない応援である。
「何か変だなぁ。ま、いっか。遅くならないうちに帰れよ」
中畑先生が出て行った瞬間、皆は大きくため息をついた。
綾子が和菓子店の自動ドアの前に立つと、音を立てて開いた扉の向こうには、和菓子の芳醇な香りの漂う空間が広がっていた。
「いらっしゃい~」
店番をしていた山崎信吾の母・響子はショーケースの向こう側から愛想の良い笑顔で声をかけてきた。
「ああ、あなたはウチの息子と同じ中学ね?」
綾子の制服を見た響子は、彼女を信吾の同級生と推測した。
「あっ、ハイ。山崎くんに頼まれて、忘れたプリントを代わりに取りにうかがったんです」
あらかじめ聞いていた信吾のプリントのあるであろう場所を綾子が告げると、「ちょっと待ってね」 と言い残して響子は店の奥に消えた。そしてものの三分もしないうちに、ブツを持って出てきた。
「きっと、これのことね。あの子にね、忘れ物なんかして、可愛い女の子に気を使わせるようなことしちゃだめよ、って伝えといてくれる?」
「は、はぁ」
受け取りながら、綾子は顔を赤くした。
美由紀には一歩譲るが、間違いなく彼女に次いで美人にランキングされている綾子の顔を、響子はマジマジと見ながらこう言った。
「あなたみたいないい子が、ウチの子の彼女だったらいいのにねぇ」
図らずも信吾の母・響子にすっかり気に入られてしまった綾子は、ノートとともに大量の栗まんじゅうまでお土産にもらって、店を出た。
首を垂れるC組の生徒たちプラスA組の綾子を前にして、中畑先生は腕組みをして歩き回った。
図書室に集められた、今回の陰謀に関わった者たち。
これから、中畑先生の名推理(?)が披露されようとしていたのだ。
その前に、なぜこのような状況に至ったのかを説明せねばなるまい。
クラスメイト達の手によって完成された宿題に、綾子が持って駆けつけてきたプリントを添えたものを持って、信吾は満を持して中畑先生に提出した。
「先生、遅くなりましたが取ってきました!」
信吾に気付いた先生は椅子をクルッと回して向き直り、彼の手から宿題を受け取って満足気な表情を浮かべた。
「おう。せっかくちゃんとやってるんだから、忘れるなんてもったいないぞ。次からは気をつけろよ」
中畑先生は、ページを開いて信吾の宿題に目を走らせたが、次第に先生の眉間に深いしわが刻まれていった。
「……何じゃ、こりゃ」
どうせ首謀者は美由紀あたりで、C組の連中がその辺にいるんだろ、と踏んだ中畑先生は、まるで猫をつかむように信吾の襟首をつかんだまま、怪しいと思われる図書室へ向かった。
案の定、みなそこに雁首を揃えて信吾の成功報告を待っていた。
中畑先生に引きずられてきた信吾の姿を見たC組プラス綾子は、ショックのあまりその場に凍りついた。
「この宿題は……どう見ても即席の寄せ集めだな」
中畑先生は、宿題の紙を眺めながらウロウロする。
「全ページ、筆跡がバラバラだ。男の字だったり、明らかに女の子の字だったり。普通な、こういうごまかしをする時はな、筆跡を似せるとかいう工夫をするもんだ。
そんなことも思いつかないとは、やはりまだまだ中学生の浅知恵だよなぁ」
顔を伏せた美由紀は、悔しさに唇をかんだ。
中畑先生の名推理は続く。
「しかもこの本の感想文! 選んだのは 『幸せはいつもちょっと先にある ― 期待と妄想の心理学』 ダニエル・ギルバート/著 熊谷淳子/訳』 。 どう考えても、国語の苦手な山崎が選んでくる本じゃないぞ?
先生でもこれ、理解がちょっと難しかった本だ。そしてこの見事な感想文を書いたのは……きっと朝倉だろう」
名指しされたC組一の読書好き・朝倉瞳は顔を赤くした。
「でもって、このふざけた俳句は福田あたりの作だろう。山崎は国語は苦手だが、根は真面目なやつだ。ふざけたことはあまりしてこない。
『水戸黄門 人生楽ありゃ苦もあるさ』
あのなぁ、五七五だったら何でもいい、ってわけじゃないんだぞ? だいたい、季語がどこにもないじゃないか。その時点でもう失格」
「……やっぱ、バレました?」
孝太は、悪びれずにそう言って舌を出した。
「ホントお前たちにはあきれたよ。でもな、先生うれしかったぞ。それほどまでして友達を助けようとするお前たちの友情! 先生、そういうのに弱いんだよなぁ」
ウンウン、と一人勝手にうなずく中畑先生は、急にポンと手を叩くと、高らかに気前の良い宣言をした。
「山崎には、三日の猶予をやろう。それまでに、きちっと自分で宿題を仕上げてくること! そして今から、お前たちC組の友情に乾杯だ!
みんな荷物をまとめろ。 今から駅前のミスドに行くぞっ。ドーナツ一個くらいは全員におごっちゃる!
あ、A組の高倉も混じっているようだが、お前もついて来ていいぞ」
その瞬間、静かにしなければならないはずの図書室で、大歓声が湧き起こった。
「やったぁ!」
「先生、ステキ~! もう、しびれちゃう!」
ドーナツのことさえなければ、きっと彼女らが中畑先生にシビレることなどあり得なかったであろう。
ミスドの客席の四分の三を占領したC組一行は、それぞれに好きなドーナツをほおばっていた。 美由紀と同じセクションに座っていた孝太は、彼女に尋ねた。
「でもさぁ、田城ともあろうお方が、ノートの筆跡や慎吾の個性を考慮することに頭が回らなかったとはねぇ! 猿も木から落ちる、だよな」
皮肉たっぷりにそう言う孝太の横で、綾子はあることに思い当たりハッとした。
「み、美由紀。あなた、まさか分かっててわざと……?」
「当然じゃない」
涼しい顔をして、可愛い口でアイスカフェオレをストローで吸い上げる。
「そんなことに頭が回らないほど、私はもうろくしちゃいないわよ。カンペキに偽装して中畑先生をだますよりも、こちの方が利益が大きいと考えたの。先生は単純だし、こういう友情ドラマに弱いことは学習済み。
実際、これで山崎君は自分の力で宿題をするチャンスが与えられた。そして私たちは、こうしてドーナツをご馳走になれた。結果オーライじゃない?」
綾子と孝太は顔を見合わせた。そして、プッと吹き出した。
「……さすがは学年一の賢者」
綾子はうめいた。
「負けるが勝ち、ってことわざにもあるじゃない」
店の窓から夕日の落ちかけた駅前の風景を、美由紀は頬杖をついて眺めた。
名推理を披露した中畑先生に、華を持たせた形にはなったが——
やはり、美由紀のほうが一枚上手であった。
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