第2話『美少女はクリーニング屋がお好き?』
「マジかよ!」
福田孝太は、天井を仰いだ。
……まったく、何てこった。
せっかく夏休みに入ったというのに、カミサマも意地悪だ——。
「とりあえず今日から三日間、何とか持ちこたえなさい。あんたずっと私らのすること見てきたんだから、店番くらいきっとできるわよ」
孝太の母、奈緒子は事もなげにそう言うと、とり急いでまとめた荷物とともに、そそくさと出て行ってしまった。
「オレに勤まるかなぁ……」
夏休みが楽しい盛りの中学生、孝太は深くため息をついた。
母の一言で、今日を含む三日間の遊びの予定は露と消えた。それどころか、家の稼業であるクリーニング店の手伝いをするはめになったのだ。
奈緒子の父、つまり孝太からは祖父に当たる人物なのだが、急な病気で入院したというのだ。
そこで急遽、奈緒子がすぐに帰省し、祖母と交代で看病することになった。
完全看護制だから、無理に身内が付きっきりになる必要はなかったのだが、そこは奈緒子が気をきかせた形になった。
もともと、8月半ばのお盆休みには店じまいをして帰省することにはなっていた。
だから、母の帰省だけが数日早まったに過ぎないのだが……
たった三日とはいえ、接客と経理、そして衣類管理を一手に引き受けてきた母の抜けた穴は、大きい。
東京S区の、とある町の商店街にある『福田クリーニング店』。
孝太の両親が切り盛りしている、地元では古くから愛されている店であった。
母の奈緒子は、経営や接客を担当。父・辰吉がクリーニング師としての腕を振るっていた。
実際、店を開くにも最低一人の『クリーニング師』という、クリーニング業法で定められた資格を持つ者がいなければならないのだ。
辰吉は、実に昔かたぎな中年オヤジだった。職人肌で、気難しい。人付き合いも、どちらかというと苦手である。
しかし、ことドライクリーニングに関しては、その腕前は誰もが絶賛するところであった。
逆に母の奈緒子は物腰のやわらかい、気立ての良い女性であった。全く性格が正反対のこの夫婦は、互いの足りないところをうまく補っているのか、夫婦仲は円満であった。
辰吉には、外見からは想像もつかない、もう一つの顔があった。
彼は、キリスト教会に通う信者……そう、『クリスチャン』だったのである。
なぜそんなことになったのかといえば……
辰吉の尊敬するドライクリーニングの創始者、五十嵐健治氏(白洋舎の創始者でもある)は、熱心なクリスチャンだったのだ。辰吉はクリーニング師として忙しく働く傍らで、洗礼まで受けて熱心な教会員としても活動していた。
彼は体格がよく、怒りっぽく、地声もデカい。しかも……見事なハゲ頭であった。そのことをとても気にしている彼は、『ハゲ』だの『ツルツル』だの『光ってる』だのという言葉を耳にしただけで、烈火のごとく怒った。
そういう時「あ、イエス様が聞いてるかもよ~」などと指摘してやると、ハッと我に返りその場に膝をついて『悔い改め』の祈りを始めるから、孝太と奈緒子は面白がって『辰吉』いじりをした。
この前、成績のことで孝太が両親にウソをついたことがあった。要するに、悪い点を取ったテストの存在を隠していたのである。
辰吉は、孝太を平手で思いっきり張り倒した。
柔道のジュニアチャンピオンである孝太も、父の腕力にはかなわない。ヒリヒリする頬を押さえながら父を見上げた。
「父ちゃん、クリスチャンが暴力を振るっていいのかよ!」
辰吉は、ヤカンをのせればお湯が沸かせそうなほど熱を持ったハゲ頭をカッカさせながら怒鳴った。
「うるさいっ。聖書にはな、『もし誰かがあなたの右の頬を打つなら、左も向けてやりなさい』って書いとるんだっ。さあ、お前も左を出しやがれっ」
「そんな無茶苦茶なっ」
孝太の抵抗むなしく、父の鉄拳は飛来した。衝撃で頭が『空にキラキラお星様~』状態になった孝太は、あきれながら倒れた。
……それって、父ちゃんのほうが言うことじゃ、ないだろ?
このように、辰吉はちょっと変わったクリスチャンであった。
「孝太、頼んだぞ。父ちゃんはな、お金のことや預かった服の管理は母ちゃんに任せとったから、さっぱり分からん」
時刻は、もう朝の9時半を回っていた。
開店自体は10時だが、辰吉はすでにクリーニングの機械を稼動させ、洗濯と染み抜きの準備を始めていた。
「へい、へい」
とりあえず店員用のエプロンを身につけた孝太は、店内の照明ををつけた後、入り口のシャッターを開けた。商店街にあるこの店に、孝太は手伝いに通っている。住む家はこの店舗とは別で、それは田城美由紀の隣家だ。
孝太は有線のチャンネルをJ-POPに合せ、丸イスを引いてきて座り、カウンターに肘をついてふんぞり返った。
10時を少し過ぎたところから、ポツポツ客が訪れた。
カウンターにおさまった孝太を見て、常連の主婦達は口々に言う。
「あ~ら孝ちゃん、珍しいわねぇ。今日はお母さんの代わり? 偉いわねぇ」
忙しくなりませんように、と祈った孝太だったが、辰吉のように真面目に信仰もしてない孝太の祈りを聞く神など、あるはずがない。
学校が休みのこの時期は、ここぞとばかりに学校の制服をクリーニングに出す客も多い。案の定、今日も孝太の同級生の母親達が、息子・娘の制服を持って次々と現れた。その度に、店番をしていた孝太は、親達に誉められた。
中には、「うちの子に孝ちゃんの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいわ!」 などと息巻く親もいた。
……オレの爪の垢は、マズいよ?
時々ツッコミを入れたくなるやりとりもあったが、とにかく孝太は、台帳の記入と料金の計算で忙しかった。
「え~っとスーツ一点、カッター三点、スカートひだあり二点……」
頭がパニくりながらも、何とかこなしているうちに、午後三時になった。
ようやく客足も途絶えひと段落を迎えた孝太は、ボックスに詰めた客の衣類を「よろしく」と言って、奥の作業場にいる辰吉に託した。
フーッと大きく息をついてカウンターにふんぞり返った孝太は、何気なしに有線から流れる音楽に耳を傾けた。
今は夏真っ盛りだというのに、流れているのはなぜか人気女性シンガーの『冬の定番ラブソング』とも言える曲だった。
季節外れではあるものの、その心洗われるような美麗なメロディーを聴きながら、彼はあるクラスメートの女子と、雪降る夜に寄り添って歩いている情景を想像した。
その想像の犠牲(?)となったのは、田城美由紀、という中学でのクラスメートの女子だった。優等生で、吹奏楽部ではフルートの名手。
腰まである美しい黒髪をなびかせる彼女は、クラス一の美少女であった。一部の支持者からは、クラスどころか学校一じゃないか、という声まで上がっていた。
接客がヒマになったのをいいことに、孝太の妄想はさらにエスカレートした。
「いいなぁ。こんなところで店番なんかじゃなくて、田城さんとあんなとこ行って、こんなことしてさぁ——」
こんなことって、具体的に何だ? というツッコミはさて置き、彼はこの直後に悲惨な運命に見舞われることになる。
孝太の想像の中で、ちょっと恥じらいを含んだ美由紀の指と孝太の指が絡み合ったその時——
「……ちょっと、あんた何ニヤついてるのよ。お客よ、お客」
幽霊でも見たかのように跳び上がった孝太は、慌ててヨダレを拭いて直立不動の姿勢をとった。
そう。そこには想像なんかじゃない当の本人——
田城美由紀その人が、あきれ顔で立っていたのである。
「いっ、いらっしゃいませ!」
孝太は完全にアガっていた。
「な、何をお探しでしょうかあ?」
美由紀のきれいな眉がピクッと吊り上がった。
「……あのさあ。ここ何か売ってるわけ? クリーニングに決まってるでしょっ」
トンチンカンな孝太の接客にあきれた美由紀は、手に提げていた紙袋の中からセーラー服を取り出して、ドンとカウンターの上に置いた。
「明日、午後から吹奏楽部の施設慰問があるんだ。その時には着れるようにしてほしいわけ。スピード仕上げのコースだったら、明日の午前には上がってるわよね?」
「あっ? ああ」
……相変わらずの、シャンプーのCMに出てきそうな艶のある黒髪。
胸にワンポイントだけ模様の入った白のTシャツと、赤のチェックのミニスカート。制服姿もいいけど、こっちもなかなか新鮮だなぁ。
孝太は、そんな所ばかりを観察していた。
「はい、お金。明日までに、頼んだわよ」
お釣りを受け取った美由紀は、自動ドアをくぐりざまに振り返り、一言言い残していった。
「……ヘンな気起こさないでよ」
孝太はガックリとカウンターに両手をついた。
「こりゃ、絶対印象悪くしたよな……」
美由紀に「ヘンな気を起こすな」と釘をさされた孝太ではあったが——。
彼はきれいにたたまれた、美由紀の制服の上下を持ち上げた。
妙にいいにおいが、孝太の鼻腔をくすぐる。
美由紀は、先生に目を付けられない程度の、抑えた匂いの香水を愛用していた。
……これ、いつも田城さんが着てるんだよな。
無意識に、生地に鼻を近づけていた。
「おい、お前何やっとんだ?」
こういうことは、得てして間の悪いタイミングで見つかるものである。
普段は出てくるはずのない辰吉が、目を丸くして立っていた。
「ひいいっ」
孝太は、美由紀の制服から顔を上げた。
時すでに遅かったが、まぁ顔を上げずにいるよりはマシだろう。
「オヤジっ、これ急ぎで。明日の午前中に取りに来たいってさ。さ、さオヤジは奥で仕事、仕事! 」
孝太は顔を真っ赤にしながらわめき、服を辰吉に押し付けて父を奥の作業場に封印した。カウンターに通じるドアまで閉められてしまった辰吉は、胸で十字を切って祈った。
「天の父よ……愚かな息子をゆるしたまえ」
次の日。
開店を前にして、孝太は青ざめた。
父の一言で、事態の重さを悟った。
「オイ、孝太。父さんも今気付いたんだがな、昨日お前が客から預かった服、全部名札が付いとらんぞ。これじゃ、どれが誰の服か分からん」
店によってやり方は様々だが、孝太の店では、すぐにはがせる 「紙テープ」を一時的に衣類に付けて、そこに客の名前を書いて管理している。仕上がったあとは、画用紙を細く切ったような小さな紙を巻き、ホッチキスで止めて所有者を特定できるようにしている。
孝太は、料金の計算に必死になるあまり、ついつい受け取った衣類をそのままボンボン衣類かごに放り込み、いっしょくたにして辰吉に渡していたのだ。
辰吉が途中で気付いてくれれば被害は最小限で済んだかもしれない。しかし事務的なことは一切母任せでクリーニングだけをひたすら行う毎日だった彼は、鈍感にもただ無条件に渡される衣類を処理し続けたのだった。
二人の目の前には、どれが誰のか分からなくなった衣類の山。
「どうしよう……」
孝太と辰吉は、腕組みをして頭を悩ませた。
このことを知ったら、母はきっとあきれるだろう。
とりあえず、片っ端から客の自宅に電話をかけて、詫びた。
あまり失礼にならない時間まで待って電話をしてみるが、つかまったのは昨日受付をした客の半数だけ。
あとは、すでに出勤したり用事で出かけてしまったりしていた。
開店一番に町会長の奥さん・光代と、同じ商店街の並びにある大衆食堂『あすか』の女主人・雅奈が駆けつけた。
店のカウンター前のスペースに積まれた、衣類の山。
「……えっと、この中から自分ちの服を探し出せばいいわけね」
早速、身をかがめて服をかき分ける光代。
「こりゃ、大変そうだわ」
雅奈も腕まくりをして、気合い十分に物色しだした。
それから二人は神経衰弱の真剣勝負でもするかのような集中力で、ピラミッドのような服の山と格闘しはじめた。
奥から、辰吉の声が響いた。
「おい孝太、学生服だけは確かネームが確実に縫い取ってあるはずだから、誰のか分かりやすいだろ。まずそっから整理にかかったらどうだ?」
……なるほど。それもそうだ。
早速、すでに5人に増えていた客たちに混じって、孝太は学生服だけを抜き取って整理を始めた。
孝太は、恐ろしくむつかしい神経衰弱に挑んだ。
学生服は、男子なら学ランにズボン・女子ならセーラー(学校によってはブレザーも)にスカートの組み合わせだ。上下とも、同じ名前が縫い取りしてあるのを見つければビンゴなのだが、これがまた恐ろしくタイヘンであった。
衣類の山を集団があさるという異様な光景に、商店街を歩く通行人たちは一様にギョッとした。
「お、これだこれだ」
やっと、『田城』のネームの縫い取りがあるペアができた。
スピード仕上げだったため、他の衣類と違いもう処理は済んでいる。
丁寧に包装するべく、衣類を持ってカウンターへ行く。
「…………」
孝太に、いらない興味が湧いた。
早くたためばいいのに、物珍しさに色々と観察しだした。
確かに、男子にとって女子の制服など、ヘンな事情でもない限り縁のないものだ。
……へぇぇ。女子のスカートのポケットって、こんなところにあるのか。分かりにく~
彼はつくづくついてない男だった。
後ろから迫る影に、まったく無防備であった。
「あれだけヘンな気は起こすな、って言っといたのに……」
ビクッとして浩太が振り向くと、そこには——
腕組みをして、切れ長の目を細めて孝太を見つめる美由紀の姿があった。
「たっ、たっ、たっ、たっ……」
本人は『 田城さん』と言いたいのだが、動揺のあまりろれつが回っていない。
「ハイ。そこまでよ、っと」
美由紀は、アホみたいに口を開けている孝太の頭とあごを手で挟んで、エイッと押さえつけて残酷にも口を閉じさせた。
「イデッ」
舌を噛んで涙目になった孝太は、深く絶望した。
……ああ。終わった。さらばオレの初恋よ、青春よ——。
しかし、孝太の悲劇は、とどまるところをしらなかった。
「これはもう、福田君には私の言うこと、何でも聞いてもらわないといけないわねぇ~」
ものすごく意地悪そうな声でネチネチと孝太をいたぶる美由紀。
顔に似合わず、かなりの悪女ぶりである。
「で、どうすりゃゆるしてもらえるの?」
もはや主導権は完全に美由紀にあった。
「ちょっと、いつまで待たせるの? 早く出てきなさいよ」
無情にも、トイレのドアをノックしてせかす美由紀。
「……オイ。マジでこの格好で出なきゃいけないのかよ~」
中から、今にも泣き出しそうな孝太の声が聞こえる。
「あっ。そんなこと言ってい~のかな~ 夏休み明けたらみんなに教えてやろっと。福田君はぁ、な~んと私の制——」
「ア゛――――ッ!た、頼むからそれだけは……」
バタン、とドアが開いて孝太が出てきた。
ただ、さっきの彼と違っている点があるとするならば——
それは彼が美由紀の『セーラー服』を着ている、という一点であった。
「うん、思ったより似合う。上出来上出来」
孝太の頭のてっぺんからつま先までを眺めて、美由紀は満足した。
武道をやっているわりには華奢な孝太は、美由紀のサイズを苦もなく着用できた。スカートの腰周りだけは、さすがにウエストいっぱいの所でホックを留めた。
店には、頭だけのマネキンに女性用の長髪のかつらがのっかったものがあった。それを拝借して、孝太に被らせる。理髪店でもないのに、なぜそのようなものがあったのかは謎である。
顔もジャニーズ寄りにそこそこ可愛かった孝太がそのかつらをかぶると、遠目には女の子でごまかせるくらい女装に違和感がなかった。
「今日はあなた、罰としてその格好で仕事なさい」
孝太は凍りついた。勉強嫌いの孝太でも、もし「ゆるしてやるから今から一日中、夏休みの宿題をしろ」と言われても、喜んでそうしたことであろう。彼は、なんとかその恥辱の極みから逃れようとあがいた。
「でっ、でも田城さんさぁ、今日は午後から吹奏楽の活動があったんじゃあ?」
「ざ~んねんでした」
ハラハラとしなやかになびく黒髪をかき上げながら、美由紀は意地悪な口調で言った。普段なら目が釘付けになるような悩殺の仕草だったが、今の孝太はそれどころではなかった。
「施設慰問の演奏会ね、向こうの都合でキャンセルになったの。だ~か~ら、今日は一日アンタに付き合ってア・ゲ・ル」
美由紀はそう言ってウインクしてきた。
……一日付き合ってあげる、か。もっと別のシチュエーションで言われたかったなぁ。
まだ若いくせに、世とはかくもままならぬものよ……とおじん臭く嘆く孝太であった。彼は死刑場に引かれていく囚人のように、首を垂れて美由紀の後ろについて店のほうへ歩いた。
……歩きずれぇ。
しかもやけに足元がスースーする。なんだか夏風邪でもひきそうだ。初めてスカートというものをはいた孝太は、女はよくこんな頼りなげなもの履いて外を歩いてられるな、と感心した。
「あっはっはっはっは」
辰吉は、孝太を見て大爆笑した。『ドリフの大爆笑』を一日中見たとしても、彼がそれほどに笑うことはないに違いない。
「お前、妙に似合ってるじゃないか。し、しっかし……ああおかしい」
ひいいっ、とひきつけでも起こしたかのように辰吉は体をくの字に曲げて笑い続けた。服を物色していた主婦達も、初め唖然として孝太を眺めていたが、「孝ちゃん、似合うじゃないの~」 と口々に誉めだした。
……もう。こうなったらヤケクソじゃ!
自分の格好をなるべく忘れるようにして、孝太は業務に没頭しだした。
美由紀には、商才があった。
彼女は、あくまでも自然体にその場を仕切りだした。
まず、孝太には朝つかまらなかった客のコンタクトに再度当たらせた。
その場で服探しに来ていた客は15人に膨れ上がっていたが、美由紀は彼女らからつかまらない客のプライベートなケータイ番号やSNSアカウントを聞き出した。主婦同士の交友関係から、知っている者があるだろうと踏んだのである。
「あ、香坂さんのメアドなら私知ってるわよ。山崎さんは……そうね、確か住田さん、あなたSNSで繋がってなかった?」
そんな感じで、割り出された者からどんどん連絡がついていった。
主婦の情報網というものは侮れないものである。
「あ、これ。吉野さんの奥さんが、おととい着てた服じゃない? こないだイオンでクリアランスセールやってたときに見た服だったから、覚えてるのよねぇ」
そうこうして、その場にいない人物の服までも特定されていくのであった。
美由紀は、ドタキャンでヒマを持て余していたブラスバンド部の女子部員を5人、スマホで呼び寄せた。彼女らはサックス・トロンボーン・クラリネット・フルート・ドラムなどを駆使して、商店街の真ん中で演奏を始めた。もちろん、客引きのためである。
町内きっての美少女を中心とする即席バンドは、道行く人々の注目を集めた。
途中、近くの交番の巡査が来て、『これは一体何事か』と美由紀に問いただす一場面もあったが、その巡査も頭の大してカタくないユーモアを解する人だったので、許可がどうのと問い詰めず「ま、頑張りや」とだけ言って立ち去ろうとした。
「あ、そうそう」
巡査は思い出したように、ただ一言だけ美由紀に注意を与えた。
「朝、この近くでコンビニ強盗が出たんだが、犯人はまだ逃走中なんだ。もしかしたら、ということもあるから気をつけてくれたまえ」
「……これはどう見ても全く同じ服だわね」
二着の服を前に、二人の婦人は悩んだ。
「そう。どっちかが私ので、どっちかがあなたの」
苦肉の策で、二人は試着して確かめてみることにした。
ここは洋服屋でもないので、試着室などという都合の良い物はない。
そこで孝太は気をきかせて、広いカーテンの布地を店の奥からかついできて、店の空きスペースを仕切って、即席の更衣室を作ってやった。
連絡のついた客がさらに訪れ、店内はごったがえしていた。
子供連れもいたため、退屈しだした子どもは、いらないいたずらを始めた。
店内には、ハンガーに掛かった服の束がグルグル循環するシステムがあった。
それはちょうど『コ』の字を組むように店内を巡っており、ボタン操作で動いたり止まったりするようになっていた。
孝太が操作するのをこっそり観察していた子どもは、孝太がカウンターから席を外した隙にさっき見たボタンを、力加減もせずに思いっきり押した。
とたんに、服の行列たちはありえないスピードでグルグル回転しだした。
「キャハハ。面白~い」
外で演奏していた美由紀たちも、それに気付いた。
ギャラリーたちも、あっ気にとられてそのシャレにならない展開を眺めた。
「……何、あれ」
「ア゛―――ッ!!!」
スカートの生地が汗でももにまとわりつき、走りづらいのも何のそので、孝太は制御装置に飛びついた。ボタンをもう一度強く押し込むと、設定がリセットされやがて回転のスピードは弱まり、ついには止まった。
「フーッ……」
孝太が安堵の息をついたのもつかの間だった。
子どもの一人が、即席更衣室のカーテンのはじっこをグイグイ引いたのだ。
「ぎゃああああ! それはやめれ~」
孝太のとっさのダイビングもむなしく、単純な構造であったその更衣室は、脆くも崩れ去った。
テレビ番組などで、平凡な主婦を美人に変身させて、最後カーテンをハラリと落としてお披露目するコーナーがある。ちょうど、その『変身しきってへんのに、カーテン落ちちゃった』バージョンである。
「いやああああああああああああああーーーーーーーーーーーーん!」
商店街全体に届く大絶叫が響いた。
孝太は、両手で目を覆いながらも、指の隙間からご婦人たちの下着姿をばっちり見てしまった。
ちょうど、恐怖映画を観る時に、女の子が「きゃあ」とか言って手で顔を隠しながらも指に隙間を空けてちゃっかり見ている、というアレである。
すったもんだはあったものの、良心的な客たちの協力のお陰ですべての服の身元が確認された。
作業が終了した時には、思わず全員で『バンザイ三唱』をした。
朝からずっと協力してくれている大衆食堂の女将・雅奈は、人数分のカツ丼ときつねうどんを出前で差し入れてくれた。これには、大人も子どもも跳び上がって喜んだ。もちろん孝太も、美由紀と並んでカツ丼を食べた。
「おいしいね」
彼女はそう言ってニッコリ笑う。
「ああ」
女装している、というのが何とも滑稽であったが、この瞬間だけはそんな恥じくさいことは忘れて、美由紀との食事を楽しんだ孝太だった。
美由紀が顔をしかめた。
「……米粒、スカートに落とさないでよね」
その時だった。
一瞬、孝太は何が起こったのか理解できなかった。
彼は首をはがいじめにされて、店の隅まで後ずさりさせられた。
「うっ、動くなぁ!」
刃物を持った40後半と思われる中年男は、孝太ののどもとにナイフ状の刃物を突きつけている。
「レ、レジから金を……出せぇ。怪しいマネをしてみろ、このお嬢ちゃんの命はないぞ!」
……あんたのほうが、よっぽど怪しいマネをしてるじゃない。
冷静な美由紀は、心の中でツッコミを入れた。
……ははん。こいつがあのお巡りさんが言ってた、逃走中の強盗ね。
美由紀の頭の中のコンピューターは、最善の解決策を瞬時に弾き出した。
奥から、声を聞きつけた辰吉が姿を見せる。
この場で最強の人間は、明らかに彼だった。
しかし、強い男である以前にクリスチャンであった彼は——
「ああ神様イエス様聖霊様……どうかお救いください」と祈りだす始末だった。
強盗に人質にされた孝太は、がっくりとこうべを垂れた。
……あかん。今の父ちゃんは頼りにならん。
孝太は、美由紀とアイコンタクトをとった。
どうやら、彼女も孝太と同じ考えであることを認識した。
都合のいいことに、強盗は孝太のことを『女子中学生』だと思い込んでいる。
だからこそ、とっさに人質に取ったのだろう。そこに、付け入る隙がある。
孝太は、柔道のジュニアチャンピオン。チャンスさえあれば、武術の心得のない大人をねじ伏せることは、そう難しいことではない。
ただ問題は……タイミングであった。
相手が刃物を持っている以上、ちょっと間違えば負傷はまぬがれない。
さぁ、一体どうする?
「ハゲ!」
美由紀の失礼極まりない一言が店中に響いた。
彼女は、ワナワナと唇を振るわせる辰吉に、なおも追い討ちをかけるように「失礼の上塗り」を言い放つ。
「そこのツルッパゲのアンタだよ。さっさとこの強盗に、レジのお金を渡してしまいなよっ。お陰でこっちはとんだトバッチリだよ」
「ハ、ハ、ハ、ハ、」
もはや、波動砲のエネルギー充填率は200%以上だった。
「ハゲだとぉ~~~~~~~~~~~~~!?」
学生時代、応援団で鍛えていたその野太い声は、一同を震え上がらせるのに十分であった。
「今よっ、福田君!」
美由紀に言われるまでもなく、強盗の刃物を握る手がゆるんだのを見てとった孝太は、男の左袖と胸倉をつかみ、一瞬で男の懐に頭を下げて飛び込んだ。
左足を軸に、右足の先を滑り込ませ、男の足を払う。
虚を突かれた男は、重心を崩されて体の平衡感覚を失った。
「……なっ!?」
男が気付いたときにはもう遅かった。腰を支点とし、最小限の力で軽々と男の体を持ち上げ、恐ろしい速さで回転させた。
「一本!」
いつ審判になぞなったのか、美由紀の澄んだ声が店内に響く。
孝太の見事な一本背負いが決まったのだ。
その後がまた、大変だった。
連絡を受けて、警察がやって来た。
そして、耳の早いテレビや新聞の報道機関が、わんさかと詰め掛けた。
人でごったがえする商店街。ここぞとばかりにインタビューに答える、目立ちたがり屋の住民達。孝太と美由紀は、警察の事情聴取を受けた後、警察署長から表彰されることになった。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ!」
「ん、何だ?」
孝太と美由紀を連れていこうとしたさっきの巡査は、煮え切らない態度の孝太を怪訝そうに見つめた。
「その……男の子の服に着替えてからでも、いいですか? この格好じゃ落ち着かなくて」
「なるほど」
巡査は、軽くアハハハと笑ったがすぐ真顔に戻って、
「いや、今は時間が惜しい。そのままでも、いいだろ。ほら、何だっけ…昔『桜塚やっくん』とかいうのもいたくらいだから、別にいいじゃないか」
「そそそそそそそそそそんな問題じゃないでしょう!」
あわれセーラー服姿の孝太は巡査と美由紀に両脇を抱えて引きずられ、その格好のまま事情聴取を受けた。それどころか、表彰までその格好で受けたのであった。
横で美由紀は一言。
「……それ、もう一回クリーニング、よろしく」
二学期を迎えた。
柔道部の部活を終えた孝太は、吹奏楽部が解散になるのを待って、下駄箱で美由紀をつかまえた。こころもちだけ涼しくなった初秋の風は、並木道を並んで歩く二人の頬を軽くなでる。
「あの時は、ありがとな」
ちょっと照れながら、孝太は言った。
「田城はさぁ、オヤジがハゲとかそういう類の言葉にキレやすい、っていうの知ってたんだろ? 見事な作戦だったぜ」
美由紀は、風で左側に寄ったセーラーのスカーフを真っ直ぐに直しながら言う。
「ええ。私常連さんだから。自分の服は自分でクリーニングに持っていくからね。オジサンとは、たまにしか店番しないあんたとよりよっぽど会話してるわよ。
この前、オジサンから 『アンタ、孝太のカノジョかい?』って聞かれたから、『まぁ、そのようなものです』って言っといたよ」
急に、美由紀の横から孝太の姿が消えた。
彼女が振り向くと、孝太はコケて地面に這いつくばっていた。
「……大丈夫?」
美由紀はかがんで、手を差し伸べた。
二人の手は、じかに触れ合った。
ズボンに付いた砂ぼこりを払った孝太は、、モジモジしながら美由紀の横顔を見つめた。
「あのさぁ、ひとつ聞いてもいいかな」
「何よ」
美由紀の顔は、まるで今からあなたの言おうとしていることくらい想像がつくわよ、とでも言いたげであった。
「念のために聞くんだけど、お前さぁ、付き合ってるヤツとかって……いるのか?」
黒髪の美少女は、少しうつむいて寂しそうに笑った。
「いないわ」
「マジ?」
期待していた答えのクセに、いざそう聞くと驚いてしまう孝太であった。
男子の誰もがあこがれる美由紀が、実はフリーだとは!
「失礼ね! アンタの告白の言葉、預かっておくって言ったでしょ? そんな期待をもたせるようなことを言っておいて別の男と付き合うとか、私はそこまで落ちちゃいませんから!」
そう言った美由紀は、何かを吹っ切るかのように夕焼け空を眺めた。
「……『命短し恋せよ乙女』。よっしゃあ、ガンバレ私!」
そう叫んで、美由紀は駆け出した。
美由紀のプリーツスカートがひるがえり、不思議な残像を残して遠のいていく。
「お~い! ちょっと待ってくれよ!」
あわてて後を追う孝太。
無邪気に走る一組の男女を、夕日はオレンジ色に染め上げていた。
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