第3話『美少女探偵、ラブレター入れ違い事件を解決する』

 部活で帰りの遅くなった2年C組の宮田菜緒は、下駄箱の扉を開いて顔をしかめた。自分の下履きの下に、何かがはさまっていたからだ。

 一体何だろうと引っ張り出してみると、どうやらそれは手紙のようだ。手紙といっても、菜緒たちが女友達同士で使うようなかわいいレターセットのそれではない。

 よく事務用で見かける簡素な『茶封筒』である。表面にはあて先も書いてなければ、差し出し人の名前もない。



 ……はて、こんなことする友達、いたっけ?



 昔と違って、中学生であってもほとんどの子がスマホを持っている。

 たいがいのことはSNSやショートメールで済ましてしまう今のご時世。

 仲が良くっても、手紙をわざわざ書くなんてまず考えられない。不気味には思ったが、とりあえず自分のところに突っ込んであったのだから自分あてだろう。

 とりあえず通学カバンにその封筒をしまいこんだ菜緒は校門を出て、夕闇迫る住宅街を駆けていった。



「ただいまぁ」

 陸上部で鍛えられている菜緒は、部活が終わっても帰り道を自宅まで完走する。

 勢い良く玄関のドアを開け、靴を揃えてなんか脱がずに真っ直ぐに二階の自室へ駆け上がる。

「全く、元気な子ねぇ! 少々行儀は悪いけど」

 夕食の支度をしながら、台所で母は独り言を言った。

 塾へ行くために早めの夕食をとっていた菜緒の兄は、母の独り言に相槌をうった。

「……ああいうのを 『脳筋』って言うのさ」

「何よ、それ?」

 流行り言葉に疎い母は、リビングにいる兄に首を向けて聞く。

「脳みそまで筋肉でできてる、ってこと。つまり『体は鍛えられてるけど頭は悪そう』な人の例え、だよ」

「まぁ」

 母は、顔をしかめた。

「妹のことをそんな風に言わないの。でも……陸上もいいけど勉強もして欲しいわね、確かに」



「はっくしょい!」

 階下で陰口を叩かれているとは夢にも思っていない菜緒は、セーラー服を脱いで早速動きやすい普段着に着替える。

 とにかく体を動かすことが大好きな菜緒は、特にこの『制服』というものがキライだった。彼女はそれをまるで 「ヨロイ」だと感じていた。こんな重苦しい衣類は、地球上にない、と。

 着替えてから、さっきから一番の関心事である例の『手紙』を早速カバンから引っ張り出した。勉強机に座って向かい、デスクライトのスイッチをひねる。

 はさみで、封筒の上部をカットし、中から便箋と思われる紙が折りたたまれたものを引っ張り出し、目を通してみた。



 田城 美由紀さま



 オレはお前が、実は好きだ。

 そういうわけで、つきあってほしい。

 誤解するなよ。ヘンな意味じゃないぞ。

 とりあえず、休みに遊んだり、どっか出かけたり、メール交換したり……

 できたらたまに手をつないで歩いてくれるとうれしい。

 そ、それ以上はもっと後だぞ。最初は、そのへんからだ。

 いい返事を待っている。ああ、こう書いている間にも心臓が口から飛び出しそうなくらいドキドキしている。



 じゃあな。



 室木 大輔より



 菜緒は、椅子からひっくり返りそうになった。

「ギャハハハ」

 菜緒は、なぜこんなものが自分の下駄箱にあったのかの真相にたどり着き、腹を抱えて笑った。

 しかし。その笑いは一分弱続いたが、やがて静かになった彼女の目から一筋の涙が伝った。



 室木大輔というのは、菜緒の小学校時代からの幼なじみだ。

 くされ縁で、小学三年生の時を除いてずっと同じクラス。

 そして今現在の中学のクラスでも、やはり同じ。

 先ほど『脳筋』と兄に言われていた菜緒だが、この大輔はそれに輪をかけた『筋肉バカ』であった。

 サッカー部のエースである彼は、類まれなセンスの持ち主であった。しかも、ルックスもどちらかというと良い部類に入ったため、ある程度モテた。

 しかし……勉強に関しては、カラッキシであった。それは、先ほどのラブレターの文章の国語力を見てもらえば分かるだろう。

 告白をSNSメッセージやメールではなく手紙にするという発想自体はナイスだ。

 だがしかし、それにしてもこれは、マズイ。



 サッカーのこと以外ではセンスゼロ。

 まず、国語力のなさを見せ付ける文章。乙女心をくすぐる内容とは、ほど遠い。



 ……文章が横柄なクセに、『美由紀さま』だって。



 わざわざ触れる必要のないことまで言って地雷を踏んでいる。『それ以上はもっと後』って、意図的にフラれようとしてるのか、ケンカを売ってるとしか思えない。

 でも、菜緒には分かるのだ。彼は、至ってマジメに書いたのだ、きっと。



 ……心臓が飛び出る? ホラー映画じゃないんだからね、キモイ。もっとマシな表現はなかったわけ?

 


 もっとツッコミを入れるなら、その便箋にはアニメのキャラクターがデカデカとプリントされていた。文面のはじっこで、ドラゴンボールの『悟空』がカメハメ波を放っている。

 そして、コーヒーか紅茶のシミと思われるものまで、ご丁寧に付いている。



 ……これが本人に届いてたら、ゼッタイにフラれてるぞ。



 田城美由紀というのは、クラス一の美少女である。

 いや、クラス一どころか学校一と言っても過言ではなかった。

 それは、誰もが認めるところであった。成績優秀。吹奏楽部に所属し、フルートの名手。芸能人、と言っても誰も疑わないであろう突き抜けたかわいさで、男子生徒のあこがれの的。

 彼女の下駄箱は、菜緒のちょうど隣りであった。

 下駄箱には、番号があるだけで個人の名前が書いてないから、そそっかしい大輔は一列分間違えたのだろう。

 こんな大事なものを出すのに、実にアバウトである。



 ……どう考えても、こんなデリカシーかデモクラシーのかけらもない文章が、クラス一のかわい子ちゃん(今そんな言い方がまだ生きてるのか?)のココロをつかむのは、奇跡に近いわ。



 菜緒は、たとえ大輔が困ったところで、助けるべき義理などない。

 放っておけばいいのに、菜緒は驚くべき行動をとりだした。



 近くの文房具屋に走った菜緒は、何とか閉店前に滑り込み、青色のレターセットをゲットした。

 よし。これなら男の子が使っても不自然じゃないかな。それにしても……茶封筒はないだろ!

 腕まくりをして机に向かった菜緒は、便箋に向かって字を書き出そうとした。

 ボールペンの先を紙につけかけて、ハタと気付いた。



 ……私の筆跡じゃ、バレるわね。



 そう。明らかに女の子の字と分かってはまずい。ここは、男の書いた字だと思ってもらえるように書かねばならない。

 菜緒は、塾に出かけて不在の、高校生の兄の部屋に侵入した。

 そして兄の机の引き出しから、ノートを一冊失敬した。

 ノートの下には、胸を見せている女の人が表紙になってる雑誌があったが、それは黙ってモノを借りる手前、見なかったことにしてあげた。



 兄の筆跡を真似て、菜緒は必死に手紙を書き上げた。



 田城 美由紀さんへ



 いきなりこんな手紙を出してしまって、すみません。

 僕は前から、田城さんのことが気になってました。勉強でも、音楽でも、いきいきと活躍している田城さんのことは、ずっと見てました。



 僕は、田城さんのことが、好きです。

 かなり悩みました。もしかしたら、こう告白することで田城さんにいやな思いをさせてしまうかもしれない。そう思って、どれだけためらったかしれません。

 でも、やっぱり僕はこの正直な気持ちを伝えずにはいられませんでした。この中学生生活に悔いを残さないためにも。

 正直、田城さんからどんな返事が返って来るのか、怖くもあります。

 でも、僕は例えどんな返事が返ってきても、今回こうして勇気をもって悔いのないように行動できたことを、喜びたいと思っています。

 友達としてからでもいいです。こんな僕ですが、よかったらお付き合いください。

 それでは。お返事お待ちしています。



 室木 大輔より



 ラブレターなど書いたこともない菜緒は、ない頭をこねくりまわして、何とか文章を完成させた。しかも、男の立場から書くのだから、菜緒の思考回路はショート寸前であった。

「できた~!」

 ジョギングで納得のいく距離を走りきったロッキーのように、ガッツポーズをとっておたけびを上げた。



「……お父さん。菜緒ったら、帰ってからずっと勉強してるんですよおおお」

「そ、そうか! あの子もついに目覚めたか!」

 階下では、菜緒が勉強していると勘違いした両親が、束の間のはかない夢に想いを馳せていた。



 明かりを落としてベッドの中でモゾモゾし続ける菜緒。

 イライラして時計を見ると……午前2時。

 運動が何より好きな菜緒は、眠れないなどという経験には無縁だった。

「アタシ、今日はどうしちゃったんだろ——」

 パジャマの上から胸に手を当ててみる。

 何で、アイツじゃなく私がドキドキしなきゃいけないのよ!

 どうしようもなくなって開き直った菜緒は、お気に入りのアーティストのアルバムをミニコンポにセットし、エンドレスリピートモードにした。

 ヘッドフォンから漏れる音に耳を傾けながら、菜緒は天井を見るともなく見つめていた。その後もしばらくは眠れなかったが、午前4時頃に、やっとウトウトとまどろみだした。



 …………

「こら! 誰だ、菜緒をいじめるヤツは。出て来い、オレがゆるさないぞ」

 そう叫んで、いじめっ子に戦いを挑む大輔。

 エッ、エッと両手を顔に当ててメソメソ泣く菜緒の頭をなでる大輔。

「もう、泣くなよ。何かあったら、いつでもオレに言うんだぞ」

 …………



 窓から差し込む日差しの強さに、目元をゆがめた。



 ……朝か。なんだか、あまり眠れなかったなぁ。



 菜緒は、認めたくなかったが自分が涙を流していたことを自覚していた。

 何度も、自分の想いと大輔の幸せとをはかりにかけた結果、胸は痛んだがやはり大輔のためになるなら、とラブレターの代筆なぞということをしたのだ。

 私は、やりとげなきゃ。

 ふと時計を見て、凍りついた。

「ウソッ、8時半!?」



 寝癖をつけたまま見事に遅刻した菜緒は、一時限目からクラスの笑い者になった。

 髪を振り乱して教室に駆け込んできたので、『貞子』という不名誉な称号をいただいてしまった。

 睡眠不足のたたった菜緒は、古典の授業で居眠りをしてしまった。

 教科書には菜緒のよだれがしたたり、ただでさえ美人ではない清少納言の顔が、さらにしわくちゃになった。

「起きろ、宮田! 『いとおかし』とはどういう意味か訳せ!」

 先生の怒声が飛ぶ。

 ハッ、と顔を上げた菜緒は、席から立ち上がる。

「ハイッ、お菓子は大好きですっ」

 クラスは爆笑の渦に巻き込まれた。

 先生はあきれ顔で言った。

「あのなあ。オレはお前がお菓子を好きだろうが嫌いだろうがど~でもいいの! 後で職員室に来い」

 菜緒は、頭を抱え込んで自分の運命を呪った。



 ……なんで、こーなるのよ!



「今日のお前は、どこかおかしいぞ。何かあったのか?」

 職員室で古典の先生は、そう言って菜緒の顔をのぞきこんできた。

「いっ、いえ……別に」

 しかし。ウソをつくのが下手な菜緒は、全てを顔に出していた。

 酸いも甘いも味わいつくしてきた人生の達人である初老の古典の先生は、菜緒の悩みの本質を見抜いた。

「もういい、帰ってよし。理由はどうあれ、授業中は寝るなよ」

 はぁ、失礼しましたと言って菜緒が去りかけた時、先生はニヤリと笑って意味深なことを言った。

「お前らの年頃には色々あらあな。まぁ、頑張るこった」



 次の日。

 放課後、菜緒は音楽室に呼び出された。

 呼び出し主は、田城美由紀。

 昨日、あの手紙は美由紀の下駄箱に入れた。


 

 ……何か、怪しまれたかなぁ?



 部活が引けた時間の音楽室には、美由紀だけが待ち受けていた。

「ごめんね、わざわざ呼び出して」

 そう言って、長いつやのある髪をかき上げた。夕日を受けて、それは不思議な色彩に輝いた。



 ……やっぱりキレイ。私みたいな運動バカとは違う。



「これ書いたの、あなたでしょ」

 いきなりそう言って、例の手紙を手にかざしてきた。

「なんで分かったの!?」

 菜緒は、グゥの根も出なかった。

 認めるのが早すぎる気はするが、この期に及んでしらばっくれるほど菜緒は器用なタイプではない。

 永遠に、推理小説の真犯人役にはなれないタイプだ。



「まず、この文章。大輔君にはゼッタイムリね。筆跡は頑張ったみたいだけど、所々に女の子らしさが抜けなかったわね。それと……こんなものが便箋の間に挟まっていたんだけど?」

 美由紀がつまみ上げたのは、なんとレターセットを買った時の文房具店のレシートだった!



 ……あっちゃ~、何かの弾みでくっついて入っちゃったの?



 菜緒は、何だか刑事から取り調べを受けているような気分になってきた。美由紀の推理はなおも続く。

「確かに、大輔君は無神経で大ざっぱなところがあるから、ラブレターのレターセットを買った時のレシートが中に混入した、という可能性もなくはない。

 でも私、大輔君がそこまでバカだとは思わない。だって、好きな女子に告るって、言ってみたら一世一代の大舞台だよ? さすがにそこくらいは気を付けると思うの。

 残された可能性はこう。私の真横のあなたの靴箱に、そそっかしい大輔君は手紙を入れた。それを自分あてだと思ったあなたは中身を読む。

 きっとかなりイケてない文面だったんでしょうねぇ! そして、なぜかあなたは代筆、という行動に出た。

 宮田さんなりに全力は尽くしたみたいだけど、テンパるあまり、大急ぎで買ってきたレターセットのレシートが紛れるのには気付かなかったみたいね」

 まったく図星だった。

 菜緒は、真っ青になったちびまる子ちゃん状態になっていた。

「最大の謎は、なぜあなたがそこまでしたか、ってこと」

 美由紀は急に振り返って、人差し指をビシッと菜緒に向けてきた。

 まるでシャンプーの宣伝のように、美由紀のきれいな髪がハラハラとなびく。



「あなた、大輔君のこと好きでしょ」

 菜緒は、一瞬呼吸が停まった。

「私ね、宮田さんのこと尊敬してるんだ」

 美由紀はそう言って、窓に寄りかかって薄暮に染まる校庭を眺めた。

「好きな人の幸せのために、自分のことを犠牲にしてでも尽くす——。なななか出来ることじゃない。まだ中学生なのにそんなレベルのことが出来る人、初めて見たわ」

 菜緒は、美由紀の言葉を聞きながら、複雑な気分になった。

 何だか誉めてもらってはいるようだが、結局美由紀は大輔のこと受け入れてくれたのだろうか……?

  全てがバレた今となっては、それだけが気がかりだった。



「……実はね、彼呼んであるんだ。もういいよ~出といで」

 音楽準備室のドアがバタンと開いて、そこからなんと大輔が現れた。

 菜緒は、気が遠くなりそうになった。

「よぉ。オレの知らないところで余計な心配かけちゃったみたいだな」

 そう言った大輔は、頭をかいた。

 美由紀は、なぜか音楽室の出口へ進んでゆく。

「……実はね、あなたを呼び出す一時間前からね、彼とは話をつけてあるの。私は、あなたが嫌いじゃないけどお付き合いまでするつもりはありません、って」

 引き戸をガラッと開けた美由紀は、廊下側へ出て二人のほうを向いた。

「私ね、言ってやったの。『身近に素晴らしい愛があるのに、それに気付かないオトコなんて最低』って」

 彼女は、ピシャッと戸を閉じた。美由紀の声だけが、ドア越しにこちらに届く。

「それじゃ、ごゆっくり!」

 パタパタと、美由紀が廊下を駆けて行く上履きの靴音だけが聞こえた。



 大輔は、決まり悪そうに菜緒を見つめた。

「こんなことのあとで言っても、説得力ないかもだけどよぉ……」

 彼の手が、菜緒の手のひらに重なる。温もりが、ジンジンと痺れを伴って菜緒の頭に伝わってくる。

「これからも、よろしくな」

 体を寄せ合った二人のシルエットを、沈み行く夕日がガラス越しに照らす。

 窓の開いた隙間から入ってくる風が、カーテンと菜緒のスカートを揺らした。



 菜緒は、泣いた。

 まるで、幼稚園の頃の年齢に返ったように。

 恥ずかしいとか格好悪いとか、そういう思いは一切菜緒の中にはなかった。

 ただ、心の底からほとばしる感情に身をゆだねて、しゃくりあげた。

 戸惑いながらも、菜緒を優しく抱きとめる大輔の腕の中で、菜緒は思った。



 ……やっぱり、田城さん、って素敵な人。私はかなわないや。



 美由紀は、今回の事件では誰よりも一枚上だった。



「おぉい、田城~」

 校門では、福田孝太が待っていた。また美由紀が何か騒動をおこしたんじゃないか、という野次馬精神と、まさかオレ以外の男と何かあったんじゃあ? という心配から、学校に残っていたのである。

 美由紀は孝太にすぐには反応せず、後ろを振り返って音楽室のある校舎に顔を向け、うっとりした表情で独り言を言った。

「いいなぁ。ワタシもいつか、あんな恋ができるかなぁ」

 菜緒と大輔がうまくいきますように、とカミサマに祈った美由紀は、スキップして歩道を進んだ。置いてけぼりにされた孝太には一体何のことか分からず、頭にクエスチョンマークが散っていた。

「お~い、せっかく待ってたのに置いてかないでくれよ~」

「よっし。頑張れぇワタシ!」



 長い髪をなびかせつつ走る美由紀は、まるで一筋の流れ星のようであった。


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