第4話『美少女探偵、通学カバンすり替わり事件を解決する』
2年C組の増田良輝は、通学用のスポーツバッグのファスナーを開けたあと、中身を見てギョッとした。
……何でこんなにキレイなんだ?
中学生の良輝の通学バッグの中は、たいていいつもぐちゃぐちゃだった。
彼のおおらかな(悪く言えばズボラな) 性格を反映した結果と言える。
中を開けてみると、そこには……教科書やノートに混じってマンガ本や野球のボール、よく分からない紙切れ等々が無秩序に詰まっている、という光景が現れるはずだったのだが?
良輝の通う中学はちょっと校則が厳しく、通学カバンさえも指定されていた。
ひとつは、いかにも、というような黒革の『コテコテ』の学生カバン。もうひとつは、それよりは比較的物がいっぱい詰められる紺のスポーツバッグ。この二種類以外は、使用が許されていない。
スポーツバッグも、紺なら何でもいいというわけではなく、指定の制服業者やスポーツ用品店が委託されて販売する、特定の物でないといけないというから恐れ入ったものである。
だから、何か特別な目印でもないと誰のか分からなくなるケースもある。
皆、思い思いにマスコット人形やイニシャル入りのお洒落なプレートをぶら下げたりして、個性を出して区別している。
バッグに大々的にマジックで名前を書く者は少ない。
「ダサダサ」だという感覚があるからなのだろうか。
目の前のバッグは明らかに、自分ものではなかった。
二階の自室のベッドの上で中身を検分した良輝は、持ち主を特定した。
教科書やノートに名前が書いてあるんだから、それは楽勝だった。
同じクラスの女子、朝倉瞳。眼鏡をかけたちょっと可愛い子だ。
クラス内ではそれほど目立つ、という感じではない。趣味は読書。キャアキャア騒ぐよりも、静かに何か思索にふけるのが性に合っているタイプである。
カバンを開けたときに、良輝は思わずのけぞった。
「うへっ」
海賊が宝箱を空けて、中の宝石に目がくらむのにも似ていた。
バッグに密閉された空間からは、プンプンの香水というのではないが——
何だかとてもいいにおいがした。
……ふぅん。女子の持ち物って、こんなにいいにおいがするのかぁ。
今までは憎たらしいケンカの対象でしかなかった女子が、憎いと好きの入り混じった『ビミョーな』感情を抱く対象にいつの間にか変わる——。
そんな年頃であった良輝は、ドキッとした。
中には、教科書の他に空の弁当箱、プリクラの貼ってあるシステム手帳。
良識派の良輝は飛びついて中を見るようなことはせず、「ま、プライベートは大事だからな」と思い、手には取ったもののそっと元へ戻した。
その他にも、ブラシやハンカチ、手鏡。一番ドキッとしたのは体操服だった。一種複雑な感情が芽生えかけた良輝だったが、ハッとして慌ててすべてを元通りにし、ファスナーを上げて封印した。
「……これがないと、あいつも困ってるだろうなぁ」
良輝は、今から自分がしようとしていることにドキドキしていた。
女子の家に行くなんて、小学校の時クリスマス会の出し物でやる劇の練習で、皆でお邪魔させてもらった時以来だ。
しかも、一人で行くのだ!
たかがバッグを届けに行くだけなのだが、同年代の他の男子に比べてあまりにもウブな彼にとっては、まさに『国家の一大事』に相当する重みがあるのだ。
良輝は、クラス名簿を引っ張り出してきて、『朝倉瞳』 の住所を調べた。
「……楠根町の二丁目か」
もちろん、彼女の家など知らない。
地理的に大体の当たりをつけた良輝は、家の電話機のそばにあったメモを一枚破り、細かい番地を書き付けててポケットに入れた。スマホのナビアプリは、一度使用した時思いっきり道を間違えたのがトラウマになり、以来使う気にならない。
外は、もう夕暮れ時であった。
良輝は、瞳のバッグを手に外へ飛び出した。
……間違えたのなら、オレのバッグは多分向こうが持っているはずだ。
あれ? ということは、アイツの方はまだ気付いてないのか?
今日、文化祭の劇の練習で、教室の机を全部後ろに下げた。
みんなの荷物は、隅に固めて置いた。
思い返せば、瞳のバッグが隣りにあったような気もする。
しかし、良輝にはなぜ自分が間違えたのか、いまひとつ解せないのだった。
なぜなら、瞳のバッグには、いつもトレードマークのように彼女の好きな『スヌーピー』のマスコット人形がぶら下がっているからである。だから、そういうバッグを良輝がつかむはずがない。
……いや、待てよ? オレは確かにスヌーピー付きバッグをよけたはずだ。
なのに、これは朝倉のだった。
どういうことか、さっぱり分からん!
最大の謎は、朝倉瞳のものであることが確実なこのかばんに、例のスヌーピーのマスコットがついていないこと。
単細胞な良輝は、頭の回路がショートしそうになったので、それ以上考えるのはやめにした。
……オレも、バッグに何かつけたほうがいいのかな?
ズボラで、外面的なことをあまり気にしない良輝は、バッグに自分のものと分かる何の目印も付けていなかったのだ。
あれこれ考え事をしているうちに、問題の番地に相当する一軒の家を見つけた。
表札を見ると『朝倉』と書いてあるから、まず間違いがない。
「……それにしてもお洒落な家だなぁ」
全体は、どうということのない普通の二階建ての一軒家だが、家の前面に風情ある木造の『テラス』のようなスペースが張り出していて、何ともいえない品の良さをかもし出していた。
夕暮れの家並みの中で、そこだけが柔らかい光を放ち、異世界へ誘うかのように手招きをしていた。
良輝は、外塀に張り付いているインターホンのボタンを、一分間の心的葛藤の果てに押した。
ピンポン、という弱い音声が、家の中の者に来客の来た事が伝わったであろうことを示していた。
「……はい?」
反応があった。
多少くぐもって聞こえるスピーカーからのこの声は、間違いなく瞳のものだった。
「あ、急にゴメン。オレ増田……だけど。朝倉のカバン間違えて持って帰っちゃったみたいだから、届けに来たんだけどさ」
道中、かまないように何度も練習で言ってみた甲斐があった。
「……ちょっと待っててね」
それっきりブチッ、と言う音がして音が聞こえなくなったので、次のリアクションがあるまで門の前で待った。
「お待たせ」
玄関からこちらに向かってくる瞳を見た良輝は、目をこすった。
ビビッドピンクのタンクトップの上に、黒のカットソー。下は、デニムのミニスカート。
普段は部活で帰るのも遅く、休みは休みで男としかつるまない良輝は、クラスメイトの女子の私服姿をほとんど見たことがなかった。
……これが、あの朝倉と同一人物?
「何ジロジロ見てるのよ」
一瞬頭の中がピンク色にポワンとした良輝は、ハッと我に返って、あわてた。
「あっ、まずこれ渡しとくわ」
そう言って良輝は、持っていた瞳のバッグをグイと突き出した。
「ありがとう」
ちょっとすました、素っ気ない感じでそう言った瞳は、手を伸ばしてきた。
「……あっ」
バッグを手渡すときに、瞳の指と良輝の指が触れ合った。
電流でも駆け抜けたように、良輝はビクッとした。
対して、瞳のほうは顔色一つ変えていない。
「と、ところでさぁ、オレのカバンもそっちにあるのかなぁ?」
「…………」
瞳は沈みかけた太陽を眺めながら、しばし無言だった。
やがて、プイと踵を返し、家の中へ戻っていく。
「ついて来て」
……エッ?
門の前でカバンを交換してからハイサイナラ、を予想していた良輝は、頭が真っ白けになった。
「ちょ、ちょ、ちょ——」
ちょっと待って、と言いたかったのだが、ろれつが回らない。
あきらめた良輝は足を引きずって、優しい明かりの漏れる玄関へと進んだ。
まるで、これからお化け屋敷にでも入るかのように、彼は覚悟を固めた。
『虎穴に入らずば虎子を得ず』——。
なぜかヘンなことわざが頭に浮かんだ良輝だった。
そう、家に入らなければ自分のバッグを取り戻すことができないのだ。
良輝は中学生になって初めて、クラスメイトの女の子の部屋というものに入った。
周囲を見て、良輝は膝を揺すってモジモジした。
自分が思いっきり場違いな人間のように思えて仕方がない。
……落ち着かねぇ!
瞳のカバンを開けた時に感じた、いいにおい。
あの親玉のような芳香が、部屋中に充満していて、頭がクラクラした。
歌手や芸能人のポスターが貼ってあるわけでもなく、ピュアホワイトを基調とした落ち着いた感じの部屋だった。
壁には、瞳がいつも着ている見慣れたセーラー服がかけられていた。
勉強机には参考書がギッシリ。横手に大きな本棚があり、いかにも頭の良さそうな子の読む本ばかりが詰まっていた。
『路傍の石』『暗夜航路』『戦争と平和』 『アンナ・カレニーナ』『レ・ミゼラブル』『老人と海』などなど。
……ウソッ、マンガ本一冊もないやん!
それだけでも、良輝はびっくり仰天した。
当然、テレビもゲーム機も一切ない。
ステレオコンポはあったが、上にのっかっていたCDを見た彼は、恐れをなした。
『ラフマニノフ全集② ピアノ協奏曲第二番ハ長調』
……ゲゲッ、分からん。フツーにJ-POPとかは聴かんの?
クラッシックなど、学校の音楽の時間に強制的に聴かされる以外にどうして進んで聴きたくなるのか、理解に苦しんだ。
そこへ、階下から足音が響いてきた。
ギイ、とドアが開いて、二人分の紅茶をトレーにのせて運んできた瞳は、良輝と向かい合ってカーペットの上に腰を下ろした。
「バッグは、そこにあるよ」
よく見ると、ベッドの陰の、こちらからは死角になったところに良輝のものらしきバッグが置いてあった。
「ところでさぁ——」
今までは冷静かつ沈着な態度を崩さなかった瞳だったが、ここへきてちょっと顔を赤らめてモジモジしだした。普段は絶対に見ることのできない瞳の意外な一面に、良輝は心臓を射抜かれた。瞳のセクシービームは彼を虜にしてしまった。
「一緒に、宿題やっていかない?」
「何だ、こんな時まで勉強かよ……」
でも、それも楽かもな。どうせやらなきゃいけないんだし。
秀才が付いていてくれたら、はかどるだろう。
「一人でやるより、二人でやったほうがいいでしょ?」
そう言って、瞳はニコッと笑った。
……でも多分、オレの方が一方的に教わるハメになるような気がするなぁ。
成績の決して良くない良輝は、ちょっと気が引けた。
「いいのいいの。私も人に教えることでさらに理解が深まる世界もあるから」
「ヘイヘイ。さようでございますかい」
「失礼するわね」
ドアをコンコン、とノックする音がして、瞳の母親らしき人物が姿を見せた。
髪を茶色に染めて、エプロンの下はスリムのジーンズに水色のセーター。
中学生の子どもを持つ母親とは思えない、色気と若々しさがあった。
オレのカアチャンとは大違いだ、とひそかに思った良輝であった。
「勉強中にごめんなさいね。えっと、あなたが瞳のクラスの……?」
「はい、増田良輝といいます。初めまして」
緊張気味に、良輝は立ち上がって挨拶した。
「まぁ、ご丁寧にありがとう。ところで下に夕食の準備ができたんだけど、増田くんも是非一緒に食べていかない?」
「ええっ!?」
お化け屋敷の出口が見えたと思ったら、実はまだ先があると分かった時のような胸苦しさを感じた。でも、それは決して『イヤ』なのではなく、ただ『緊張する』からである。
「そうだよ。食べていきなよ。ママの料理はおいしいよ」
瞳の援護射撃が入る。
親子のダブル攻撃を受けたら、もう選択の余地はない。
「そっ、それでは……ごちそうになります」
「決まりねっ」
なぜか、母と娘はイェイとハイタッチをしていた。
……ってオイ、これは作戦か何かだったのかぁ?
「増田君の家には私から電話しとくからね。それじゃ瞳、早めに二人でリビングにいらっしゃい」
母上はそれだけ言うと、口笛を吹きながら上機嫌で一階に下りていった。
二人はノートと教科書を閉じた。間を持たせるために、良輝はふと思ったことを瞳に質問した。
「あのお母さんの口笛のメロディーは、何て曲?」
部屋のドアを開けて、良輝を促す瞳はなぜか遠い目をして答える。
「……石川ひとみの『まちぶせ』」
良輝には、聞いたこともない曲だった。
茜色の淡い光を放つシャンデリアの下。
マホガニーという名の高級木材を使った、風情あるテーブル。
良輝と瞳は並んで食卓につき、二人の真向かいに瞳の母・和子が座った。
「いただきま~す」
二人は目の前に出された一見ハヤシライスのようなものを食べ始めた。
……うん、うまい。
料理をほめようと思った良輝だったが、大雑把な性格のくせに下手に慎重になって色々いらぬことを考えた。
……そう言えば、昔見たマンガで『おいしいね、このハヤシライス』って男がほめたら、『ビーフ・ストロガノフですっ!』って言われて気を悪くしてた場面があったよなぁ。
きっと上品な瞳の家のことだから、これもそのビーフなんちゃら、いうやつではないのか?
「お母さん、おいしいですね ! こ、このビーフストロガノフ……」
とたんに、横の瞳がブッと噴き出した。
和子もアハハと陽気に笑った。
「ふ、ふつうのハヤシライスだけど。そう言ってもらえると光栄だわ!」
……何だよ、そっちでよかったのかよ~!
でも、これがきっかけで場がなごみ、良輝は朝倉一家にかなり溶け込んだ。
和子は特に上機嫌であった。
「でもまぁしかし、『お義母さん(お母さん)』だなんて! 良輝君も気が早いんだからぁ、この!」
そう言って、ペシペシ良輝の背中を叩いてきた。
横で瞳が真っ赤な顔をしている。
……どこをどう聞いたら、そういう解釈になるんだぁ!?
追い討ちをかけるかのように、仕事帰りの瞳の父が部屋に入ってきた。
和子と瞳が、良輝のことをあれこれ説明した。
すると父は 『娘を、よろしくお願いします!』と言って彼の手をギュッと握ってきた。
普通、年頃の娘の男友達などというものは、父親にはあまり歓迎されないものだ。
それを思えば喜ぶべきことのはずだが……。
この調子は、まるで娘を嫁にでもやるかのような真剣さがこもっていた。
「は、はいっ。こちらこそ、よろしくお願いします……」
この場はそう言うしかない、良輝の引きつった顔には、まるで殉教者のような輝きがあった。
それから一週間がたった。
三時間目の、国語の授業中でのこと。
良輝に、後ろから紙切れが回ってきた。
真後ろの席にいる女子、宮田菜緒が良輝の背中をつついてきて、小声で言う。
「これ、美由紀ちゃんから回ってきたよ」
その名前を聞いてドキッとした。
……彼女がオレに用って、一体?
田城美由紀は、クラス一の美少女にして優等生。
一部ファンには『学年一』とか『学校一』とか言って支持する男子もいるくらいだ。瞳も可愛いのだが、この美由紀のそれは次元が違った。
だから、あまりにも完璧すぎる彼女を恋愛対象に見る男子は少なかった。
昔で言う『高嶺の花』というやつであった。それは、良輝とて例外ではない。
美由紀を素敵だなぁとは思っても、現実的な恋愛対象としてのリストには入れていなかった。当然、同じクラスながら親しく話したこともない。
不思議に思って良輝は、小さく折りたたまれた紙切れを広げた。
そこには、きれいな字でこう書かれてあった。
『本日午後五時。音楽室にて待つ』
……決闘か、果たし合いか?
デリカシーのない良輝は、そんな見当外れなことを連想した。
良樹は、窓側の前から二番目の席で教科書を一心に見つめる、長い黒髪の美少女を良輝はチラチラ盗み見した。
美由紀は授業中に手紙を回したことなどまるで意識もしていないかのように、良輝のほうを気にすることもなく授業に集中していた。
「ごめんね、わざわざ呼び出しちゃって」
無人の音楽室で待ち構えていた美由紀は、窓から差し込む夕日を背中に受け、腕組みをしてたたずんでいた。
「えっと、正直呼ばれる心当たりがないんだけど……おれ何かしたかな?」
それを聞いた美由紀は、切れ長の目を伏せて、フッと笑った。
黒い髪の束が一本一本きれいにほどけて、サラサラとセーラーの襟元に躍った。その様子が柔らかい夕日に映えて、息を呑むような美しさだった。
「ちょっとね、今日は余計なおせっかいを焼いてみたくなって」
謎めいた言葉を残して美由紀はクルッと背中を向け、窓際に進んだ。オレンジ色に染まるグラウンドを見下ろしながら、美由紀はさらに意外な言葉を発した。
「今回の事件のキーワードはね、石川ひとみの『まちぶせ』」
……はぁ?
そういえば、どっかで聞いたことあるな。確か、朝倉の家でオバサンが口笛で——
何の前触れもなく、美由紀は良輝のほうを振り向いた。
流れる髪の間から見え隠れする、美由紀のすべてを見通すような鋭い眼光が良輝をその場に釘付けにした。
「朝倉さんはね、あなたのことが好きよ。間違いない」
……いいっ? もしかして田城さん、あのバッグの事件を知ってる?
「私の推理では、こうね」
エヘン、と咳払いをひとつした美由紀は、名探偵がそうするように推理を披露しだした。
「私ね、見てしまったの。この前の放課後、文化祭の劇の練習の時ね……朝倉さんが自分のバッグに付けていたスヌーピーのマスコットを外して、あなたのバッグに付けるのを」
「な、何だって?」
それは、意外な事実だった。
美由紀は腕組みをしてゆっくり歩きながら謎の解明を続けた。
「……そしたら、あなたはきっと、その人形のついたカバンを避けて、ついていない隣のカバンを自分のものだと思って、何の疑いもなく持って帰る。朝倉さんはきっとそこまで計算していたのね。じゃあ、一体何のために、そんなことをする必要があったのか?」
美由紀は急に、ツカツカと良輝の間近まで詰め寄ってきた。
良輝は、こんなに至近距離で美由紀の顔を見るのは、初めてだった。
あと10センチ顔を近づければキスができてしまいそうそうだったが、もちろんそんな雰囲気ではなかったし、それ以前に良輝は瞳の気持ちに気付いてしまった。
「鈍い君にも、やっと分かったかな?」
美由紀は一歩、後ろに下がった。
「朝倉さんって子はね、大人しく見えるけどね……実はものすごく情熱家なの。それはそれは恋した時のエネルギーも半端じゃなくすごいんだけど、それをおもてに出すのが下手なのね。正面切って告白するなんて、彼女にはとんでもないことだったんでしょうね。
そこで不器用な朝倉さんは、バッグすり替え、というトリックを使ってまで、きっかけ作りをした……というわけ」
良輝の額に、冷や汗がにじんできた。
そして彼は今、思い出していた。
瞳の家での、彼女の仕草や表情の数々を。
「私は見たわけじゃないから分からないけど、きっと作戦は成功して、あなたと朝倉さんとの間で何らかのやりとりが行われたんでしょね。しかしその後の進展がなかったのだと、私は見てるの。
実際、あのあと朝倉さんと連絡を取ったり、会ったりなんて一度もしてないんでしょう? 最近の彼女の、元気のない様子を見てれば分かるわ」
図星だった。
あの事件以来、良輝は瞳に淡い好意に近い感情は抱くようにはなったが、公に付き合うとか、そういうところまでは考えが行かなかったのである。
「そうか。そこまで思ってのことだったのか……」
良輝は鈍感ながらも、やっと瞳の気持ちを理解した。
鉄棒で頭を殴られたかのような感覚が、彼の良心を襲った。
良輝の表情を分析でもするかのように真剣に眺めていた美由紀は、音楽準備室に向かって突然叫んだ。
「いいよ。もうそろそろ出といで~」
…………!?
ギイイ、と開いたドアから現れたのは、なんと真っ青な顔をした朝倉瞳だった。
この展開には、良輝も肝を潰した。
「……朝倉」
良輝は、ビックリしながらも男らしいところを見せた。
なぜなら、彼には瞳の想いを知った上での自分の気持ちに、整理がついたからだ。
瞳のそばまで歩み寄り、彼女の両肩にそっと手を置いた。
「ごめんな。多分オレってお前に比べるとまだまだ鈍感で頼りないところ多いかもしれないけど……その……頑張るからさ。これからもよろしくな」
それを聞いた瞳は、その場で顔を覆って泣き崩れた。
「私、私……卑怯者なのっ。キチンと気持ち言えないからってあんなこと——。ホントごめんね。バッグのことね、あんなマネをした私を許してね」
「それはもう、言うなよ」
良輝は、優しく瞳の手を握った。
それを見届けた美由紀は、足音を立てないように音楽室を離れた。
「ごゆっくり」
小声でそれだけ言うと、そっと音楽室のドアを閉めた。
校門の外に出た美由紀は、帰り道を歩きながら石川ひとみの『まちぶせ』を口ずさんでみた。ユーミンが作詞作曲のこの歌は、古い歌ながらも時代を感じさせない良さがある、と美由紀は思った。
……でも、ちょっと怖い歌だな。
『恋をする女の子の情念は、美しくも恐ろしい』。
「お~い、こんなに遅いってことは、まぁた人助けか?」
校門の外にいた福田孝太は、待ちくたびれて疲れたような声を出して美由紀に駆け寄ってきた。
「……人がせっかくセンチメンタルな気分に浸っているのに。このお邪魔虫」
「お、お邪魔虫って、そこまで言うことないだろ」
その時、何の前触れもなく美由紀の瞳から、ひとしずくの涙が、ツーッと頬を伝い落ちた。それを見た孝太は、予測していなかった事態にドギマギした。
「私って、何やってんだろ。人の世話ばかり焼いて、自分は——」
孝太は、反省した。
美由紀に、エロ雑誌にはさんだ彼女の写真を見つけられた事件以来、美由紀との距離が少し縮まった気がしていた。美由紀は完全には認めてくれてないが、「両想い」になる可能性は残してくれた、と。
その安心感がいけなかったかもしれない。あの日以来孝太がしてきたことと言えば、言い方は悪いが『金魚のフン』のように美由紀のあとを追いかけるくらいしかしていない。
美由紀はここ最近、何組かのクラス内のカップルの仲を取り持つことに成功してる。どうもそのたびに、これまですれ違ってきた二人の想いが通じ合うドラマをリアルに目の前にして、感動してきたのだろう。
オレは、男として美由紀にそんな感動を与えていない。むしろ、相手から愛情を得たい、という「クレクレ人間」になっている。孝太はそう思い当たった。
涙ぐむ美由紀を見ながら、次こそは美由紀に何かを与えられる男になるぞ、と決意するのだった。
袖で涙を拭いた美由紀は、孝太がいることなんて知らないかのように、彼を置き去りにして歩道を疾走した。坂を矢のように下り、沈み行く太陽に向かって走る。
「よっしゃあ、ガンバレ私!」
「お~い、置いてかないでくれ~」
黒髪を宙になびかせ、美由紀の後姿は住宅街の狭間へと吸い込まれていった。
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