第9話『美少女は料理が苦手?』
その日の2年C組の3時間目の授業は、家庭科だった。
すでに家庭科の江口雪子先生は生徒たちへの手順の説明を終え、生徒たちはそれぞれの班単位で準備を始めた。
江口先生は、三ヶ月前に別の校区の中学校から転任してきた、ちょっと若くてきれいな先生だった。
「火の取り扱いだけは、十分気をつけるように!」
全体にそう呼びかけた後、江口先生は生徒たちの間を歩いて、アドバイスを与えたり質問を受けたりし始めた。
「さぁっ、やるわよ!」
クラス一、いや噂によると学校一とも言われる美少女・田城美由紀は、いつものクールな彼女に似合わず、鼻息も荒く興奮していた。
セーラー服の上からつけたピンクのエプロンが、やたら似合っている。
「おう、やる気十分じゃねえかよ……」
同じ班の福田孝太は、うれしいような悲しいような、複雑な表情を浮かべた。
こころなしか、彼の笑顔が引きつっている。普段はクラス一のひょうきん者である孝太も、この時ばかりはいつもの元気がなかった。
しかし、それは孝太だけではなく——
美由紀以外の二班のメンバー全員が顔色を失っていた。
美少女でかつ成績優秀、学年一の賢者と言われる美由紀であっても、ダメな分野というものがあった。
そう、それは……料理。
家庭科の調理実習では、過去にまだ ゆで卵とカレーライスしかしたことはなかった。特にカレーライスの回はC組・特に美由紀と一緒の班のメンバーと、たまたまのぞきに来て命知らずにも試食をした担任の中畑先生にとっては、忘れられない思い出となった。
いや、この場合思い出というのは言い方がキレイ過ぎた。
やはり『悪夢』と言うべきか。
いかに美由紀の料理の腕が最悪かを知るために、まずカレーライスの調理実習の日にさかのぼってみよう。
美由紀は、率先して場を仕切り、かなりの工程に加わっていた。
班のメンバーたちも、普段が完璧な美由紀を知っているだけに料理も完璧だろうと思ったのだが……それが、そもそもの間違いであった。
美由紀の所属する二班の作ったカレーを食べたメンバーたちは、顔を赤くしたり青くしたりした。
まるで、信号機のようだった。
孝太は思わず、大量の水を一気飲みした。
クラスの男子の中では、一番大人しい山崎信吾でさえも……
「ひいいいいいいいいい~~~っ」
とひと声甲高く叫ぶと、そのまま椅子ごとバタンと倒れた。
まるで、カラムーチョのひいひいおばあちゃん並である。
C組一の俊足にして陸上部のエース・宮田菜緒は、口を押さえて矢のように女子トイレへ走って行った。
あの勢いで部活も走れば、自己ベストが出せるんじゃないかと皆が思ったほどであった。
「おっ、お前たちやってるな。どれどれ、ちょっと味見させてくれ」
そこへ、何も知らない中畑先生が、舌なめずりをしながらやってきた。
わざわざやってきた理由は分かっている。中畑先生は江口先生のことが好きで、意識して狙っているのだ。
「どれどれ、田城の作ったやつなんか、完璧そうな気がするなぁ」
見た目にひどければ誰も食べないから、被害は最小限で済む。
しかし、美由紀の料理の悪魔的なところは、何と言っても『味は絶望的なのに見た目は完璧』であるという点であろう。
「おおっ、おいしそうじゃないか。一口、味見するぞ」
一同は、先生の命知らずな行動に青ざめた。まったく中畑先生は、『特攻野郎Aチーム』であり『冒険野郎マクガイバー』 であった。
「先生、そっ、それはやめ……」
皆が声をかけそうになったが、時すでに遅し。
リングの呪いのビデオを見て一週間たったかのように白目をむいた中畑先生は、そのまま帰らぬ人となった。
あっと、それは言いすぎた。実際は保健室に担ぎ込まれた。
午後の国語の授業に、中畑先生の姿はなかった。
教頭先生が黒板に書く『自習』の二文字を見て、C組の誰もが殉職した中畑刑事に心からの敬礼を捧げた。
そして、問題はそれだけではない。
美由紀が、自分が料理が下手だということを分かっていないのだ。
むしろ『自分はうまい』と思い込んでいるようだった。
しかし、美由紀に向かって『お前ヘタだぞ』とか『マズイ』などと言える者もまた、誰一人としていなかった。みな、形こそ違え一度は美由紀に恩があるのである。
今回の『スクランブルエッグ』も、美由紀はやる気に燃えていた。
そんな簡単な料理で、どうやって間違うのか不思議に思われるかもしれない。
でも、美由紀の辞書に、不可能という文字はないのである!
「ふんふんふん~♪」
割った卵をボールに入れ、さいばしでとき始める美由紀。料理が下手という自覚のまったくない美由紀は、至って上機嫌に場を仕切っている。
……よしっ、今のところヘンなことはしてないな。
安心した孝太は、あらかじめ温めるためにフライパンを火にかけた。
「あ、孝太くん。江口先生からフライパンに入れるサラダ油もらってきて」
手は作業をしながら首だけ向けてきた美由紀が、そう声をかけてくる。
「おし、了解」
孝太は、いったん二班の机を離れた。
そして、突然尿意が彼を襲ったため、もらったサラダ油を美由紀に渡してからトイレに行った。美由紀が卵を炒(い)るところを見ていなかったことを、孝太は後々後悔することになる。
「さぁ、出来た班は各自の試食の後、先生が評価する分をお皿に入れて、一番前のテーブルに置くこと。いいわね~?」
「ハ~イ」
美由紀以外の二班の面々は、首を垂れて青ざめていた。
自分の班のスクランブルエッグを食べた彼らは、1リットル以上の水をガブ飲みした。皆、あとで昼の弁当を完食できるかしら? と本気で悩んだ。
孝太は、時限爆弾でもセットしにいくかのように、いり卵なのか赤土なのかよく分からないような『遊星からの物体X』を恐る恐るテーブルに置いてきた。
孝太は、死ぬ思いをして火事になった口の中を鎮火した後で、美由紀に尋ねた。
「田城さぁ、胡椒って結構入れた?」
美由紀は、目線を天井に向け、思い出すような仕草をすると、事もなげに言った。
「えっと、確か大さじ三倍」
天井を仰いだ孝太は、江口先生の審判が怖くなって絶望した。
「どどど、どんだけぇ~~~~!?」
孝太には、もうひとつ気になることがあった。
「でさぁ、何でいり卵が……赤いんだ?」
あ、そのこと? そう言って美由紀はエプロンの胸ポケットから七味唐辛子の瓶と、ハラペーニョソースの瓶を取り出した。
ハラペーニョとは青唐辛子のことで、身近なもので言うと、モスバーガーで『スパイシーモスなんちゃら』を注文すると入ってくる、あの辛いやつだ。
「これ、入れたからかな?」
ウエッ。孝太は、胸焼けを起こしたような気になって、思わずゲップが出てしまった。
「……お前、それわざわざ家から持ってきたのかぁ!?」
涼しい顔をした美由紀は、当たり前のように言い切る。
「当然じゃない。私、これ入れないと食べた、って気がしないのよね~」
もはやそれは食べ物ではなく、殺人兵器同然だった。
「よおっ、C組の諸君! 元気でやっとるかぁ?」
そこへまた懲りもせず、江口先生狙いの中畑先生が、元気に調理実習室へと入ってきた。
「あら、中畑先生。お忙しいのにありがとうございます! 本当に生徒さん想いでいらっしゃいますのね」
感心した江口先生は、中畑先生の下心などちっとも気付かない様子で、にっこりと微笑みかけた。
「いっ、いやぁそれほどでも~」
クレヨンしんちゃんのようなだらしない言い方に、C組の面々はげんなりした。
中畑先生は、鼻の下が伸びまくりである。
「あ、見本用に私の作ったスクランブルエッグもありますのよ。よかったら中畑先生、食べていってくださいな」
江口先生のその一言に、中畑先生は目がスロットマシーンと化した。
目の中に 『777』 が揃った中畑先生の口の中からは、今にも大量のコインがジャラジャラ出てきそうであった。
「ぜっ、是非いただいていきますっ! 江口先生のスクランブルエッグが食べれるなんて、幸せの極みです!」
スクランブルエッグごときで、大げさである。
「まぁ、中畑先生ったら、お上手ですこと」
オホホホ、と笑って江口先生は用事でもあるのか家庭科準備室へと姿を消した。
そこへ、美由紀がスクランブルエッグの盛られた皿を持ってきて、中畑先生の前に置いた。
「さぁっ、これが江口雪子先生特製のスクランブルエッグですよ~ た~んと召し上がれっ」
C組の面々は、心臓が凍りついた。
……嘘だっ。そ、それは!
孝太は、あまりのことに金魚のように口をパクパクさせた。しかし、声が言葉にならなかった。
美由紀は、江口先生作だと偽って……こともあろうに生物化学兵器にも等しい二班のスクランブルエッグを持って来たのだ!
「さてと」
中畑先生は席についてスプーンを持つと、改めて目の前の一品を眺めた。
「なぁ、田城。どうしてこんなに……赤いんだ?」
「それはですねぇ~、江口先生の真っ赤な情熱と愛とが、こもっているからなんですよぉ」
まるで赤ずきんちゃんに『どうしてお婆さんの耳はそんなに大きいの~?』と聞かれて、『お前の声がよく聞こえるためにさ~』などと言ってだまくらかすオオカミのような、たちの悪さである。
「四の五の言わないで、先生も男なら食べるのよっ! さぁ……さぁ……」
中畑武志、苦悩する37歳は生唾をゴクリ、と飲み下した。
……これ、本当に江口先生が作ったのか?
ちょっとはそういう疑問が頭をよぎったが、美由紀の幻惑するような誘いに頭がクラクラした。
「さ~あこれは江口先生のエキスが詰まったお買い得な一品ですよ。しかも! 今ならもれなく半額ですよ奥さんっ」
何だか意味がよく分からないが、美由紀のその言葉は、人気通販番組の社長並の魔力と説得力があった。
……さあっ、祈れ! 神に祈るのだぁ!
エロイムエッサイム、我は求め訴えたり!
ピピルマピピルマプリリンパ パレホパパレホドリミンパ宇宙猿人ゴリ……
テクマクマヤコンテクマクマヤコン
エコエコアザラク サナギマンカライナズマン……
「い、いったい何の宗教なんだぁっ!?」
頭が混乱した中畑先生は、頭を抱えて苦悩する。
「ええい、ままよ!」
江口先生への愛だけは日本海溝よりも深かった中畑先生は、ついにパクッとその一口を飲み込んだ。
クラス中に、この世のものとは思えない大絶叫が響いた。
「オ、オクレ兄さああああああんっ!」
……オクレ兄さんって、誰?
C組の生徒たちは、皆心の中でそう突っ込んだ。
欽ちゃんの仮装大賞の点数板は、ピッ・ピロロ・ピッと音をてて光が上昇してゆく。ついに合格ラインを超えて、最高得点に達した。
「ご~かくだよ!」
駆け寄ってきた欽ちゃんが祝福する。
それと同時に、頭のてっぺんまで真っ赤になった中畑先生は、恍惚の表情を浮かべたまま、ドシ~ンと床に倒れた。
家庭科準備室から、調理実習室へ続くドアをくぐって現れた江口先生は、驚いて中畑先生に駆け寄る。
「だ、大丈夫ですか?」
江口先生に抱きかかえられた中畑先生は、地獄の苦しみを味わいながらも幸せそうな表情を浮かべてヘラヘラ笑った。
「うぇぇぇ~」
汚らしいゲップとともにそう一言言い残した中畑先生は、気絶した。
しかし。
一見中畑先生いじめにしか見えないこのひどい仕打ちは、思わぬ幸運を彼にもたらす結果となった。
気絶した後、中畑先生は保健室に担ぎこまれた。
「私が試食を勧めたばっかりにこんなことに……」
責任の一端を感じた江口先生は、『お口直しに』と、その晩中畑先生をディナーに誘ったのだ。
それも、美由紀たちもうらやむような、高級イタリア料理の店へ。
後から聞いた話によると、それはそれは甘いひと時だったらしい。
次の日の授業で、聞かれもしないのにデートの様子をベラベラしゃべり出した中畑先生は、しゃべったり天井を見上げてボーッとしたりを5分おきに繰り返したのだそうな。
「……ほっとこうぜ」
生徒たちが何も突っ込まずに黙って聞いてたら、結局授業はそれだけで終わってしまった。
まぁ、過程に問題はあるが、中畑先生にも春の訪れが顔をのぞかせているようで、とりあえずはメデタシ・メデタシといったところであろうか。
ただ問題なのは、未だに美由紀が自分の料理センスの異常さに気付いていないことである。
これからも、孝太をはじめとするC組の二班のメンバーたちは、クラス替えのその日までは『地獄の家庭科』を味わわなければならないことだろう。
そして将来、美由紀の伴侶となる人物の健康と無事を祈る。
Good luck!
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