第8話『美少女 vs 転校生の美少女』

 中学校の校舎の一階、東端に位置する理科室前。

 大勢の生徒たちが理科室から見守る中、セーラー服姿の二人の女子生徒は廊下に並んで立ち、これから激走することになる真っ直ぐに続く廊下を睨んだ。

「あんたは、私には勝てない」

 二人のうちの大柄なほうの一人、2年A組の高倉綾子は勝ちを確信したかのように言い放った。

「そんなの、やってみなくちゃ分からないじゃない!」

 対する小柄で華奢な2年C組の俊足・宮田菜緒は、額に脂汗をにじませながら、まるで自分に言い聞かせるかのように言い返す。

「頼むぜ、C組の運命はお前にかかってるんだからな!」

 C組の室木大輔(実は菜緒の彼氏でもある)は、不安気にエールを送る。

「菜緒ちゃん、私信じてるから」

 これまたC組一の、いや人によれば学年一・学校一とさえ言う者もある位の美少女、田城美由紀はまるでF-1レースにでも使いそうな大きな旗を持って、二人の選手の真横に立った。

「……それでは、ただいまよりA組対C組の校内一周競争を開始します」

 美由紀が、高らかに宣言した。



 さて。なぜこのような状況になったのかを説明せねばなるまい。

 比較的平和であった二年生全体に、暗雲の立ち込める事件が最近起こった。

 原因は、最近転校してきた二年A組の高倉綾子である。

 普通、転校生というのは慣れないところへ飛び込んでくるのだから、ほとんどが大人しい傾向にあり、下手をすればいじめの対象にさえなる恐れのあるものだが、彼女に関しては、まったく逆であった。

 綾子は、究極とも言える美由紀には及ばなかったが、美少女というカテゴリーには入る。その見た目の可愛さとは裏腹に、気が強くて性格が恐ろしく悪かった。

 そして何より、体が大きく運動神経が抜群だった。

 多分、その辺のひ弱な男子なら彼女にケンカ負けしてしまうだろうともっぱらの噂であった。



 A組は今、完全に綾子の支配下にあった。

 誰も彼女に逆らえない状態にある。

 そんな中、彼女にいじめられて悩んだA組の生徒が、『学年一の美少女でもあり、数々の難事件を解決してきた学年一の賢者』 でもあるC組の美由紀に相談を持ちかけてきたのだ。

 変わり者の集団だが正義感は人一倍だったC組は、この問題に対してクラス全体で協力して当たることにした。



 美由紀は、ある昼休みにA組に乗り込み、綾子に直接対決を申し込んだ。

 断られてもおかしくなかったが、綾子は逆に 「勝負を受けてそれに勝ってみせることで、自分の力の絶大なのをさらに示すチャンス」 と捉えたようだ。そして、運動神経には絶対の自信があった彼女が指定してきた勝負の種目こそが、今から始まろうとしている『校内一周競争』だったのだ。

 かつて、『学校の階段』という、学校の階段を駆け上がる競争に青春をかけるという内容の映画があった。どうやら、それにヒントを得たようだ。



●勝負内容 (コース)



 出発点は校舎一階の東端の理科室前。

 そこから西端を抜けて地続きになっている体育館内を一周してから、西端の階段に戻って、一気に四階まで駆け上がる。

 そしてそのあとは一階下りるごとに廊下を端から端まで走って、反対側の階段を利用しなければならない。

 要は、上から下へジグザグに降りてくる格好になる。

 そして、二人のうち一番先に理科室前に戻ってきた者が勝ち。



●ルール



①走行中、意図的に相手に触れてはならない。

 各中継点に生徒を配置し、違反がないかどうか監視する。接触して相手の邪魔をしたり、転ばしたりしたことが分かった時点で、反側負けとなる。



②コース走行中に起こるイレギュラーな要素は、運も実力の内として起こっても仕方のないものとする。

 例えば、レースに関係のない生徒が急に出て来てぶつかったとか、先生に遭遇して走るのを止められてしまうなど。



③負けたほうのクラスは、勝ったほうのクラスの言うことを何でも一つ聞くこと。



 そしてこの放課後、今正にその戦いの火蓋が切って落とされようとしているのだ。

 C組は全員、理科室に応援に来ていた。

 ただ、審判として要所要所に配置された者だけは、持ち場に行っていた。

 彼らは違反を監視するだけではなく、勝負の実況をスマホでリアルタイムに伝えてくることになっていた。

 代表して美由紀が各地点からの報告を受け、理科室で待つギャラリーに伝える段取りになっていた。

 かたやA組は、当然のことながら誰も応援に来ていない。

 綾子もそれはどうでもいいと思っていたのか、強制的に応援に来させるようにはしてなかったようだ。

「位置について……よ~い」

 綾子と菜緒が、腰を低く落とした。

 キッと前方の廊下を見据える二人。

「スタート!」

 美由紀が旗を振った。

 その瞬間。弾丸と化した二人のランナーは、大声援を背にコースに躍り出た。



 ただタイム的な速さから言うと、綾子有利であった。

 彼女が転校してくるまでは、文句なく学年トップは菜緒だった。

 そして菜緒は、王座を奪われたことを悔しがりさらに陸上部の練習に励んだが、今日までまだ勝てていない。

 確かに、何の障害物もないただのコースを駆ければ綾子が勝つかもしれないが、菜緒には小柄な体を生かした俊敏さがあった。途中、急に人が飛び出してきても小回りが効く。

 そこへいくと、運動神経抜群とはいえ大柄な綾子は難儀するに違いない。美由紀はそこに勝機があると思ったからこそ、この種目の指定を受けて立ったのだ。

 美由紀は二人が廊下の奥に消えて行くのを見届けるとすぐ、ケータイを開けて耳に当てた。



「こちら体育館前。美由紀さん聞こえますか? どうぞ」

 C組の女子、朝倉瞳の声だ。

「こちら美由紀、感度良好。どうぞ」

 別にトランシーバーではなく普通のケータイなのだから、普通にしゃべってもよさそうなものであるが。

 この方が気分が出る、と言われればそれまでである。

「ただ今、綾子と菜緒の姿を発見。状況は……綾子が数歩分リード。タイムは40秒39で、今目の前を通過! これから体育館一周に入る模様。折り返してきたらまた報告します。どうぞ」

「了解」

 美由紀は、綾子が数歩分のリードをとっていると理科室組に報告した。みなアチャーッと天井を仰いだが——

「なぁに。まだまだ! これから何が起こるか、分からないさ!」

 と、お互いに励ましあい、菜緒の逆転を祈るのだった。



 今、中継点にいた朝倉瞳の声援を受けて、二人のランナーは四階への階段を駆け上がった。



 ……ちっくしょう、このデカ女め。



 菜緒は、悪態をついた。

 綾子は大柄なだけに、歩幅も広い。

 馬力もあるから階段を三段抜き・時には四段抜きまでして駆け上がっていく。

 対する菜緒は、足数は多いものの結局綾子に喰らいついていくのでやっとになっている。向こう側から誰か来て綾子にぶつかるのを期待していたが、まるで示し合わせたかのように誰ともすれ違わない。

 障害物のない戦いでは、菜緒はかなり不利であった。

 ついに菜緒は、綾子に1メートルのリードを許した。菜緒は綾子の背中を追いかけながら、どこかで勝負をかけないといけない、と考えた。



「こちら校舎4F西。田城、聞こえるか?」

 C組のムードメーカーでもあり、また柔道のジュニアチャンピオンという意外な一面も持つ福田孝太の声。

「声がでか~い! もっと小声でしゃべりなさいよっ。どうぞ」

 孝太はお腹の底から声が出るから、声がでかい。演劇や歌手を目指す者がうらやましがりそうなほど、横隔膜呼吸がしっかりしている。

 でも、その代わりに『ヒソヒソ話ができない』というマイナス面もあるのだが。

「あっ、すまんすまん。ただ今二人は4F西を通過。これより、下りコースに入ります。綾子が1メートルのリードをキープ。見る限り障害物になるような通行人は、4Fには見当たりません……どうぞ」

「了解」

 皆に報告しながら美由紀は焦った。

 このままでは、菜緒が逃げ切られてしまう——。



 その時だった。

 まだ選手が通過していないはずの2F中継点の増田良輝から、急に美由紀の携帯に連絡が入った。

「こちら2F西階段前中継点! 緊急連絡事項あり! どうぞ」

 電話口の声の調子から、良輝がかなり焦っているのが分かる。

 美由紀は、何だか嫌な予感がした。

「一体何があったの? どうぞ」

「せ、先公が職員室から三人ほど出てきたっ!  間の悪いことに、廊下を東に向かって歩き出した! このままだと走ってる二人と正面から遭遇することになるっ。接触推定時間は、約1分30秒後」

 美由紀は青ざめた。

「増田君っ、そこはもういいから先生を追って。必要があれば臨機応変に何でもしてちょうだいっ」

 相手の返事を待たずに通話を切ると、メモリダイヤルで4Fの孝太を呼び出した。

「孝太君っ」

 なぜだか、美由紀はここ最近、彼を呼ぶ時苗字ではなく名前で呼ぶようになった。

 そのせいで、もしかしたら二人は……? という憶測がクラス中に飛び交ったが、それを裏付けるだけの決定的な証拠や既成事実が何もなかったので、真相は今だ闇の中である。

「あいよ~どうした田城?」

「大急ぎで2Fへ向かって! 先生が三人、東より接近中。至急迎撃に向かえ」

 孝太は目を白黒させた。

「迎撃ったって……先生に手を出せってのかよ。ムチャクチャや! でもまぁ、とりあえず現場へ向かうぜ」

 あきれた孝太は、通話を切って階段をダッシュで駆け下りた。



「……こちら3F西。体育館前から移動完了の朝倉です。どうぞ」

「こちら美由紀。どうぞ」

 心なしか、朝倉瞳の声は興奮している。

「ただ今、2メートルの差をつけて綾子が先頭ですっ。それ自体は残念なことなんですが——」

「こ、今度は何が!?」

 瞳は、ストップウォッチでタイムを確認した。

「この地点を通過した時点で綾子のタイムは5分45秒。これって、このまま行けば……学校の最高記録を更新するんじゃない?」



 聡明な学校一の賢者、美由紀は瞬時にあらゆることを計算し、結論を出した。

 美由紀は、理科室にいた全員に叫んだ。

「緊急指令! ただ今より総員2Fへ直行せよ! どんな手を使っても、綾子の走行を守りぬけ~!」 

 実はこの競技、コースもルールも彼らが勝手に決めたものではない。

 過去の在校生からずっと受け継がれてきた正式な勝負の形式だったのだ。

 過去の最高は5年前の卒業生が出した7分28秒。

 綾子がこのままのペースで完走すれば、新たな新記録が生まれるのだ。



「こら~~~~~ 待て~~~~ 廊下を走るな~~~~~」

 綾子と菜緒の後から、先生が一人追いかけてくる。

 どうやら、レースに気付かれたようだ。

 そして、さらに綾子と菜緒は前方を見て青ざめた。

 三人の教師が並んで歩いてくる!

 数学の角田。国語の中畑。(担任やん!)そして、女教師・音楽の村田。

 角田はこちらに気付くと、男にしては甲高い声を上げた。

「こっ、こらあ! お前たち止りなさいっ!」



 この瞬間、菜緒は持ち前の優れた動体視力で周囲の状況を把握し、自分の成すべきことを考えた。

 激走している菜緒は、美由紀の指令を知る由もなかったが、彼女は野生の勘から美由紀と同じ結論に達した。  

 さっきチラッと時計を見て分かったこと。それは、綾子がこのまま行けば最高タイムを出すであろうこと——。



 ……背後からは瞳ちゃん。

 前方の三人の教師の後ろからは福田君を先頭にクラスのみんなが迫っている。



「高倉さんっ、走れぇ!」

 そう叫んだ菜緒は、音楽の村田先生に飛びかかった。

「きゃああっ」

 菜緒に飛びかかられた村田先生は、お尻から廊下にひっくり返った。

「先生、ワリいっ」

 角田先生に背後からつかみかかった孝太は、先生の両肘の服の裾をつかみ、一気に 『大外刈り』を決めた。

「ア゛―――ッ!!!」

 廊下に大絶叫が響いた。

 朝倉瞳に背後から飛びつかれた男性教師は、ズボンをつかまれたまま倒れたせいで、白いブリーフが丸見えになった。

「きゃああああヘンタイいいいいい!」

 女子生徒たちの悲鳴が上がった。被害者は先生のほうなのに、ひどい話である。

「ひぎゃああああっ」

 そこへC組の残りが、束になって突進してきた。

 機を見るに敏な国語の中畑先生は、スタコラと逃げ去ってしまっていた。

「高倉、行くんだ!」

「最高タイム、出せよなっ」

 口々に綾子を応援するC組の面々。

 倒れこむ先生とC組の生徒を飛び越えて、綾子は走った。



「…………」

 綾子は、不思議な気分に襲われていた。

 今まで、野次やブーイングには慣れていた。

 けど、心の底から応援をしてもらったことなんて、一度もなかった。

 ただ、嫌われ者であり続けてきた彼女は、本当は寂しかったのだ。

 ただ、強がって誤魔化してきただけなのだ。

「綾子、私の分も走って、お願い!」

 自分の勝負を捨ててまでも綾子の走りを守った菜緒を見て、この瞬間に綾子の心の仮面は粉々に砕け散った。

 そして、同時に綾子の足は羽根が生えたかのように、さらに加速がついた。



 一階へと階段を駆け下り、突き当りを東に折れた時。

 そこにはストップウォッチを持って待つ室木大輔、そして綾子を必死に見つめる美由紀の姿があった。

 綾子は、C組との確執も、A組で権力を振るっていたことも、いじめのことも——

 この瞬間、すべてを忘れた。

 彼女の心の中に残っていたもの。

 それはただ純粋な 『爽快感』 と 『達成感』 だった。

 理科室に残っていた者たちの歓声渦巻く中、ついに綾子は廊下の端の壁に手をついた。そして、結果は!?



「やったぁ、学校新記録! 7分25秒68! おめでと~~~~~!」



 美由紀が興奮のあまり、旗を放り投げてゼイゼイと息の荒い綾子に抱きついた。

 一部の男子は、「いいなぁ~」とかピントのずれたことを言いながら、抱擁し合う二人の美少女を眺めた。

 そして、一同は信じられない光景を見た。

「うわああああああああああ~~~ん」

 綾子が、美由紀にしがみつきながら声を上げて泣き出した。

 無言で、彼女の肩をなでる美由紀。

 そこへ、先生を妨害しに行っていた生徒が戻ってきて、王者綾子に惜しみのない拍手を送った。

 顔を真っ赤にして涙を流す綾子は、泣いてるのを見られて恥ずかしいとも悔しいとも思わなかった。ただただ、初めて力で勝ち取ったのではない好意を受けて、うれしかったのだ。



 綾子は勝負には勝ったが、すがすがしい顔つきで言った。

「私の負けでいいよ。さぁ、何でもあんたたちの要求を言いなよ」

 美由紀と菜緒はゴニョゴニョと何やら相談していたが——

 やがて一つの結論に至った。



 4時間後。

 レースが終了してから、皆は職員室で先生にこってりとお説教された。

 その後で、綾子とC組の女子たちはいったんそれぞれ家に帰った後、駅前で待ち合わせて再び集まった。

 美由紀が綾子に出した命令。それは……

「今日一日、C組の女子と食事・カラオケに付き合うこと」。



 カラオケルームの大部屋で、豪華な食事を前にして、彼女らは思いっきりカラオケを楽しんだ。

 綾子は、美由紀と菜緒にはさまれて、実に久しぶりに心の底から笑った。

 もう、そこには嫌われ者でいじめっ子の綾子の姿はなかった。 



 そこいたのは、『校内一周競争の記録保持者で、ちょっと可愛い高倉綾子という女の子』だった。

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