第12話 呼び捨てする関係

「そう言えば、朝はきちんと食べてますか?」

「えっ? いや、あんまり。ギリギリまで寝てるから」

「じゃあ、まず『そこ』からですね」

「……何が?」


 余裕だ。


「三食。私に任せてください。……ご迷惑でなければ」

「よろしくお願いします」


 ほのかちゃんのご飯が食えるなら。

 少しの早起きくらい余裕だ。


「あっ。外食するときもありますよね。会社の方とかと」

「あー。まあ、そうだな。奢って貰う約束もしてた」

「そういう時は言ってください。……あっ。連絡先」

「あっ。確かに、交換してなかったね」


 正直今まで、必要無かったもんな。連絡は。毎日直接会う訳だから。


「ラインだけじゃなくて、番号も教えてください。……一応」

「ああ」


 ほのかちゃんの『話』は、先日の俺みたいに重い身の上話じゃなかった。なんていうか、『これから』についての取り決めみたいな。


「他にSNSは?」

「殆ど無いな。アカウントだけ」

「一応」

「……うん」


 忙しなく、俺のと交互にスマホを滑らせるほのかちゃん。なんか『大学生』って感じがする。

 いや、俺も3年前まではそうだったんだけど。


「……周りの人に、言います?」

「…………ずっと相談に乗ってくれてた奴が同期にいてさ。そいつには」

「あっ。一緒です。……まあそんなに言い触らすことでもないですよね」

「うん。まあ訊かれたらって感じだな。こっちも」


 なんか、ほのかちゃんがリードしてくれてる気がする。っていうか、こういうのが『恋人』って感じで良いなあ。


「……次の休み、何かしますか?」

「うーん」

「あっ。そもそもご予定は……」

「いや、それは大丈夫。……俺の好きな所って言ってたよね」

「はい。全然、どこでも」


 デートだ。

 よし。

 今度こそ。


「じゃあ楽しみにしといて」

「え~。どこですか?」

「楽しみにしといて」

「え~」


 こういうノリも『恋人』ならではだ。

 今滅茶苦茶楽しい。


「ていうか、もう別に敬語じゃなくて良いよ? ほのかちゃん」

「…………あー……」


 まあ敬語じゃなくなるメカニズムは分からんけれど。

 恋人なんだし。


 この『恋人なんだし』というフレーズは、物凄く汎用性が高い気がする。


「……おにーさんは、どっちが良いですか?」

「………………」


 そう訊かれて。

 俺は止まった。


「…………」


 どっちが良いのか。俺は、ほのかちゃんがしたいならどっちでも良い。好きな方で。彼女の意思を尊重したい。

 だが訊かれたのは俺の意思だ。俺はどっちのほのかちゃんが良いのだろうか。


「どっちが良ーい? おにーさん」

「敬語で」

「わっ」


 耐えきれなかった。

 ちょっと砕けて、悪戯っぽく微笑むほのかちゃんに。


 多分死ぬ。


「……徐々にで」

「あははっ。分かりました」


 妙な注文にしてしまった。

 そもそもさ。

 『おにーさん』て呼び方がなんかもう。

 言い方悪いかも知れないけど。

 なんかエロいよな。

 凄い失礼だけど。

 ていうか普通の呼び方なんだけどさ。隣に住んでるお兄さんって。

 なんていうかさ。こう。

 それだけで米食えるというか。


 名前で呼んでくれても良いが、まあ慣れてるし。それについては悩まないな。『おにーさん』と呼ばれるのが好きだ。俺は。


 フェチズムという奴か。キモいな。


「食べられない物とかあります? アレルギーとか」

「特に無いよ。好き嫌いも無いかな。なんか部族の幼虫とかはちょっと無理だけど」

「……私がそんなの出すと思います?」

「思わないけど……」

「あははっ」


 そうか。

 最初に既に。胃袋を掴まれていた訳だな。俺は。

 お弁当が無かった期間どれだけ寂しかったか。またあの料理を食べたいとどれだけ焦がれたか。


 それはもうガッチリと。掴まれまくってた訳だ。


「何かあれば言ってくださいね? 味付けとか、好みとか」

「うん。特に無いけど」

「いや本当。これについて気は遣わないでください。ていうか、お互い不満? というか、そういうの溜めずに全部言い合いましょう。本当」

「えっ。……うん」

「なんかそういうのが溜まっていってドカーン、みたいなのよく聞くじゃないですか」

「あー……」

「それは避けたいので。遠慮せず言ってください。私も意見があるかもしれないし、全く気付いてないかもしれないし。一緒に改善していきたいんです」

「分かった。何かあればね」

「お願いしますね」


 ぐいぐい来る。

 こういうことか。聞いて欲しかった話って。

 そうだな。

 付き合ってまだ1日だけど。出会って2年以上経ってるもんな。

 ルールって訳じゃないけど。スタンスというか。

 これから多くの時間を一緒に過ごすんだから。

 より良くはしていきたいよな。


「お酒とか呑みます?」

「まあ普通、かな。週イチくらい」

「私もあんまりです。強くは無くて、変な酔い方しちゃいます」

「それは見てみたいな」

「ぅ。……まあいずれ、ですね」

「見せてくれるんだ」

「そ。そりゃ、まあ。隠しても仕方ないというか……。私は全部さらけ出すつもりなので」

「…………」


 ほのかちゃんは、凄い。

 俺を。多分信頼しきってる。


 俺も、弱い所全部話したとはいえ。半ば自棄だった所はある。それでも受け入れてくれるなら、と思っていたんだが。


 彼女は既に。『全部』を委ねてる気がする。

 そういうものなのだろうか。

 俺なんか今、あんまり強くない癖に呑み過ぎて、さらに呑み過ぎると記憶無くなるという『弱い部分』を隠したんだ。言いたくなくて。知られたくなくて。


 彼女は違った。


 多分この子なら。

 俺も、全部受け止めてくれるような気がする。


「あ。いや、全部っていうか。えーっとですね……」

「ほのかちゃん」

「ん。あっ。それです」

「……へっ?」


 何かをはぐらかすように目を泳がせてから、俺の言葉に反応した。


「『ほのか』と。呼び捨ててくださいよ。もうこ。恋人なので」

「……ぉ」


 そう来たか。

 うん。なるほど。


 いやそもそも、凄く可愛い名前だよな。ほのか。字は仄香か。仄かに香る。何それ綺麗。儚げというか。慎ましいというか。美しい名前だと思う。

 名は体を表すと言うけど。表しまくってるよなあ。


「……でもさ」

「えっ?」

「呼び方変えると。なんか……態度まで変わりそうで怖くない」

「どういうことですか?」

「なんか……『ちゃん付け』と『呼び捨て』だとさ。言い方悪いけど、雑っぽいっていうか。無意識に、そうなりそうで」

「良いですよ?」

「!」


 例えば呼ぶ時に。『ちゃん』だと『ねえ』だけど、呼び捨てだと『おい』になりそうで。

 俺はほのかちゃんを雑に扱いたくないというか。

 いや、何言ってるのか自分でもアレだけど。


「別に。ていうかおにーさんは歳下の私に気を遣いすぎなんですよ。そもそも。前々から。雑で大丈夫ですから」

「いや……いやぁそんな」

「それに、そこまで考えてくれてるなら、大丈夫じゃないですか」

「……うーん」

「どうしてもってならもう言いませんけど。私のワガママだと思ってください。私が、呼ばれたいんです。呼び捨てで」


 そう言われたら。

 叶えてあげたくなる訳で。


「分かった。……ほのか」

「!!」

「!」


 言った瞬間。俺も彼女もビクリと身体を震わせた。

 ……いや。俺もほのかも、だな。

 『椎橋さん』から『ほのかちゃん』に変えた時よりも増して一層恥ずかしい。

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