第25話 看病する関係

 人生や運命、生死について、誰しも一度は思い馳せ、考え、悩んだことだろう。


 人は大人になってからも。


 もう1回、それを考える時期がくる。


「…………」


 俺の人生を小説にするなら。

 ほのかとの出会いが第1話だ。


——


 浴衣じゃ寝にくいと思うんだが、あまりにも安心しきったようにすやすやと眠るもんだから。もうそっとしてあげようと思った。

 ここ数日は、ずっと気を張っていたんだ。この子は。


 小さく可愛い寝息を立てて。俺の胸で眠るほのか。


 抱き付いて来た瞬間に、良い香りが弾けたように俺を襲った。


 柔らかい感触。

 汗で少しべたついた肌の接触。


 泣きそうな切ない表情のほのか。


 華奢で軽い身体。


 浴衣越しの胸の主張。


 色んなことを色々と想像して考えたが。それはもう、考えたが。


「……ほの」

「すぅ」

「!」


 この顔を見て。

 俺を、完璧に信頼して。安心しきっている寝顔を見て。


 そんな気は吹き飛ぶ訳で。


「…………俺も疲れたな」


 俺も眠くなってきた。

 布団まで運ぼうかと思ったけど、動いたら起きてしまいそうで動けなかった。


 床も壁も固い。身体の前面だけが、滅茶苦茶柔らかい。


「まあ……いっか」


 眠気には勝てない。仕事が終わって、次の日すぐにこの子の実家に行って、挨拶して。殴られて。

 弾丸で帰ってきて、また次の日には歩きっぱなしのお祭りで。


 休もう。

 休みなんだから。

 そうだ。家でぐだぐだする休みだって良いじゃないか。


「おやすみ。ほのか」


 頭を撫でた。

 眠っているほのかは、それでも何故か気持ち良さそうに撫でられてくれた。寝相か何か、そう見えた。


 可愛い。

 この子を一生、俺のものにしたい。


 違う。誰のものでもない。


 勘違いはするな。

 いつ振られるとも分からないんだから。


 プロポーズするとは言ったが。その次の話題に全て浚われてしまって、ほのかの反応を見ていない。

 ともすれば異動のインパクトが大きすぎて霞み、忘れてしまったかもしれない。


 ていうか勢いで言ってしまったけど。あのお父さんに認められたのが嬉しくて。

 大丈夫だろうか。


「…………」


 今は良いや。今は。


 考えるのにもエネルギーを使う。

 風呂上がりだけどさっそく汗ばみながら。

 俺も微睡んで——


「…………あれ?」


 熱い。


——


——


 ——安心、させてあげんのよほのか。あんたが。


 そうは言うけれど。

 私だって処女だし。

 それに、おにーさんはそんなに考えてないかもしれないじゃない。


 だって。

 何度部屋へ行っても何にも無い。

 今日なんてこれだけべたべた触って。抱き付いて。


 そしたら。

 頭を撫でて。


 この人も寝てしまうんだもの。


 人を好きになる感情と、エッチな気持ちになる感情は別。

 なんだか私だけ、ずっとドキドキしているような気がする。これだって疲れるんだから。

 いつ、言われるかな。誘われるかな。襲われるかな。


 私だけエロいみたいじゃない。


「…………」


 いや、違う。

 寝た振りをした私だって悪いけれど。

 おにーさんがへたれなんじゃなくて。

 まだ、早いだけだ。


「……」


 少し、私が。最近大胆過ぎたんだ。今も。

 もう少し、お淑やかにしよう。


 ちょっと、今は、眠いけど。

 なんだか身体が熱くて。

 ああ、せめてシャワー浴びたかったな。


——


——


 違う。


「はぁ……はぁ……」


 顔が赤い。

 息が乱れている。


 これは『恥じらい』じゃあない。疲れてる訳でもない。


「ほのかっ……」


 額に手を当てる。

 熱い。


「ぅ……。はぁ……。ん」

「——おいおいおいおい……」


 熱だ。

 風邪か。

 マジかよ。


「ほのかっ」

「ん……。おにー……さん。はぁ……」


 落ち着け。

 仕方無いからここで寝かせるとして。

 頭を冷やさないといけない。


「んっ……」

「大丈夫か。取り敢えず、移動させるぞ」

「……いどう」


 こんなフローリングで寝かす訳にはいかない。ほのかの身体を持ち上げて、布団へと運ぶ。朝俺が起きたまんまで悪いが、我慢してもらおう。


「……いどう、いやです……」

「?? ここで寝ちゃ休めないぞ」

「いやです……いかないで」

「!」


 意識が朦朧としている。

 移動が、異動に聞こえたのか。


「大丈夫だ。安心しろ」

「……おにー……」


 くたりと、完全に力を抜いて俺に身体を預けるほのか。

 割と重——いやいや。軽い方だ。人間的には。


「はぁ……」

「頭気を付けろ。大丈夫か? 降ろすぞ」

「んっ」


 運んだは良いが……。

 汗が凄い。

 タオルで拭いて、できれば着替えさせたいんだが。


「…………」


 せめて浴衣は脱がせてあげたいんだが。


「…………」


 無理だ。

 なんか無理だ。俺では。

 犯罪だ。


「んぅ……あつい」

「待ってろ。確か湿布はあった筈だから」


 あと水分補給だ。

 まあ別に、そこまで大事じゃない。明日も明後日も休みなんだから。水分と栄養だけちゃんと摂っていれば、寝てるだけで治る。


「はぁ……ん」

「寝てなよ。まずは。全部それからで良い」

「…………いかないで」

「どこにも行かないよ。ここに居るから」


 しばらくしたら、またすぅすぅと寝息を立て始めた。


——


「…………ん」


 熱を出すのは、身体の中の悪い物と戦っているからだ。汗はその悪い物と一緒に排出される。

 沢山水分補給して、沢山汗をかく必要がある。


「大丈夫?」

「あれ。……おにーさん……。私は」

「帰ってきてから、熱を出したんだ。まだあるだろうから、休んどきなよ」


 一夜明けた。

 布団を占拠させた俺は、適当に床で寝た。まあ問題無い。

 夜の内にコンビニで、市販の解熱剤やスポーツドリンクを買ってきた。


「…………風邪」

「多分ね。そこまで酷くないだろうけど。ほら、スポーツドリンク」

「……ありがとうございます」


 コップに注いだそれを、ほのかはぐびぐびと飲み干していく。そりゃ、渇いてる筈だ。昨日の夜から何も口にしてないんだから。


「ぷは。…………ん」

「大丈夫?」

「……おにーさん」

「ん?」


 なんか、目の焦点が合ってないような。どこ見てるか分からない目だ。


「ご迷惑を」

「何も何も。迷惑だなんて思ってないよ。思う存分、甘えてくれ」

「…………シャワー浴びたい」

「だろうな。着替えないと汗びっしょりだろ。立てるか?」

「…………」


 ぼーっとしている。上体を起こしてはいるが、ふらふらと揺れている。

 ちょっとだけ、面白いな。


「……ん。……帯がほどけません」

「よしよし。……へ?」

「脱がして、ください」

「…………へ」


 へ?


「…………昨日の、夜」

「……?」

「抱き付いちゃいました」

「あ。……ああ」

「エッチな気分になりました?」

「………………」


 なんて答えたら良いんだこれ。


 彼女は今。

 熱を出して、正気じゃない。

 そう考えるのが妥当だ。


「ならないよ」

「…………そうですか」


 そう言うと、ほのかはふらふらしながら立ち上がった。


「大丈夫?」


 と手を差し伸べると。


「大丈夫です。……戻りますね」


 拒否されて。

 そのまま玄関まで向かっていった。


「まだ熱がある。ほのか」

「はい」


 名前を呼ぶと、立ち止まって振り向いた。


「これから買い物に行ってくるから」

「…………結構です」

「えっ……」

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