第11話 互いを知りたい関係
それから。
『おにーさん』の話が始まった。ひと足先にドキドキしている私を他所に。
「俺、今まで女性との交際経験はなくてさ」
「はい」
「で、まあ無縁だと思ってて。諦めてたっていうか、開き直っててさ」
「はい」
おにーさんの話。
私がずっと聞きたかったことだ。
何を考えていたのか。いるのか。
どう感じていたのか。いるのか。
その時系列と。感情と。行動と。心理と。
『おにーさん』をそのまま。
「……なんでこんなことしてくれるんだろうってさ」
「はい」
「こんな俺にさ」
「はい」
「……凄い、きつい振られ方したことあってさ」
「はい」
お酒は入ってない。
これ全部。
おにーさんの『今』で『素』で、抱えてることなんだ。
「滅茶苦茶嬉しくてさ」
「はい」
「でも、なんでだろうって気持ちもずっとあってさ」
「はい」
ああ。
おにーさんも、悩んでたんだ。
私と同じように。
「迷惑かな、とかさ」
「はい」
「失礼かなとか」
同じように。
互いに気を遣って。
「よく……分からなくなったんだ」
「はい」
このまま『好き』と言ってしまうのは。何か違うんじゃないかと。
分かる。
それは、私も引っ掛かったことだから。
「…………」
ひと頻り語り終わったのか、おにーさんは黙ってしまった。
ふと時計を見ると、もう日付が変わる頃だった。
「……おにーさん」
私はおにーさんの隣に移動した。近くで顔を見たかったから。
「『おにーさん』は、どう思うんですか」
「えっ……」
「私は関係無く。『おにーさん』は」
多分。
確かにこの人は、ある種、少し、ちょっとだけ。
情けないのかもしれない。
考えすぎて、悩みすぎて。
ぐるぐるぐるぐるしちゃう人だ。
私と似てる。
けど違うのが。
私は、結局自分の感情を優先させるということ。
おにーさんは、『考え』に徹するんだ。感情は真っ先に捨てて。
何やら分かるような分からないような理論を頭の中で展開して。
自分より他人を優先して。感情より理屈を優先して。勢いより納得を優先して。
でも。
私のことを考えてくれているんだけど。
それは優しいのだけど。
「……良いんですよ」
「…………!」
良いんですよ。
「好きだ」
手を重ねた。
「俺と付き合ってください」
「はいっ」
即答した。狡いけど、知ってたから。
その瞬間。
胸が暖かくなるのを感じた。
熱いんじゃなくて。ぽかぽか暖かく。何か、器みたいなものが。優しい気持ちで満たされたような。
おにーさんと、恋人同士になった。
おにーさんとの交際が始まった。
おにーさんの彼女になった。
私に彼氏ができた。
おにーさんの『一番』は。
私になった。
「待たせちゃって申し訳ない」
「ていうか言っちゃってましたよ。さっき」
「えっ!?」
「ふふ。……じゃあ、もう遅いので帰りますね」
「……ああ、うん。おやすみ」
「これから、よろしくお願いします」
「よ……よろしくお願いします」
私の告白は、成功した。
今日こそ、眠れないかもしれない。
——
——
俺に彼女ができた。
「…………………………」
放心してた。
ほのかちゃんが帰ってから。
何も考えずに、ず——っと。ぼ——っとしてた。
「…………」
まだ、残っていた。
あの表情。とにかく嬉しくて溢れそうな、ともすれば泣いてしまいそうな笑みを浮かべた表情と。
あの温度。不意に重ねられた、いつの間にか隣まで来ていた彼女の手から伝わる熱と。
あの声。弾むような即答。俺の話を。俺の人生を受け入れてくれたことを示す返事とが。
目の前に、瞼の裏に、手の甲に。
ありありと残っていた。
汗が滲んだ。
そろそろ夏だ。
——
「おはようございますっ」
「……おはよう」
起きるときに朝日を感じて。
家を出るときにまた朝日を見る。
この朝日は、なんと俺のお昼まで作ってくれる。
キラキラの笑顔。
「おにーさん。今日は私の話、聞いて貰って良いですか?」
「……えっ。勿論」
「じゃ、晩御飯も作ってますね。何が良いですか?」
「……えーと。じゃあハンバーグで」
「りょーかいですっ」
「じゃあ行ってきます」
「行ってらっしゃい」
付き合うことになったとは言え。
基本的にはあんまり変わらない。まあ、思えば既に付き合っていても不思議じゃないような関係ではあったんだけれども。
だけど、会話は増やしていきたい。恥ずかしいけど俺は全部話したから。彼女の話を聞きたい。大学の話とか、友達の話とか。昔の話とか。
もっと知りたい。普段何をしているとか。趣味とか。
誕生日とかも知らない。
恋人なんだから。
もっと知らなくてはいけない。
「よーやくかよ。長かったなあおい」
「……まあな」
同期も、祝ってくれた。正直こいつの助力はでかかった。
「今日呑みいくか? 奢ってやるよ」
「いや。すまんが今度で頼む。彼女の晩御飯が待ってるもんで」
「なんだとこのやろう」
「あははは……」
正直、恋人になってもやってることは変わらない。だが、気持ちが全然違う。
なんか安心? するんだ。心配が無いというか。
ほのかちゃんが俺の彼女だ。
その言葉が俺の心に突き刺さって破裂してる。連続で。間髪入れず。
「多分お前の性格じゃもう二度とできなさそうだから、離すなよ。死に物狂いで掴んどけ。その『ほのかちゃん』」
「あ——分かってるよ」
人生で一度の奇跡だ。間違いない。
——
——
「やったじゃん! いやー長かったねえ」
「あはは。……うん。まあ、別に急いでた訳じゃないけど」
友達は手を叩いて祝福してくれた。嬉しい。不思議だ。
そして軽く罪悪感。私は彼女が、そんな報告をしてきたときにそこまで祝ってあげてなかった。
分からなかったんだ。どれだけ素晴らしいことか。
今なら分かる。
これからは、存分に祝福してあげよう。
「彼の家でって……じゃあそのままヤッたの?」
「へ? そのまま帰ったよ?」
「なんで!?」
「な、なんでって?」
私達は、恋人同士になった。
今度は私の話も聞いてもらうんだ。私のことを知って貰うんだ。
でもまだまだ、おにーさんのことも知らない。地元とか誕生日とか、干支とか?
「馬鹿ほのか」
「ええっ?」
「あのね。『恋人』と『それ以外』の違いはひとつしかないじゃない」
「相思相愛?」
「『セックス』に決まってるでしょ!?」
「ええ~っ!!」
……いや。
この友達は、素直に祝福しても良い友達なのだろうか。
「男なんて『それ』でしか動いてないんだから」
「ええ~。嘘だよそれは」
「本当だってば。『ヤりたい』から告白すんのよ。男は」
「それ、あんたが出会ってきた男の人がそうだっただけなんじゃないの?」
「……この……! 言ってくれるわねほのか。あんたなんか男も知らない処女の癖に」
「ちょっ! 声に出して言わないでよっ」
おにーさんとセッ……!
……クスなんて。
いきなりそんな。
できる訳ないじゃない。
そりゃ、いずれは……。
いや。
おにーさんがどう考えてるのかも分からないし。
私だけで判断できないよ。
「……はあ。何にせよ間に合ってよかったわね」
「へ? 何に?」
「『夏』よ」
じわじわ、蝉の鳴き声が聴こえてくる。
テスト期間の後は、夏休みだ。
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