第15話 舞い上がる関係

 動物園に観覧車があるとは。いや、結構あるもんか。

 良いじゃないか。丁度だ。夜景見れるし。付き合って初デートの締め括りとしちゃ。


「はーい。じゃ行ってらっしゃーい」


 暢気そうなスタッフの声を最後に、ドアが閉まる。

 後はもうふたりきり。


「結構並んだなあ」

「……そう、ですね……やっぱり」

「?」


 そわそわし始めるほのか。どうした、まさかトイレか? こんな時に……。


「ほのか。大丈夫?」

「ひぇっ。へっ。だ。大丈夫です」

「……」


 反応も変だ。一体どうしたのか。


「お。そろそろ良い感じに高くなってきた」

「そうですね。……ちょうど日が暮れて」


 俺は自然の景色も、こうした人工の景色も好きだ。あの光ひとつひとつに家があって、人が住んでいて。そんなことを考えると楽しくなる。それらが集まって、この綺麗な夜景を作り出している訳だ。


「ほら、ほのかこっち」

「…………はい」


 窓に張り付く俺。まるで子供のようだと突っ込まれそうだが、観覧車自体乗ったのは小学生以来だ。ついはしゃいでしまう。


「!」


 呼ばれたほのかは。


「……えっ」

「…………」


 やばい声が出た。


 俺の隣まで来てから、くっついてきた。


「……ほの」

「おにーさん」


 ぴたりと、肩から腕。倒れるように。俺に体重を傾けるように。


 俺は金縛りに遇ったかのように動けず、そのままほのかを見た。

 ほのかも、俺を見ていた。

 つまり目が合った。


「……おにーさん」

「え……」


 あ。


 ここで。

 ようやく俺は、気付いた。

 恥ずかしそうに俺を見上げるほのかを見て。

 正確には、きゅっと紡いだ小さな唇を見て。


 ここは。

 観覧車というものは。カップルにとって。

 ただ楽しむ為だけのアトラクションではないことに。


「…………!」


 俺は馬鹿か。

 何故乗る前に気付かなかった。


 キ。

 キッ。キスだと!?


 どうする!?

 するのか!?

 良いのか!?


 どっちだ!?


 ほのかは。分かってたんだ。だからそわそわしていた。

 そして、今。俺の隣に居る。何かを待っているように……見えなくもない。

 え?


 キスするのか?

 今?

 待ってくれ。

 付き合って初めてのデートでキスはどうなんだ?


 あ——————。

 やばい。


 分かった途端に滅茶苦茶意識してしまっている。

 ほのかの顔をガン見してしまっている。視線が、離せない。

 その唇から。


「…………もしかして、今気付きました?」

「……うん。ごめん」


 心臓が跳ねる。


「どうして謝るんですか?」

「いや。……えっと」

「私は分かってましたよ」

「……うん」


 こういうことだ。

 分かっていながら。

 ほのかは乗ってくれた。つまり。


 『良い』ってことな訳だ。


「……ほのか」


 だが待て俺。


「はい。おにーさん」


 これは間違いなく『俺から』行くべき案件だ。あんまり情けない所を見せたくは無い。

 だが、だ。

 言い方ってのを考えなければならない訳で。

 つまり『ムード』という訳で。

 俺の苦手な、『空気』を読まなければならない訳で。


「…………」


 だが、あんまり考えて悩んで時間を掛けると、それこそダサい上に。

 観覧車は待ってくれない訳で。


「好きだ」

「!」


 見つめ合ったまま。

 そう言うと、ほのかの顔は真っ赤になった。

 俺の気持ちを伝えること。それしか無い。ムードとか知るか。


「俺はほのかとキ——」

「どこが、ですか?」

「へっ」


 言ってしまえ。という所で。所なのに。

 ほのかから変化球が来た。


「私の、どこが好きですか?」

「……えっ」

「そういえば。聞いてませんでしたから」


 顔を赤らめながら。しかし俺から視線を逸らさずに。

 そう訊いてきた。


「可愛い」

「!」


 ええいままよ。

 全部言え。


「料理が美味い。あと毎日作ってくれる」

「!」


「嫌な顔せず、俺の話を聞いてくれる」

「!」


「一緒に居ると幸せな気持ちになる」

「!」


「そんな人は初めてだ。だからほのかだけだ。俺は君だけが好きなんだ」

「っ!」


「だからキスがしたい」

「おにーさ……」


 いけ。


「んっ……」


——


 結局。


 『ムード』とかいう奴は。

 ほのかに作ってもらった訳だ。やっぱり俺は、情けない男だ。

 彼女は、それで良いと言ってくれるかもしれないけど。

 俺としてはどうにか克服していきたい訳で。


 それはそうとして。

 肝心のキスについては——


 あまりに集中しすぎて、いきなりすぎて、頭が真っ白で。

 舞い上がりすぎて。

 『幸せ』という感情のみを残して、俺の記憶には残ってくれなかった。

 どういうことだ。


——


——


 おにーさんとキスをした。







 おにーさんと。

 キスをした。


 おにーさんとキスをした。


「…………おにー……さん」

「うん」

「私もっ。おにーさんが……」

「!」


 舞い上がってしまって。

 時間にしたら多分数秒だったと思う。口を離してから、お互い放心していたと思う。

 おにーさんに肩を掴まれて。彼が中腰になって。私は手摺に掴まりながらだったけれど。

 あったかくて。

 気持ちよくて。

 しあわせになって。


「はーい。お帰りなさーい」

「……あ」


 告白をされた。キスの前に。おにーさんから。今度は、彼から。

 訊いた。どこが好きなのか。おにーさんが考えて用意したであろう流れを遮って。

 全部嬉しかった。私の気持ちが伝わっていた。私の行動が認められた。そんな気がして。

 今度は、私も言わないとと思った。おにーさんの好きな所を。


「……じゃあ、帰ろうか」

「…………はい」


 だけどそんな時間は無くなっていて。キスの時間は数秒だった筈なのに。気付けばもうゴンドラは下まで降りてきてしまっていて。


 暢気そうなスタッフさんの声で、現実へと戻ってきた。


「…………ぁ」


 おにーさんも気恥ずかしそうにしていて。歩くスピードが少し速くなっていた。やっぱり、面と向かって好きだと言うのは恥ずかしいし、勇気が要るんだ。


「……!」


 私は彼に小走りで追い付いて、そのポケットに手を滑り込ませた。


 彼はスピードを落としてくれた。


「おにーさん」

「……うん?」

「ありがとうございます」

「……うん」


 もしかしたら。最初から気付いていたら。おにーさんは観覧車を誘わなかったかもしれない。私も誘えなかった。だって恥ずかしいから。

 おにーさんと乗るのが恥ずかしいんじゃない。キスが嫌なんてとんでもない。


 まるでキスをしたいが為に誘っているような感じになるのが、どうしようもなく恥ずかしくて、そんなの私にはできないからだ。

 だから、感謝をしなくちゃ。

 気付かなかったおにーさんに。


 純粋に観覧車を私と楽しもうとしてくれた、おにーさんに。


「また、連れてって貰って良いですか?」

「……ああ。また来よう」


 日を追うごとに。

 おにーさんが好きになる。今度来た時は、今日よりもっと楽しい筈。


 今日で既に最高なのに。


「……嬉しかったです」

「!」


 あの感触は。

 しばらく忘れられそうにない。

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