第5話 今更自己紹介する関係
ほのかちゃんはそれから、毎日お弁当を作ってくれている。
毎日だ。
これは夢か?
しかも毎回、凝ってるんだ。レパートリーが違うし、味付けも違うし、全部美味いし。
米粒ひとつ、いやゴマ粒ひとつ残さず食う。
社内で丁寧に洗って、帰宅時に返却。
「今日もご馳走さまでした。美味かったです」
「……はいっ」
にっこりと、笑うのだ。手渡すと。
今までは少し恥ずかしさがあったのか、ぎこちない笑顔だったけど。
この「お弁当」が始まってから、滅茶苦茶笑顔なんだ。清々しいといか、神々しいというか。
俺は。
①朝、受け取る時
②昼、食べる時
③夜、返す時
1日に3度。幸せになる。
これは夢か。
「あっ。明日は……」
「あー。普通に休みだよ。だから大丈夫」
「……分かりました」
土日。休みだ。仕事は無い。予定も無い。
そうなるとあのお弁当が食べられなくて残念だけど、まあ2日だ。
月曜になったらまた作ってくれる。
……ちょっと待て。
おい。俺。
今お前……『アテ』にしたな?
地獄へ落ちろ。
くそっ。酷い自己嫌悪だ。
俺は『月曜からもまた作ってくれる』前提で物を考えていた。
死ねくそが。
ほのかちゃんの好意に何を胡座かいてんだ。
そんな身分か? 俺は?
「…………っ!」
舌打ちが出た。自分自身へ。酷く滑稽で浅ましく、気持ちの悪いカス野郎へ。
食べられなくて残念?
馬鹿言っちゃいけない。普通は食べられないんだよ。
今が。今週が奇跡だっただけだ。それに慣れるな。
普通じゃない。
あの笑顔は、俺にだけ向けられたもの……な訳が無いだろ。
目を覚ませ。自覚しろ。
俺がモテる筈が無いんだから。
「…………はぁ」
深い溜め息が出た。
これ以上を求めるんじゃない。
押しゃヤれる? 馬鹿いうな。
引っ越す金なんてある筈ないだろ。そんなリスク、負える訳がないだろう。
良いんだよ。このままで。
来週からは普通通りだ。もし。
もし作ってくれたら、最高だ。それだけだ。
期待したら、違った時に死にたくなるぞ。
——
土日は何するか。決まってる。
何もしない。昼まで寝る。
そして家でゲームと動画、アニメ、漫画だ。
俺は地元からこっちまで来てるから、近くに友人も居ない。同期や同僚から誘われることもあるけど稀だ。
飯はコンビニ弁当。動かないから1食で良い。
充実した休みだと俺は思っている。
ピンポーン
寝転がりながらゲームをしていると、インターホンが鳴った。
営業だろうか。勧誘だろうか。荷物が届く予定は無い。
だが一応出る。営業してる人も大変だからな。話くらいは別に良いぞ。買わんが、居留守よりはマシだろ。
「あっ」
「あっ」
ほのかちゃんだった。
待て!
ヤバい!
「えっと……その」
完全にオフだった!
髭剃ってね————よ!
「……外、出なかったので。予定……」
「え」
ああ。
まあ分かるよな。お隣なんだから。2年も居れば。
俺が土日、家から出ないってことくらい。
仕事がなけりゃ。しなくても良けりゃ、引きこもってる可能性の方が高い。
「良かったら……お昼食べますか」
「えっ!」
「あのっ! ……迷惑なら、その」
「いただきます!」
……あのさあ。
これで本当に、俺に全く気が無いのか?
そんな馬鹿な。
いやいや。待て待て。
即答。速答だ。
今は、何も考えるな。余計だ。
今日は休みだが、ほのかちゃんのご飯が食べられる。
それ以上は無いじゃないか。
髭剃って無いけど。
——
——
さすがにやりすぎかもしれない。
押し掛けというか、押しすぎだ。
休みの日まで、これは流石に。
うざい、かもしれない。
「いただきます!」
この人は、おにーさんは人が好いから。断らないんだ。せっかくの休み、本当はひとりでゆっくりしたいだろうに。
私の自己満足に付き合ってくれている。
私なんか、仕事もしてない。特別必死に勉強もしてない。部活もやってない。授業以外に予定は無い。
そんな暇人が、毎日仕事で疲れているおにーさんにちょっかいを掛けている。
「……今日は、じゃあ、こっちで」
「分かった……」
おにーさんの部屋。おにーさんの匂い。間取りは一緒だから勝手は分かる。
2回目だ。おにーさん。
おにーさんは、あんまり外出しない。2年隣に居るけれど、そう言えば私服はあんまり見たことない。いつもスーツだ。つまり、平日にしか会わないってこと。
土日は外出しないんだ。あんまり予定、無いのかな。
もっといっぱい話したい。おにーさんのことを知りたい。
だけど迷惑じゃないだろうか。良いのだろうか。
「……どうでしょうか」
「美味しいよ。ありがとう」
「!」
ありがとう。
お礼を言って貰った。
凄く嬉しい。
「ご馳走さまでした」
「……お粗末様でした」
早い。えっ。もう終わり。
どうしよう。お話したいのに。
「……そう言えばさ」
「はい」
「自己紹介、まともにしてなかった、よね」
あっ。
おにーさんから話を振ってくれた。
「そうですね。そう言えば」
「あはは。もう2年お隣なのにね」
おにーさんの名前を聞いた。
2年越しに。
何か、視界がぐんと開けた気がした。
「でも、もう慣れちゃって言いやすいので、『おにーさん』で良いですか?」
「え? ああ。そうだね」
同時に、今更かとも思ったけれど。
心地よい達成感があった。
「ほのかちゃんは、学生さん……だよね?」
「そ、そうです。4年生です」
「あはは。いやなんか今更感あるけどさ」
「はい」
一緒だった。私がおにーさんの事を知らないように、おにーさんも私の事を知らない。言っていないだけだけど。訊いてないだけだけど。
もっと知りたいし、聞いて欲しい。
だけど、引き際は見極めないといけない。
うざがられたらその時点で終了だ。学生さん? なんて質問、ありきたりな話題じゃないか。社交辞令で訊いてきてくれた可能性が高い。
おにーさんは、良い人だから。
「おにーさんは、社会人」
「3年目。まだまだ若手だよ。若造」
3つ上だ。私はこういう計算は早い。つまり24~25。
「…………」
「…………」
やばい。
会話が途切れてしまった。どうすれば。
このままだと不自然だ。じゃあ、私帰りますね。
そう言うしかなくなる。
なんとか、不自然じゃない感じで居座れないだろうか。
……また、図々しい私が出てきている。
「じゃあ、私戻りますね」
「……うん。ありがとうね。ほんと、ご馳走さまでした」
駄目だ。
これ以上は。
あっ。でも最後に。
「……おにーさん」
「ん?」
「その。……来週もお弁当、要りますか?」
「お願いします」
「!」
即答だった。なんなら食い気味だった。
良かった。
「……分かりました」
ちゃんと言えて。ちゃんと訊けて。これで口実を得た。取得した。
権利を。
取り付けた。
おにーさんと、約束を。
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