#9. Green yellow

 これは、僕が鉛筆を買った話だ。


 僕は子供のころから手先が不器用で、不器用の極みのような生活を送っていた。


 靴を履こうとすれば紐が蝶に結べないし、アイロンをすればシャツは焦げ、料理を作れば炭になった。


 キーボードを叩けば誤字ばかりで、プリンタを起動させるたびに紙を詰まらせる。


 そんな僕が鉛筆を見ている。

 本屋さんの一角、お高い万年筆と、組み合わせ式ボールペンの棚の裏側。

 深い緑の外面に、見覚えのある虫のマークがついた鉛筆を一ダース、見ている。


 ペンの棚には手帳やメモ帳が並んでいるのに対して、鉛筆が置かれているこちら側にはスケッチブックや自由帳なんかが並んでいる。

 クレヨンにパステル、12色揃った絵具のセット。

 その上に、シャーペンに押されて消費量が減っている鉛筆のダースが積まれている。


 ひいふうみいよういつむうななやここのつとう……じゅういちじゅうに。


 12本でこの値段は頂けない。

 流石大手メーカーの鉛筆はお高いことだ。


 僕の左腕にはスケッチブックが一冊ある。

 腰にあるポーチに入る程の大きさで、紙が画用紙という以外はパッとしない白いメモ帳のようである。


 画用紙で買うのには理由がある。

 普通紙より立体的に。裏に凹凸が浮くからだ。


 僕は、初めて自分の意思で鉛筆を買うつもりでいる。


 とはいいつつも、僕は手先が不器用だ。

 それに、シャーペンが主流の今、親に鉛筆を買ってもらった事はあっても、自分で買った事は無い。

 今から考えてみれば、あの頃は随分と親に甘えていたものである。


 手元の財布には500円とちょっと。

 大手メーカーの鉛筆を買うにはちょっとだけ足りなかった。


 はあ、と息をついて視線をずらすと、別の鉛筆が目に入った。

 角が三つの、持ちやすい蛍光グリーンの可愛らしい鉛筆のセットである。


 あの武骨な深緑より、こちらの方がいいだろうか。

 不器用なりに、良い文字が打てるようにと希望を込めて、値段が少し安いそれを手に取った。


 家に帰ったら早速準備をしなければ。

 画用紙を使ってメッセージカードを作るのだ。


 何度作れば成功するだろうか。

 あの日届けたラブレターの様に、書き直すだけで一日が終わってしまうだろうか。

 そんな事を考えながら、によによとした口元を抑えて会計を済ませる。


 家に帰ったら鉛筆の先をほんの少し削って。

 画用紙に鏡文字を下書きして。

 そうして打った愛の言葉を、チョコと共にあの人の指に届けるのだ。



 聖バレンタイン。僕は不器用なりに、彼女に愛を伝えに行く。

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