#10. Dahlia purple

 これは、ある人からチョコを頂いた話だ。


 私の世界は乳白色である。

 光の有無までは目に見えるが、それ以上は雲をつかむように認知できない。

 それは、産まれてから今までの間、特に変わらない日常である。


 ある国では、二月のあの日に贈り物をするのは男性なのだそう。


 昨日テレビでそう言っていたのを聞いたからか、気の利いた何かを用意しようとしているのか、彼は買い物から帰ってきたあと、なかなか二階から降りて来ない。


 お昼を食べて、それから出掛けて、戻って来てからもう4時間は経って居る筈だ。


 時間の経過は、リビングにあるテレビを点けると、やっている番組で判断できるのだ。

 見えないものをあるものとして生活するのは、体質もあって子供のころからの得意分野。しかし、物が無くなったとかならともかく、人が居なくなるというのは少し心細いものがある。


 実は、今日彼に渡す予定だったものを、私は膝の上に抱いている。


 友達に選んでもらったテディベア。背中にはチャックがついていて、電池を入れると音に反応して喋り出す優れもの。

 携帯やパソコンに無線でつなげば「オッケーぐるんぐるん」の一言で検索が掛かり、「グッナイぐるんぐるん」の一声で、電源が切れる。


 私が見てない間にも、技術と世間は目まぐるしく変化している。


 これは、私もそろそろ音声ガイドを耳に埋め込む時期かな――と、一人浸っていると、彼は二階からトントンと足音を立てて降りて来た。


「ば、バレンタインおめでとう!」


「それはちょっと違うんじゃないかなあ……?」


「え? あ、あう」


 焦る彼の声が可愛らしくて、ついクスリと微笑んだ。


「はい、私からはこれね! あ、チョコ苦手だったよね、クッキーにしたよ」


「う、うん。ありがとう! お、俺からはこれ」


「うん、ありがとう」


 プレゼント交換を済ませて、手元の感覚から受け取ったものを想像する。


 チョコ? クッキー? あめ玉?


 ……紙袋に入っている物はその辺りだろうか? 

 けれども、空け口についている、手触りの違う紙を読んで、ぶわ、と顔が熱くなった。


『僕と、結婚してもらえませんか』


 たどたどしい点字。墨字ではなく、私の為の言葉。

 私は泣きそうで笑えなくて、けれども握りしめたチョコと一緒に何度も頷いた。

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