第十七葉 雲手川の姫 

 「学科長!」

突然の声がかりに、冬頭は驚いて振り返った。

「あぁ、これは、姫様でしたか・・・・・・。気がつきませず、失礼いたしました。」

「いま通りかかったところよ。それより、その姫様って言うのは、やめてちょうだい。ここでは、雲手川講師と呼ぶように! 前にも言ったわよね?」

「も、申し訳ありません。とっさのことで、つい・・・・・・。」

「まぁ、いいわ。ところで、いま出て行ったのが、今度の非常勤講師ね?」

「はい。本日正式に採用いたしました。担当は老人福祉論あらため、高齢者福祉論となります。」

「高齢者福祉論?」

「はい、彼女の希望で、そのように名称を変更いたしました。」

「そう・・・・・・。いきなり科目名を変えろとは、言ってくれるわね。」

「それだけの、値打ちがある中身になります。きっと・・・・・・。」

「そうね・・・・・・、期待してるわ。」

姫と呼ばれたその女は、立ち去りかけたが、その歩みをぴたりと止め、振り返って冬頭をきっと睨んだ。

「わたくしは、お父様が苦心して道筋をつけられた介護保険の政策に、一点の疑いも抱いてはおりません。不勉強な者がいろいろ浅はかなことを言っているようですが、わたくしの老人福祉論で、ひとつ残らず論破いたします。ひとつ残らずです!」

姫は、両眼に込められるだけの力を込めて冬頭を睨み続けた。冬頭は表情ひとつ変えず、これに応じた。そして一言つぶやいた。

「あっぷっぷ?」

姫は、顔を真っ赤にして「もうっ!」と叫んだかと思うと、きびすを返して靴音高く歩み去った。

冬頭は、自室に戻ると机の前にゆっくりと腰かけ、写真立てに手を伸ばした。

「姫は、ちっちゃいときから、ぷくぷく、ぷくぷく・・・・・・」

冬頭は、写真立てと、にらめっこをはじめた。

「ほら、あっぷっぷ?」

写真立ての少女が、顔を真っ赤にして「もうっ!」と叫んだ。

「ほら、また・・・。そんなに、もうっ、もうって言っていたら、そのうち牛になりますよ。」

冬頭は、少女にやさしく語りかけた。

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