第十八葉 出版交渉その二
里山と望月は、編集長に呼ばれ、再び出版社を訪れていた。面接室に通されたが、編集長はなかなか現れなかった。
「里山さん、今日は、編集長さんから、どのようなお話を伺うことになるのでしょう?」
「そうですね、期待して待ちましょう。」
会話はそこでとぎれ、しばし静寂が二人を包んだ。
そのとき、部屋の片隅から、紙を握りつぶすような、くしゃりという小さな音が響いた。二人が目をこらすと、物陰に一人の女の姿があった。
「あ、あなたはどなたですか? いつからそこに?」
里山は、驚いて声をかけた。
「あら、見つかっちゃったかしら・・・・・・。」
女は、光のあたる場所に歩み出た。右手にまんじゅうを持っている。これから食べようとしていたらしい。
「あなたたち、人間じゃないわね?」
里山と望月は、言葉の鋭さに震え上がった。
「話は全部聞いたわ。あたしは、ここの専属のイラストレーターよ。コタツ猫のお京と言えば、この業界で知らない者はないわ。あたしを呼びたいんなら、お京さんでいいわ。」
「お京さん・・・・・・。そうですか、あなたがあのイラストを描かれた・・・・・・。お会いできて光栄です。」
「あら、あなた、あたしの作品を見たことがあるの?」
「はい、猫がコタツでみかんを食べている図案でした。それを見て、出版をお願いするのはここしかないと直観いたしました。」
「へぇぇ、そうなの・・・・・・。」
お京さんは、まんじゅうをほおばりながら、興味深そうに里山と望月の顔を眺めた。
「あの・・・・・・、」
里山が語りかけようとしたそのとき、編集長が現れた。
「ごめんなさい、遅れちゃって・・・・・・、あら、お京ちゃん、来てたのね。」
「さっきから居るわよ。」
「そう・・・・・・、さて、里山さん、望月さん、会議は随分紛糾したけれど、結論を言うと、あなたたちの原稿は、うちでは採用できないという結論に達しました。」
「うちでは、と言うと・・・・・・、他では出版していただけるということでしょうか?」
「商業出版には、それなりのお金と時間がかかります。また、こちらも事業でやる以上、売れなければ困ります。読んだ人が、もっと続きを読みたい、単行本がほしいって思うかどうか、そこがとても重要な要素なのです。」
編集長は言葉を続けた。
「率直に言って、このような突飛なスタイルは、大方の意見としてあまり歓迎されませんでした。しかし、あなた方が言うように、ケアマネジャーの仕事は、高度なプライバシーに関わる仕事であるため、現実の姿をダイレクトに文章で表現するということがなかなか難しいし、実際ほとんど書かれていないわ。でも、それを良いことに、本当はそうではないことをあたかも本当のことであるかのように語るマガイモノが横行し、しかもそれが一国の政策にまで悪影響を及ぼしているとなると、コトは重大よね。本当の姿をなんとかして伝えたいというあなたたちの強い思いには、共感するところがあります。」
「ありがとうございます。」
「真実を伝えるために、あえてフィクションの形式をとる。そのような手法は、文学の世界では古くから行われています。そう考えれば、こういうスタイルが有ってもよいのかもしれません。ただし、よほどのスポンサーがついているとか、年間相当頻度の講演会でテキストとして用いられる見込みがあるという場合などを除いて、いきなり商業出版ではどこの出版社でも無理でしょう。でも、そういう人のために、個人でも簡単に始めることができる電子出版が急速に普及しています。まずはそこから始めてみるのも一案だと思いますよ。」
「なるほど・・・・・・。わたくしたちは、そもそも利益を上げるために出版を志したわけではありません。であれば、商業出版から始めること自体がかえって不自然であったのかもしれません。経営的な打算や社会的な圧力に振り回されず、純粋に真実を伝えることができれば、それがわたくしたちの望むところでもあります。」
里山は、望月の顔を見た。望月は、にっこりと微笑んでうなづいた。里山は、言葉を続けた。
「・・・・・・、ただ、一つだけ問題があります。私たちのこの作品には、図版が必要です。私たちは、文字を十分に読むことができない人たちにも、私たちの思いを伝えたい。そのためには、人間業を越えた画力が要求されます。」
「まぁ、うさぎとたぬきが字を書いてるからねぇ・・・・・・。画も人間並みじゃダメってことね。」
「はい。」
お京さんの表情が、急に険しくなった。
「あなたたち、本気なのね?」
「はい。」
「そう、・・・・・・。」
お京さんは、最後のまんじゅうのかけらをごっくんと呑み込んだ。
「わかった、と、言いたいところだけど、うちで出版しないのなら付き合えないわ。活字の大きさを変えたりカラー図版を用いたりできる電子出版も出始めているし、それを紙媒体で少部数出版することができるところもあるから、そういうところをあたってみるといいわ。」
「そうですか、そんなところがあるのですか・・・・・・。では、これからいろいろ可能性を探ってみようと思います。」
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