第十九葉 ギターの音色
里山と望月は、礼を述べて出版社を退出した。連れだって歩くうちに急に視界が開け、広い河川敷と堤防沿いの遊歩道が見えてきた。里山は、勇気を振り絞って口を開いた。
「あ、あの、望月さん・・・・・・、」
「はい?」
「もし、お時間が許すようでしたら、しばらくあの道を歩きませんか? いろいろお話したいことがありますもので・・・・・・。」
望月は、遊歩道の先を涼しげに眺めた。
「そういえば、今日はお日様も暖かくて、さわやかな風も吹いて、絶好のお散歩日和ですね。」
「はいっ!」
里山は、ミラクル・ヒューマノイド・スーツの裏地にしがみつき、小躍りして喜んだ。
遊歩道は、無粋なアスファルトではなく、茶褐色の土様のものが固め敷かれていた。土手の斜面を見渡すと、背の低い野草が群生し、薄紅色の花房をつけて揺れていた。時折、二人の歩みを遮るように、蝶がゆらりゆらりと舞い漂った。その様をみて、この時が永遠に止まればよい、と里山は思った。
「あの、里山さん?」
望月から問いかけられて、里山は上気した顔を急いで隠した。
「は、はい?」
「どこか、お加減が悪いのですか? お顔が真っ赤ですが・・・・・・。」
「いえ、その、ちょっとスーツの自動換気装置に不具合がありまして・・・・・・。たいしたことではありません。」
「そうでしたか。ところで、お話というのは?」
「えっ?」
「さきほど、わたくしにお話があると・・・・・・。」
「あ、はい、そのことですが・・・・・・、」
里山は、うろたえながら周囲を見回した。
「あの、もしよろしければ、向こうのベンチに腰かけてお話を・・・・・・」
二人は、ベンチの前までたどり着き、ゆっくりと座りかけた。その瞬間、「あぁっ、あそこにたぬきがいるうっ!」という叫び声とともに、学校の制服姿の少女が土手を駆け上がり、二人の前に飛び込んできた。突然のことに、二人は驚いて、着座と同時にベンチごとひっくり返った。
「も、望月さん、大丈夫ですかっ!」
「はい、わたくしは大丈夫です。里山さんは、お怪我はありませんか?」
「はい、ありがとうございます。」
里山は、少女に目をやった。自分の正体を見破ったこの少女は何者かと、里山はひどく警戒した。しかし、少女の次の言葉に、それが誤解であったことに気づいた。
「あの、いまここをたぬきが走り去っていきませんでしたか?」
「いえ、わたしたちは見ておりませんよ。」
「ええっ、そんなはずはありません! あれはたしかにたぬきでした。小さいのが三匹。」
「えっ、三匹ですか?」
「はい、確かに三匹いました。」
里山と望月は目を見合わせた。小さなたぬきが三匹。もしやぽんとぽことりんが、タン師の言いつけを破ってヒトガタを纏わずに人間の前に姿を現してしまったのでは・・・・・・。望月も、同じ事を考えているようであった。
しばらくして、少女の友人二人が追いついてきた。
「すみません、お騒がせして。わたしは見間違いだって言ったんですけど、この子がそうじゃないってきかなくて・・・・・・」
「そうでしたか。まぁ、こんな昼の日中に出てくるような、のんきなたぬきはいないと思いますよ。」
里山は、少女たちに諭した。しかし、最初に飛び込んできた少女は、あれは絶対にたぬきだったと言って譲らなかった。
「ところで、君たち、学校は?」
「はい、今は放課後で、クラブの練習中なんです。」
よく見ると、三人ともギターを肩に担いでいる。
「音楽をやっていらっしゃるのね。」
望月は尋ねた。
「はい、全員入学と同時に始めた素人ばっかりですけど・・・・・・。」
「それで、河川敷で演奏の稽古を?」
「はい、ここなら学校から近いし、誰にも迷惑をかけないで練習できますから。」
少女たちは、騒ぎに巻き込んだことを詫びて、もと来た土手を降りていった。そして、薄紅色の花房の中に腰を下ろし、雑談しながら思い思いに基本のコードなどを弾き始めた。多少のぎこちなさをはらみながらも、ギターのやさしい音色は、そよ風にのって里山と望月の耳に届いた。
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