第二十葉 風のささやき
二人は、ベンチに腰かけ直した。
「さて、望月さん・・・・・・。」
「はい。」
「いまの話が本当ならば、帰ってあの三匹に問いたださなければいけませんね。」
その瞬間、近くの草むらでかさりと音がした。里山と望月は、気づかないふりをしてそのまま小声で話を続けた。
「聞こえましたか?」
「聞こえました。」
「やっぱり、そうですか?」
「・・・・・・、そうだと思います。」
しばらくすると、また、かさりと音がした。
「どうしますか?」
「どうしましょう?」
望月が里山の方を振り返った。二人は、お互いに見つめ合った姿勢で静止した。
「時間よ、止まれっ!」
里山は心の中で叫んだ。望月の口唇が静かに動いた。
「わたくし、なんだか危険なことが起きるような気がします。」
里山の顔は一瞬で真っ赤になり、両耳から湯気が出始めた。うつろになった意識の中で、小さなたぬきの頭が三つ、草むらからのぞいているように見えた。
「ああぁっ、やっぱりたぬきだぁぁぁぁっ!」
先ほどの少女が、草むらの一点を指さしながら、歌舞伎役者のような形相で再び土手を駆け上がってきた。
「いかんっ、見つかってしまう!」
里山は、とっさに我に返り、草むらに飛び込もうとして立ち上がった。その瞬間、望月はバランスをくずし、そのまま地面に叩きつけられそうになった。里山はそれに気づき、慌てて望月の身体を支えようと飛びついた。しかし、里山の指が望月の身体に触れる直前、里山の首筋に大きな黒い固まりが飛び込んできた。里山は黒い固まりごともんどり打って倒れ込み、それをクッションにして望月がそっと着地した。
「まぁ、ドペちゃん!」
望月は、驚いたように叫んだ。
「なんで、ドペがっ!」
里山は、首筋を噛まれたまま心の中で叫んだ。
「大丈夫ですかぁ?」
少女の友人二人が追いついてきた。
「心配いりません。じゃれて遊んでいるだけですから。」
望月は、こともなげに言った。
「なぁんだ、びっくりしたぁ・・・・・・。やっぱりたぬきなんているわけないよ。犬だったんだよ。」
「ちがうっ、絶対にたぬきだった! ほら、あそこっ!」
少女は、かなたの草むらを全力で指さした。何かが逃げていくようにも、そよ風が草花のあたまをなでて通り過ぎたようにも見えた。
少女たちは、ふたたび土手を降りていった。今回の見えざるたぬきとの出会いがよほど印象に残ったのか、これを記念してオリジナル曲を作ろうと話し合っているようであった。
「できた! オリジナル曲のタイトルは・・・・・・、」
「タイトルは?」
「バーニングたぬき・オンザラン!」
「バ、バーニングって何よ?」
「燃えるってことよ。」
「かちかち山?」
「ちがうっ! 恋の炎よ」
「でも、三匹じゃダメじゃん!」
「三角関係ということもあるわ。」
「それ内容が重すぎ!」
風に乗って漏れ聞こえてくる少女たちの会話に、里山は、あながちはずれていないような気がして落ち込んだ。ドペは、望月の足下で、おとなしく寝そべっていた。
「里山さん、実は・・・・・・。」
今度は、望月の方から切り出した。
「実は、来月から、大学で高齢者福祉論の講義を担当することになりました。」
「そうでしたか。それは良かった。近ければ、わたしも望月さんの講義を聴きに行くところです。」
「ありがとうございます。講義の組み立ては自由にしてよいとおっしゃってくれています。そこで、第一講は、オリエンテーションを兼ねて、授業と講義の違いや、批判と非難の違いなどについて、学生さんたちに語ってみようと思います。」
「それは、とても大切なことだと思います。この国では、大学の四年間で、とうとうそれらの違いが分からないままに卒業してしまう人が大勢います。本当に学ぶとはどういうことか、望月さんの講義を聴いて初めて気づく人もいるでしょう。第一講にふさわしい内容だと思います。」
「ありがとうございます。はなはだ分不相応ですが、せっかく与えられた機会なので、できることはすべて試みたいと思います。」
望月の表情が希望に満ち、引き締まって見えた。そのことが、里山を幸福な気持ちにさせた。
「望月さん、実は・・・・・・、」
「なんでしょう?」
「実は、先日わたくしの事業所に、独立開業を志願する若者が訪ねてきました。その人は、たとえ自分に不利益が及ぶとしても、守りたいことがあって独立するのだと言っておられます。わたしは、その言葉を信じようと思います。」
「そうでしたか。そのようなお志の方がいらっしゃったのですね。」
「はい。この国では、誠実にケアマネジメントを行っている人ほど、悩みをかかえ、苦しんでいます。そんな人たちと出会い、仲間を増やして、お互いにお互いを支え合うことができればと考えています。そして、みんなで力を合わせて、この世界をよりよいものに変えていきたい。」
「わたくしも、それを望みます。志正しき人の集う場を創りましょう。」
「はい、必ず創ります。そして、何があっても、必ず守り抜きます。そのような場を必要とする人が一人でもいる限り、必ず守り抜きます。」
「そうですね。そうしましょう。」
里山の表情が決意に満ち、揺るぎなく見えた。そのことが、望月を幸福な気持ちにさせた。
日差しはどこまでも暖かく、風はどこまでも優しかった。土手の下では、少女たちが詩の創作を始めていた。
草原の風
草原の風は
何もおしえてくれない
なのに
すべてが伝わる
アコースティックギターの
音色のように
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