第十四葉 矜恃と尊厳
里山は、沈黙の時間を許した。相談室に、静かな時が流れた。
「すみません、ちょっと・・・・・・。」
「いえ、・・・・・・、おつらいことでしたら、無理にお話になることはありませんよ。」
「いいえ、このような話を聞いて頂けるのは、ここしかありません。ぜひ聞いてください。」
白川は、覚悟を決めた表情で、再び語り始めた。
「実は、つい先ほどのことです。私の担当している人が、自殺未遂で病院に運ばれました。夫婦二人暮らしで、妻の首を絞めた後に自分の手首を切ったようです。知らせを受けて病院に急行したところ、幸い夫婦ともかろうじて命をとりとめたことが分かりました。私は・・・・・・、」
白川の目から涙がこぼれ落ちた。
「私は、二日前にその人から電話連絡を受けています。長い間献身的に妻の介護を続けてこられた方です。その方が、相談したいことがあると言われて・・・・・・。私は、何かあると直感的に思ったのですが、他の人の月一回の定期訪問の予約で埋まっていて・・・・・・。たまたま月末で日程を変更することができないと判断し、その旨をその人に伝え、相談訪問を今日の夕方に約束していたのです。もし、私が判断を誤らず、その日のうちにお話を聞いていれば、こんなことにならなかったのかも知れない。月一回の定期訪問が抜けて報酬減算となることの方に目を奪われ、私は仕事の優先順位を間違えてしまいました。私は、弱い人間です。法人の中では法令がどうの、公正中立がどうのと口うるさくしていますが、自分でも気づかないうちに、判断を間違えるようになっていました。そして、もっとお恥ずかしいことに・・・・・・、」
白川は、両眼をぬぐいながら続けた。
「・・・・・・、私は、このご夫婦から、生活保護の申請について相談を受けていました。調べたところ、おそらく生活保護の受給要件を満たしているだろうと分かりました。そこで、ご夫婦といっしょに役場に出向き、申請をお願いしたのです。しかし、役場では、プライバシーに関することだからと私の同席は拒まれ、夫婦ふたりだけが面接室に呼ばれました。私は外で待っていたのですが、面接担当者の荒々しい声が外まで漏れて、子どもや親戚の不義やら、夫婦の備えの甘さやらを非難していることが分かりました。結局、生活保護は認められず、ご夫婦はそれでも、いっしょについてきてくれてありがとうと、私をねぎらってくれました。里山さんが、路上生活者まで生活保護の申請を認めさせたという話を聞いて、私は自分の力のなさを痛感しました。そして、あらためて生活保護が必要だと、単独で役場に訴えに行きました。ところが、・・・・・・」
白川は、手元のハンカチーフを強く握りしめた。
「ところが、その直後に法人から呼び出され、もうこの件には関わるなと言われました。役場の判断することに口をさしはさむなと・・・・・・。明らかに、圧力がかかったとしか思えません。私は、生活保護に詳しい弁護士に無償で相談にのってもらえないか交渉する準備を進めていたのですが、法人はそのような弁護士との連絡も相談業務として認めないと言いました。そんな矢先に、この事件が起こったのです。」
里山は、深くため息をついて、白川を見つめた。
「あなたは、その老父婦が生活保護を受けられるようにするため、いまお勤めの法人を辞めて、独立開業したいと・・・・・・?」
「それも、当然あります。しかし、それ以上に、自分の誇りを守りたいのです。私自身が、恥ずかしくない生き方をしたいのです。ケアマネジャーは、里山さんがおっしゃるように、人としての尊厳を守る仕事です。しかし、ケアマネジャー自身もまた、いくばくかの尊厳ある仕事がしたい。それが、私の矜恃なのです。」
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