第十三葉 理由
「さて、ケアマネジャーの独立開業についてのご相談ということですが、具体的にはどのようなことでしょうか?」
「はい、何からお話すればよいか迷うのですが・・・・・・。」
白川は、コーヒーを差し出した月影に軽く会釈をしながら話を続けた。
「・・・・・・、結論から言いますと、里山さんのように独立開業したいのですが、具体的にはどのような手順で、どんな準備をすればよいのか教えていただきたいのです。あと、開業にはどれくらい手持ちのお金が必要かも、差し支えなければ教えていただきたいです。」
「なるほど、開業に向けての技術的な問題について、もろもろ知りたいということですね。」
「はい。」
「う~ん、そうですねぇ・・・・・・。開業すること自体は、そんなに難しいことではありません。」
「はい。」
「問題は、その後です。開業したあと、続けていくことが難しい。」
「それは、単刀直入に言うと、採算面からですか?」
「はい、それが一番大きい理由です。どのように頑張っても、今の制度ではとても採算が合いませんので・・・・・・。都会ならばまだしも、ここのような田舎ではなおさらです。独立開業者という立場上、あなたのように独立開業を考えている方からのご相談をよく受けます。意外に思われるかもしれませんが、そんなときにはいつも、独立開業を思いとどまるようお勧めしています。」
「えっ、そうなのですか?」
「はい。経営的に失敗して辛い目に遭うのが目に見えているのに、安易にお勧めすることなどできませんから・・・・・・。」
「そ、そうですか・・・・・・。それはちょっと、意外でした。いえ、採算が厳しいというのは分かっていたことなのですが・・・・・・。そうですか・・・・・・。」
白川の落胆ぶりは、そのまま床に崩れ落ちそうなほどであった。里山は、何も言わず、白川の次の言葉を静かに待った。
「実は、病院に勤めている知り合いから、里山さんが路上生活の若者の生活保護申請を役場に認めさせたというお話を聞きました。それを聞いてから、過去に里山さんが書かれた論文を読ませていただきました。そこには、私がいままさに直面している問題が書かれてありました。私は、もうウソに加担するのは嫌なのです。里山さんのように独立開業して、正しいケアマネジメントを行うことができればどんなに良いか、どんなに清々しいかと思ってきました。私の妻も、私の気持ちをよく理解してくれています。苦労は覚悟で、独立開業に賛成してくれているのです。何も知らない者が、見通しの甘いことを喋っていると思われるかもしれませんが、私は私なりに、悩み抜いた末の結論なのです。」
里山は、ただ黙って頷いた。白川は、ここに至る経緯を淡々と語り始めた。
「私は、介護保険が始まるずっと前から、市の直営する在宅介護支援センターで相談員をしておりました。その当時は、公的な立場で、少ないながらも安定した収入を得て、自分でもそこそこ納得のいくケアマネジメントができておりました。ところが、国の制度として公的介護保険ができるという話が出始めた頃から、様子が一変しました。在宅介護支援センターは、市からの委託という形で事実上民間の法人に払い下げられ、事業報酬は相談件数に応じた出来高払いに変わりました。私はその民間の法人に雇用されることとなったのですが、上司からは相談件数のノルマを設定され、達成できなければ怠け者扱いされるようになりました。」
白川は、語るうちに記憶が鮮明によみがえってきた様子で、だんだん語気が荒くなっていった。
「そればかりではありません。上司からは、在宅介護支援センターに併設するデイサービスやホームヘルプサービス、ショートステイなどのケアサービスの利益率を高めるため、集客のノルマまで課されました。上司は、もとは法人が取引をしていた銀行の出身です。系列の病院も、同じ銀行から代々の事務管理職を受け入れています。福祉や介護についてはほとんど学んだことのない人たちが、利益率の一点だけを見て、事業を回しています。一日当たりの売り上げがいくら伸びたか、一人当たりのサービス利用量がいくら増えたか、それに私がどの程度貢献したか、そんなことで仕事が評価されるのです。私は、ただの集客マシーンとしか思われていませんでした。」
里山は、口を開いた。
「当時の在宅介護支援センターの事業は、仮に民間に委託した場合であっても、市町村の事業であることに変わりなかったはずですが、そういった不公正な実態を、市町村は把握していなかったのでしょうか?」
白川は首を振った。
「把握もなにも、その法人は役場からの天下りを代々受け入れていますし、公務員の妻子などの縁故者も情実で採用している始末ですので、手段はどうあれ法人全体の利益率が高まり、自分たちの給料が確保できればそれで構わないのです。たとえ私のようなものが不正を訴えても、あいまいにごまかされてしまいます。不正をチェックする側が不正をはたらく法人に事業を委託して、そこから利益を生み出し吸収する。そんな強力なシステムができあがっているのです。介護保険制度が始まり、居宅介護支援事業所のケアマネジャーを兼務するようになってからも、わたしは同じ役割を担わされてきました。」
「そうでしたか・・・・・・。」
里山は、しばらく間をおいてから、話を続けた。
「それは、ご自身が法人の中にとどまっていては解決できない問題だと思われたのですね?」
白川は、里山の意を察して答えた。
「はい、おっしゃるとおり、法人の内部から、改善の声を上げていくのが正論だと思います。誤っているから辞めますでは、次から次と人が辞めていくだけで、いつまでたってもその法人は改まりませんから・・・・・・。」
白川は、また何かを思い出した様子で話を続けた。
「わたしも、なにもしなかったわけではありません。少なくとも、自法人のサービスへの集客ノルマに関しては、法令に反することなので止めるようはっきり申しました。しかし、これは、どの法人でも聞くことですが、ケアマネジメントの介護報酬が低いものですから、お前の給料の半分は系列のサービスの黒字で埋め合わせているんだ、自分の給料分ぐらいは自分で稼げと逆に非難される始末で、正論が通らないのです。そのうち、必要な訪問もガソリン代の節約を理由に制限され、高熱水費がかさむという理由で残業も許されず、たまった記録は家に持ち帰って書かなければならなくなりました。もちろん、相談の内容はプライバシー情報ですので、表向きは外への持ち出しを禁じられています。あくまでも上司の知らないところで個人が勝手に行ったという扱いで、事実上持ち帰りが強制されるのです。相談の内容を詳しく伝え、どれだけこの人にはこの頻度の訪問が必要だと言っても、今の介護報酬はケアマネジャーにそこまでやってくれとは誰も望んでいない報酬だとはねつけられ、ただただ監査対策の書類のつじつま合わせだけを求められます。わたしの同僚も、上司に従っていた方が楽なので、余計なことをするなと言います。系列の介護職員も、将来自分が配置転換でケアマネジャーになったときに余計な仕事が増えるのは嫌だと言う人ばかりです。わたしの不徳と言えばそれまでですが、残念ながら、法人を内側から変えていこうという力を結集することは、うちの法人では無理です。」
「それで・・・・・・、」
里山は口をはさんだ。
「それで、独立開業しようと・・・・・・?」
「実は、・・・・・・」
そう言いかけて、白川は次の言葉を発することができず、顔を歪めて押し黙った。
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