第九葉 堤の桜

「月影さん、どうです、見事な桜でしょう。」

「さて、人間はなぜ、桜の木を横一列に並べるのでしょうか? 何か意味があるのですか?」

「意味、ですか・・・・・・。」

里山は考え込んだ。

「そうですねぇ、これは、人間の自己満足に過ぎないのかも知れませんね。」

「でも、きれいですね。これだけ一斉に咲くと、世の中がぱっと明るくなって、なんだか別世界に来たような気分になります。」

「ほう、うさぎさんにも分かりますか。人間も、それがうれしくて、毎年桜の花を楽しみに待っているのです。」

「人間には、そのような心があるのですか・・・・・・。」


 二人は、福祉施設の玄関にたどり着いた。休日のためか、事務室には年配の男性が当直で一人いるのみであった。面会を申し込むと、男性は、どうぞ、どうぞと先を歩き、一番奥の南向きの四人部屋に二人を案内した。


「あぁ、これはよい景色ですね。桜が一望できる。」


車いすに乗ったその人は、里山の声にゆっくりと振り返った。


「初めてお目にかかります。わたしは、田原篤さんからご依頼を受けてこちらに参らせていただいた者で、福祉の相談員をしております里山と申します。」


その人は、驚いた表情で里山を見つめた。


「田原さんは、お元気にしておられます。役場で必要な手続をとり、今は住むところに困るようなことはありませんし、食べるもの、着るものに困ることもなくなりました。膝が少し痛むとの事ですが、お医者さんに診てもらったところ、きちんと養生すればそのうち治ることが分かりました。」


 その人は、言葉が不自由のようであった。何か、言葉を発したいのであろうが、音はうめき声にしか聞こえなかった。右半身が全く動かない様子であったが、効く方の左手をそっと里山の前に差し出した。里山は、その手に触れた。


「息子さんのことは、もう心配要りません。どうぞ、ご安心ください。」


その人の目から涙がこぼれた。口元が、ゆっくり「あ・り・が・と・う」と動いた。


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