第八葉 常識

 里山に差し出された名刺には、課長代理の肩書きがあった。里山は、手の先を田原に向けた。

「あ、・・・・・・、」

課長代理は、慌ててその名刺を田原に渡し、別の名刺を里山に渡した。

「お話は担当の者から聞きました。生活保護の申請となると、書類がたくさんありますが、どうしましょう?」

「はい、できればこの場で作成をさせていただければと思います。」

「そうですか。でも、全部はちょっと無理でしょうかねぇ。いろいろ調べなければならないですから・・・・・・・」

「当方の理解が間違っていなければ、申請に必要なのは申請書のみで、他の収入申告書などは申請時の提出書類ではないと思います。もっとも、ご本人には預貯金も不動産も何もありませんし、現金もいまお手元にあるだけですので、書類の作成自体はさほど苦にならないと思います。」

「なるほど、では、いま書いて出されますか・・・・・・。」

「はい。」

「ところで、まぁ、ここまでお話がきているのでなんですけど、あくまでも確認のためですが、田原さんは、生活保護の申請を希望するということで、よろしいんですね。」


 課長代理は、田原の目をじっと見た。田原は、不安そうに目を泳がせながら頷いた。


「年齢的にはお若いですが、働いて稼ごうというお気持ちはありませんか? その気になれば働き口は見つかると思いますが、どうですか?」

田原は、里山の顔を見た。里山は、にっこりと笑って頷いた。

「僕は、恥ずかしながら、まだ若いですし、働かせてもらえるところがあれば、働きたいと思っています。」

「ほう、・・・・・・。」

「・・・・・・、でも、こんな身なりで、住むところもなくて、今のままではどこも働かせてくれるところはないと思います。だから、僕は、・・・・・・、」

田原は、課長代理の目を見つめた。

「僕は、生活保護を受けたいです。受けて、住むところを見つけて、身なりを整えて、それから仕事を探します。仕事を続けられるようになれば、生活保護を止めます。だから、お願いします!」

「うん、あなたの考えは分かりました。そしたら、たくさんありますけど、順番に名前を書いてください。まずこれから・・・・・・。」


 田原は、神妙な面持ちで書類の説明を聞き、一枚ずつ署名していった。面接室を出たときには、既に閉庁して人影がなく、カウンターをほの暗く染めている夕日がいまにも沈みそうであった。


「本日は書類を提出いただきましたが、いろいろ調べた上で決定となりますので、だいたい四週間ぐらいお待ちいただければと思います。」

「その間は、どうすればよいのでしょうか? 田原さんは、現在住むところがありません。今日これから、もう寝るところがなくて困るのです。なんとかならないでしょうか?」

「そうは言われても、こればっかりはどうすることもできません。今までもそうだったのですから、あとひと月くらい頑張れるでしょう、田原さん、ね?」

「四週間後の決定内容は、どのようにして田原さんに伝えるおつもりですか?」

「それは、その頃に田原さんがうちの窓口に来ていただくことになります。」

里山は、大階段ごしに市庁舎のエントランスホールを見下ろした。

「この広い市庁舎の片隅でも、田原さんに使わせてあげてはもらえないでしょうか。

外はまだ雪が残っています。寒さや雨露をしのげるだけでよいのですが・・・・・・。」

里山が言い終わらないうちに、課長代理は哄笑した。

「里山さん、常識で考えてください。無理に決まっているじゃないですか。」



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