第四葉 里山ケアマネジメント

 里山に割り当てられたのは、木造平屋建ての小さな事務所だった。表玄関には、「里山ケアマネジメント」の銘板が掲げられていた。

「準備がいいな。相談室の中も、必要なものはすべてそろっている。これなら、今日からでもすぐに始められるぞ・・・・・・。」


 里山は、近所の人々の反応にも驚いた。

「あぁ、里山さん居たの・・・・・・。はい、これ。」

隣に住む一人暮らしの老婦人が、買物のついでに回覧板を置いていった。それは、あたかも日々当たり前のように繰り返されてきた営みのように、何の違和感も感じさせないものであった。近所の人々だけではない。仕事上これからお付き合いすることになるであろう人々が、既に旧知の仲であるかのように里山に話しかけてきた。そして、里山の方も、初対面であるはずなのに、彼らが誰で、これまでどのような付き合い方をしてきた事になっているのかを瞬時に理解することができた。

「事務所だけではなく、人間関係までも、すべてはタン師が設定済みということなのか・・・・・・。」

驚嘆する里山の元に、次の来訪者が現れた。

「里山様、・・・・・・。」

「その声は、ぴょこさんですね。」

「はい、今日は私の当番です。」

ぴょことたんとぴょんの三匹は、ヒトガタの顔の役を交代で担当していた。

「里山様、わたくしどもは、タン師の命で里山様とともに参りました。しかし、わたくしどもは生来のうさぎです。そもそも人間の世界のことはよく分かりませんし、ましてやケアマネジメントなるものを手伝えと言われても、何をどうすればよいのか分からないのです。」

「なるほど、みなさんは、そのことをとても不安に思っていたのですね。でも、心配しないでください。人間の世界にも、ケアマネジメントにも、少しずつ慣れていきますから・・・・・・。」

「そうでしょうか・・・・・・。」

「はい、きっと・・・・・・。ところで、みなさんにひとつお願いがあります。」

「なんでしょう?」

「わたしを里山様と呼ぶのは止めてください。人間の世界では、ちょっと不自然です。」

「えっ、そうなのですか?」

「はい、意外に思われるかもしれませんが、人間の世界では、昔のように様という言葉を使うことは、今ではそんなに多くないのです。」

「では、なんとお呼びすればよいのでしょう?」

「そうですね、里山さん、としていただけますか? わたしだけではなく、どの人に対しても、名前の下にさんを付ければ、大きな間違いは起きないと思います。」

「承知いたしました。これからはそのようにいたします。」

「あと、決めなければいけないことが一つあります。」

「はい、なんでしょう?」

「それは、あなたがたの人世の名、ヒトガタを纏っているときの名前です」

「そうでした。名前がなければ不都合ですね。いかがいたしましょう?」

里山は、相談室の窓越しに外の景色を見た。人里とはいえ、山のふもと。春の兆しを感じさせる都会とは異なり、家々の屋根には雪が積もり、道には今朝からの雪の上を轍が二筋走っていた。

「あの冬に、わたしは望月さんと出会い、助けられて今日があります。いまでも、これが本当に自分の身に起きていることなのか、夢ではないかと思うことがあります。」

里山は、向き直ってぴょこの眼を見つめた。

「タン師がわれわれを、うさぎ同士、たぬき同士の組み合わせにしなかったのには、何か意味があるのかもしれません。あなたを見ていると、望月さんの姿と重なります。わたしは、あなたがたが、望月さんと同じうさぎであることをうれしく思います。誇り高きうさぎの正統であるあなたがたにふさわしい名前を、いま思いつきました。」

「それは、どのような名前でしょう?」

「月影、清香です。」

「つきかげ、さやか・・・・・・。」

「はい、あなたがたは今日から、月影清香と名乗ってください。よろしいですか?」

「かしこまりました。これからは、月影清香と名乗ります。」

「では、月影さん、仕事に入る準備は既に整っているようですので、このあたりでお茶にしましょう。上手い具合に、マンデリンの生豆までそろっていました。月影さんは、コーヒーを飲んだことはありますか?」

「いえ、そのようなものを飲んだことはありません。」

「そうですか・・・・・・。じゃぁ、これも人間世界のたしなみの一つとして、覚えてください。それにしても、月影さんは、運がいい。マンデリンの生豆を焙煎するところから、初体験で堪能できるのですから・・・・・・。」


 里山は、フライパンの横に並んで吊り下げてあった豆煎り網をつかむと、楽しそうに豆をあぶり始めた。小さな事務所は、隅々までマンデリンの香りでいっぱいに満たされた。



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