第3章 人類の可能性
人類の秘密
△▽△▽△▽△▽△▽△
テュアリ星系第3惑星〝アセアトラム〟。
「翡翠」の領宙内にある惑星で、恒星系における生命居住可能領域に軌道を置いている。多彩さと多様さに満ちた独特で豊かな自然環境を有しており、人類が入植した惑星の中でもとりわけその美しさで知られていた。
その惑星表面。最も大きな大陸の東端半島部に真新しい建造物が作り出される。宇宙に進出した人類の高度な建築技術の粋を凝らして生み出されたその建造物は、今後の人類史において多大な影響を与えるであろう歴史的事件の舞台として急遽建てられたものだ。
「紅」による「蒼」への侵略と撤退し、数ヶ月が経過した今。
「紅」
「蒼」
「琥珀」
「翡翠」
そして「灰色」―――シグアノン星。
各人類圏の代表者はアセアトラムのコンベンションセンターにて直接、ホログラム映像通信では無く生身で会合を開くことに同意した。
今、アセアトラムの惑星軌道上には、各勢力の宇宙艦がひしめき合い、緊張感で満ち満ちている。これから行われる会議の如何によっては、至近距離で撃ち合うことも容易に想定できるのだから。
だがユアルは、この会議が成功裏に終わると信じていた。
そして手の中にあるデータスティック―――「人類の秘密」の全データが納められたそれ―――を握りしめる。
△▽△▽△▽△▽△▽△
「………さて、人類圏各勢力を代表する我々が「人類の秘密」の公開をテーマに集った訳だが、我ら「紅」の要求は極めて簡潔だ。直ちに「秘密」に関わる全データを引き渡せ。「紅」だけにな」
巨大な円卓が設えられた会議場。
議論、もしくは口論の口火を切ったのは「紅」の代表―――ウィルゾン・ハビング大統領だった。その背後に複数の官僚や学者たちを従え、さも当然と言わんばかりに己の要求を突きつける。
「琥珀」「翡翠」も政治的なトップとその随行者を多数引き連れていた。
「紅」のハビング大統領の言葉に真っ先に反応したのは、「琥珀」のメルセン・ヴォー国家主席。
「この度の会議は「蒼」が入手した「人類の秘密」に関するデータを各勢力が共有するために催されたものだ。「紅」の言動は不適切であり、本来の趣旨に則る「蒼」の行動を期待する」
「何を言うかッ! 「秘密」そのものは人類の存亡にも関わると言われる情報だ! そのようなものを広範囲に………それも貴様ら「琥珀」のような連中に明け渡してなるものか!!」
「情報の独占こそ勢力の均衡を崩す危険極まりない所業だ! 我々には「紅」の軍事的行動に対して速やかに対処できる用意が………」
どうかご冷静に。凛としたその言葉に、「紅」と「琥珀」の首脳は声のした方を見やる。
円卓の一席から立ち上がった少女―――ユアルはハビングとヴォーのそれぞれを見やり、続けた。
「私はこの場において、私が手にした「人類の秘密」に関する全てのデータを公開することをお約束します。ですが、それをそれぞれの国民に公開するかについては、皆さまのご判断に委ねます」
両首脳は沈黙する。ハビングは憮然と、ヴォーは一切の感情を表情に出さずに。
会議場が静まった所で、ユアルは「ジェズネター。会議の進行を」と呼びかける。
それに応えるように、人工音声の言葉がその場にいた全員に降ってきた。
『皆さま、初めまして。私はシグアノンの人工超知性〝ジェズネター〟。ユアル様の委任によりこの場での会議をサポートいたします。私はこれから公開される情報について技術面からのご不明点に回答する用意があり………』
「人工知能を会議に加えるのか!?」
『お言葉ですがハビング閣下。私は人工知能と比して技術的・定義的な面で優越点と相違点があり、〝人工超知性〟としての定義と呼称が最も適切であると………』
「私が欲しいのは「人類の秘密」に関するデータだ! 人工知能の授業など他所でやってくれ! さあ、我々も暇人じゃないんだ。速やかに我らが要求するデータを………」
――――未来の首脳会談にしては酷く会話が低俗だな。
ジェズネターとは異なる音声が会議場に響く。
その時、円卓の中心に一人の男の姿がホログラム映像として映し出された。ラペダ、ユアルがよく知る彼は………
「る、ルーオ博士!?」
『やあユアル君。私は今、ジェズネターのネットワークを介して地球から君たちに話しかけている。「人類の秘密」について解説するのに、私以上の適任者はいないだろうからね』
「き、貴様何者だ!? 何故唐突に現れた!? ここのセキュリティは一体どうなっているんだ!? これは「蒼」と「翡翠」の責任問題だぞッ!」
吠えるハビングに、ルーオは冷ややかな一瞥を投げかけた。
『嘆かわしい。宇宙に進出した人類は、その科学力を進歩させることはできたが………メンタル面や理性においてはやや退化したと評価できるな』
「なんだとッ!?」
『だがそれは必然なのかもしれない。人類が「紅」「蒼」「琥珀」「翡翠」「灰色」に分かたれた時点で、―――人類は種としての進化の可能性を閉ざしてしまったのだから』
会議場は一気にどよめいた。
「ど、どういうことだ!?」
「それが、それが「人類の秘密」なのか………?」
「生物学的観点から言わせてもらえばそのような主張は………」
「証拠を! 科学的なデータを―――!」
各勢力の政治家、学者らが一斉に喚きたてるが、ルーオは軽く手を挙げて彼らを鎮めた。
『―――続けよう。これは、21世紀の〝パーソナリズム運動〟、君たちが各勢力に分かれる原点となった活動が興った当初から主張されていた。君たちが「紅」「蒼」「琥珀」「翡翠」「灰色」に分かたれる以前、人類はあらゆる精神的特性を持った者が入り混じる社会を築き上げていた。そして過去の発明や文化は、精神的特性が異なる者が同一の社会の構成員であったが故に、それを起爆剤や原動力として生み出されていた。生まれ、育ち、性格、複数のバックグラウンドが異なる者が同一の国家・社会の構成員であることで、そこに経済的価値が生まれ、技術的発明、文化創造がなされたのだ』
「つ、つまり異なるバックグラウンドを持つ者同士が一社会の構成員である空間では、活発な経済成長や技術・文化革新が起こりやすい、ということですか?」
「翡翠」の学者の一人がそう問いかける。ルーオは満足そうに頷いた。
『それは地球の歴史そのものが証明している。人類は地球という惑星表面で多様多彩な文化を築き上げ、その接触と相互作用によってより良い社会文明を築く機会を得ていた。それは一人一人が1個社会の枠組みの中でそれぞれに個性を有していたからに他ならない。………だが、個性の異なる者同士が同一の社会圏内で生活することは、尋常ならざる矛盾・暴力・苦痛・紛争を伴うこともあった。だからこそ、君たちの文明の始祖となった人類は社会と個人の安定を求めて〝パーソナリズム運動〟を興したわけだ』
しかしながら………、とルーオは各勢力の代表者それぞれを見回して、続けた。
『それぞれの個性に合った社会へと人類を分割・隔離・再編することによって、確かに人類はある程度の精神的安定を得たようだが―――その代償として君たちの社会や思考は停滞した。「紅」は今日まで「紅」であり続け、「灰色」も「灰色」であり続け変化しなかった。およそ10世紀に渡って! それは進歩と共にあった人類史においてあり得べからざることなのだ。社会と思考の停滞は君たち人類の進化そのものに悪影響を及ぼし、いずれは生物学的に淘汰される危険をはらんでいる。事実、「灰色」は閉鎖的な社会を建設した結果、客観的に見れば人工知能に種として延命治療されているに過ぎない。生命維持装置を付けられた患者のように、理論上は永遠に社会を維持できる可能性が高いが、それ以上の状況の改善は望むべくもない。他の人類も、細かい状況は違えども同様だ。君たちに進化の可能性は………無い!』
「ではどうしろと!? 大昔の地球人のように個性の異なる者同士が共同生活するため、人類の再統一を行えとでもいうのかっ!? それこそ人類社会に混乱と破滅的流血を………」
『前提条件が間違っていたのだよ』
ルーオ博士はハビングの言葉を遮り、微笑した。
『人はそれぞれに個性を持っている。そしてそれは人体の基幹であり変えることはできない。―――だがそれは間違いだった。
諸君、今こそ私は「人類の秘密」を君たちに明かそう。人が持つ〝可能性〟について。
「紅」の強烈な情熱とコミュニケーション能力。
「蒼」の優れた知性と倫理、芸術への愛情。
「琥珀」の中庸性。
「翡翠」の精神的平静と平和主義。
いや、それに留まらないあらゆる人間になれる素因を人類は生まれた当初から全て有しているのだ。人はその一つしか発現できないが、その素因を目覚めさせることによってあらゆる特性を持つ人間になることができのだ』
△▽△▽△▽△▽△▽△
ドータイナ首相に随行する形でアセアトラムの会議場に臨んでいたラペダは、ルーオ博士が「人類の秘密」を公開するにあたっての各勢力代表者の表情を、慎重に見回した。
誰もが驚愕に目を見開き、それぞれの政治家たちは連れてきた学者の意見に耳を傾けている。
シグアノンを代表するラペダもまた、
「………ジェズネター、推論を。指向性通話で頼む」
『はいラペダ様。ルーオ博士の主張はシグアノンにおける人類科学体系では証明不可能なものとなります。ですが地球にて受領した「人類の秘密」に関するデータは科学的整合性があるものと考えられます』
「人類にはあらゆる精神的特性があり、何らかの方法でそれらを発現することができると?」
『ルーオ博士は「人類の秘密」に関するデータの中で、医薬品の投与や対症療法を応用したトレーニング等によってあらゆる精神的特性を獲得可能としています』
ラペダはドータイナをチラリ、と見やる。
彼は他の首脳らと同様に動揺と困惑を露わにしていたが、徐々に異なる表情を見せ、
「―――ジェズネター! 技術的推論を頼む。「人類の秘密」に関するデータを基に我々の社会を、建て直すことは可能なのか?」
『申し訳ございませんがご質問の意図に不明点がありご満足いただける回答ができない場合があります。「人類の秘密」に関するデータを公開し、個々の希望に応じて精神的特性の変換処置を行った場合、インフラの再構築、犯罪の増加、個人のストレス増大による社会不安、経済的混乱の他、多数の混乱発生が予想されます』
「それらを制御することは可能か? 予想される問題に対して先回りして………」
「………首相。それはシグアノン社会の崩壊を意味します。混乱以前に我々はシグアノン人としての意義を喪うことになります」
ラペダの言葉に、ドータイナは異様な情熱に満ちた目を向けた。
「私たちは10世紀にも渡って自分たちの領域に引き籠り続けてきた。それは私たちが他者と交流する能力を有していなかったからだ。………だが「人類の秘密」は私たちをその軛から解放する! 私たちは私たち自身から解放されるんだ」
「シグアノン人全員がそれを望んでいる訳ではありません。今ここで選択を誤れば我々シグアノン人は、祖先が地球で受けた苦しみを再び受け入れなければならなくなります!」
「それを「人類の秘密」によって解決しようと言うのだろう!?」
気づけば、口論は各所で始まっていた。学者同士が、学者と政治家が、政治家同士が「人類の秘密」で自分たちの社会をいかに変化させるかを巡り互いの主張をぶつけ合っている。議論は次第にヒートアップしていき、瞬く間に暴言も含んだ一触即発の状態へと移り変わっていく。
「紅」の席では、ハビング大統領と随行の学者がいきり立って激論を繰り広げていた。
「これは危険な情報だ! 全て破棄し情報漏洩防止を徹底………」
「生物の進化は生命の必然です! それを制御できる好機を失うことは人類全体にとっての多大な損失になりかねませんっ!」
「科学者の好奇心で人類社会を弄り回されてたまるかッ! 社会的混乱による経済損失がどれだけに上ると思ってるんだ――――!?」
「経済活動や文明は人類の生活に付随するものに過ぎません! それが必然的なものであるにしろ生物の進歩に対して到底優越するものでは………」
どうかお静まりください―――。ユアルの透き通った声が波紋のように、各勢力の混乱を瞬く間に鎮静化させてしまった。
彼らは、今度はユアルの方に一斉に視線を集中させる。ユアルは、自身を落ち着かせるように小さく深呼吸した後、口を開く。
「私は、この「人類の秘密」を―――人類が進歩する可能性を、より良い形で用いたいと考えております。そして、この情報の全体図は私の手にあり、速やかに皆さまへと全てを提供する意思はありません。………理由は皆さまがご存知の通りです」
そこで誰もが、つい先刻の自分たちの振る舞いを思い出す。「人類の進歩」を巡り、この場では単なる口論に終わったが、それがそれぞれの社会圏全体に広がれば、致命的な暴力に発展していたことは想像に難くない。
「………ではどうすると言うのだ!? 「秘密」の所有権は自分にあり、公開しないなどと言うために我々を招いた訳ではあるまい。そのような真似は許されないぞッ!」
「それも私が意図するところではありません、ハビング大統領。私たち人類には「秘密」―――精神的進歩の因子が眠っており技術的に覚醒できる状態にあるのです。ですがこれを公開すれば混乱と流血は避けられません。そしてこの「秘密」のデータは到底「蒼」単体で守れるものでもありません。
私が皆さんにお願いしたいことは一つ。この「秘密」を守りつつ、この技術を人類の発展に利用するための援助と共同研究をお願いしたいのです。ルーオ博士より秘密を託された私たち「蒼」に、どうか皆さまのご意見とご助力を」
再びの沈黙。
今度はわずかなざわめきが会議場を覆った。政治家と学者たちは一旦互いの対立を収めて、ユアルの提案について冷静な意見を交わす。
最初に挙手したのは―――「翡翠」を代表する女史ゴルダラ大臣。
「私たち「翡翠」は「蒼」とユアル姫の提案への援助を惜しまないことをここに宣言いたします。友として、そして同じ進化を歩むべき人類の仲間として」
「琥珀」もそれに続く。ヴォー国家主席は立ち上がり、
「我々「琥珀」もその理念に賛同する。細かい援助については事務方同士の作業部会を開こう」
「紅」は、その後もしばらくハビングと学者たちが意見を交わし合っていたが、やがて最終的な意思をまとめたのか、ハビングが立ち上がる。
「………「紅」もその崇高な理念に賛同しよう」
これで、「紅」「琥珀」「翡翠」の協力を取り付けることができた。
残るは「灰色」―――シグアノンを代表するドータイナ首相は、またラペダの方を見やる。
「君は反対するのかね? ラペダ議員」
「当然です。彼らに協力することは我々の独立性と精神的自由を損ないます。既に「紅」は「人類の秘密」への協力姿勢を明確化することで軍事的拡張を停止したことになります。「秘密」に関して我々の利益は既に獲得されました。どうかシグアノン人の生活を守るためにも………他の人類社会と関わることを拒絶してください」
ドータイナは応えず、立ち上がった。残された最後の人類勢力の発言に、一斉に注目が集まる。
彼は一同を見回して、
「………私たちシグアノンは長らく他の人類社会と関係を持つことを拒絶してきた。それは我々の精神的特性に起因するものだ。要は、「紅」「蒼」「琥珀」「翡翠」―――かつて地球で我々を疎外してきた人類の末裔たる者たちと関わることで、祖先たる「灰色の人類」が受けてきた苦痛が再現されることが、酷く恐ろしかったからだ。
だが今日、私たちは自分たちを変えるチャンスを得た。「人類の秘密」という形で。これは我々自身に起因する苦痛から我々を解放し、いずれは人類社会全てに対して復帰する契機となるだろう。その第一歩として、我々シグアノンもまたユアル様の提案に賛同し助力するものとする」
ラペダは、最早その場において何も言わなかった。
ただ、失望を露わにするように肩を落とし、視線もわずかに俯かせると、これ以上の用は無いというかのように会議場の出入口へと向かった。
シグアノンは、これで大きく変わるだろう。シグアノン人にはあらゆる可能性が与えられる。
そしてそれは、ラペダのような変化を望まない保守派にとって、自分たちの世界が不可逆的に失われてしまうことを意味していた。
ふと、無許可で退出する前に振り返ると、ユアルと目が合った。彼女は驚いた様子で、ともすれば引き止めたいかのように片手を差しのべて、それが自分が立つ場所での行動としてあまりに不適切であることを思い出し、慌てて引っ込める。
さよなら、ユアル。
君との地球での冒険は刺激に満ち、いつもとは違う自分を垣間見た気がする。
だけれども、それは俺が望んだことではなかった。
今日から、この世界は変わっていく。俺が大切に守り続けてきた世界も、ドータイナ首相の言葉で大きくヒビが入った。
俺にできるのは、外交議員としての任務を全うしながら、自分たちの聖域が他人の考え方に侵され、変容していく様をただ見守ることだけ。
シグアノンは変わる。俺の、俺のように自分たちの領域に籠り続けていたい者全てを巻き込んで。
ドータイナはラペダの無許可での退出を咎めようとしたが、ラペダはそれに応えず、失望を隠さずにその場を立ち去った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます