3-6

 この日の放課後も、運動部の面々は掛け声を空に響かせながら、日が沈むまで練習に没頭していた。

 着替えを済ませて下駄箱へ向かっていると、居残りで勉強している人や私と同じく部活終わりの生徒と何度かすれ違っていく。どの人も誰かと一緒にいて、仲睦まじそうに談笑をしていた。

 そんな様子を見さされると、自分の隣に誰もいないことが目立ち、そこにいないはずの幼馴染の姿が映し出される。様子の確認も兼ねて連絡をしてみようとスマホを取り出し、陽奈の番号を表示していた。

 今朝の別れ際に、今日はバイト先で業務などの説明があるため彼女も帰るのが遅くなると聞かされていたのだが、幸いにも今日の部活は明日の終業式の為に早めに切り上げられていた。

 ここ最近は私がずっと遅い時間に帰っていたので、タイミングが合えば陽奈と合流できそう。

 そんな期待を胸に意気揚々と通話画面を開き、電話を掛けようとする。




 ——でも、今知らない誰かと話していたら?




 不意によぎった不安に、指を含めた全ての動きが止まってしまう。


 もしかしたら、まだバイト先で説明を受けている途中かもしれない。そんな時に電話を掛けても出られないだろうし、迷惑になる。


 それに、説明が終わっても陽奈が自分のクラスメイト達と一緒にいたら。


 その交友の中に飛び込んでいって邪魔をするわけにもいかないし、そうする勇気もない。何より、あの時みたいに自分以外の誰かと話している光景に、これ以上胸を痛めたくはなかった。


「東堂?」


 そんな憂鬱な気分を晴らすかのように後ろから声をかけられ、俯きがちの顔を上げる。先日も聞いた馴染みある声の方を向くと、綾野先輩が数日前と同じような表情でこちらを窺っていた。

 その顔を見た途端、急いでスマホを仕舞う。覗かれて困るようなことをしていたわけではないけれど、誰にも教えたことのない相手のことを知られるのは気が引けてしまっていた。


「先輩、お疲れ様です」


 何の変哲のない挨拶をして、心配そうな顔にゆっくり微笑み返してみる。自然とこういう表情を作って誤魔化すことに少し慣れをみせていたが、まだ抵抗感が消えたわけではなかった。


「ねぇ、東堂。このあと空いてるなら、ちょっと寄り道して行かない?」


 取り繕う私に以前と同じような言い方で誘い、反応を待っている。この間のこともあったので、思っていることをそれ以上口に出さずにいてくれるのは、先輩なりの気遣いの表れでもあった。

 そんな優しい人を前にしていても、陽奈のことは離れることがなく今もスマホに気が散っている。しかし、通知が鳴ることもなければ震えることも一向になかった。


 今どうしているのか気にはなっているし、出来れば側にいてあげたい。


だけど、こんなにも迷いの多い自分が隣に立っていていいのか、その自信がなくなりつつもあった。


 

 ……急に声掛けたって、迷惑になるよね。



「良いですよ。この間のお礼もさせて欲しいですから」

「大したことなんて何もしてないよ」


 次第に人の足音が小さくなる廊下で、作り笑いをする私はその誘いに応じていた。

謙遜する先輩の隣に立ち、赤く染まったグラウンドを横切って大通りに出てから、商店街への道へと進む。

 数日前よりかは楽しい談笑が続く中、ポケットに仕舞ったままのスマホは未だ沈黙したままだった。





 学校を出てからは特に目的地があったわけではなく、二人で服を見たり一緒にアイスを食べたりしながら商店街で気ままな時間を過ごし、一通り満喫した頃には空に月がぼんやりと浮かんでいた。

 思えば、高校に入学してから陽奈以外の人とこうして放課後を過ごしたのは初めてかもしれない。

 クラスや部内にも親しい人はそこそこいるが、再会してから色んな事が起きた幼馴染がずっと心配で、彼女と過ごす時間を作ることを優先し続けていた。そのこともあって、学校の友達とはあまり一緒にいることはなかった。


「急に誘ったのに、今日はありがとうね」

「こちらこそ。ありがとうございました」


 駅まで見送りに来てくれた先輩は、爽やかに微笑んでお礼を伝えてくれる。一緒に回っている間、先日のことを聞いてくることはなく、仲の良い部活メンバーの一人として接してくれていた。

 触れられるのを恐れて初めは先輩を警戒していたけど、優しい人柄と上級生の落ち着きが次第に緊張を解き、帰り際にもなると表情を作る必要性がなくなっていた。


「それじゃあ、また明日」


 手を振りながら別れの挨拶を告げて、来た道を戻っていく。それを見届けるように手を振り返し、遠くなっていく背中をただ静かに見届けていた。

 並んで歩いている間も、私を気遣って触れないようにしてくれていたが、奥底ではこの間の悩みのことを気にしているみたいで、それは去り際に見えた顔からも窺い知れていた。



 彼女の向ける優しさが、皆と平等なのは分かっている。

 あくまで私は大会メンバーの一人で、これから一丸となって多くの学校と戦わなければいけない時に足並みの揃わない人がいれば、その原因を訊ねたくなるのも想像がつくことだった。

 それなら無理にでも聞き出してしまえばいいのに、先輩はずっと話してくれるのを待っている。それが正しいかまでは分からないけど、一方的な方法を取らずにちゃんと向き合おうとしてくれているのは確かだった。

 その真摯な姿勢が、陽奈と一緒にいる時とは違う温かさを与えてくれて、固くなっている心をゆっくりとほぐしてくれる。



 綾野先輩になら、言っても良いかもしれない。



「あの、先輩!」


 渦巻く思考の中から聞こえた私の声に押されて、去ろうとする先輩を呼び止める。


「どうかした?」


 振り向いて首を傾げる仕草に、邪な考えなどは一切ない。けれど、陽奈のことを話そうとすると、どうしても言葉を選んでしまっていた。


「……私の、友達のことで、ちょっと良いですか?」


 結局、陽奈の名前は出すことはなく、ちぐはぐになりながらも伝えることになった。そんな曖昧な言葉にも、嫌な顔一つせず私の隣にまで引き返してくれていた。

 それから、駅へと伸びる陸橋から離れた人気の少ないベンチに並んで腰を降ろす。日が沈んでいても、市街地のビルの隙間から吹き抜ける風は熱を帯び、生ぬるさを感じさせていた。


「……それで、話って?」


 先輩は私をただ眺めるだけで必要以上に聞いてくることはなく、私をじっと待っている。

 その期待に応えるように、隣に届く声量で答え始めていた。


「最近、友達の性格に変化があって。それは良い方向になんですけど……今まで自分の知らない姿を見るようになって、何だかよく似た違う誰かを見ているような気分になってしまうんです」


 あの時の光景を思い出しながら、感じていたことを一つずつ整理して先輩へと発していく。言い回しが丁寧なわけでもなくテンポも良いとはいえないが、返ってくるのは真剣に聴く眼差しだけで、口出しをされることもなければ大きなリアクションもなかった。


「今の姿も、思い出の中にいる姿にも違いはないし、それで私たちの関係まで変わるとは思ってはないです。けど……その変化を、まだ受け止められていないんです。昔の姿が、なかった事になるような気がして」


 誰かに向けて悩みを言葉にしてみて、ようやくあの痛みのことが少し分かったかもしれない。


 私は、陽奈に昔の事を忘れて欲しくなかった。出会った時のこと、一緒に過ごした日々のこと、そして別れるあの日のこと。その全てが、今の関係を築き上げているのだから。


 だけど、そんな事は今の陽奈には口が裂けても言えるはずがなく、一人この気持ちを抱えていくしかない。

 冷静になってみれば、情けない話だった。あれだけ啖呵を切っておきながら、いざその変化に遭遇すれば戸惑ってしまっている。考えと行動が中途半端になっている自分に、嫌気すら差していた。

 一通りのことを話し終えて、改めて先輩の様子を窺ってみる。その悩みを聞いて、顎に手を当てて色々考えてくれていた。


「その子とは、付き合い長いの?」

「小学校の頃からで……簡単に言ってしまえば親友です」


 先輩からの質問に自分の口でそう言うと、気恥ずかしさのようなものが沸き上がり顔が少し熱くなる。それでも、先輩は変わらず私を見つめていた。


「そっか。それだけ悩むんだから、よっぽど大切なんだね」


 先輩の言葉に、ゆっくりと頷く。それは紛れもない事実だった。

 気づけば、胸の中に溜まっていた感情が薄くなっていて、それに安堵して小さく息を吐く。

 対して、先輩は複雑な心にどう答えるか渋い顔をしながら考えていた。けれど、抱えてみる想いを聞いたことを悔やんでいる様子は、微塵も感じさせなかった。


「……ごめんね。もっと個人的なことか部活のことで悩んでるんだと思ってたけど、東堂の友達のこととなると私からはあまり言えることはないかな」


 唸るほどに考えてくれた末に出てきた答えが、私自身の判断によるものでしかなく大した解決にならないことに深く頭を下げる。


「謝らないでくださいよ。どのみち、私がどうにかしないといけないことですから」


 むしろ、深入りして変に助言されて返ってぎくしゃくするよりよっぽどマシな答えだった。感謝しつつも、この光景は誰かに見られるとややこしい誤解を招きそうなので、すぐに顔を上げるように促す。

 倒した身体を起こして再び対面すると、ずっと見え隠れしていた私を気遣う姿は鳴りを潜めているようだった。


「でも、東堂には悪いけどちょっと羨ましいな。私、周りのこと気にしてばっかりで深く人と関わることが出来なかったから、誰かと特別な関係になったりすることなんてなかったんだ」

「と、特別って。そういう訳じゃ……」

「違うの?」


 明かされた意外な事実と大げさな言い方に戸惑い、やんわりと否定しようとするが屈託のない顔をされると余計に返答に困ってしまい、沈黙以外返すものはなかった。

 特別な関係といわれてしまうと、それは流石に誇張した表現ではある。

 けど、その響きが、今の私たちの間柄を表すには少しだけ府に落ちるような、そんな気がしていた。

 私たちをすり抜ける風に、いつしか熱をなくし優しく髪を撫でていく。一緒に揺られる街路樹の後ろには、夏の夜空が星を煌々と輝かせていた。


「ねぇ、東堂」


 静まり返る繁華街にこだまする声に名前を呼ばれ、改めて向き直る。


「今すぐじゃなくていいから、その気持ちはちゃんと伝えてあげなよ」


 夜風に吹かれながら、先輩は諭すように告げてくれた。


「……色々、聞いてくれてありがとうございます。先輩」


 その助言に素直に頷くが、今抱いている気持ちはすぐには言えないだろうし、記憶にも関わるのですぐには伝えられないだろう。


 それでも、今の陽奈と向き合ってみたい。


 背中をそっと押されて、そう思わせてくれた先輩との時間が今は安心に変わり、その頼もしさにもう少し触れていようと暗闇に沈む街の中、並んで夏空を眺めていた。

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