1-5
四月に入り、街路樹の桜の蕾も大きく花開き、そこに小鳥も集まって絵に描いたような春の訪れを知らせていた。
そんな始まりの季節に、私は洗面台の前で新品の制服を着た自分と睨めっこをしていた。中学の時はセーラーだったのだが、高校からはブレザーになり気持ち的に高校生らしくなったと思っていた自分の姿が、少し不格好に写って見えていた。試着したときはそんな風に思っていなかったけど、本格的にその服装で生活をすると思うと、どうも着せられているという気がしてならない。
少し経てばその姿が様になると前に母が言っていたのだが、そう思えるのはまだ先のようだった。
「明希、そろそろ準備しなさいよ」
台所にいる母の一言に短く返事をし、スマホで時計を確認をすると、入学式の時間まであと二時間を切っていた。差し迫る時間の中、慣れた手つきで自分の髪を整えていく。洗面台に再び向かいあう私の瞳には、いつかの日に教えてもらった三つ編みが今でも小さく結んであった。今の状況だからだろうか、一番に視界に入るそれを見ていると一番に思い出すのは、やっぱり陽奈のことだった。
出会ったのは、小学二年生の時だった。当時の私は、当然ながら今より体のくびれがついていたわけではなく、よくクラスの男の子と一緒に遊んでいたりして、女の子らしさとは縁遠い所にいた。そんな私のいるクラスに陽奈が現れたのは学年が上がってからのことで、最初見た時の印象はまさに『女の子』そのものだった。私より断然柔らかそうな身体の曲線に、艶のある髪、仕草もお淑やかで全てが私と反対だった。
そんな彼女と初めて喋ったのは、クラスに来てから一ヶ月後のこと。下校前の掃除の時間で、私たちは一緒に廊下の掃除をすることになったのだ。
「あの、よろしくお願いします」
「う、うん。よろしく」
たどたどしい挨拶で会釈をしてから、互いに箒を動かす。それ以外の言葉は特に交わすこともなく着々と掃除は進み、後は塵を集めて捨てるだけだった。
「……っ!」
「どうしたの?」
小さく声を上げた陽奈に反応した私は、すぐに駆けつけて様子を窺っていた。
「指を切っちゃって」
見ると、彼女の右の人差し指から溢れる血が小さな点になっていた。持とうとしていたちりとりの端が金具で尖っていて、そこで切ってしまったらしい。
「よかったら、これ」
流石に舐めておけばいいなんてことは言えるはずもなく、私はポケットに入れてある無地の絆創膏を差し出した。
「ありがとうございます」
丁寧に受け取り、それを自分の指に貼り付けていく。その動きはゆったりとしていて、彼女のことを僅かにしか知らない私でも、その差を感じずにはいられなかった。
一通りの処置を終えて、今度はその絆創膏をまじまじと見つめてから私の顔を向ける。
「いつも持っているんですか?」
さっと出してきたのが不思議だったのか、陽奈はそんなことを聞いてきた。普通持っているかと聞かれれば、何とも答えづらいところではあった。
「よく外で遊ぶし、しょっちゅう怪我するから持ってろって、お母さんから渡されるんだ」
同世代の子とこうしてまじまじと話すのが久し振りで、少しだけ照れくさくなって頬を掻きながら笑っていた。
「あの、差し出がましいかもしれないですけど、気をつけた方が良いですよ」
「慣れっこだし大丈夫だよ。それに、あたしって外で遊んでばっかりで藤城さんみたいに女の子っぽくないから、そんなに心配されることもないから」
差し出がましいの言葉に首を傾げながら、私は自身の丈夫さを謳っていた。そのつもりだったのだが、その途中で私の言葉は陽奈の声で遮られていた。
「そんなことないです! 東堂さんだって、立派な女の子です!」
さっきまでの柔らかい物腰から打って変わって強い口調になり、そんな差に私はたじろいでいた。少し遅れて陽奈も私の態度に気づき、慌てて謝罪をして更に続ける。
「ご、ごめんなさい。でも、自分のことそんな風に思わないでください」
「そう言われても……」
今までそういうところに意識を向けたことのなかった私は、想像できない自分の女の子像に頭を悩ませていた。そこに、何か思いついたかのように陽奈の顔が一気に明るくなっていった。
「東堂さん、髪の毛を結ってみませんか」
「髪を?」
「はい。小さくまとめたり、三つ編みにするだけでも可愛くなりますよ」
短くするだけの大して飾り気のない私の髪を見て、少し手を加えるだけでも変わるということを教えてくれたのだが、当時の私はピンとは来ていなかった。
「よければ、私が結ってもいいですか?」
「う〜ん……。別にあたしは」
「そ、そんなこと言わずに!」
この後も陽奈と押し問答を繰り返し、結果的に私が根負けしてしまうことになった。この数日後、私は放課後になってすぐに陽奈に捕まり、即席の美容室に連れて行かれることになった。陽奈は慣れた手つきで髪を結んでいき、あっという間に私の右のもみあげに三つ編みが完成していた。
姿見に写る自分の顔に驚いていると、後ろから陽奈が話しかけてきた。
「東堂さんって、髪を少し結ってあげたらきっと可愛くなるだろうなって初めて見た時から思ってたんです」
「そうだったんだ……」
今までそんなことを言ってくれた友達なんていなくて、このままでいいやと思っていた私に、陽奈は確かな変化をくれた。それに、私のことを女の子として見てくれていたのが、内心嬉しかった。
始めてくれた気持ちは次第に暖かさに変わっていき、それは安心を与えてくれて、もっと話してみたいと思うようになっていた。そして、気づけば私たちは隣にいるようになり、何をするにしても二人一緒が当たり前のようになっていた。
昔のことを思い出していると、当時のやりとりに少し笑いがこみ上げてきて思わずくすっとしてしまう。だが、そんな余韻に浸る間もなく現実が頭の中を埋めていく。
あれから、陽奈のお見舞いには一度も行っていない。遥香さんに頼まれたということもあるけど、何より今の陽奈に会いに行くのに躊躇いがあった。今の彼女に何を聞いても覚えてなくて、この間みたいに首を傾げられてしまうんだろう。何も知らない相手から昔のことを聞かされても、それを疑われるのは無理のないのかもしれない。
じゃあ、向こうが私を知らないのなら、私はどんな顔をして会えばいいの?
親友だと言いながら、今の彼女を直視できない自分が恨めしくて、鏡に写る自分が余計に不格好に見えてくる。
そんな気持ちを振り払おうと、洗面台から離れて手荷物の確認を始める。それでも、私に纏わりつく後悔は付いてきたままだった。
式が終わるまでの時間はあっという間に過ぎて、私たち一年生は帰る時間になっていた。母とは学校で別れ、夕飯までには帰ってくるようにとだけ言われてさっさと自分の用事へと走り去っていた。扱いは雑だけど、深く干渉してこようとしないのが、今は有り難かった。
クラスの人達とも多少の会話はしたが、打ち解けられたわけではなく一定の距離を保ったままだった。時期に慣れると思うし、今までもちょっとずつ友達が増えていたので特に気負ってもいなかった。
皆と別れて時間を持ち余していた私は、あまり来る機会のない隣街の商店街を一人ふらふらと歩いていた。多種多様なお店が軒を連ねる光景はいつ見ても華やかさがあって、代わり映えのしない実家周辺の風景とは大きな差があった。
通りを歩いていると、私と同世代ぐらいの子と何度かすれ違っていた。着ている制服のデザインが違うので、他校の生徒なのは見てすぐに分かった。楽しそうに並んで歩く姿を振り返って目で追いかけていく。そんな様子に、もしもの未来で一緒に歩く光景が描かれていく。
高校はどこに行くんだろう。制服はセーラーかな、ブレザーかな。部活は何をするんだろう。電車だったら、一緒に通えるかな。
募る想いは、空虚になった私の心を埋めてくれることはなく、むしろその痛さがじんわりと広がっていく。そして、虚しさの矛先は私自身に向いていた。
こうなりたくて、今まで待っていたの?
誰かにそう尋ねられて、すぐに返事は出てこなかった。
思い返せば、私はいつも待ってばかりで動こうとしなかった。陽奈と会った時も、別れた時も、その後も。今も動こうと思えばそう出来たのに、こうして何かが変わるのを待ってばっかりだ。
自分が不甲斐ない。
覚えられていないのが怖くて、忘れられるのが怖くて。結局、陽奈からも自分からも逃げてただけじゃないか。そんな私が、陽奈のことを『親友』と呼んでいいの?
待ってるばかりじゃいけない。今度は私から変えなきゃいけない。
そのために、今の私に出来ることって——。
やっぱり、会いたい。
絶えない想いを抱きながら、気付けば私は足の赴くまま歩き始め、商店街を抜け出していた。
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