2-6

 それから数日が経った休日の朝、私は部屋の姿見の前で髪と私服を見比べながら格好を整えていた。鏡に写る私は、自分で言うのも照れくさいくらいに嬉しそうな笑顔を浮かべていた。

 今日は、明希ちゃんと映画に行こうと約束をしている。まだ見たことのない洋画を鑑賞するのも楽しみだけど、久々に二人で遊びに行くことに私の心は踊っていた。



 あの晩以降、昔のことは一旦考えないようにして、昨日今日起きたことを中心に話すようにしていた。記憶はまだ戻ってきそうにはないけれど、もうそのことに焦りはなくなって今までの態度でいる私に明希ちゃんも早瀬さんも安堵の表情を見せてくれていた。

 せめて一緒にいる友達には今の私で向き合えるように、これから頑張っていこう。

 胸に秘めた想いは、私の迷いを掻き消すかのように強く刻まれていた。



 部屋で身支度をしていると、不意に扉をノックされる。駆け寄って開けると、お姉ちゃんが顔を覗かせていた。


「陽奈、そろそろ行くの?」

「明希ちゃんからの連絡がまだなので、もうしばらくは居ますよ」


 あの後、私はお姉ちゃんにもちゃんと謝って、今までの仲の良い姉妹に戻っていた。無理をしていた私が悪いと告げて頭を下げると、もう怒ってないと言われてそれ以上は何も咎められなかった。そうやって許してもらえることに、つくづく自分の周囲の環境の良さを実感していた。


 それに、正直なことを言うと、あの時の表情はしばらく見たくはなかった。


「それなら、今のうちに『君と一緒に』を返してもらってもいいかな。随分前に私が貸してたんだけど、また読みたくなっちゃったから」


 再び本棚に仕舞われたあの漫画の名前が出てきて、目をぱちくりさせる。

 てっきり自分の物だと思い込んでいたけど、よくよく考えてみれば当時の早瀬さんも買うのに苦労していたのだから、私が買えていなくても不思議ではなかった。


「そうだったんだ。ちょっと待っててください」


 部屋に戻ってから隅に仕舞っていた漫画を全部抜き取り、お姉ちゃんに手渡す。一言告げられたお礼を聞き届けると同時に、携帯が甲高い音を鳴らしていた。

 画面を確認すると、明希ちゃんから家の前に着いたとの連絡が入っていた。


「明希ちゃんが来たので、そろそろ行ってきます」


 踵を返して荷物を取ろうとしたところで、お姉ちゃんが突然尋ねてくる。


「……ねぇ、陽奈。今日って、他の友達とも行くの?」

「? いえ、明希ちゃんだけですよ」

「…………そっか」


 急にそんなことを聞いてどうしたのかと様子を窺ってみるけど、私の返事にただ聞き入るようにじっと耳を澄ませていた。その瞳は私を映してはいたが、その奥は——。


「ほら、明希ちゃん待たせてちゃダメよ」


 静かになったと思うと、今度は明るい声を出して固まっていた私の背中をぐいぐい押し、玄関へと向かわせる。



一体、どうしたんでしょう。



 その変わりようを不審に感じながら、お姉ちゃんに催促されて靴を履いていく。


「いってらっしゃい。気を付けてね」


 送り出してくれるお姉ちゃんに振り返ると、そこに先程の姿はもうどこにもなかった。

 ただの思い過ごしだったのかな。

一抹の不安を残しつつも、待たせている明希ちゃんの元へ急ごうと玄関の扉を開ける。


「行ってきます」


 挨拶を交わして外に出ると、明希ちゃんが手を振って待ってくれていた。その隣に駆け寄り、目的の映画館へ走るバス乗り場へと進んでいく。



 今日も、楽しい日になりますように。



 そう願いを掛けながら、私の一日がまた始まりを告げていた。

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