第3話『塗り足し』

3-1

 市街地の風景に彩りを加えるために植えられた街路樹から、アブラゼミがけたたましい鳴き声を上げている。干上がりそうな暑さに必死に抵抗するように叫ぶ声は、日陰で陽奈と合流するのを待つ私にもしっかりと聞こえていた。

 いつも通学で利用している駅にある噴水の近くで涼みながら連絡を待っていると、蝉の合唱に紛れてスマホの通知音が小さく鳴る。ポケットから取り出して確認してみると、SNSアプリに「もうすぐ着くよ!」とだけ書かれたメッセージが届いていた。

 私たちの間柄も時間が経つのと共に大分打ち解けていき、気軽に話せるようにまでなったことを現わすその画面を微笑ましく眺めながら、幼馴染が来るのを気長に待っていた。

 七月に入ってから二週間ほどが経ち、例年よりも早く訪れた夏の日差しは行き交う人の体力を徐々に蝕み、外で立っているだけで汗が噴き出るほどだった。

 遠くに見える地平線もこの暑さで境界が歪み、空と陸が曖昧に混ざり合いながら今も揺らめいている。その歪んだ境界線の奥では、駅を往来する輪郭のぼやけている人が何度も現れたり消えたりをして、まるで異界にでも招かれて行くかのような現象に、不思議と見入っていた。

 その線から一つの人影がゆっくりと近づき、ぼやけた形をはっきりとさせていく。その姿が成長した親友に変わっていくことに気づくのには、時間はかからなかった。


「ごめん、明希ちゃん!」


 肩から鞄を下げて走ってくる陽奈は額に汗をため、全速力で私の傍に駆け寄ってくる。休まずに来たみたいで、息は上がってまともに声も出せず、立っているだけでやっとな状態だった。


「大丈夫?」


 持っていたフェイスタオルと水を差し出すと礼を小さく言ってそれを受け取り、近くのベンチに連れていく。流れる汗を拭いたり、水を一気に飲んだりしながら呼吸を整わせ、身体が落ち着くのを心配しながらしばらく待っていると、小さな口から一息ついてようやく喋れるようになっていた。


「診察が思ったより長引いて、遅れました……」

「それは仕方ないよ」


 遅れてきたことに罪悪感を覚えて頭を下げる陽奈に、気を遣わせないようにそっと笑いかける。その表情に安心したみたいで、少しだけ顔が綻んでいた。

 いつもなら駅に来るのも一緒に行動するのだが、あいにく今日は定期健診の日だったみたいで、病院が終わってから落ち合う約束になっていた。それに加えて、今回はバスでの移動もあるため陽奈は余計に時間に追われてしまい、ここに着くまでの間も遅れることを気にして何度も連絡を送ってくれていた。

 そんな幼馴染だったが噴水近くの時計目をやると、予定していたバスの乗車時間に十分に間に合っていたため、ようやく胸を撫でおろしていた。


「それで、どうだったの?」


 ひと段落着いたところで、今日の診察結果を尋ねてみる。対する陽奈は、特に表情を変えることなく淡々と答えていた。


「大きな問題はなかったので、今後も経過観察していきましょうと言われました」

「それなら良かった」


 今回も異常なしという報告に、私もほっと一息つく。

 記憶をなくして以降、月に一回こうして病院で検査を受けているようで、その結果も大きな変化はなく良好な結果が続いていた。未だ戻る気配がしないのは少し残念ではあるけど、今はこうして何事もなく陽奈と一緒にいられることの方が大事だった。

 緩やかに吹く風が噴水から出る水飛沫の冷たさを運び、肌に触れて少しずつ熱を和らげてくれる。次第に周りの暑さが気にならなくなり、和やかな雰囲気が充満し始めているところに、予定の時刻になりバスが陽炎の中から姿を現わす。送迎用のものであるため、市内を走るものと比べると人は少ないが、それでも社内の両端に至るまで等間隔で人が立つほどには賑わっていた。


「それじゃあ、そろそろ行こうか」


 落ち着きを取り戻した陽奈にそっと手を伸ばすと、ゆっくり触れて握り返してくる。そのまま並んで乗り込み、空いた席に座るのと同時に目的地へと大きなエンジン音を鳴らしながら発車していた。

 夏空の下、大きな身体を揺らしながらゆっくりと走るバスは、再び歪む境界線の中へと進んでいった。

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