3-4

 照り付ける太陽は日を追うごとに強くなり、風物詩ともいえる蝉の大演奏は校内のあらゆるところで披露されると共に、本格的な夏の到来を訴えていた。

 うだるような暑さが続く中、私含め運動部の面々は八月のインターハイを目指して今日も練習に明け暮れていた。

 蒸し風呂のような熱気のこもる体育館内を駆け回り、ボールを奪い取ろうと練習相手の先輩に食らいついて走り続ける。長年バスケで鍛え続けた動きが身体に馴染んでいるおかげで、意識していなくても自然と敵の行動を予測しながら立ち回りつつ追いかけていた。

 今日は七月の最高気温を更新したこともあって、簡単に走るだけでも暑さで体力を消耗し、息も少しずつ上がっていく中での練習は一層激しさを増していく。

 それでも、私の心の中は幼馴染の事でいっぱいだった。



 ここ最近の陽奈は、引っ込み思案だった頃と比べると確実に良くなっている。色んな人と話すようになっているし、この間のお出かけも彼女にとってプラスになっているはずだ。

 高校が違うことや記憶喪失のこともあって、上手くやっていけるのかずっと気にかけていたけれど、想像以上に楽しく学校生活を送っていることは私も嬉しかった。

 でも、その様子を目の当たりにするようになってから、過去の姿との乖離が日に日に強くなっていくばかりで、胸の中のわだかまりは一向に落ち着きそうにない。

 私のことをないがしろにしている訳ではないし、何かしらある度に連絡を取り合っているから、完全に変わってしまっているわけではないのは分かっていた。


 記憶を無くした時だって受け入れられたんだから、この変化にだってきっとすぐに慣れる。


 そう自分に言い聞かせているのに、今の姿のまま何処か遠い所に行ってしまいそうな、新しい不安が絶えず頭にこびりついて離れない。

 望んでいたことのはずなのに、それが実際に叶ってしまうと今度はやり場のない気持ちだけが私の中で燻り続けていた。



「……東堂、こっち!」


 ぼんやりと考え事をする中、同じチームの先輩の声で我に返り、周囲の景色がはっきりとする。無意識で動いていたせいで相手に囲まれていたことに全く気づかず、チームメイトからも一人遠ざかってしまっていた。慌てて先輩の位置を確認して送球をするが、あっさりと妨害されてしまい相手側にボールが渡ってしまう。


「大丈夫! 行ける!」


 呼び戻してくれた先輩が大声で明るく励まし、私含めたメンバー全員で追いかけていくけれど、状況は好転する兆しを見せず私たちのチームの掛け声だけが虚しく響いていた。





 暑苦しかった体育館も日が完全に落ちると涼しさが漂うようになり、汗を拭ったばかりの私の身体には肌寒ささえ感じていた。

 先輩に呼び戻されてからというもの、失敗を補おうと集中しようとするがそれが余計に動きを鈍らせてしまい、結局練習試合は負けてしまうという結果になってしまった。

 大会も近づいているのにこの調子では皆に迷惑がかかると思い、終わった後もこうして一人残って練習をしていたが、散漫な手中力ではあまり捗るはずもなかった。

 落胆の息が情けない声と共に流れる。大きくついた訳ではないのに、その音を拾われ館内に大きく広がってしまっていた。


「お疲れ」


 屋内に残る重くなった空気を裂くように、暗がりの奥からあの時と同じ声が響く。


「……綾野先輩?」


 出入り口で待ってくれていた二年の綾野先輩の元に駆け寄る。後ろで結んである髪が風に少し揺られ、私たちの間に夏の夜風が吹き抜けていた。


「どうしたんですか、急に」

「ちょっと話がしたくて。今から少しだけ時間良いかな?」


 私を見る瞳は真っ直ぐだけど、怒りのような感情を顕わにしているわけではなくむしろ優しく接しようとしてくれている。しかし、同じチームだった後輩に何を言おうとしているのか、心当たりがないわけではなかった。


「そんなに怯えなくても、怒るために待ってた訳じゃないよ」


 警戒する私に笑ってくれるけれど予想が付いてしまうだけに気が気でならず、相槌を打つのが精一杯だったが、それを断れる理由もなかった。

 幸いにも、部活で遅くなるから先に帰っていてと陽奈には伝えていたので、静かに頷いて先輩の後をのろのろとついていく。校門をくぐり、暗くなった通学路を進んでいくが、その間会話らしいやり取りはなく、十五分程度歩いたところにある大通りの一角にある喫茶店に案内されていた。

 最近出来たチェーン店の一つだが、ガラス張りで外から見ても分かる木造の室内が落ち着いた雰囲気が静かに話をするにはうってつけの場所だった。

 中に入ると、私たち以外の学生も何人かいて、皆一様に読書や勉強をしていた。そんな場所に、運動部の女子二人が入っていくのはいささか場違いのような気もしたが、先輩は気にすることなく奥の席を選んで腰かけている。


「それで、話ってなんですか」


 向かい側に座り、各自注文を終えたところでこちらから尋ねてみる。長く待たされるのがじれったい気持ちもあって先に聞いてみたが、すぐには切り出さずにいた。


「……じゃあ、率直に聞くけど最近調子悪いの? 先週ぐらいから考え事してることが多いし、今日だって普段ならしないようなパスミスしてたから、悩みでもあるのかなと思って」


 しばらく私の様子を窺ってから話し始めていたが、予想していたこととは違う質問を投げかけられて少し目を丸くしていた。

 しかし、いざそのことを聞かれるとどう応えたらいいのか困ってしまっていた。

 話が終わったタイミングで運ばれてきたアイスカフェオレを一口飲んで、返事を待っている。その余裕ある態度が、余計に私の気持ちを急かしていた。

 綾野先輩には、学校の勉強や市街地のおすすめのお店など、色んな事を教えてくれたりして私たち後輩の面倒を何かと見てくれている。部活内でも、滅多なことがない限り怒ったりすることなく優しく接してくれるため皆からの評判は良く、上級生として模範的な人柄をしていた。

 そんな人が相手だから、きっと個人の悩みを言っても嫌がることなく聞いてくれるとは思う。


 でも、彼女に陽奈のことを言うかどうか、まだ迷いがあった。


 実のところ、私は学校内で陽奈のことをまだ誰にも話したことがない。別に秘密にしておく理由があるわけではないけど、私たちの間に誰かが入ってくると思うとその中で上手く関係が続いていくかどうか不安に感じてしまい、なかなか言い出せずにいた。


「言いにくかったら、無理しなくていいよ」


 先輩の優しい言葉が、胸に突き刺さる。

 本人には何か企みがあるわけではなく、むしろ善意でこうして話す機会を作ってくれている。そのことには感謝しているし、そういう先輩だっていうのも知っていた。

 だから、仮に陽奈のことを話したとしても、綾野先輩となら私たちと円満に接することが出来ると思っている。


 でも、それが一人また一人と増えて、皆を取り繕うあまりに距離が空いてしまったら。



 ——それが原因で、また陽奈と離れてしまったら。



 考えすぎだと分かっていても、一度別れて出来てしまった空白は今でも私の中に巣くっていて、他の人に埋められるほど単純なものではなかった。


「……ありがとうございます。でも、最近ちょっと不調なだけなので、大会までにはなんとか戻してみせます」


 自分なりに作り上げた笑顔で、そう答える。物言いたげな顔をする先輩をよそに、わざとらしいぐらいに雑談を始めて話題を逸らしていく。

 先輩の善意に、こんな形で応えてしまうことが申し訳ないけれど、やっと取り戻せれた関係に今は水を差してほしくはなかった。



 小さい頃から私を一人の女の子として、一人の『東堂明希』として見てくれたのは陽奈だけで、例え向こうが覚えていなくてもたくさんの思い出を分かち合った幼馴染を、ただの友達の一人として扱うことなんて出来ないから。

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