心、揺らめいて

さぬかいと

第1話『欠けた想い』

1-1

 肌を刺すような寒さの冬が終わると、柔らかい日差しが降りそそぎ、眠っていた草花たちが春へ向けての準備を始める。外が暖かくなってくると、周りが明るくなって気持ちも穏やかになるから、私はこの季節が好きだ。

 でも、そんな季節に移る前に通過儀礼のように別れを告げる言葉が、年齢や場所に関係なく何処からともなく聞こえてくる。


 また会おうね。


 元気でね。


 忘れないよ。


 それを言ったり言われたりすることは何度もあったけど、未だにこの時期に感じる寂しさに慣れてはなかった。


「卒業式長かった〜」

「途中寝てたでしょ」


 式の間、ずっと目の前で船を漕いでいたそのクラスメイトは、眼鏡を人差し指で直して明るい声で私にごめんと謝っていた。その態度からは申し訳なさなんて見受けられないけど、中学三年間を一緒に過ごしてきた友達とまだこんな他愛のない会話をしているのが少しだけ虚しい気持ちを忘れさせてくれる。

 一年生の時に席が隣になってから何となく気が合うようになって、一緒に遊びに行ったりもした。特別仲が良かったわけではなかったけど、一緒に送ってきた学校生活を共有できるぐらいには友達として楽しく過ごしていた。

 そんな彼女とも、今日でひとまずのお別れになる。泣き叫ぶほどに辛くはないし、同じ街に住んでいる子が集まっているのだからどうせ何処かで会うと分かっていても、胸に空いた穴はそう簡単には塞がってくれそうにはなかった。

 そんな気持ちを抱いて廊下を並んで歩いていると、私たちと同じ何人かの卒業生が教室の前で先生や後輩と別れを惜しみ、一様に目に涙を浮かべていていた。

 初めてのことではないとはいえ、涙が出ない私ってちょっと冷たいのかな。

 脳裏によぎる一抹の不安を感じながら、生徒たちで混み合う校舎の中を潜り抜け、下駄箱のところに着いてからクラスメイト、凛が口を開く。


「高校入っても、明希はバスケ続けるの?」

「一応そのつもり」

「小学校からずっとだよね。よく続くなぁ」


 凛は感心していたけど、ずっと続けてきたことを高校生になっても続けるだけで、前よりは上手くプレー出来るように意識するだけで、それが凄いとかは特に思ってはいない。何時まで続けるのかはわからないけど、少なくとも高校にいる間はやってると思う。

 そんな変わらない毎日を、これからも過ごしていく。この街にいる限り、きっとそうなのだろう。

 何とも卒業式らしくない気持ちを抱いたまま、私たちは校門を潜り、通学路を歩いていく。その間、私と凛は中学校での出来事を思い返していた。学校での授業や部活のこと、修学旅行のこと、受験のこと。意外と話題が多くて、そのことに笑ったり懐かしんだりして、ころころ表情を変えながら二人で盛り上がっていた。

 そして、気がつけば私たちがいつも別れる交差点に差し掛かっていた。


「じゃあ、あたしはこの辺で。またね、明希」


 横断歩道を渡る前に、凛は私の方を向いて今まで話してきた口調で別れの挨拶をすると、軽やかな足取りで横断歩道を渡っていた。

 高校からは、凛とは違う学校に通うことになるので、一緒に下校するのはこれが最後になる。そう思うとやっぱり寂しくはなるけど、同じ街に住んでいるからすぐに会える。近い距離でいるから、凛もいつもと同じように別れの挨拶をしてくれたのだろう。そんなさっぱりとした性格が彼女の長所の一つだった。


「またね、凛」


 聴こえるように大声で返すと、腕を掲げて手を振りながらまた歩き始めていた。その後ろ姿を見届けて、卒業証書の入った筒を片手に私も家に向かって歩き始めた。





 両脇を田んぼと家が点々と建ち、その間を舗装された細道で通されていると私の地元がやっぱり田舎で何もないなと改めて実感してしまう。かといって、ここを離れて遠い所で一人で生活できるかと聞かれると、即答ができない。そもそも、イメージすらも沸いてはいないし何年先の話かも分からない。見えない先のことを考えるのは少し苦手だ。

 そこへ、小さな子供たち元気よく走っていき、すれ違いざまに声を掛けられたので短く返してその背中を見送っていく。

 私も昔はあんな風に走り回っていたな。

 田舎の風景は、人を思い出に浸らさせる効果でもあるんだろうか。私の頭の中に、ふと昔見た景色が蘇っていく。隣を駆け抜けていった子ほど速くはないけど、小さい頃は家や学校をよく落ち着きなく歩き回って小さな発見を探していた。その隣には、凛とは違う友達がいて、どちらかというと私の歩く速度はその子に合わせていた。

 私より小さくて大人しく、安心して一緒にいられる子で、どんな時も一緒にいるほど特別仲が良かった。そして——私が一番別れるのを拒んだ友達でもあった。



 その子との別れが訪れたのは何でもない普通の日で、それこそ突然だった。

 急に引っ越すと言われたその言葉が信じられなくて、最初は嘘だと思っていた。でも、どう言っても彼女の言葉は変わらず、その日の晩は自分のベッドでずっと泣いていた。

 それから引っ越すまでの間、会話をするのですらままならなくなり、ちぐはぐな言葉しか出てこなかった。

 そして、引っ越しをする当日。泣いていた彼女の声はかすれ、私の胸元にしがみついて離れるのを嫌がっていた。その姿につられて私も泣きそうになっていたが、それをこらえて指切りをしようと私は小指を差し出した。そして、再会を誓う言葉を交わして彼女はこの地を去っていった。



 絶対に、また会おうね。



 引っ越しの日に交わした約束は、今でもずっと覚えている。

 また会えると信じながらも、未だに来ない連絡を待ち続けているのがもどかしくなっていく。遠くに行ってしまったその子に会いに行こうにも、お金も時間もかかってしまうほどに離れてしまっていた。

 今頃、どうしてるんだろう。何時、会えるのかな……。

 感傷的になっている私のことなんてお構いなしに時間は過ぎていき、既に周囲は茜色に染まろうとしていた。

 止まることを知らない時間の中を巡り続け、過ぎていった思い出を懐かしみながら、私は五度目の春を迎えようとしていた。

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