15話 コンプレックス

「彼女とは別れたよ」

 そう呟くのは私こと三浦加奈。

「どうして?」

 今、交際中の山宮剛輝が訊いてきた。

「あいつ、浮気しやがった」

「そうなんだ」

 と、彼は驚いた顔つきで言う。

「また別の彼女を見付けるよ」

 剛輝は黙っている。何故だろう。

「僕だけじゃだめなの?」

 子犬が鳴くような目でこちらをみている。

「そんな目で見ないで。当分の間は剛輝だけだよ」

「当分の間?」

「うん、だって彼女も欲しいもん」


 今日、あたしの仕事は休み。なので、山宮剛輝とデート中。外は生憎の雨模様。昼食を摂るのに中華料理店にいる。剛輝は中華丼を頼み、あたしはエビチリを注文した。ここのお店は初めて来た。外観は黒塗りの壁で三角屋根。屋根も黒い。内装は、白い壁で入口からみて左側のカウンターに椅子が10個くらい並んでいてお客さんが4人、間隔を空けて座っている。カウンターのお客はおじさんや若者がいる。入口からみて右側があたし達が座っている小上がりが4つある。


 剛輝の顔色が悪い。調子が優れないのかな。声を掛けてみた。

「剛輝。調子悪いの?」

「よく分かったね。幻聴が聞こえてて……」

 彼の表情は暗い。心配。あまり無理させたくないので、

「ご飯食べたら帰る?」

「……帰って休みたいけど、加奈とも一緒にいたい」

 なんて嬉しいことを言ってくれる。あたしはテンションが上がり、

「じゃあ、あたしの家で休む?」

「いいの? いいなら休ませてもらいたい」

 私はつい、にやけてしまった。

「もちろん! いいに決まってるじゃない。大事な彼氏なんだから」

「ありがとう」

 と、剛輝は礼を言った。


 その時ーー

 お店の玄関が空いた。入って来たのは事務長の小林健(こばやし たける)さんだった。あたしがいることはすぐには見付けられなかったようで、こちらを見ずにカウンター席に座った。あたしは小上がりから降りて、

「事務長。お疲れ様です」

 と、声を掛けた。するとこちらに向き、

「おお、三浦さん。お疲れ。一人で来たのか?」

 あたしは躊躇うことなく、

「友達と一緒です」

 事務長は剛輝を見ることなく、

「そうかそうか。今日は休みか?」

「はい、休みです」

 すると、事務長は笑顔を見せ、

「そうか。友達と遊ぶのもいいが、ちゃんと休むんだぞ」

「はい、わかりました。ありがとうございます」

 そう言った後、あたしは剛輝のいる小上がりに戻った。彼は、

「事務長って言ってたけど、上司なの?」

「そうだよ、気になる?」

 剛輝は何やら考えている様子で、

「まあ、職員と患者が一緒にいるからね。気にはなるよ」

 あたしは、

「そんなに気にすることないよ、同じ人間なんだから。食事くらいするでしょ」と、言ったが剛輝の言い分はこうだ。

「同じ人間とは思えないよ」

「どうして?」

「だって、障害者と健常者だし。男と女でもあるわけだから」

 私は、うーん確かに、と思ったけれどこれは認めるわけにはいかない。ここで認めたら違う人間になってしまうから。

「男と女の違いはあるにせよ、障害の有無は関係ないと思う」

 剛輝は腑に落ちない様子。もしかして彼は障害を持っていることを極度に気にしているのかな。そのことを伝えると、

「そりゃそうだよ。コンプレックスに決まってるじゃん」

 コンプレックス。そう言われると返す言葉がない。あたしが黙っていると、

「やっぱ、そう思うでしょ?」

「まあ、コンプレックスは誰にでもあるけどね」

 今度は剛輝が黙る番。

 コンプレックスに代わる言葉はないのかな。うーん、よく考えてみたら、

「引け目」

 という言葉が思い浮かんだ。

 剛輝はどうしてそんなに引け目を感じるのだろう? 少しずつ病気は快方に向かっているというのに。まあ、現代の医学では完治しない「統合失調症」という心の病。それ故に引け目を強く感じるのかな。あまり、病気の話はしたくないからこれ以上は深く話さないつもりだけれど。暗くなるから。


 あたしは剛輝を支えていきたい。病んでる時も、そうじゃない時も。そうか! 支える、という言葉が同じ人間じゃないということなのだろうか。だとしたら支えるのではなくて、対等な立場でいたいと思う方がいいのか。そういうことなんだ。あたしはそこに思い至った。


 その時、

「お待たせしました、中華丼とエビチリです」

 あたしと剛輝の前にそれぞれ料理が置かれていく。

「美味しそう!」

「うん」

 彼は頷いただけだった。あまり食べたくないのかな。でも、それには触れず、

「いただきまーす!」

 と、あえて元気よく言った。剛輝にも元気を出して欲しいから。

「いただきます」

 彼は淡々と言い、食べ始めた。

「美味しい?」

 あたしが訊くと、

「うん、旨い」

 と、答えた。よかったー。何も感じないと言われたらどうしようかと思った。少しずつ、少しずつでいいから前を向いて剛輝には生きて欲しい。あたしも同じように前を向いて生きるから。あたしは強くそう思った。

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