25話 嘘も方便
僕は看護師の三浦加奈、24歳、のことが徐々に好きになってきた。最初は加奈の方からアプローチがあった。それからも加奈からの連絡は続いた。この子、僕達の関係性を考えているのだろうか。病院でも構わず内緒話をするように耳元で囁く。でも、吐息がかかって気持ちいい。
職員と患者の関係。この先どうなっていくのだろう。今は交際中で仲良くさせてもらっているけれど、フラれるような気がする。わからないけれど。
それにしても付き合い始めで僕に恋愛感情があまりなかったというのも問題有りだろう。まあ、でも今は恋愛感情はあるからいいけれど。
今、僕は自宅の自室にいる。加奈と体をまじ合わせる日はくるのだろうか。彼女は結構、性欲が強そうだ。僕こと山宮剛輝は26歳だが、病気のせいなのかあまり性欲が湧かない。これで、恋人として続けられるのだろうか。
やはり、交際しているのだから、セックスはつきものだろう。加奈の豊満なボディを目の前にすればきっと何とかなるだろう。べつに、それをしたくない訳じゃないから。その時がきたらちゃんと歯磨きをし、身体も洗おう。汚い体じゃ嫌われるに違いない。
普段、僕はあまりシャワーを浴びたり、歯を磨いたりしない。理由は面倒くさいから。それは既に日常化している。今からでもお風呂に入ったり、歯磨きを習慣にしないと。せっかく彼女ができたのだから。臭い息でおしゃべりはまずいだろう。セックスをするにしても然り。
夜7時過ぎ。スマホが鳴った。LINEだ。相手は三浦加奈からだ。本文は、
<こんばんは! 剛輝。今夜会える?>
と、いうもの。僕はすぐに返事を打った。
<もちろん! 何時ころ?>
考えているのか、返信はすぐには来なかった。約30分後の7時30分過ぎ。
<8時頃、あたしの家においでよ。むかえに行くから>
僕はシャワーを浴びたり歯磨きする時間が欲しかったので、
<8時半は? 支度したいから>
返信はすぐにきた。
<それでもいいよ。あたし、明日は休みだからゆっくりできるから>
そうなんだ、と思い、
<僕の家の近くにあるコンビニで待ち合わせしない?>
<それでもいいよ>
<じゃあ、後ほどね>
それから僕は下着を持って浴室に向かった。今は4月。とはいえ、北海道の春はまだ寒い。なので、シャワーは熱めの温度に設定して浴びた。体も洗い、洗髪もした。久しぶりだ。
上がってから母に、
「あら、シャワー浴びるの珍しいじゃない」
と、言われたので、
「うん。遊びに行ってくるから」
そう答えると、
「誰さ?」
と、訊かれた。
「母さんの知らない人だよ」
「男? 女?」
いやな質問だ。なので嘘をついた。
「男だよ」
「なんだ。あんたにも春がやって来たかと思ったのに」
母はニヤけながら言った。いやらしい表情だ。
「そんなんじゃないってば!」
面倒になってきたので更に嘘をついた。強い口調で。すると、
「そんなに怒らなくてもいいじゃない」
僕は嘘をついているのでこれ以上言うのはやめた。罪悪感がある。母に対しても悪いし。でも、本当のことを言う気はない。言う必要性が無いと思っているから。どうなるか先のことはわからないが、多分、フラれるだろう。こんな僕だから。それか、加奈はバイセクシャルだから彼女を作るかもしれないし。どちらにせよ想像ではあまりいい方向には向かない気がする。いつものネガティブさが発揮されている。困ったものだ。自分の思考回路が嫌になる。
今の時刻は夜8時30分前。そろそろ待ち合わせのコンビニに向かうか。支度は既にできている。まだ、朝夕は寒いので黄色い長袖のTシャツの上にもう一枚シャツを羽織った。下は茶色のカーゴパンツをはいた。最近服やズボンを買っていない。買うお金もないし、欲しいともあまり思わない。病気になって欲が無くなった。それと、忘れっぽいし思い出せなくなった。何故だろう。病気のせいなのか、それとも薬の副作用のせいか。主治医に相談してみようかな。
家を出て、歩いて約10分くらいのところにあるコンビニについた。加奈の赤い軽自動車はまだ無いので来ていないようだ。歩いて来たので少しは身体が温かくなったが、待ってる間に冷えてきた。少し寒い。早く加奈来ないかな。取り敢えず、店の中に入ろう。その時だ。スマホが鳴った。歩きながらポケットからそれを取り出した。加奈からだ。
「もしもし」
『あ、剛輝。ごめん、ちょっと遅れそう』
加奈の声は申し訳なさそうだ。
「どうしたの?」
『母から連絡あって、具合い悪いって言うのよ。だから病院に連れて行かなきゃならなくなって。もう、コンビニにいるの?』
そういう事情じゃ仕方ないと思いながら、
「いるよ。でも、お母さんを優先させて。僕と会うのはまた今度でもいいから」
残念だ……と思ったがここでキレても加奈が可哀相だから、それはやめておこう。こういう場合は、仕方ないとしか言いようがない。
『本当はあたし、剛輝と会いたいのよ。でも、親も放っておけないし……。この辛い気持ちわかってくれる?』
僕は正直、加奈の気持ちがわからなかった。僕に会いたい気持ちはわかる。でも、会えない辛さや、親が具合い悪くて辛いというのはわからない。僕の母は現在50歳でバリバリ働いているし。加奈の母親のことは訊いたことは無いけれど、もしかしたら体が弱いのかもしれない。訊きにくいから言ってないけれど。
でも、僕は嘘をついた。
「加奈の気持ちはわかるよ。大変だろうだけれど頑張ってね!」
『ありがとう! 頑張る!』
僕は思う。嘘も方便だと。いい嘘ならついてもいいし、悪い嘘はついてはいけない。
言ってから電話を切った。
帰りがとても寂しい。加奈に会った後に帰るならまだしも、そうじゃないから。
でも、このまま帰宅すると親に、何してきた? と突っ込まれそうなのでどこかで時間を潰してから帰ろう。どこに行こうかな。ファーストフード店にでも行こうかな。
少し調子が下降してきた。こんなことがあった後だからか。本当に僕はメンタルが弱い、自分でも情けなくなってくる。こんなに調子に波があってこれから先どうなるのだろう、不安だ。親が元気な内に僕も元気になりたい。僕は今26歳で、父親は52歳、母親は50歳だからまだ30年くらいは生きてくれるだろう、多分。いつまでも両親に甘える訳にはいかない。今すぐに自立は無理だけど。
少し歩いてファーストフード店に着いた。今は夜9時頃。学生はほとんどおらず、社会人が多いように見える。僕は、ブレンドコーヒーのホットとチーズバーガーを注文した。カウンターの近くの席に座り、商品を持って来てくれるのを待った。
少ししてから店員が商品を持って来てくれた。温かくて美味しそう。僕は早速ホットのブレンドコーヒーを一口飲んだ。苦味と甘みが程よくブレンドされていて美味しい。チーズバーガーもチーズがとろけていて舌ざわりも良くなかなか旨い。お腹が空いているからこんなに美味しく感じるのかな。普段はあまりファーストフード店には入らないから知らなかったけれどこんなに美味しいだなんて。
僕はスマホをズボンのポケットから取り出して、ツイッターを開いた。ネット上での知り合いがいて、普段やり取りをしているその友人にメールを送った。
<裕二さん、こんばんは。お久しぶりです。話を聞いて欲しいのですが今、やり取りできますか?>
返事が来るまで他の人の呟きを見ていることにした。裕二という名前は本名なのか、偽名なのかはわからない。訊いたこともないし。でも、僕は本名の剛輝と名乗っている。
ツイッターには様々な情報が飛び交っている。僕は読書が好きなので主に本をテーマにした呟きが多い。プロの作家の新刊発売の呟きとか、読書をした感想を呟いたりしているのを見かける。へー、と思いながら読み進めている内に、裕二さんから返信メールがきた。
<大丈夫だよ。どうした?>
僕はすぐに返事を書いた。
<最近、調子が悪くて困っています。少しでも良くなりたくて病院に通っているのですがなかなか思うように良くなりません。ちなみに病名は統合失調症です>
待っていたかのように返事はすぐにきた。
<そうだったのか! そいつは知らなかった。何で今まで言わなかった?>
僕もすぐに返した。
<それは偏見や差別を受けるのが怖かったし、訊かれていないのに言うのもどうかと思って>
少し経ってから、
<おいおい! 俺が剛輝を差別や偏見の目で見ると思うか? そんな訳ないだろ。長い付き合いじゃないか>
その文面を見て、有難いと思った。なので、
<ありがとうございます!>
と、返事を送った。とりあえず話が出来たのでOKだ。
ファーストフード店に来てから約1時間が経過する。現在、21時半過ぎだ。加奈のお母さんは大丈夫だろうか。LINEをしてみよう。
<加奈、お母さん大丈夫?>
そう送ると電話がかかってきた。
「もしもし」
電話をかけてきたけど、どうしたのだろう。何かあったのか。
『剛輝、お母さん緊急入院になった。重度の肺炎らしくて……。確かに咳は酷いけどね。不安で不安で電話しちゃった。今、どこにいる?』
加奈の声は若干震えている。
「今、ファーストフード店にいるよ。ホットコーヒーとハンバーガー食べてた」
『あたし、もう少ししたら帰るから少しでも会えない?』
僕はそのLINEを見て嬉しくなり、
「うん、いいよ! 会おう。待ち合わせたコンビニから10分くらいのところにあるファーストフード店にいるから」
『わかったー』
やったー、と思いつつもあまり嬉しい気持ちが湧いてこない。理由は持病の統合失調症の症状で感情鈍麻というのがある。これは、感情はあるのだけれど、動きが鈍くあまり表に出にくいもの。だからだと思う。でも、いくら病気のせいだと言っても加奈に申し訳ない。気持ちが湧いてこない、ということは取り敢えず言わないでおこう。いくら病気に理解があると言っても、彼氏に、彼女と会えるようになって嬉しいと思うけれど、あまり表に出て来ないと言われたら何て思うだろう。きっと、ショックを受けるに違いない。
幻聴も聞こえるという話を今日加奈にしてみようかな。暗い話だからしないほうがいいのかな。わからない。彼女なら、しかも看護師なら僕の負の部分も共有したいと思わないだろうか。もし、共有したいというなら話そうと思うのだけれど。試しに病気の話してみようかな。彼女の反応をみて話すかどうか決めるか。
電話がきてから約15分が経過して、再び僕のスマホが鳴った。相手は加奈からだ。
「もしもし」
『着いたよ』
「何か飲む?」
『うーん、アイスコーヒー頼んでいい?』
「いいよ」
そう言って電話を切り、僕はカウンターに再度向かった。
注文したアイスコーヒーのMを店員から受け取り、会計を済ませた。
駐車場に行ってみると加奈の赤い軽自動車が店のすぐ近くに停まっていた。彼女は僕と目が合い笑みを浮かべた。僕は照れくさくなって目を伏せた。
僕は加奈のアイスコーヒーと自分の鞄を持ち、彼女の車に乗った。
「はい、アイスコーヒー。Mで良かった?」
加奈は笑顔で、
「うん! いいよ。ありがとう!」
僕は気になっていることを訊いた。
「お母さん、大丈夫?」
「……多分ね。まあ、死ぬことはないと思う」
加奈は悲しそうな顏をしている。心配だ。僕の視線に気づいたのか、こちらを見た。
「加奈、大丈夫?」
僕は彼女を見て凄く心配になってきた。
「何とかね。お母さんのことは心配だけれど、お医者さんに任せるしかない。明日、面会に行ってみる」
「僕も面会に行きたいけれど、今じゃない方がいいよね」
「そうね。お母さんが元気な時に」
「まあ、どのみち親に会うのはまだ早いか」
「確かに」
加奈は苦笑いを浮かべた。
「あたしの家に行こう?」
運転席に座っている加奈から優しい、いい匂いがしてくる。柔軟剤の匂いかな。それとも香水のそれか。
「うん、加奈の家に行きたい」
彼女は笑顔を浮かべて、
「よし、行こう!」
と、行ってから発車した。
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