第九話 南中央広場
宴の月の第十、水氷の日。
つまり黒装束の女と一戦を交えた翌日、ピペタ・ピペトは、いつも通り三人の部下を従えて、街の見回りをしていた。
「天気の良い日は、広場の噴水が、美しく映えますね」
「ああ、そうだな」
ラヴィの言葉に適当に頷いてから、ピペタは、そちらに視線を向ける。
ちょうど今、彼らは、南中央広場と呼ばれる場所に差し掛かるところだった。ここは噴水を中心とした広場であり、待ち合わせの目印にも適しているということで、いつも人で賑わっている。人が多ければ、それを目当てにする商人も現れるのが道理であり、多くの露店も出ていた。
「ああ、騎士様! いつもご苦労様です!」
早速、顔なじみの露天商が声をかけてくる。
「元気そうだな。問題は何もないな?」
「はい、おかげさまで!」
そうやって軽く言葉を交わしながら、ピペタたちは広場を進む。
今でこそ『言葉を交わす』だけだが、ピペタが地方都市サウザに赴任してきたばかりの頃は、少し事情も異なっていた。彼が街に見回りに出ると、こっそり金品を差し出そうとする商人がたくさんいたのだ。その度に、
「いや、結構。私は、賄賂は受け取らない主義でね」
そう言ってピペタは断るのだった。
今では街の商人たちも理解して、誰もピペタに何かを渡そうとはしない。代わりに、ピペタや彼の部下が買い物をする際には、大きく値引きするようにしている。
「別に、役人の騎士様だから安くしているわけではありません。あくまでも、顔なじみに対するサービスです」
商人たちはそう主張するし、その程度ならば良かろうということで、ピペタも受け入れていた。もちろん商人たちの言葉は方便であり、警吏だからこそ値引きされているわけで、ある意味、賄賂代わりだ。
それくらい、ピペタも理解している。しかし、それすら拒絶するほど杓子定規な人間ではなかった。また、たとえ賄賂があろうとなかろうと、住民に対する態度は変えないという自負もあった。
「ピペタ隊長、新しい
タイガの指差す方向に注意を向ければ、確かに、見慣れない露店が出ていた。他の店よりも小さな、隙間のようなスペースで、布一枚を敷いて営業している。その布の上にあるのは、大きな水晶玉。それを前に座っているのは、とんがり帽子とローブを黒一色で揃えた女性……。
「あら! あれって、占い屋じゃないかしら? 珍しいわね」
ラヴィが弾んだ声を上げる。
「ピペタ隊長、タイガの言う通りです。新しい店には、是非、顔を出すべきです」
半ば口実であり、個人的にも行ってみたいと思っているのだろう。そんな気持ちが、彼女の口調には、にじみ出ていた。
時には男まさりという印象もあるラヴィだが、占いに興味を示すとは、女の子らしい一面もあるではないか……。ピペタは微笑ましく感じたが、とても笑顔を浮かべていられる状況ではなかった。
問題の占い師は、ゲルエイ・ドゥなのだから。
裏で関わった人間に、
「まあ、騎士様! この区域の受け持ちの方々でしょうか? ご苦労様です」
ピペタより先に、ゲルエイが挨拶をしてきた。
「そうだ。私は、都市警備騎士団のピペタ。それと、部下のラヴィ、タイガ、ウイングだ」
小隊メンバーを軽く紹介してから、
「見慣れない顔だな。この地方都市サウザに来たばかりか?」
ピペタもゲルエイ同様、初対面のふりを装った。
「いいえ、今まで北で店を開いていたのですが、どうにも稼ぎが良くないもので……。本日より、こちらに店を移すことにしました。以後、お見知りおきを」
何を言ってやがる、とピペタは思う。確かに貧乏人の多い北では客も少ないだろうが、それがメインの理由ではないだろうに。わざわざピペタの担当地区に出てきたということは、もしも何かあった時に連絡を取り合うためだろう。
昨日「次の会合からは『幽霊教会』で」という話になったが、そこに集まるためには、少なくとも事前に「今晩集合」という連絡が必要となるわけだ。
「騎士様、どうでしょうか? あたしに、皆様を占わせてもらえませんか? 今日は初回サービスということで、
いや結構、とピペタが言うより早く、ラヴィが飛びついてしまった。
「まあ! では、私からで構わないでしょうか?」
エサをねだる飼い犬のような目を、ピペタに向けるラヴィ。
仕方がない。ピペタが頷くと、ラヴィは、喜んでゲルエイの前に座った。
「それで、どうやって占ってくださるのかしら? 魔法使いみたいな格好だけど、まさか……」
「はい。この魔法の水晶玉と、あたしのささやかな魔法を用います」
営業スマイルで答えるゲルエイ。
これを聞いて、ピペタの後ろでタイガとウイングが、ひそひそ声でやり取りする。
「信じられないな。今時、魔法なんて使える者は、ごく少数しかいないはず……。嘘じゃないかなあ?」
「当然です。本物の魔法使いならば、こんな露店で占い師なんてやっていないでしょう。でも、こういう商売ではハッタリも必要なので、ああ言っているだけです。それくらい、ラヴィも理解していますよ」
二人の会話を聞いて、ピペタは苦笑してしまう。ある意味、二人はゲルエイの術中に嵌っているのだから。「実際は魔法なんて使えないけど、占い師なので使える態度を装っています」と見せるのが、本物の魔法使いであることを隠したいゲルエイの流儀だ。
「それで、お客様。何を占いましょうか? 特に具体的な関心がないのであれば、未来や運勢など、全般的に占いますが……」
「そうね。それでお願いするわ」
ラヴィの言葉に頷いてから、
「では、始めます」
ゲルエイは宣言して、少し水晶玉に覆い被さるような姿勢となり、腕を伸ばした。
両手を水晶玉の上にかざして、怪しげな雰囲気で複雑に動かす。さらに、何やらブツブツと唱え始めた。
「フトゥーラ・パレディチェーレ……。フォルトゥーナ・パレディチェーレ……。未来を占いたまえ、運勢を占いたまえ……」
ピペタは、ゲルエイから聞いたことがあった。
一応この呪文のような言葉には、魔法を詠唱する際に用いる古代言語を使っているらしい。しかし、ゲルエイの知る呪文詠唱の中には完全に一致するものはなく、この文言で何らかの魔法が発動することは絶対にありえないという。あくまでも、雰囲気作りのための台詞に過ぎない。
「おお、見えてきました!」
呪文もどきを少し繰り返した後、弾かれたようにゲルエイは姿勢を正した。
「お客様。日頃から真面目なあなたには、明るい未来が待ち受けています。特に、職務に忠実に励めば、間違いないでしょう」
「……明るい未来ですって? それは嬉しいわ!」
素直に喜んでいるラヴィとは対照的に、ピペタの後ろの男二人は、またひそひそ声を交わしていた。
「なんだか、当たり障りのないこと言ってるような気がするなあ」
「当然です。それが占い師の手口ですからね」
タイガとウイングは小声なので、おそらくラヴィの耳には届いていないはずだ。もしも聞こえてしまったら、嬉しそうなラヴィに水を差すことになるだろう。そうならないように、まるで二人の声をかき消すかのように、ピペタは言葉を発した。
「よかったな、ラヴィ。いつもラヴィが職務に忠実なのは、隊長である私が保証する。つまり、明るい未来も保証されたということだ」
「まあ、そんな……」
上司に褒めれて、少し頬を染めるラヴィ。そんな彼女の様子を見ながら、もしも自分が若い頃なら何か勘違いしてしまったかもしれない、とピペタは気を引き締める。
もちろん、そんな乙女な表情は一瞬だった。すぐにラヴィは、いつもの笑顔に戻って、ピペタに言葉を返す。
「ピペタ隊長、どうですか? ピペタ隊長も占ってもらっては?」
「……私が?」
信頼できる占い師ならば話は別だが、なにしろ相手はゲルエイだ。ピペタから見た彼女は、復讐屋としては一流でも、占い師としては三流だ。
ピペタは気が進まず、後ろを振り返って部下たちの顔を見るが……。
「僕たちは結構ですから」
「どうぞ、どうぞ」
言葉だけではなく、手まで出す二人。タイガとウイングに、文字通り背中を押されて、仕方なくピペタは、ゲルエイの前に座った。
「わかった。では、占ってもらおうか。私も、特に何かに関心あるわけではないから……」
「わかりました。では、先ほどのお客様と同じように致します」
ゲルエイは、ラヴィの時と同じく、水晶玉の上で怪しい挙動を見せた。
いざ自分が占われる立場になると、ピペタは「ずいぶん近いな」と感じてしまう。ゲルエイが水晶玉の上に被さるように体を傾けた分、妙に体が接近したのだ。それこそ、内緒話も出来そうな距離だ。
これなら、もう少し離れて座るべきだった。ピペタがそう思っていると、
「フトゥーラ・パレディチェーレ……。フォルトゥーナ・パレディチェーレ……。未来を占いたまえ、運勢を占いたまえ……」
呪文もどきを詠唱しながらゲルエイが、その合間に、こっそりとピペタに耳打ちをする。
「ケン坊のことは、心配しないでいいよ。あたしが、確かに送り返したからね」
昨晩ピペタは、獅子の紋章のある屋敷から立ち去った後、ゲルエイの長屋には寄らずに、まっすぐ騎士寮に戻っていた。「騎士鎧が目立つから二度と来るな」と言われていたのを、きっちり守ったのだ。
だから、あの後きちんとケンがポリィを送り届けたのか、また、ケンがポリィの家に長居せずにゲルエイの所に戻ったのか、ピペタには確かめようがなかった。少し気になっていたのだが……。
今のゲルエイの言葉から考えて、何も問題はなかったのだろう。心配するようなトラブルが発生したのであれば、こうではなく「話すべきことがあるから『幽霊教会』に来い」みたいな言い方になったはずだ。
部下の三人には気づかれない程度に小さく頷いて、ピペタは、了解の意をゲルエイに告げた。ゲルエイの方でも、ピペタに意図が伝わったことを理解して、唐突に詠唱をストップする。
「おお、見えてきました!」
先ほどと同じく、大げさに姿勢を正してから、ゲルエイは占い結果を告げる。
「凄いですねえ、お客様。剣の腕も優れたお客様は、このような地方都市に
「また的中しましたね、ピペタ隊長! 実際に隊長は、王都から派遣されてきたわけですし、今でも書類上の正式な所属は『王都守護騎士団』なのでしょう? 凄い占い師じゃないですか、この人は」
自分たちの隊長を褒めそやす言葉を聞いて、ラヴィは、まるで我が事のように喜んでいるが……。
ゲルエイが述べたのは、未来でも運勢でも何でもない。ただ「ピペタは凄い!」と言っているだけだ。それも、本当はピペタと知り合いである彼女が、知っていて当然の話を繋ぎ合わせて、ピペタをおだてただけではないか。
事情を知っているピペタにしてみれば、もう笑うしかない状況だ。しかし、それを口に出すわけにもいかない。
「まあ、そうだな。私だって、見も知らぬ他人から、いきなり高い評価を聞かされるのは、悪くない気持ちだ」
その程度の言葉を返すのが精一杯だった。特に『見も知らぬ他人から』という部分に、たっぷりの皮肉を込めて。
「では、次は……」
ピペタは、ゆっくりと後ろを振り返る。先ほどタイガとウイングは断っていたが、こうなったら、この二人も巻き込んでしまおう。ラヴィと違って、むしろ男二人は、ピペタと同じく恥ずかしがるに違いない。
ピペタが、そんなことを思い浮かべた時。
「ああ、ピペタ隊長! こんなところにいましたか!」
遠くから、ピペタを呼ぶ声がする。
見れば、若い男が手を振っている。騎士団本部――通称『城』――で働く、騎士見習いの一人だった。
「わざわざ本部勤務の者が来るとは……。いったい何でしょうね?」
真っ先に不思議そうな声を上げたのはウイングだ。だが、彼だけではない。ピペタも、内心では同じ疑問を感じていた。
騎士見習いの用件は、本部からの伝言だった。見回りを切り上げて、大隊長のところまで来て欲しいという。
つまり、上司からの呼び出しだ。少し嫌な予感もするが、ピペタ一人ではなく小隊全員ということなので、ピペタ個人に対する叱責や懲罰でないことだけは確実だ。少なくとも、それは安心材料の一つになる。
「みんな、聞いたな。今日の見回りは、ここまでだ。急いで『城』に向かおう」
「はい!」
元気よく応じた部下たちと共に、ピペタは、歩き出したが……。
一瞬、その足が止まってしまう。
広場を行き交う人々の中から、わずかな殺気を感じたのだ。あくまでも『わずかな』という程度であり、ピペタのような一流の剣士でなければ、気づかないレベルだろう。しかも、すぐに消えてしまうほどに短い時間だったが、確かに『殺気』だったことには間違いない。
「ピペタ隊長? どうかしましたか?」
「いや、何でもない」
ラヴィの疑問に対して何気ない態度で返しながら、ピペタは、周囲を見回した。
そして。
噴水の近くに立っている女が、こちらの様子をうかがっていることに気づいた。ピペタの位置からでは、ちょうど吹き出す水柱の陰に隠れる形になっているが、おそらく先ほどの殺気の主は彼女なのだろう。
ピペタは、その女性の様子を観察する。
二十代半ばくらいに見える。服装から判断すると、街の一般市民のようだ。黒いブラウスも、裾の長いオレンジ色のスカートも、大人しい印象を与えるかもしれない。しかし着ているもの以外は、むしろ逆だった。
短めの赤髪は、少し逆立つような髪型になっており、その燃えるような色合いと合わせて、なんともエネルギッシュなイメージだ。目尻の切れ上がった瞳は、色っぽくも見えるが、きつそうな性格を思わせる要素だろう。やや褐色がかった肌の色も、健康的な行動力の象徴になりそうだ。
「誰か気になる人でもいるのですか?」
「いやいや、そんなことはない。街は平和そのものじゃないか」
どうやらピペタは、自分で思っていた以上に長い時間、問題の女性に目を向けていたようだ。
ウイングの言葉に少し焦りながらも、それを顔に出さないようにピペタが努めていたら、お調子者のタイガまでもが、ピペタを困らせる言葉を口にした。
「もしかして……。ピペタ隊長が見とれるような女性でもいましたか? 例えば、あの娘なんて、健康的な色気が……」
「あなたじゃあるまいし! ピペタ隊長は、仕事中に女性を物色するような真似はしません!」
「いやいやラヴィ、僕だって『物色』なんてしないよ。でも、魅力的な女性が近くを通りかかったら目が引き寄せられるのは、男性の本能で……」
とりあえず、ラヴィが一喝してくれて助かった。おそらく偶然なのだろうが、タイガが「例えば、あの娘なんて」と言いながら見ていたのは、まさにピペタが着目していた女性だったのだ。
「あの……。みなさん、急いでもらえませんか?」
「ああ、すまない」
騎士見習いに促されて、騎士団本部へと向かうピペタ小隊。
その途中で、位置的に、ちょうど噴水の近くを通りかかる形になった。
赤髪の女性は、まだ同じ位置に立っている。もちろん先ほどの殺気は消えているが、ピペタは依然として、彼女から見られているような気配を感じていた。
短い時間の、わずかな殺気だけでは、根拠としては乏しいが……。
武人としての本能的な感覚だろうか。
ピペタは悟っていた。おそらく、この赤髪こそが、昨日の夜に戦った黒ずくめの女なのだろう、と。
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