第八話 新たな怪人物
「では、すぐにお持ちしますので……。少々お待ちください」
そう言ってポリィがテーブルから去っていくと、まるで彼女がいなくなるのを待っていたかのような早さで、
「ピペタおじさんの嘘つき!」
表情を見る限り、本気で言っているわけではなく、何かの冗談のようだが……。何をもって嘘つき呼ばわりされたのか、ピペタにはわからなかった。
「ん? 何のことだ?」
「ピペタおじさん、言ってたじゃないですか。ポリィちゃんは素朴な街娘だ、って。あんな言い方をするから、てっきり平均的な可愛らしさかと思ったのに……」
ケンは、ちらっと店の奥に視線を向けた。ポリィが飲み物を用意している姿が、ピペタたちのテーブルからでも見えた。
「……とんでもない! 絶世の美少女じゃないですか!」
「そうか?」
あからさまに、ピペタは首を傾げてしまった。ポリィが可愛らしい娘であることは否定しないが、いくら何でも『絶世の美少女』は言い過ぎだろう。基本的にケンには、この世界の女性全員が魅力的に見えるようだが……。この言い方では、その中でも飛び抜けている、という評価になってしまう。
しかし、それはありえない、とピペタは思う。そこまで優れた容姿であるならば、こんな貧乏区域の安酒場で働いているわけがない。もっと苦労せずに稼げる仕事があるだろう。本人にその気がなくても、周りの人々が放っておかないはずだ。
だから『絶世の美少女』というのは、あくまでもケンの個人的な主観だ。そう結論づけたピペタは、一言、釘を刺しておく。
「ケン坊。好きになるな、とは言わないが……。惚れるなよ」
色恋沙汰は困る。文字通り、住む世界が違うのだから。
「わかっています。可愛いなあ、って遠くから眺めるだけです。ほら『踊り子さんには手を触れないでください』って言いますからね」
言葉の意味はよくわからないが、ケンの世界の諺なのだろう。ピペタは、そう理解しておく。
「ならば良いのだが……」
ちょうどポリィの外見に関する話題が一区切りついたところで、まるでタイミングを見計らっていたかのように、ポリィが戻ってきた。
「さあ、飲み物をどうぞ。ピペタ様には、当店自慢の高級ワイン。そしてケン様には、食事に良く合う、清涼ジュースですね。料理は、まずはウインナーとポテトの盛り合わせが、すぐに出来ますから、もう少しだけお待ちを……」
それから、しばらくして。
食事メインの客たちが『
給仕の娘たちも、深夜担当の者に切り替わる中……。
「お待たせしました」
店の裏口から、私服姿のポリィが出てくる。
「いやいや、待ってなんていません。気にしないでください、ポリィちゃん」
あまり意味のない挨拶に対して、真面目に返すケン。その姿を見てピペタは「やはりケン坊は若いな」と感じてしまう。あるいは、これも『男子校』という環境のせいなのだろうか。ピペタは、自分にはよくわからないケンの世界の制度について、少し思いを巡らせた。
「まあ、それはどうでもいいことか」
小声ではあるが、口にしてしまうピペタ。
今まで二人は、裏口の近くで、ポリィの仕事終わりを待っていたのだった。だが、実際のところは、ポリィの着替えを待っていたようなものかもしれない。何しろ今日のポリィは、ずっとピペタたちのテーブルに張りついて、ひたすら二人の相手をしていたのだから。料理を運ぶ以外の時間は、ピペタの隣に座って、彼のグラスにワインを注いだり、ピペタやケンと歓談していたくらいだ。
ただし店の中では、昨日の襲撃に関わる話は出来ないので、たわいない世間話が中心だったが……。そんな中、ポリィは、昨日ピペタに聞かせた身の上話を、今度はケンに語ったのだった。行方不明の兄アンティを探している、という話だ。
彼女の話を聞いたケンは、ポリィの手を両手で握りしめながら「元気を出してください」とか「何か僕に出来ることはないでしょうか」とか言っていた。そんなケンの姿を見ると、ピペタは苦笑するしかなかった。
ケンの『踊り子さんには手を触れない』という言葉と、矛盾するように感じたからだ。もちろん「諺であるならば、あくまでも比喩的な表現であって、本当に触れることを禁じているわけではないだろう」と、頭ではわかっていたのだが。
そうやって今晩の出来事を思い返しながら、ピペタは歩き出す。
「では、行こうか」
「はい。ありがとうございます」
先に礼を述べてから、彼と並んで足を進めるポリィ。ケンは、二人の後ろからついてくる形だ。
「でも、本当によろしいのでしょうか。ピペタ様のような立派な騎士様に、わざわざ送っていただくなんて……」
「昨日の今日だからな。また襲われるかもしれないだろう?」
「そうですよ。ピペタおじさんが一緒なら安心です!」
ピペタに続いて、ケンもそんなことを言う。
「では、お言葉に甘えて……」
もしも昨日の怪人と一昨日の怪しい客に関連があるならば、ポリィの働く店は既に知られているわけだから、店からの帰りに襲撃される可能性が高い。いや、直接その場で何かされるのではなく、家まで尾行されて、
だからポリィを家までエスコートするのだが、ピペタとしては、単純に彼女を警護するという目的だけではない。都市警備騎士という警吏である彼は、ポリィのためだけでなく、この街の住民全体のためにも、昨日の怪人を何とかしたいと考えていたのだ。だがその正体に繫がる手がかりもなく、ポリィの唯一の心当たりが一昨日の怪しい客である以上、こうして『
「ポリィちゃん、店の制服も似合ってたけど、私服姿も素敵ですね」
「まあ、ありがとうございます」
ケンの言葉を、軽くあしらうポリィ。ケンとしては、少しでも彼女の気を引きたいのかもしれないが……。
ピペタは、二人の会話を耳にして苦笑する。だが改めてポリィの姿を見ると、思わず感嘆の声を上げてしまった。
「なるほど……」
今夜のポリィの服装は、昨日とは大きく異なっていたのだ。
下品にならない程度に胸元の開いた、ワインレッドのワンピース。茶色い革のブーツに、赤茶色のベレー帽。
濃赤色を基調としたコーディネートなのだろう。昨日のローブも赤褐色だったし、ポリィは、このような色合いを好むのかもしれない。確かに、彼女の桃色の髪には良く似合っている、とピペタは感じた。
「高級品で身を固めなくても、オシャレは出来るものなのだな」
「あらあら、ピペタ様まで……」
さすがに、二人の男性から立て続けに褒められるのは嬉しいようだ。ポリィは、心からの笑顔を見せた。
こうした明るい雰囲気で、それほど明るくない夜道を歩くうちに、ちょうど昨日ポリィが襲われた近辺に差し掛かった。
「この辺りだったな」
「ええ」
何気なく呟いたピペタの言葉で、ポリィの表情が少し曇った。
同時に、ピペタの体に緊張が走る。
「……ピペタおじさん?」
ピペタの様子が変化したのを察して、ケンも不思議そうに呼びかける。
ケンの声を無視して、ピペタは振り返った。建ち並ぶ店の一つに、視線を向ける。よく見れば、店の看板に隠れるようにして、黒い人影があった。
「そこにいるのは、わかっているぞ」
昨日は全く気配を感じられなかったが、一度戦ったおかげで、少しは察知できるようになっていた。人間の気配よりもわかりにくいが、それでも、ごく薄い殺気のような独特の空気があり、それをピペタは背中に感じたのだった。
「やっぱり、また……」
「大丈夫です、僕たちがいますから!」
ポリィの震え声に対して、安心させようとするケン。そんな二人を後ろ手に守りながら、ピペタは叫ぶ。
「出てこないのか? ならば、こちらから……」
ピペタの言葉に誘い出されたかのように、看板の陰から、黒いローブの怪人が姿を現した。
右手が欠けている。間違いない、昨日の襲撃者だ。
そこまでピペタが確認した、ちょうどその時。
怪人は、くるりと背を向けて、脱兎のごとく走り出した!
「待て!」
ピペタは反射的に、無駄な言葉を投げかけてしまう。続いて、一瞬だけ背後の二人に振り向いて、
「彼女のことは任せたぞ、ケン坊! しっかり家まで送り届けてやってくれ」
それだけケンに告げてから、怪人を追って駆け出した。
漆黒のローブを着た怪人は、脚力も
それでもピペタは「むしろ追いつけなくても構わない」と考えていた。ピペタとしては、今ここで怪人を倒してしまうより、そのアジトまで案内してもらいたいからだ。
もちろん、街を徘徊する怪物を排除するという意味では、さっさと倒してしまうのも悪くない話だ。しかし背後に怪人を操っている黒幕がいるのであれば、突き止めてそちらを何とかしない限り、根本的な解決にならないだろう。
そんな考えから、追跡を続けるピペタ。夜の追いかけっこを奇異の目で眺める通行人もいるが、野次馬には構っていられない。
昨日よりも長時間、走り続けることとなった。正直、息が苦しい。怪人は人間ではないので疲れ知らずなのかもしれないが、ピペタは、そうもいかない。そして、とうとう……。
「逃げられたか」
ピペタは、怪人の姿を見失ってしまった。
体力の限界だったというのもあるが、昨日とは時間帯も違う。夜の闇の中では、黒ローブの姿を目視するのも難しかったのだ。
「ここは……?」
立ち止まって、まず息を整えながら、ピペタは周囲を見渡した。
いつのまにか、町の北区域からは出ていたらしい。少なくとも、もう貧乏人が暮らす地域ではなかった。金持ちや貴族が住む、高級住宅街のようだ。
それなりの広さの敷地を持つ、大きな屋敷が建ち並んでいる。門と門の間隔は大きく空いているが、もしかすると怪人は、この中の一つに逃げ込んだのだろうか?
「まずいな。アジトに逃げ帰ったのであれば良いが、そうでなかったら……」
怪人が昨日ゲルエイ・ドゥの長屋に飛び込んだように、また無関係の人間の家に入り込んだのとしたら……。
とりあえず今のところ、どの屋敷からも、悲鳴のようなものは聞こえてこない。ふと振り返ったピペタは、自分の走ってきた足跡が、結構はっきりと残っていることに気づいた。
「ふむ」
近辺を丹念に探すと、あの怪人の痕跡らしきものも見つかった。足跡の新しさや歩幅から考えて、たった今、走っていった跡だ。間違いないだろう。
足跡は、屋敷の一つに向かっているようだった。入り口ではなく、塀の途中で消えているが……。
「なるほど、これか」
ちょうど、一本の街路樹がある。それを足がかりにして、塀を乗り越えたらしい。
少なくとも、怪人が逃げ込んだ先は特定できた。問題は、ここが怪人たちのアジトなのか、あるいは、無関係な屋敷なのか、ということだ。
「まあ、正攻法で行くか」
後者の場合、自分も塀を乗り越えたら不法侵入になってしまう。それでも、まだ屋敷の者たちが怪人の侵入に気づいていないならば、注意を促しておくべきだ。
そう考えたピペタが、正面の門へ向かおうとした、その時。
「何やつ!」
強い殺気を感じて、ピペタは声を上げた。
ちょうど、門の辺りだ。夜の闇に隠れるようにして、黒衣の者が一人、物陰にうずくまっていた。
「私には見えているぞ!」
剣を構えて、ピペタが呼びかけると、それに応じるかのように、相手が立ち上がる。
明らかに、怪しい不審者だった。ぴったりと体にフィットした黒装束で、顔も黒い布を巻きつけて隠している。肌色が見えるのは両目の周りだけという状態だが、だからこそ、宝石のように美しい青い瞳が目立ってしまう。
そう、ピペタの脳裏に『美しい青い瞳』という言葉が瞬時に浮かんだように、この黒ずくめは女性だった。よく見れば、胸も膨らんでいるし、手脚も男性にしては
この女が黒いローブの怪人の仲間なのかどうか、ピペタにはわからない。しかし警吏としては、放っておくことは出来なかった。どう見ても、この屋敷に今から侵入しようとしていた賊なのだろうから。
「盗賊か? 暗殺者か? どちらにせよ……」
黒ずくめの女は、ピペタに最後まで言わせなかった。いきなり、ピペタに向かって突進してきたのだ!
「私をなめるな!」
剣の間合いに入ったところで、ピペタが先に斬りかかった。
神速の斬撃だ。
だが女は、両手の鉤爪を重ねることで、これをガード。同時に、右脚で蹴りを放つ。
「ぐふっ!」
みぞおちに強烈な一撃を食らって、蹴り飛ばされるピペタ。後方にあった街路樹に背中から叩きつけられて、その場に崩れ落ちた。
「強敵か……」
ピペタの一太刀に間に合って、受け止めたのも凄いが、それだけではないのだ。その状態の体を左脚一本で支えて、反撃の蹴りを打ち込んできたのだから、賞賛に値する。体のバネとバランス感覚に優れていなければ、やろうと思っても出来ることではない。
しかしピペタとて、剣技には自信のある騎士。簡単に負ける気はなかった。
今度はガードされない角度から斬り込もう……。頭の中で次の行動を思い描きながら、ピペタが立ち上がった時。
彼の耳が、わずかな異音を捉える。何かが風を切る音だった。
「……!」
頭で考えるより早く、体が反応する。咄嗟に避けたピペタの後ろで、ぐさりと刃物が木に刺さる音がした。
ちらっとだけ振り返って、確認する。
街路樹の幹に、黒い小型のナイフが三本、突き刺さっていた。
黒ずくめの女が、投げつけたのだろう。それも、一投で三本を。
「こんな隠し技もあるのか。やはり、強敵だな」
迂闊に背中を向けたり、よそ見したり出来る相手ではない。だからピペタが後ろを『確認』していたのも、ほんの一瞬の話だ。しかし、再び女の方に向き直った時には、もう女の姿はなかった。
「そういうことか」
最初に立ち向かってきたのも、今のナイフ投げも、ピペタを仕留めようとしたものではなかった。警吏のピペタから逃げる隙を作るための行動だった。
つまり。
ピペタは、まんまと相手の策に、はまってしまったのだ。
「まあ、こんな日もある」
自分に対して、慰めの言葉を口にするピペタ。そもそも今の黒ずくめはイレギュラーであり、ピペタが追っていた怪人とは違うのだから、そう落ち込む必要もないだろう。
屋敷の門の近くで一騒動あったのに、中から誰も出てくる気配はなかった。
もしも、ここが怪人たちのアジトであるならば、まあ、誰も出てこないのも当然だろう。後ろめたい部分のある悪人たちが、わざわざ面倒事に関わりたいはずもないのだから。
逆に、たまたま怪人が飛び込んだだけの、一般市民の屋敷である場合。もう屋敷の住民は、寝てしまっているのかもしれない。侵入した怪人の方は、今の騒動でピペタが来たことに気づいたはずだが、それならば既に遠くへ逃げ出したことだろう。
どちらにせよ、こうなった以上、急いで今ピペタが屋敷内に踏み込んだところで、あまり意味がなさそうだ。むしろ、慎重な対応が必要だと思える。
「では、今日のところは、私も帰るとしよう……」
立ち去り際にピペタは、もう一度、屋敷の門構えに目を向けた。頑丈そうな鉄の扉には、特徴的な紋章が据え付けられていた。
「獅子の紋章か。しかも、威嚇するような姿だな」
これを目印にすれば、後日また、この屋敷を調べに来ることも出来る。
特徴的な紋章を脳裏に焼き付けて、ピペタは、その場から立ち去るのだった。
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