第十八話 復讐屋ウルチシェンス・ドミヌス
「終わったあ!」
秋の日本の、都内の私立高校の教室で。
ケンだけではない。仕草こそ違うが、同じような気分と態度で、何やら奇声を発している学生が、教室のあちらこちらに存在していた。
数日間に渡る二学期の中間テストが、ようやく終了したからだ。
「キョウ、遊びに行くよな?」
隣の席から友人の
「もちろん!」
笑顔で答えるケン。打ち上げというほどでもないが、定期テストが終わった日には街に繰り出すのが、友人たちとの恒例行事になっていた。
ケンは毎日、電車通学で高校に通っている。彼の家からだと乗り換えの必要はなく、電車一本で済むのが、今の高校を選んだ理由の一つだった。
彼の家から一番近い駅は、一つの路線しか通っていない小さな駅だが、その次の駅は、複数の路線や鉄道会社が乗り入れている、大きな乗り換え駅だ。学校へ行く朝は、その駅で大量の乗客が降りるので――もちろんそこから乗ってくる客も多いのだが――、そこで確実に座れるし、また帰りには、その乗り換え駅で途中下車して、一人で買い物したり遊んだりすることが多かった。都内の大きな乗り換え駅だから、駅周辺も栄えて充実しているのだ。
今日は一人ではなく、友人たちと一緒に降りる。
「さあ、行こうぜ!」
「今日は、思いっきり遊ぶぞ!」
「昨日まで、くだらん勉強に頭を使ってたからなあ」
口々に喚く友人たち。
駅から十五分くらい歩いたところには、有名な高層ビルがある。彼らと騒ぎながら、そちらに向かって、ケンは進み始めた。
ケンの両親が子供の頃に建造されたビルで、当時は日本一の高さを誇っていたそうだ。そのビルに付属した設備には、水族館やプラネタリウムもあるのだが、男同士で、そんなところに行くわけがない。ケンたちの目的地は、高層ビルへ行くルートの途中にある、全く別のアミューズメント施設だった。
ボウリング、カラオケ、ビリヤード、ゲームセンターなど、大抵のものは揃っており、最上階にはバッティングセンターもある。男同士で体を動かして遊ぶには、ちょうどいい施設だ。
だが、ケンたちがそこを行きつけのビルとするのは、中に入っている遊戯施設の充実ぶりだけではない。それだけならば、他にも似たような場所はあるだろう。
「おっ、今日も可愛い
「可愛いか、あれ? 髪もボサボサで、化粧っ気もないし……」
「バカだなあ。ああいう地味な
「こいつの趣味は理解できんが、あの女の子が可愛いのは認める。何より、メガネがポイント高いな」
「お前の眼鏡っ
少し離れた場所を歩く見知らぬ女性を話題にして、わいわい盛り上がる友人たち。
例の高層ビルの近くには、女性向けの店が集まる区域があるので、この辺りを歩く若い女性も多いのだ。ただし『女性向けの店』とは言っても、一般的な客層向けではなく、特定の趣味を持つ内向的な娘がメインの商売らしい。そのため、派手に着飾ったりしない、地味な女性が多い。
だが、だからこそ逆に、一部の男性の好みには、まさにストライクになるのだろう。ケンの友人たちの中にも、そういう嗜好の者は多いのだが、だからといって積極的に声をかけに行ったりはせず、遠巻きに眺めるだけだった。
まあ、見るだけでも、男子校の自分たちには、目の保養になるのかもしれないが……。ケンがそんなことを考えていると、友人の一人が、ケンに話を振ってくる。
「キョウは、どう思う?」
「うーん。どうだろうなあ……。確かに、化粧しないのは評価できるけど……」
「聞くだけ無駄だぞ。キョウは、変に理想が高いからな。あの程度じゃ『可愛い』とは言わない」
「おい、俺が目をつけた
尋ねておきながら、友人たちはケンの答えを聞こうともせず、軽く言い合いをし始めた。
ケンは、正直に答えることも出来なかったので、少しホッとする。
昔のケンならば、今話題にされた娘を「可愛い」と感じたかもしれない。だが、異世界に召喚されるようになってから、ケンは多くの美少女を目にするようになった。例えば今ならば、あのポリィという娘と比べてしまうから、都内の街で見かける女性など、目にも
こいつらにポリィちゃんを見せたら、どんな反応をするかなあ……。心の中で、そんなことを想像するケン。
ちなみに。
こうして彼らが話題にして騒いでいる間に、当の地味かわ眼鏡っ
「ストライク、ゲットだぜ!」
小さく叫びながら、グッと手を握りしめるケン。
ボウリング場についたケンたちは、早速ゲームを始めていた。
「キョウって、運動神経は鈍いのに、ボウリングだけは上手いからなあ」
「いや、上手いってほどじゃないぞ」
友人たちの言葉が、ケンの耳にも入る。特に肯定も否定もせず、ケンは彼らに得意げな顔を向けた。
運動神経の鈍さは、ケンにも自覚がある。だが体を動かすことは好きだし、小さい頃には、木登りが得意と言われていたこともあるくらいだ。
また、ボウリングの腕前に関しては、ケン自身は「上手くもないが、下手でもない」と認識していた。普通ボウリングはアベレージで評価されるのだろうが、その意味では、ケンは下手ということになるだろう。良い時と悪い時の差が激しく、アベレージは高くないからだ。しかし、良い時のスコアは驚くほど良いので、一緒に遊ぶ友人の中には「ケンは上手い」という印象を持ってしまう者も出てくるのだった。
そして。
「あれ? キョウのやつ、最後パンチアウトなら、スコア二百を余裕で超えるぞ」
「おっ、本当だな。今日は調子いいみたいだな」
迎えた最終フレーム。先に友人たちが計算してしまったように、ここでストライクを三つ出せば、久しぶりに二百以上のスコアとなる。
ケンは気合を入れて、重いボールを投じたのだが……。
「おい、どうした?」
「大丈夫か、キョウ?」
投げる瞬間、ケンが妙な動きを見せたので、異変に気づいた友人たちが声をかける。
まるでボールの重さに負けたかのように、ケンの足がぐらついたのだ。
「ああ、何でもない。ちょっと、めまいがしただけだ……」
正直に答えるケン。
そう、めまいだ。
よりにもよって、ボウリングの真っ最中、まさにボールを投げる瞬間に。
ケンは、異世界召喚の予兆を感じたのだった。
「大丈夫か? 少し休むか?」
「平気、平気。次のゲームの一投目が回ってくるまでには、回復するさ」
心配する友人に、ケンは軽く返した。
それ以上、友人たちには説明できないが……。
めまいを感じて二、三分後くらいで、向こうへ召喚されるのが恒例だ。大丈夫、次に自分の番が来るまでには、全て終わっている。
今までの経験から、そう考えるケン。そして、ポケットに手を突っ込み、中の物を握りしめた。
うん、ちゃんと持っている。
ケンが確認したのは、ルアーだった。「次に来る時に新しいのを持参する」と約束していた、あのルアーだ。ケンは、いつ呼び出されてもいいように、それを常に持ち歩くようにしていたのだ。
それにしても。
ケンは、ルアーの感触を手で確かめながら、召喚魔法に思いを馳せる。
ゲルエイ・ドゥの使う召喚魔法は、とても不思議な魔法だ。異世界という別の空間へ移動させるだけでなく、召喚した時点から少し前に遡って『めまい』という形で前兆を感じさせるのだから、時間にも干渉しているのだろう。
この魔法による時間干渉は、異世界から元の世界へ戻るときにも行われる。こちらでは時間が進まず、全く同じ瞬間に戻れるからだ。しかも、こちらで周囲の人間に『召喚』という事態を気づかれぬように配慮されているらしく、ただ同じ瞬間というだけでなく、同じ状態で戻ってくることになる。
この『同じ状態』の帰還には、思わぬ副次的効果もあった。こちらの世界に異世界の物は持ち込めないが、逆に日本の品々を異世界へ持参することは出来るし、この『召喚』を利用して、それらを複製することも出来るのだ。
例えば、今ケンのポケットの中にあるルアー。これは今回の召喚で、向こうに置いてくる予定だが、それでも帰還した時には、相変わらずポケットの中に存在し続けるはずだ。だからといって異世界に残してきたルアーは消えないので、同じルアーが、この世界と異世界の両方に同時に存在することになってしまう。
これをケンは『召喚複製現象』と名付けていた。別に机上の空論ではなく、すでに何度も実践済みのことだ。例えば、今ゲルエイの家の押入れにあるルアー
そうやって考えている間に、時間が経過したようだ。
グイッと体を引っ張られる感覚が来た。
異世界召喚の時の、いつもの感じだ。
今回はボウリングで遊んでいた途中なので、ある意味、
それでもケンは、何となく嬉しかった。少し前に思い浮かべたポリィ、その彼女が暮らす世界へ行くのだから。
またポリィちゃんに会えるといいなあ……。
そう思って、心を弾ませるケン。
召喚された先で何を聞かされるのか、ケンは、まだ知らなかった。
――――――――――――
「どうして……」
ケンのすすり泣きが、打ち壊された教会跡地に響く。
以前にゲルエイが集合場所として提案した、街外れにある『幽霊教会』だ。
今そこに、ピペタ・ピペト、ゲルエイ・ドゥ、
教会跡地といっても、完全な更地ではない。教会の建物も、半壊した状態で残っている。三人が今いる場所も、かつては礼拝堂として多くの信者たちが祈りを捧げるところだったのだろう。
ピペタは瓦礫の上に無造作に腰を下ろし、ゲルエイは、かろうじて使えそうな長椅子を見つけて座っている。そしてケンは、埃だらけの汚れた赤絨毯の上に、崩れ落ちるようにして、ぺたりと座り込んでいた。
ゲルエイにケンを召喚してもらったピペタは、まず最初に「ポリィは死んだ」と結論を告げてから、今朝までの出来事を語って聞かせた。
ケンを連れて『
まずは、火炎の日の夜。黒ローブの怪人を追った結果、イスト伯爵の屋敷の前で、女暗殺者と出くわしたこと。
翌日、水氷の日。南中央広場で、その女暗殺者らしき赤髪の女を見かけたこと。イスト伯爵の屋敷を警護するようになったこと。
さらに翌日、草木の日。女暗殺者の
朝になって、ポリィの家へ赴き、一切の事情を聞いたこと。彼女の家を出たところで、黒ローブの怪人を見かけて、その陽動に引っかかり……。ポリィを死なせてしまったこと。
「……以上が、ポリィと黒ローブの怪人、そして怪人を操っていたイスト伯爵に関わる全てだ」
特に最後の「敵の陽動に引っかかりポリィを死なせた」というのは、今回の事件を通して最大の後悔なのだが、ピペタは、それでも正直に述べたのだった。
今日は宴の月の第十二、黄金の日。すでに正午を大きく過ぎた時間帯であり、夕方になったらピペタは、またイスト伯爵の屋敷を警護しに行かねばならない。だから、それまでに、全ての打ち合わせを済ませる必要があった。
「イムノ・ブロト……。なるほどねえ、あいつが元凶ってわけかい」
聞き終わったゲルエイの第一声が、それだった。
「ゲルエイ、お前はイスト伯爵のことを知っているのか?」
「もちろん、直接の面識なんて、あるはずないさ。でも、あのブロト家の生き残りだろう? 当時は、ちょっとした有名人だったよ。噂なら、いくらでも耳に入ってきた」
彼女の『当時』というのは、記月事件の話だろう。五十年も昔のクーデター未遂なんて、ピペタには実感がわかない、歴史上の出来事だ。だが、実年齢が百歳を超えているゲルエイにとっては、話が違う。
「大臣だったブロト伯爵は、野心はあるけど頭が回らないという評判だった。本当のところは知らないけど、あたしら庶民の間では『ブロト伯爵が魔法医術に優れているというのも疑わしい』という噂だったよ」
これは少し、ピペタの認識とは異なる。今現在の通説では、その大臣こそが自慢の魔法技術を駆使して生体兵器を増産した、ということになっているのだから。
「では、そのブロト大臣ではなく、イムノ・ブロトの方こそ、クーデター計画の中心だった……?」
「いや、クーデターそのものは大臣だろうね。でも、生体兵器の開発なんてやっていたのは、おそらくイムノ・ブロトの方だよ。だから、あんたがポリィから聞いた話も、あたしには驚くような内容ではないね」
「そうなのか……」
ピペタが赤髪の女暗殺者から『イムノ・ブロト』の名前を聞いた時点で、もしもゲルエイのところに来ていれば、これだけの情報が得られていたのだ。その場合、その後の自分の対応も変わっていたのだろうか……。
今さら悔やんでも遅いことだが、ついピペタは考えてしまう。
だが、深く考え込んでいる場合ではなかった。
「そんなこと、もう、どうでもいいじゃないですか」
二人の会話を耳にして、ケンが口を挟む。
「昔の話はともかくとして、今、ポリィちゃんを殺したのは、そのイスト伯爵ことイムノ・ブロトなのでしょう? しかも、ポリィちゃんの兄さんを化け物に仕立て上げて、わざわざ妹を殺させるような真似を……」
ケンは落ち込んで放心していたように見えたが、それでも、きちんとピペタの話を聞いていたのだ。事情は完全に把握していた。
「それに、あんたは、そのポリィって娘に約束しちまったんだろう?」
今度は、ゲルエイがピペタに声をかける。
「ああ、すまない。私の判断で、勝手に正体を……」
「いいってことよ。死人に口無しだからね。でも……」
ゲルエイに、ピペタを責めるつもりはないようだ。
「死にゆく者の頼みだからこそ、生き残ったあたしらには……。特に復讐屋のあたしらには、その頼みを完遂する義務がある」
ゲルエイの瞳には、王都で復讐屋を営んでいた頃の輝きが、蘇っていた。
「僕も異存ありません。そもそも、ピペタおじさんも今、そのブロトってやつに命を狙われているのでしょう? ならば返り討ちにしてやりましょう!」
ケンは、しっかりとした口調だった。
本当は、ケンこそ、ピペタを責めたいだろうに……。
ピペタは、そう思ってしまう。
もっと早くにピペタがポリィに正体を明かして、彼女に代わって仇討ちを実行していれば、ポリィは死なずに済んだはずだ。それは、ピペタ自身が悔やんでいることでもあり、ケンだって指摘したいに違いない。
しかし、安易に正体を明かしてはならない、という裏稼業の掟を思えば、仕方のない話でもある。ピペタだけでなく、ケンも、その点をわかっているのだろう。かつてのケンは、その掟の重要さを理解しておらず、仲間の――今は亡き仲間の――メンチンに殴られることもあったのだが、ケンだって成長しているようだ。
そんなことを考えながらピペタは、ポリィから託された依頼料を、ゲルエイとケンの前に広げてみせた。ポリィが押入れにしまいこんでいたのは、全部で四枚の大判金貨。普通の金貨ならば四百枚に相当する大金だ。
「では、この三人でやるつもりかい?」
大判金貨を見たゲルエイが、最終確認のように、あらためて問う。
相手は、黒ローブの怪人、仮面の怪物と化したアンティ、黒幕であるイスト伯爵。全部で三人だ。
「いいんですか? この世界のルールで、こういうのは四人一組って決まってるんですよね? でも今回は、仕方ないのかなあ……」
ケンも少しだけ、疑問があるようだ。
四枚の大判金貨だって、四人で山分けするには便利だが、三人では難しくなる。
「ああ、そのことだが……」
ピペタが何か言いかけた時。
「誰か来た!」
大声でケンが叫んだ。
「ソムヌス……」
「待て待て!」
相手が誰なのか確認する前に呪文詠唱し始めるゲルエイを、ピペタは、慌てて止めた。攻撃魔法ではなく、睡眠魔法だったようだが、それでも困る。
「おそらく、私が呼んだゲストが来たのだろう。一緒に仕事を行う、四人目の仲間だ」
「仲間?」
ゲルエイが顔をしかめるのと、その『四人目』が姿を現したのが、同時だった。
「……俺としても、貴様たちと仲間になった覚えはないぞ」
赤髪の女暗殺者だ。
「へえ、ピペタの話に出てきた殺し屋かい。おいピペタ、あんた、どうやって渡りを付けたんだい?」
「彼女の仕事場まで出向いたのさ」
ゲルエイの質問に、素直に答えるピペタ。
この『幽霊教会』に来る前に、ピペタは『アサク演芸会館』まで足を運んだ。そして『投げナイフの美女』の熱烈なファンだ、という顔で、楽屋に乗り込んだのだった。
もちろん、普通ならば叩き出されて終わりだろう。しかしピペタは、街の警吏だ。ピペタの担当地区ではないが、演芸会館の人々も、都市警備騎士を相手に揉め事は好ましくない。だから表面上は笑顔を浮かべて、ピペタを『投げナイフの美女』に引き合わせたのだった。
「まるで道化だね」
「仕方ないだろう。それしか連絡手段がなかったのだから」
ピペタは、ゲルエイの言葉に苦笑してから、女暗殺者に向き直り、確認する。
「それよりも……。来てくれたってことは、この仕事に参加するって考えていいのだな?」
「ああ。標的が同じだからな」
彼女は、簡単に事情を説明する。
中年になってから授かった大切な息子と、その嫁を、イムノ・ブロトの生体実験の犠牲にされた老夫婦。殺してやりたいくらい憎んでも、彼ら自身に、その力はない。それで暗殺者に依頼したらしい。
「老夫婦は、その後、寿命で亡くなってしまった。依頼人が死んだら自動的にキャンセルという考え方もあるようだが、俺は違う。俺は俺の正義に基づいて、仕事を引き受けるからな。偽伯爵の悪行は、俺も許してはおけない」
彼女の口ぶりからは、暗殺者の矜持のようなものが感じられた。少なくとも彼女は、金次第で誰でも殺すような、一般的な暗殺者とは違うのだろう。
しかし。
「正義? 殺し屋風情が、大げさなことを言うねえ」
赤髪の女暗殺者の言葉を聞き咎めて、ゲルエイが茶々を入れる。
「何が正義で、何が悪なのか。それを個人で判断しようとするのは、傲慢だよ」
ゲルエイの態度は、赤髪の言い分を否定するものだった。
「……何が言いたい? 貴様たち復讐屋だって、恨みのある依頼人から金をもらって、恨みの対象である悪人を裁いているのだろう?」
「ああ、それは少し違うな」
ピペタが会話に割って入った。女同士に任せておくと、これ以上ヒートアップしそうだからだ。魔法使いと女暗殺者、互いに高い攻撃能力を持つもの同士が、喧嘩になったら大変だ。
「私たちは、別に『悪人を裁いている』とは思っていない。正義の味方とは違うのだ。私たちは、依頼人の恨みを晴らすだけだ。そこに善悪の判断は介入しない」
ピペタは端的に説明したつもりだが、通じなかったらしい。
「ふむ。言っていることが、よくわからないが……。まあ、いいだろう。最初に言ったように、俺は、仲間になるつもりはないからな。同じ標的だから一緒に始末する。ただ、それだけだ」
「上等さ。あたしだって、主義の合わないやつと仲間になるのは無理だね。でも今回に限り、一緒にやってやるよ」
共に裏仕事をしようというのに、反目しあう女たち。
そんな険悪の雰囲気を壊すかのように、ケンが言葉を挟む。
「あのう……。それで、殺し屋のお姉さんのことは、どう呼べばいいのです? ちなみに、僕はケン。ここではケン坊と呼ばれています」
まだ自己紹介すらしていないことを、ケンは指摘したのだ。
「あたしはゲルエイだよ。ピペタのことは、もう知っているのだろう?」
ゲルエイも、一応は名前を告げる。
女暗殺者は頷いて、正直に名乗った。
「俺の名前はモノク・ロー。『モノク』でも『殺し屋』でも、好きに呼んでくれ。だが……」
殺し屋モノクは、なぜか少し頬を赤らめた。
「……『投げナイフの美女』だけは勘弁な。あれは、あくまでも
彼女は、そう主張しているが……。
ピペタもゲルエイもケンも、モノクの表情から察してしまった。使い分けは建前に過ぎず、本当は『投げナイフの美女』という呼称が照れくさいだけなのだ、ということを。
その場の空気が、ほんの少し、やわらかくなる。
「そういえば……」
ピペタは、演芸会館での紹介文句を思い出して、持ち出してみた。
「『投げナイフの美女』は、異国出身の褐色美人と言われていたな。殺し屋は、東の大陸から来たのか?」
ススキ野原でモノクと対峙した際に思った彼女の出自を、この場で確認してみるのだ。
だがモノク自身が答えるより早く、ゲルエイが反応を示した。
「東の大陸? 殺し屋の肌の色は、南の大陸のものじゃないのかい?」
「ほう。よく知っているな」
モノクが語る。
「俺は東の大陸で生まれた。だが、遠い先祖は、確かに南の大陸から来ていたらしい。勇者伝説より昔の時代に、南の大陸から東の大陸へと渡った人々……。その末裔が、この俺、モノク・ローだ」
「へえ。モノクお姉さんは、国際色の豊かな血筋なのですねえ」
ややピント外れの感想を述べるケン。モノクを『殺し屋』と呼ぶようになったゲルエイやピペタとは違って、ケンは『モノクお姉さん』という呼び方を使おうと決めたらしい。
ともかく。
共に仕事に向かうという意思確認は出来たし、自己紹介も済ませた。これ以上、ここで話すこともないだろう。細かい打ち合わせは、現場で行う方が良い部分もある。
そう考えたピペタは、四枚の大判金貨の中から一枚を自分の懐に収めて、瓦礫から立ち上がった。
「では、そろそろ私は、イスト伯爵の屋敷に向かうが……」
同じ警護の仕事だが、昨日までとは違う。
今日は、素直に屋敷を守るつもりもないし、中を探ろうとも考えていなかった。
少し冷たい口調で、ピペタは宣言する。
「ここから先は、裏の仕事だ」
「はい、ピペタおじさん! 僕たち復讐屋の仕事ですね!」
ピペタの言葉に、瞬時に反応するケン。
この二人の台詞を――今と全く同じ言葉を――、ゲルエイは、これまで何度も耳にしてきた。
復讐屋として標的を始末しに行く時の、決め台詞のような言葉だ。
懐かしく思うと同時に。
ゲルエイは、復讐屋ウルチシェンス・ドミヌスの再始動を強く実感して、依頼料の大判金貨に手を伸ばすのだった。
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