第十五話 正体
「はあ……」
ポリィは、小さくため息を漏らした後、ピペタ・ピペトに対して、複雑な笑みを向けた。
観念した、といった感じにも見える表情だ。
続いて、大きく扉を開いて、ピペタを中に招き入れる。
「確かに、ここで語るべき話題ではないですね。どうぞ、お入りください」
ピペタは素直に招待を受けて、彼女の後に続く。前回のように居間へ通されると思ったのだが、違っていた。ピペタが連れてこられたのは、ポリィの寝室だった。
足を踏み入れた途端に、ピペタは思う。
いかにも、若い女性の寝室だ。ポリィという少女が、毎晩、寝泊りしている部屋だ。
室内の装飾だけでなく、部屋に染み付いた匂いが、ピペタの寝室とは大きく異なっているように感じられた。
「どういうつもりだ?」
思わず聞いたピペタに対して、ポリィは簡潔に答える。
「見ての通りです」
彼女が伸ばした手の先にあるのは、ポリィが毎晩を過ごすはずのベッド。だがシーツが整えられており、眠った形跡の見られないベッドだった。
普通に考えれば、起床直後に、丁寧にベッドメイクをするわけもない。一晩、ベッドを使っていないのだろう。
つまり。
彼女は、夜中に出かけていたと認めたことになる。
「なるほど、そちらの意味か……」
夜中の外出が、すなわち屋敷の襲撃を意味するものではない。だが、少なくとも合致する方向性の出来事であることは間違いない。
「ピペタ様、寝室に案内されて、もしかして誤解しました?」
賢い娘であるポリィは、ピペタの「そちらの意味か」という呟きから、彼が別の可能性を――『そちら』ではなく『あちら』を――想定していたと悟ったらしい。
よほど面白かったのか、ポリィは、からからと笑い出した。
その笑いが収まってから、彼女はベッドに腰を下ろして、言葉を続ける。
「ピペタ様も男なのですね。この私が、体を差し出すことで、ピペタ様を懐柔しようとしている……。そんなこと想像するなんて……」
彼女の明るい声は、そこまでだった。
ポリィの表情が曇り、声の響きも変わる。
「ピペタ様が相手であるなら、私は抱かれても構わないのですが……。でもピペタ様は、そのような状況を利用して女を抱いてしまうような、卑劣な男ではないですよね」
ここで男女の関係になることを、ポリィは自分から話に持ち出しておきながら、勝手にピペタを評価した上で、その提案を自分で否定したのだ。
これが女性特有の狡さだ。そうピペタは感じる。
「残念ですわ」
「私も残念だ」
一瞬、悲しそうな笑みを浮かべるポリィに対して、ピペタも賛同の言葉を口にした。
ポリィが、ベッドの上の、自分の隣の辺りをポンポンと叩く。ここに座れ、という意味なのだろう。
この部屋には椅子はないし、男女関係的な意味の誘いと違うのは、今彼女が述べた通りだ。ピペタは、小さく頷いてから、彼女の横に腰を下ろした。
それが合図であったかのように、ポリィは本題に入る。
「まさか、あの場にピペタ様がいらっしゃるなんて、思いもしませんでした」
襲撃の件を、自分から語り始めたのだ。
彼女はピペタの顔を見ようともせず、前を向いたまま、言葉だけをピペタに投げかけていた。
「素直に引き下がれず、つい立ち向かってしまい……。ごめんなさい」
謝罪の言葉を口にする時だけ、ポリィはピペタの方に顔を向けた。
口だけではなく、心から謝っているような顔だ。彼女の表情から、ピペタはそう判断する。
「謝られても困るのだがな」
どう対応したらいいのか、少し困惑して、苦笑するピペタ。
それに対してポリィは、特に言葉を返すのではなく、またピペタから顔を逸らして、前を向いて話を続ける。
「正体がわからぬように、顔も隠したつもりでしたが……。やはりピペタ様は、一流の剣士なのですね。剣を交えたら、それだけで、何でも理解してしまう。あの一瞬だけで、もう全て、お見通しだったのですね」
ピペタは敢えて否定しなかったが、ピペタが彼女の正体に気づいたのは、剣の腕前とは関係なかった。
実のところ、判断の決め手となったのは、交錯した際に感じた『匂い』だったのだ。
あの時。
汗の吹き出した女襲撃者の体臭を、ピペタは「甘く、心地よい香り」と感じてしまった。同時に「この匂いには覚えがある」と思ったのだ。そして頭に浮かんだのが、ポリィのことだった。
そう、初めてポリィの部屋を訪れた時の出来事だ。
居間のソファーに、並んで座っていた二人。その最後にポリィは、ピペタにもたれかかって、身を預けるような形で眠ってしまった。若い娘との密着感を強く意識すると同時に、ポリィの体から漂う、甘い香りに心がくすぐられたピペタ……。
その記憶が脳裏に刻まれており、女襲撃者の発する体臭と、イメージが重なった。
これにより、ピペタは、全てを悟ったのだった。
「太陽の日の夜……。いや、月陰の日の明け方と言うべきか。イスト伯爵の屋敷を襲ったのは、君だったのだな」
ピペタは、ポリィの横顔を眺めながら、自分の推理を確認する意味で、話し始めた。
小さく頷いたポリィは、ピペタの方に向き直った。
顔を合わせて話すつもりになったのだろう。
彼女の表情に浮かぶ決意の色を見てから、ピペタは言葉を続ける。
「ならば、私と初めて会った時に、黒ローブの怪人から追われていたのも……。朝の散歩途中に襲われたという話は真っ赤な嘘で、本当は、イスト伯爵を襲撃した帰りだったのだな」
最初にポリィから酒場で働いていると自己紹介されて、ピペタは、夜の仕事を一晩中こなす女だと勘違いして「今朝も仕事帰りだったか」と尋ねてしまったのを覚えている。
あの時ポリィは「仕事は夜のうちに終わるから違う」と笑って返していたが、内心では動揺していたに違いない。実際には『仕事帰り』どころか『襲撃帰り』だったのだから。
「そうです。イスト伯爵を殺すつもりで忍び込んだ私は、庭を抜けて玄関に足を踏み入れた途端、あの黒いローブを着た怪物たちの二人組に出くわしました」
この言い方だと、黒ローブの怪人が玄関近辺をうろついていたようにも聞こえるが、そんなはずはないだろう。それでは、何も知らない一般人やピペタのような警吏が屋敷を訪ねた時に、イスト伯爵が化け物を飼っていると知られてしまう。
おそらく、侵入者が庭に立ち入ったのを察知して、イスト伯爵が怪人二人を差し向けたのだ。ならば、イスト伯爵からの話にあった「使用人の大男が襲撃者を撃退した」というのも、作り話だったようだ。
「あのような怪物に、私が勝てるはずもなく……。その日は、さっさと逃げ帰るしかなかったのです」
「そしてそのまま、あの二人組が、君を追いかけ続けたわけか」
口を挟みながら、ピペタは、少し話の辻褄が合わないとも感じる。
ピペタとポリィが街で出会ったのは、確かに午前中だが、今よりもはるかに遅い時間だった。明け方に屋敷を襲った後、それまでずっと怪人たちから逃げ続けたというのは、若い娘の体力を考慮すると、困難な話にも思えるのだ。
ポリィは軽く首を振って、ちょうど、その点を説明し始める。
「厳密には、少し違います。あの屋敷から逃げ帰った私は、最初は、この家にまっすぐ戻るつもりでした。でも、しばらく歩くうちに、誰かに後をつけられているような気がし始めたのです」
「なるほど。イスト伯爵は、すぐに君を始末するよりも、まずは
襲撃者を返り討ちにすることは簡単だが、襲撃者の背後には、実行犯を操る黒幕が存在しているかもしれない。その可能性を心配するならば、まずは様子を探るのが得策だったのだろう。
「そうでしょうね」
ポリィはピペタの解釈に同意してから、その朝の行動について、話を続けた。
「これでは、家に帰るわけにもいかない……。私は、そう考えました。でも頼るべき人物もおらず、ただ街を歩き回る間に、自然と『
無目的に歩く間に、慣れ親しんだ場所の方へ向かってしまうというのは、ピペタにも理解できる話だった。その傾向はピペタも強く、だからこそ意識して逆に「いつもとは別の場所へ」ということで街の北側を散策していた結果が、ポリィとの出会いに繋がったくらいだった。
「そのうち、私が家に帰る気がないと向こうも悟ったようです。途中から、尾行ではなく、その場で私を抹殺する方向にシフトしたのでしょう。人通りが少ない場所で、私に襲いかかってきました」
「そこで私と出会ったわけだな」
その時の様子を、ピペタは思い返す。
ポリィは赤褐色のローブを着込んでおり、ローブに付随するフードを深く被っていた。ローブが暗めの色だったのも、顔を隠していたのも、襲撃帰りだったからなのだ。
「そうです。立派な騎士様の登場に、あの時の私は、心から救われる気分でした」
「まるで、善良な一般市民のような言い方だな」
ピペタは、チクリと毒を吐いた。
出会いの瞬間から、ピペタは騙されていたようなものだ。実際には、ポリィはイスト伯爵の命を狙ったために、返り討ちにあうところだった。もしも最初からピペタがそれを知っていたら、対応も違っていたかもしれない。
「では、その後に私を部屋に呼んだのも……。あわよくば、色仕掛けで私を手駒にするつもりだったのかな?」
「まあ!」
ポリィは、弾かれたように驚きの声を上げてから、少し小首を傾げてみせる。
彼女の正体を知ってなお、こうした仕草を、ピペタは「可愛らしい」と感じてしまった。
「そうですね。その気持ちは全くなかった、と言ったら嘘になりますが……」
彼女の言葉を、ピペタは残念に思う。
善良な少女の身を守ったことで、純粋に感謝の気持ちを表されたと思ったからこそ、もてなしを受けたのに。
純真無垢な少女が酔いつぶれて眠ってしまったと思ったからこそ、ピペタは肩を貸したまま、一緒に寝てしまったのに。
全てポリィの、計算ずくの行動だったとは!
「……でも、あの時、ピペタ様に助けていただいて、深く感謝していたのは本心ですよ?」
もうピペタは、彼女の言葉を素直に受け取れない。
ポリィが本当に『深く感謝していた』としても、それは、守ってもらったことではないだろう。それよりも、襲撃の障害となる怪人二人組の片方を始末してもらえたからではないだろうか。正確にはピペタではなくゲルエイが倒したのだが、そこまでポリィは知らないのだから。
「それに、少しピペタ様と話をするだけで、ピペタ様の人となりも理解できました。ピペタ様は、とてもじゃないですが、私の『手駒』になるような人ではありませんわ」
そう言って微笑むポリィを見て妖艶な女と感じるのは、ピペタが、その正体を知ってしまったからかもしれない。
「少なくとも、あの場で君が嘘を語ったのは間違いないのだろう? 黒ローブの怪人に襲われた理由として、君の働く酒場に怪しい二人組が現れたという話……」
「ああ、あれですか。前の晩に、同じような黒いローブの二人組が怪しい会話をしていた、という話ですね。ごめんなさい。あれは、あの場で即興で、でっち上げた物語です。だって、私が先に襲ったなんて話、出来ませんから」
少し悪びれたように、彼女はペロッと舌を出す。
こうした仕草も、ポリィのような若い娘には似合う。そうピペタは感じるが、口では別の言葉を語るのだった。
「すっかり騙されたぞ。酒場での出来事が話の発端かもしれないと思って、わざわざ客として出向いてしまったではないか」
「ありがとうございます。あんな形であっても、ピペタ様が『
「その言葉は、本心として受け取っておこう」
社交辞令かもしれないと思いつつも、ピペタは、そう言っておく。
「酒場からの帰りに、黒ローブの怪人が再び現れたのも……。酒場を見張っていたのではなく、前日の朝の逃走経路から、君を探していたのだな」
時系列順に話を進める意味で、ピペタは、火炎の日の出来事を持ち出した。
「そうだと思います。あの時も、ピペタ様のおかげで、助かりました」
あの夜は、ピペタだけではなくケンもいたのだが。
ポリィは、まるでケンの存在などなかったかのような口ぶりだ。ケンが聞いたら、さぞや悲しむに違いない。心の中で苦笑しながら、ピペタも、今はケンに言及する必要はないと思っていた。
「ふむ。そうやって黒ローブの怪人に追われる暮らしになりながらも、イスト伯爵襲撃は諦めなかったわけだな」
「二人いたはずの怪物が一人に減りましたからね。チャンスだと思いました。連日では警戒を強められるかと心配して、少し期間をおいてから再度の襲撃に及んだのですが……。まさか、その間に、ピペタ様が警護に雇われていようとは!」
これで、ここまでのポリィの行動は、だいたい理解できた。
ポリィが二度目に屋敷を襲撃した際、最初はピペタと戦っておきながら、黒ローブの怪人が乱入してきた途端にそちらを狙ったのも、複数の理由があったのだろう。
まず、黒ローブの怪人はイスト伯爵の直接の配下であり、一方、ピペタは街の警吏だ。いつまでも警吏がイスト伯爵の屋敷に関わるはずもなく、いずれは警護の仕事も終わるだろう。あの時、無理してピペタを排除する必要はなかったのだ。
第二に、すでにポリィも黒ローブの怪人から命を狙われる立場になっていた。もう二度とポリィがイスト伯爵の屋敷には行かないとしても、怪人の方から街でポリィに襲いかかる可能性がある。もはや襲撃をする際の邪魔になるというだけでなく、早く怪人を仕留めてしまわないと、日々の暮らしも
第三に、心情的な理由もあるはずだ。ピペタとは親密になったため、ポリィもピペタと戦うのは気が進まないに違いない。
「いや……」
この三番目の理由は、ピペタの自信過剰かもしれない。ピペタの方ではポリィに対して親愛の情を感じていても、ポリィも同じとは限らない……。
「ピペタ様、何でしょうか?」
ポリィが、少し不思議そうに首を傾げた。
ピペタは内心で考え込んでいたつもりだったのに、口から「いや」という言葉が出ていたのだ。そこだけ耳にすれば、ポリィには意味がわからないのも当然だろう。
だがピペタは、今考えていた内容を素直に述べることは出来なかった。心情的な側面を直接話題にするのは、抵抗があったのだ。
代わりに、適当に別の話に繋げる。
「いや、なぜ私が、イスト伯爵に警護役として指名されたのか……。それを少し考えてしまってな。こうして事情が明らかになってみると、隠された意図がありそうだ」
「ああ、それでしたら……。私がピペタ様を巻き込んでしまったからでしょうね」
「君が私を?」
「ええ、そうです。最初の日に、私を助けて、あの怪物たちと戦ったでしょう? あれでピペタ様は、私と結託していると思われたようです」
しかも、二人組の怪人のうちの一人は、ピペタに追われた結果、イスト伯爵の屋敷には戻ってこなかったのだ。怪人の最期について詳しく知らないイスト伯爵から見れば、ピペタが怪人を始末したように思うのも当然だった。
「つまり……。イスト伯爵は、この私を襲撃犯の一味だと誤解したわけか」
そう認識した上で屋敷の警護を任せるというのは、一見、意味不明な話にも思えるが……。殺しても死なないような怪人を手駒に抱えているならば、事情は異なるだろう。
「おそらく、襲撃にかこつけて、私もピペタ様も一緒に始末するつもりだったのでしょう。実際に今朝、私が屋敷に侵入したら、あの怪物が出てきたように……」
「そうだな。そう考えれば、あの場での怪人の行動にも、筋が通る」
ピペタは納得した。
ポリィは知らないだろうが、イスト伯爵の命を狙っているのは、ポリィだけではない。ポリィよりもはるかに腕の立つ、赤髪の女暗殺者がいるのだ。
そのどちらが来た場合でも――そのどちらかと裏で通じているとしても――、警護任務がある以上、ピペタは相手をせざるを得ない。本気で戦わないとしても、その素振りだけは見せるはずだ。その隙に、襲撃者もピペタもまとめて始末してしまおう……。
それがイスト伯爵の側の計画だったに違いない。ピペタは強敵なので、一対一で戦うよりも『襲撃』を利用した方がいい。そう判断したのだろう。「ピペタが怪人の一人を倒した」と誤解しているならば、なおさらピペタを強敵として警戒するのだろうから。
実際、ポリィの襲撃があるまで、黒ローブの怪人は現れなかった。そして、出てきてすぐに、襲撃者ポリィではなくピペタを狙った。イスト伯爵の配下である怪人が、イスト伯爵を警護する役目であるはずのピペタを、最優先で排除しようとしたのだ。
そしてポリィが撤退して、利用できる者がいなくなると、怪人も
「最初から私は、殺されるために呼ばれたことになるのか……」
ピペタは警護の任務中に殉職する、という筋書きだ。
そう考えれば腹も立つが、それよりも今は、ポリィの話だ。彼女の行動自体は理解したが、その動機は、まだ不明だった。
「ポリィ、教えてくれ。なぜ君は、あのイスト伯爵の命を狙ったのだ?」
ピペタの言葉に、ポリィは目を閉じた。
深く考え込んでいるようだ。
そして。
再び目を開い時、彼女の瞳には、強い恨みの色が浮かんでいた。
恨み。
それは、ピペタが、よく知る感情だ。かつて王都で復讐屋として活動していた頃に、このような目をした依頼人を、ピペタは数多く目撃してきた。
彼らの顔を思い浮かべるピペタに対して、同じ表情で、ポリィは宣言する。
「イスト伯爵は、兄の
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