第十四話 乱入

   

「ピペタ隊長!」

 ピペタ・ピペトの後ろで、タイガが叫ぶ。それまでの余裕をかなぐり捨てたような、切羽詰まった感じの声だった。

「心配することはない! 慌てるな!」

 ピペタが一喝する。

 黒衣の女襲撃者が、まず標的としているのは、タイガではなくピペタのようだ。まっすぐ一直線に、ピペタ目指して向かってきていた。

 さて、どうしたものか。この程度の相手、ピペタが適切な間合いで剣を一振りすれば、そのナイフを弾き飛ばすことも、ナイフごと右手を斬り飛ばすことも容易だろうが……。

 しかしピペタの真の目的は、彼女を捕縛することでもなく、撃退することでもない。イスト伯爵の近辺まで、彼女に踏み込ませることだ。そのためには、少しだけ奮戦してみせた後、上手く彼女を誘導して……。

 そこまでピペタが考えた時。

 女襲撃者が急に、突進の向きを変えた。

「何っ!」

 叫ぶピペタの目前で、無理に方向転換して、タイガへと向かったのだ。どうやら、ピペタ狙いというのは見せかけに過ぎず、彼女なりのフェイントだったらしい。

「素人の浅知恵が! 私をなめるな!」

 ピペタは、慌てて剣を振るう。

 彼女の突撃からタイガを守ろうというより、むしろ、タイガから彼女を保護したかったのだ。この女襲撃者の技量では、ピペタどころかタイガにも簡単に組み伏せられるかもしれない。そうピペタは感じたからだった。

 ガキンという金属音が、闇夜の中に響く。

 ピペタの騎士剣と、彼女の大ぶりなナイフが交錯した音だった。

 彼は適度に手を抜いて、彼女自身を斬るでもなく、武器を叩き落とすでもなく、そのナイフを受け止める程度に剣を出したのだった。

 同時に、ポンッという軽い音が聞こえたかと思うと、一瞬だけ、空が明るくなる。

 照明弾だ。

 タイガが、携帯していた小筒で、信号弾を打ち上げたらしい。襲撃者が来た、という合図だ。ピペタの後ろでオロオロしているだけにも見えるタイガだったが、彼は彼で、それなりに職務を果たしているようだ。

「よくやったぞ、タイガ!」

 ピペタは、一応そう言っておく。

 これで、裏門を見張っていたウイングとラヴィも、この場に集まってくるだろう。それでは、ますます女襲撃者がつかまる可能性が高くなるから、ピペタの計画的には嬉しくないのだが、それを口に出すわけにもいかない。

 そして。

 今の一瞬、明るくなったのを利用して、あらためてピペタは、女襲撃者を観察した。

 やはり、身のこなしは素人だ。

 しかし相手の方でも、ピペタのジロジロとした視線を感じたらしい。襲撃してきた立場としては、間近で警吏から見られるのは嫌なのだろう。すぐに彼女は、パッと後ろに飛び退いて、ピペタと距離をとった。


「ふむ。それくらいの運動神経はあるのか」

 相手を褒めるような言葉を発するピペタだったが……。

 ほんの一瞬ピペタと剣を交えるだけでも、彼女の肉体には一苦労だったのかもしれない。あるいは、一流の剣士が発する威圧感プレッシャーに、気圧けおされたのかもしれない。女襲撃者は、酷く汗をかいているようだった。もちろん、そこまで視覚的にはわかるはずもないが、ピペタは、嗅覚でそれを理解したのだった。

 別に変態的な意味ではなく、おそらく男性の本能として、ピペタは時々、若い女性の汗や体臭を「心地よい香り」と感じてしまうことがある。今こうして敵として相対あいたいしているにもかかわらず、女襲撃者から漂う匂いを、ピペタは「気持ち悪い」とは思えなかった。むしろ、心をくすぐられるような感じだ。そして、この『匂い』が、ピペタの脳裏に、あるイメージを想起させた。

「この香りは……!」

 だが、それについて、彼が深く考える余裕はなかった。

「ピペタ隊長! もう一人、来ました!」

 ピペタの背後で、タイガの叫び声。

 おかげで、助かった。

 気配も殺気も感じさせずに忍び寄る黒い影が、横合いから飛び込んできていたのだ。

 タイガの言葉がなければ、目の前の女襲撃者に集中していたピペタは、この乱入に気づかず、手傷を負っていたかもしれない。

「何者っ!」

 相手を確認するより早く、ピペタは剣を振るう。

 手加減せず、本気の一撃だったが、今度の相手は、かろうじてピペタの斬撃を回避する。まるで、ピペタの剣筋を心得ているかのような動きだった。

「なるほど……」

 新しく現れた相手に視線を向けて、ピペタは理解する。

 漆黒のローブに身を隠し、深々とフードを被った乱入者。右の手首から先が欠けており、左手一本で剣を握っている。そして人間の気配は全く漂っておらず、ごく薄い殺気が感じられるのみ……。

「ついに現れたな!」

 そう。

 今、ピペタと対峙しているのは。

 赤髪の女暗殺者から『化け物』とも『偽伯爵の私兵』とも称された、あの黒いローブの怪人だった。


 最初は月陰の日に、ポリィという少女を守って、戦うことになった。二度目は火炎の日、物陰からこちらの様子をうかがっていたのに気づいて、問いただした結果、追いかける形になった。

 そして、これが三度目だ。ピペタが、この黒ローブの怪人を相手にするのは。

「今日こそ仕留めてやる!」

 後ろのタイガには聞こえぬよう、小声で決意を口にしながら。

 ピペタの方から、斬り込んでいった。

 先ほど渾身の一撃をかわされているので、今度は途中で手首を返して、斬撃から刺突に切り替える。少しでも相手の意表をつこうという意図だ。

 しかし、この攻撃も、怪人は体を捻ってかわす。完全な回避ではなく、少しかすめる程度には当たったが、そんなものが人外の化け物にとって、大きなダメージになるはずもない。

「そういえば……」

 ピペタは、最初の日に怪人の胸を刺し貫いたことを思い出した。今の一撃も、全くの初見というわけではなかったのだ。

 そして。

 ピペタの攻撃直後の隙をついたかのように、今度は、黒ローブの怪人がピペタに斬りかかる。剣を握るピペタの手を狙っているらしい。

「右手を斬り落とされた、仕返しのつもりか!」

 だがピペタの『隙』は、相手が思うほど大きなものではなかった。

 突き出した剣をピペタはサッと引いて、怪人の一撃に対処する。手首を捻って下から斬り上げ、相手の剣をはねのけた。

 その勢いで、怪人は、大きく手を上げた状態になり、少し後ろによろめく。

 これこそ『隙』だ。

 チャンスだ。

 胸を貫かれても死なないような人外の化け物だが、残った左手も右手同様に斬り飛ばせば、少なくとも剣を無効化できるはず。

 そのつもりでピペタが剣を振るおうとした瞬間。

 二人の戦いの中に、いったん距離をとったはずの女襲撃者が飛び込んできた。

「素人娘が無理をするな!」

 慌てて叫びながら、そちらに対処しようとして、彼女の方に向き直るピペタ。

 だが、彼女の狙いは、ピペタではなかった。

 女襲撃者に対する反応が、ピペタよりも一瞬だけ遅れた怪人。その首筋に、彼女の大ぶりなナイフが、グサリと突き刺さったのだった。

「あれ? 仲間割れ?」

 後ろでタイガが、三人の戦いを見守りながら、のんきな声を出していた。


 乱戦に参加しても足手まといになるとタイガが判断したのだとしても、ピペタは彼を叱責するつもりはなかった。しかし今の「仲間割れ?」という言葉は、状況判断が酷すぎるだろう。

「こいつらは仲間ではない! それぞれ別々の襲撃者だ!」

 教え諭すように、ピペタは大声で叫んだ。

 実際には――赤髪の女の話が真実だとしたら――、黒ローブの怪人は、襲撃者どころか、イスト伯爵を守る側なのだろうが……。

 それは承知の上で、ピペタは、イスト伯爵からの訴えにあった話を持ち出す。

「タイガ、話を思い出せ! 襲撃は二度あったのだ!」

 しかも、その襲撃者は同一人物ではないという話だった。

 もしかしたら、タイガは、そこまで事情を理解していないかもしれない。一瞬ピペタは心配したが、それは杞憂だった。

「ああ、そうか。二度の襲撃は、それぞれ別人でしたね」

 納得したようなタイガの声。

 タイガは、あっさりとピペタの誘導に乗ってしまったのだ。自分が騙されているとは、全く気づいていないらしい。

 よく考えれば「以前の襲撃者は二人とも女」という話と、明らかに矛盾するのに。

 場の雰囲気に飲まれて、そこまで頭が回らないのだろうか。あるいは、暗さのために、黒ローブの怪人を女と誤認しているのだろうか。


 書き記せば長くなるが、ピペタとタイガの会話は、ごく短い時間で交わされたものだ。

 この間に女襲撃者は、怪人の首に突き立てたナイフを、グリグリと深く押し込んでいた。

 しかし。

 黒ローブの怪人は、特に痛みを感じた様子ではなかった。何をされているのか理解できない、といった感じのはあったが、すぐに我を取り戻して、反撃に出る。女襲撃者に向かって、左手の剣を振り下ろしたのだ!

「どけっ!」

 叫びながらピペタが、左手で彼女を突き飛ばした。

 同時に、怪人に向けて剣を出す。

 右手一本で握った剣だけで、上からの斬り下ろしを受け止めることは難しい。だからピペタも、最初からそのつもりではなかった。彼は、斜め方向に力を加えることで、怪人の剣筋をそらして、斬撃を受け流したのだった。

 そして怪人もピペタも、いったん後ろに飛びのいて距離を取り、体勢を立て直す。もちろん示し合わせたわけではないが、知らない者が見れば、そう誤解するかもしれない。それほど息が合った挙動だった。

 ちょうどこのタイミングで、ウイングとラヴィの声が聞こえてくる。

「ピペタ隊長!」

「無事ですよね?」

 裏門近辺にいた二人が、ようやく駆けつけてきたのだ。


 女襲撃者のナイフは怪人の首筋に刺さったままなので、今や彼女は手ぶらだった。その上、屋敷を警護する騎士も四人に増えた。

 これではイスト伯爵を襲うのは不可能と判断したらしい。女襲撃者は、正門の方へ向かって走り始めた。逃げ出すつもりだ。

「あっ!」

 タイガが声を上げて、彼女を追う素振りを見せるが……。

「追うな!」

 ピペタが、それを制止する。

「私たちの任務を思い出せ!」

 その簡潔な言葉に、真っ先に反応したのはウイングだった。

「私たちの目的は、襲撃者からイスト伯爵を守ることです。もちろん撃退するだけでなく、余裕があれば捕縛もするべきですが、その二つの優先順位を間違えてはいけません」

「ウイングの言う通りね。逃げた一人を追う間に、残った一人に伯爵を襲われたら、本末転倒だわ」

 ラヴィもウイング同様、ピペタの発言をよく理解していた。

 二人とも、黒ローブの怪人の首に突き立てられたナイフを凝視している。深々と首を貫かれながら平然と生きている化け物の存在を見て、これに対処するのが最重要と判断してくれたようだ。

「なるほど、この場合は『去る者は追わず』が正解なのですね」

 タイガも納得したらしい。

「そうだ! 四人で前後左右から取り囲むぞ!」

 また上手く部下たちを誘導できた、とピペタは思う。

 今のは、あくまでも建前だ。イスト伯爵の私兵であると思われる怪人が、そのイスト伯爵の命を狙うはずなんてないのだから。

 ピペタの本音は、少し異なる。

 逃げていった女襲撃者とは違って、黒ローブの怪人は手強てごわい相手だ。しかも正体がイスト伯爵の私兵というならば、屋敷内を探るために利用するというのも難しいだろう。

 ならば、二重の意味で、ここで仕留めるべき強敵だった。

 ピペタ一人では苦戦するだろうが、部下の騎士三人と上手く連携すれば、なんとかなるはずだ。

「見ろ! この怪物は片手だ!」

 ピペタは大声で、怪人の右手が欠けていることを強調した。それ以上は言わずとも、部下たちは理解してくれる。

「私も気づきました。首を刺されても平気な怪物でも、体の一部を斬り落とすことは出来る……。ならば、左も斬ってしまえば、もう武器は使えないわけですね」

 ウイングの発言を広げる形で、ラヴィも意見を述べた。

「手を失っても、まだ足がありますね。剣は持てずとも、蹴り技を繰り出すかもしれません。四肢を全部、斬り飛ばすべきでしょう」

 可愛い顔に似合わず、えげつないことを言う。だが、それでこそ、街の治安を守る都市警備騎士団の一員だ。

 心の中でピペタは、部下の女性騎士ラヴィを、好意的に評価するのだった。


 黒ローブの怪人も、さすがに騎士四人が相手では、どうするべきか、すぐには判断できなかったらしい。逡巡の間に怪人は、すっかり四人に取り囲まれてしまった。

 怪人の正面には、騎士小隊の隊長であるピペタ。警護の責任者ということで、ちょうど怪人と邸宅の間に立っている。

 怪人の左右には、それぞれウイングとタイガ。そして怪人の背後に回り込んだのがラヴィだった。

「まずいな……」

 内心の心配が、小さな呟きとなって、ピペタの口から漏れ出した。

 怪人と対峙してそちらに注意を向けていたので、特に配置は指示しなかったのだが、その結果、少しピペタの意図とは異なる形になってしまったのだ。

 もしも、黒ローブの怪人が包囲網を破って逃げ出そうとする場合。

 ここがアジトと露見しては困るので、怪人は一度、外へ出る方向に動き出すはず。つまり正門のある方向――現在の怪人の背後の方角――へ向かうことになるから、まずはラヴィを突破しようと試みるだろう。

 だから、彼女の持ち場は、重要なポジションなのだ。

 怪人の正体を知らずに素直に考えても、逃げるならば正門に向かうはず。それくらいわかるだろうから、ピペタが何も言わずとも、ウイングが怪人の背後に回り込むとピペタは期待したのだが……。

 もしかしたらウイングは、別の点を重視したのかもしれない。いくら人外の怪物であっても、背中には目がない以上、対峙する側としては、背後を取るのが一番安全。だから、そこを女性であるラヴィに任せた、という考え方だ。

 もちろん、怪人が向きを変えないという保証はない。だがピペタと向き合っている状態で、安易に背を向けるのは危険だから、今の状態を維持せざるを得ないだろう。それがウイングの読みなのではないか、とピペタは想像する。

「ピペタ隊長!」

 そのウイングが、注意を喚起するかのように、ピペタに呼びかけた。

 黒ローブの怪人が、一歩、前に踏み出したのだ。

「この私と、やり合う決心がついたか!」

 ピペタも、応じる構えを見せたが……。

 突然。

 怪人は、くるりと体を反転させて、ピペタに背を向け、ラヴィの方へ走り出した。

「まずい!」

 ウイングの読みよりも、ピペタの危惧が的中したようだ。

 ピペタは、咄嗟に叫んでしまう。

「ラヴィ、けろ! 無理はするな!」

 大声で叱責するような口調だった。

 ピペタの言葉の勢いに身をすくめて、ラヴィは二、三歩、横に動いた。

 そして、包囲網に空いた穴を抜けて、黒ローブの怪人が走り去っていく。

 怪人の両横を押さえていたウイングもタイガも手出し出来ない、一瞬の出来事だった。


「ピペタ隊長……」

 怪人の姿が見えなくなったところで、タイガが口を開く。ただの呼びかけだが、ピペタには、責めるような口調に聞こえた。

「どうして、ラヴィに『避けろ』なんて言ったのです? せっかく四人で一人を取り囲んだのですから、ラヴィが相手する間に、残り三人で取り押さえることも出来たでしょうに……」

「そうですよ、ピペタ隊長。私、思わず体が動いちゃったじゃないですか。ピペタ隊長の命令には絶対に従う、って体に刷り込まれていますから……」

 当のラヴィまでもが、不満じみた声を上げる。

「もしかして……。私では、あの化け物とは戦えない、って思いましたか? 三人が駆け寄る暇もないほど、一瞬で負けてしまう……。それほど私が弱い、って思っています?」

 ラヴィの言葉には、少し物悲しい響きがあった。これはいけない、とピペタは思う。

「いや、そういうわけではないが……」

「ピペタ隊長は、あくまでも万が一の場合を考えて、大事をとっただけなのでしょう」

 すかさず、ウイングがフォローの言葉を差し伸べてくれた。

「ピペタ隊長だって、ラヴィの力量は信用しています。それでも、こんなことで可愛い部下を傷つけたくない、と考えるのは当然でしょう」

「こんなこと?」

「可愛い部下……」

 タイガとラヴィが、それぞれ別の部分に反応している。

 この場合の『可愛い』は、女性に対する褒め言葉ではなく、おそらく『可愛い子には旅をさせよ』の『可愛い』に近い。つまり『大事な』というニュアンスだろう。

 そうピペタは思うが、あえて指摘するほど野暮ではなかった。この場はウイングに任せよう、と考える。

「だって『こんなこと』でしょう。先ほども述べたように、私たちの仕事は襲撃を防ぐことであって、捕縛は二の次です。余裕があるなら話は別ですが、その『二の次』をやろうとして、大怪我したら馬鹿らしいでしょう? 相手は、殺しても死なないような化け物なのですから……」

 つまり。

 ラヴィの力量を軽んじたわけではなく、その力は認めつつも、得体の知れない化け物から被害を受けるリスクが少しでもある以上、危険は避けたかった。相手を捕縛することは、最優先ではないのだから……。

 そういう理屈を、ウイングは提示してみせたのだ。

「さすがウイング。私の意図を、よく理解しているな」

「そういうことでしたら、まあ……。生意気なこと言って、すいませんでした」

 ラヴィも納得してくれたらしい。

 実際のところ。

 最初から怪人を追い返すだけならば、四人で取り囲むのではなく、四人が一列になって屋敷の玄関前を固めるべきだった。そうではなくて包囲網を敷いたのは、この機会に倒してしまおうと考えたからなのだが……。

 いざとなった時にラヴィに回避の指示を出してしまったのは、ウイングの言う通り「可愛い部下に怪我させたくない」という気持ちが、無意識に働いたのかもしれない。そして、そうしたピペタの心境の変化は見抜いた上で、ウイングは擁護の言葉を述べたのかもしれない。

 微笑むウイングを見て、ピペタは、そう考えるのだった。


 四人は再び二人ずつに分かれて、それぞれの持ち場で朝を迎えた。

 一晩の間に襲撃者が二人も現れ、その両方を撃退したということで、

「ご苦労様でした。今後も、この調子でお願いします」

 イスト伯爵からは、感謝されたのだが……。

 ピペタは「今回の『襲撃者』の一人は、実はイスト伯爵の配下の者だ」と察しているので、その言葉を素直に受け取る気には、なれなかった。

 ともかく。

 また夕方に詰所で集まるという取り決めの後、その場で四人は解散となる。普通に騎士寮へ向かうならば、同じ方向に帰るわけだが、ピペタは一人、三人とは別方向に歩き始めた。

「あれ、ピペタ隊長? どこへ行くつもりですか?」

 不思議そうなタイガに対して、ピペタは軽く笑いながら、適当に誤魔化す。

「ああ、少し一人で考え事をしながら、歩きたい気分だ。この屋敷の周囲をぐるりと一回りしてから、帰ろうと思う」

「さすがピペタ隊長、仕事熱心ですね」

 質問してきたタイガではなく、ラヴィが、勝手に納得したようだ。

「屋敷の外に、賊が侵入してきた時の痕跡が、何か残っていないか……。一人で調べるつもりなのでしょう? そういうのは、東部大隊の捜査班に任せればいいのに」

 それは彼女の買い被りなのだが……。

 心の中で苦笑しながらも、ピペタは特に否定もせず、軽く手を振って三人と別れた。


 ピペタは、三人の姿が見えている間は、言った通りに屋敷の近辺を徘徊する。だが彼らが見えなくなった途端、はっきりとした目的を持って、別の場所へ向かって歩き始めた。

 早朝の、人気ひとけの少ない通りを足早に進む。

 やがて、ピペタは目的地に到着した。

 集合住宅の扉をノックして、中の住人の反応を待つ。しばらく出てこないようならば、声をかけようかとも考えたが、その必要はなかった。

 すぐに、ドアを少しだけ開けて、住人が顔を出す。

「やあ、おはよう」

「あら、ピペタ様ではないですか」

 中から現れたのは、ポリィだった。イスト伯爵の屋敷からピペタが直行したのは、ポリィの住居だったのだ。

「どうしたのです? ピペタ様のような立派な騎士様が、こんな朝早くに、私のような若い女の部屋を訪れるなんて……。近所の人に見られたら、噂になりますよ?」

 そこまでピペタは考えていなかったが、彼女の言葉にも一理ある。

 この時間に彼女の部屋に出入りしたら、目撃者からは、そこで夜を過ごしたと誤解されるかもしれない。都市警備騎士団の一員であるピペタと、酒場で働く若い娘であるポリィとでは、立場の違いもあるだろう。

「私も女ですから、寝起きの状態では、男性であるピペタ様を部屋に上げたくないのですが……。困りましたね。扉の前で立ち話というのも、長引いたら、それこそ目撃される確率が高くなるだけですし」

 ポリィはピペタに「帰ってくれ、出直してくれ」と言っているようだ。

「ふむ。用件は手短に済ませるつもりだが……。そもそも、ここで立ち話をしたら、困るのは私ではなく、あなたの方だろうな」

「どういう意味です? 騎士様と噂になっても、むしろ私は光栄なだけですが……」

 あくまでもポリィは、騎士よりも身分の低い酒場女という態度を貫いている。騎士と庶民の身分の違いを大げさに考える者がいるのは、ピペタも理解しているのだが……。

 それならば。

 部屋の中ではなく、この場で、ピペタは話を切り出すことにした。

「そうではない。私は、先ほどの来訪について聞きにきたのだ」

「来訪? 何の話でしょう?」

「ほら、少し前の話だ。イスト伯爵の屋敷を訪れただろう? いや来訪ではなく、襲撃と呼ぶべきかな。なにしろ君は、黒衣姿でナイフを手にして、この私と斬り結んだのだから」

 少し口調を変えて、ピペタはポリィに、厳しい視線を向けるのだった。

   

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