第十三話 襲撃

   

 ススキ野原での一件の後。

 ピペタ・ピペトは急いで詰所に向かったが、すでに三人の部下は勢揃いしていた。三人とも、彼の到着を待ちくたびれていたらしい。

「遅いですよ、ピペタ隊長。自分で『もう少し早く』と言っておきながら……」

 タイガにまで、そんなことを言われてしまう有様だった。タイガだって、勤勉というよりも、お調子者という言葉が似合う人物であり、集合時間には結構ルーズなタイプなのに……。

 そう思いつつも心の中だけに留めて、ピペタは素直に謝罪する。

「ああ、すまない。ちょっと野暮用でな」

「ピペタ隊長、気にすることはありません。このタイガだって、たった今、来たばかりなんですから」

 女性騎士のラヴィが、ピペタを擁護するような言葉を口にしながら、軽くタイガの頭を叩いた。

 部下にフォローされるのは、ある意味では情けない話かもしれない。だがピペタは、素直に「助かる」と感じてしまう。

 ラヴィは陽気で活発な女性であり、それは騎士として適した性格だとピペタも思う。だが、それだけではなく、彼女は女性らしい優しさを垣間見せることもあった。今のピペタに対するフォローも、その一つなのだろう。

 タイガの頭を叩いたことにしても、むしろ親愛の情がこもっている行動に思えた。女性が男性に対して暴力を振るった、という話とは違うのだ。だからピペタから見て、特に不快感はなかった。

「では、行きましょうか」

 ウイングの言葉を合図に、四人はピペタを先頭にして、イスト伯爵の屋敷へと歩き始めた。


 詰所を出たところで、ラヴィが歩みを速めて、ピペタの隣に並んだ。彼女は、少し下から覗き込むような角度に首を傾げて、彼に向かって質問する。

「ところで……。野暮用って、何だったのですか?」

 まさか、そこを追及されるとは思わなかった。

 ピペタが一瞬、言葉に詰まっていると、後ろからウイングが語り出す。

「野暮用という言葉には、意味が二つありますね。第一に、プライベートではなく、仕事の上での些事。第二に、公私関係なく、つまらない用事。こちらには、その用事を曖昧に誤魔化すニュアンスがあります」

 ここまでは、辞書的な定義だろう。

「ピペタ隊長の場合、仕事前の話ですから、仕事関連ではありませんね。ならば後者ということになりますが……。後者の『野暮用』は、女性関連の用事を示す場合が多い、と私は感じています」

 ピペタは深く考えずに『野暮用』という言葉を使ってしまったが、まさか、こんな話になるとは……。

「いやいや、邪推してもらっては困る。本当に、意味なんて全くないぞ。ただ単に、わざわざ語るほどでもない、取るに足らない話で……」

 女暗殺者とススキ野原で対峙していたなどとは、間違っても口に出来ない。

 しかし、曖昧に済ませようとすればするほど、部下たちの興味をかきたててしまったようだ。

「あれれ? ピペタ隊長、怪しいなあ。やましいことがないなら、話してくださいよ」

「屋敷へ着くまでの雑談には、ちょうどいいじゃないですか」

 タイガだけなく、ウイングまでもが、話を促す。

 男性騎士コンビの言葉に、ピペタも観念したような表情になった。

「そこまで言うなら語るが……。先に言っておくが、特に面白い点なんてないぞ。夕方まで時間が空いたから、芝居見物をしていただけだ。」

 言ってからピペタは、演芸会館での演目を思い出して、少し訂正する。

「いや正確には、芝居ではなくて見世物小屋かな、あれは」

 彼の言葉に、ウイングとラヴィが、それぞれの反応を見せる。

「大衆娯楽の一種ですね。南中央広場から少し歩いた辺りにも、大きな演芸会館がありましたが、あそこでしょうか」

「へえ……。ピペタ隊長に、そんな趣味があったとは。少し驚きました」

 ウイングの発言は、質問の形式ではあったが、特に返事を期待したものではないだろう。ピペタは、それよりもラヴィの言葉に返すことにした。

「別に『趣味』というわけではない。本当に、ただ単に時間つぶしとして、ぶらりと入ってみただけだ」

 これでラヴィは一応納得したような顔だが、すかさずタイガが、悪い方向に話を広げてしまう。

「でも、その結果、ここへ来るのが遅くなったということは……。思ったより夢中になってしまったのでしょう? もしかすると、やはりウイングの言う通り、女絡みなのですか?」

 偶然なのだろうが、タイガは、鋭い指摘をしてきた。タイガは知るよしもないが、ピペタが演芸会館に入ったのは、赤髪の女を追った結果だったのだから。

 一瞬ピペタの顔に「痛いところを突かれた」という気持ちが出てしまう。それを見て、ラヴィも表情を変えて、しみじみと呟く。

「へえ、やっぱり女の人が関わる用件だったのですか……」

「いやいや、そういう意味ではないと言っているだろうに……。まあ、しいて言うならば、今日の演目のメインは『投げナイフの美女』という大道芸だったようだが……」

 その『投げナイフの美女』が終わった時点で席を立つ観客が結構いたので、その流れに乗って、ピペタも演芸会館から出た……。ピペタは、そこまで話して聞かせた。


 もちろん、その後の尾行や対決については、話すはずもない。それでも『投げナイフの美女』について敢えて語ったのは、話を誤魔化したい時こそ多少の真実を混ぜる方が良いと考えたからだ。

「凄い芸だったな。だが私は、純粋に娯楽として楽しむというより、警吏のさがで『もしも、こんな投げナイフを武器とする悪漢が出てきたら、どう対処するべきか』などと考えてしまった」

「なるほど。『投げナイフの美女』ですか」

「ああ、やっぱりピペタ隊長は、ピペタ隊長ですね。娯楽のはずの演芸を見ていても、仕事に当てはめてしまうなんて」

 ウイングの感想は短過ぎて、何を考えているのか、よくわからない。

 一方ラヴィは、ピペタの言葉をプラスに受け取ってくれたらしい。

「だが、ああいう見世物の紹介は、仰々しいものだな。別に絶世の美女というほどでもないのに『投げナイフの美女』だからなあ。少なくとも、私の好みではなかった」

 最後にピペタがそう言うと、これで、この話は終わりになった。

 ピペタは、隣のラヴィの様子をチラリと観察する。彼女の表情の変化から考えて、もう完全に納得してくれたようだ。

 ピペタは少し、部下の女性騎士の心境を想像してみた。

 おそらく彼女は、自分の慕う上司が女にうつつを抜かして仕事に遅れてきた、とでも考えたのではないだろうか。だから面白くない気分にもなったし、追求したくもなったのではないだろうか。

 これは別に、ヤキモチというわけではない。彼女が慕ってくれているのは、あくまでも「上司として」であり「異性として」ではない。ピペタは、そう理解していた。

 もしも若い頃ならば、ピペタだって、自分が恋愛的な意味で好かれているとか、ヤキモチを焼かれているとか、勘違いしたかもしれないが……。今の自分は大人だから大丈夫、とピペタは自信を持っていた。

 そして。

 これでは男を勘違いさせてしまう可能性もあるから、ラヴィは男性騎士の間で、彼女自身が思っている以上にモテてしまうのだろうな……。

 ラヴィの人気について、そんな感想をピペタはいだくのだった。


 イスト伯爵の屋敷に着いたピペタたちは、昨日と同じく、仮面の大男を従えたイスト伯爵に出迎えられた。ただし、昨日とは違って「もう少し早く来い」と文句を言われることはなかった。詰所での待ち合わせにピペタが少しくらい遅れたところで、それでも屋敷の警護の仕事は、かなり昨日よりも早く始められるからだろう。

「では、今夜も頑張ってください」

 イスト伯爵は、すぐに建物の中へ引っ込んだ。それを見届けてから、ピペタたち四人は、それぞれの持ち場につく。

 昨晩の想定通り、今日は、ピペタがタイガと二人で建物の玄関前に立ち、ウイングとラヴィの二人に裏門を見張ってもらう配置となった。


 そして、深夜を過ぎた頃。

「こう何もないと……。退屈で眠くなりますね。それでなくても、普通ならベッドの中にいる時間だからなあ」

 あくびをしながら、タイガが愚痴をこぼした。

 確かに『普通ならベッドの中にいる時間』だが、夜の仕事に備えて、昼間たっぷり寝ておくように、ピペタは命じておいたはずだ。もちろん、急に昼夜逆転の生活を始めようとしても、体が対応してくれないということはあるから、ピペタとしても、タイガの気持ちは理解できるのだが……。

 それでも、一言くらい、釘を刺しておくべきだろう。

「いつ敵が来るか、わからないのだ。あまり気を緩めるなよ」

「でも、ピペタ隊長。襲撃者は、二度とも女だったって話じゃないですか」

 タイガは、ピペタの言葉を重く受け止めてはおらず、むしろ「しょせん相手は女」と甘く見ているらしい。

「可愛いだといいなあ……」

 ついには、そんな発言まで飛び出したので、これにはピペタも驚いた。

「おい、タイガ。お前いったい何を考えている? お見合いかパーティーにでも来たつもりか?」

「いやいや、さすがに、今の言葉は冗談です」

 タイガは、自分の失言を物理的にかき消すかのように、両手を左右に振った。

「でも強敵じゃないことは確かなのでしょう? ここの使用人に追い返される程度なのですから。だったら、ピペタ隊長一人でも十分……」

「私に全部、任せるつもりか?」

「すいません。そういう意味じゃないのですが……」

 それからタイガは、とってつけたように、こんなことを言い出した。

「案外、こうして僕たちが警護しているだけでも、襲撃者は恐れをなして、入ってこられないかもしれませんね。実際、昨日も何もなかったわけですし」

 ピペタから見ると、お調子者のイメージが強いタイガだが、彼は時々、鋭い指摘をすることがある。

 ピペタたちの警護が抑止力になっているというのは、事実なのだろう。タイガは気づいていないはずだが、実際に昨晩、誰かが――おそらく例の赤髪の暗殺者が――外から中の様子をうかがう気配を、ピペタは感じていたのだから。

 今日は、まだ彼女の『気配』はない。しかし、夕方わざわざピペタに対して色々と語り、最後に「手を引け」とまで要求してきた以上、彼女は必ず来るはずだ。もちろん今日とは限らないが、明日か明後日か、近い将来に必ず……。

「確かに、タイガの言うことにも一理あるな。それに、襲撃がないなら、それが一番だろう。それでも警戒だけはしておくように」

 赤髪の暗殺者の話は出来ないし、あまり部下を叱ってばかりも良くないので、とりあえずピペタは、そう言っておいた。

「はい! 気持ちだけは、準備しておきます!」

 ピシッとした口調で返事するタイガを聞き流しながら、ピペタは、襲撃者への対処を考える。


 口では「襲撃がないなら、それが一番」と言っておきながら、ある意味、ピペタは襲撃を心待ちにしていた。

 本来、都市警備騎士としては襲撃者を撃退するべきだが、このイスト伯爵の警護という職務を忠実に実行するつもりは、今のピペタにはない。あの赤髪の暗殺者から教えられたように、伯爵が黒ローブの怪人の親玉ならば、守るに値する人間ではないからだ。

 もちろん、彼女の言葉が真実だという保証もない。だからピペタは、襲撃があったら、素直に相手を倒してしまうのではなく、襲撃のドサクサに紛れて邸宅に踏み込むつもりだった。屋敷の中を探って、何らかの証拠を手に入れようと考えていたのだ。


 何も起こらないまま、時間だけが過ぎていく。

 明け方が近づいたが、まだまだ辺りは暗い。そんな時間帯が訪れた頃。

 ピペタは、正門近辺で、黒い影が動いたのに気づいた。

「あれ? 風もないのに、あそこの茂みが少し揺れたような気が……」

 タイガですら、異変に気が付いたくらいだ。

「よく見ろ、タイガ。人影があるぞ!」

 言葉の上では「見ろ」という表現を使ってしまったが、ピペタだって厳密には、目で『見た』わけではない。ピペタは、侵入者の気配を察知していたのだ。

 あの赤髪の暗殺者とは違う。彼女の放つような鋭い殺気は、この相手からは感じられない。もしかすると、専門の暗殺者や盗賊ではなく、この襲撃者は素人なのではないだろうか。

 どちらにせよ、襲撃者が来たことだけは間違いない。正門に動きはなかったから、塀を乗り越えてきたのだろう。

「見えているぞ! そこにいるのだろう? 武器を捨てて、おとなしく出てこい!」

 茂みの陰に隠れた襲撃者に対して、ピペタは大声で叫んだ。同時に、威嚇の意味で、剣を抜く。

「そうだ、出てこい!」

 小隊長のピペタに追従するかのように、部下のタイガも大声を出しながら、ピペタと同じポーズで剣を構えている。

 襲撃者のいるであろう辺りに、厳しい視線を向ける二人。

 口では投降を呼びかけたピペタだが、本心としては、襲撃者に降参して欲しくはなかった。出来れば、ピペタとタイガの阻止をかいくぐって、イスト伯爵に肉薄してもらいたい。それならばピペタも「襲撃者を追う」という口実で、屋敷内に入り込めるし、探索の機会が得られるのだから。


 そんなピペタの考えは知るはずもないが、襲撃者が姿を現した。

 体つきから判断する限り、ピペタが聞いていた通りに、女性のようだ。

 フード付きの黒い運動服ジャージを着込んでおり、それだけならば「昼間は忙しい仕事人間が夜間に健康のためのジョギングをしている」という格好にも見えたかもしれない。しかし、フードを目深に被り、顔の下半分も黒いタオルで覆って隠しているのを見れば、もう誰の目にも「健康人のジョギング姿」とは映らないだろう。

「うわあ。典型的な不審者ルックだなあ」

 タイガが思わず、のんきな感想を口にするほどだった。

 その『不審者ルック』の襲撃者は、呼びかけに応じて投稿する意図で出てきたわけではないらしい。右手に、大ぶりなナイフを構えていた。

「おっ、やる気だな!」

 タイガの声は、少し場違いなくらいに、明るい響きだ。

 どこか気楽そうなタイガとは対照的に、ピペタは冷静に、相手を観察していた。

 襲撃者は、剣を抜いた騎士二人を前にして、毅然とした態度でナイフを手にしているように見える。だが、そう判断してしまうならば、それは見方が浅いだろう。

 ピペタから見て、襲撃者は、構えが素人同然なだけでなく、どこか迷いがあるようにも感じられた。とりあえず武器を手にして出てきたものの、立ち向かうべきか逃げ出すべきか、決めかねている……。そんな雰囲気だった。

「ふむ。これならば……」

 こんな素人娘が襲撃者であるというならば。

 ピペタが本気で相手をすれば、すぐに叩きのめすことも可能だろう。だが、適当にあしらって、上手く誘導することで、屋敷に入り込ませることも簡単そうではないか。

 この襲撃者を利用することに決めたピペタは、あえて煽るような言葉をぶつけてみる。

「どうした? 武器を手にしたままなのに、降参するのか? 伯爵襲撃を諦めていないから、ナイフを捨てていないのだと思ったが……。それとも、観念してつかまる気になったか?」

「何言ってるんですか、ピペタ隊長! そんな挑発するような言葉は……」

 ピペタの真意を知らぬタイガは、上司に対して諌めるような言葉を口に出しかけたが、最後まで言わずに途中で飲み込んだ。

 襲撃者が、行動を起こしたからだ。

 ピペタの発言で、彼女は決心したのだろう。

 ナイフを突き出しながら、ピペタとタイガの二人に向かって、突撃してきたのだ!

   

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