第十六話 過去
兄の
その言葉を聞いて、ピペタ・ピペトは、かつてポリィから聞かされた話を思い出す。
「そういうことか」
ポリィの家――今いる寝室ではなく居間――で酒を飲んだ時、ポリィは「行方不明の兄を探している」と語っていた。兄の情報を追って街を転々とし、王都を経て、このサウザに辿り着いたという話だった。
「あの時の口ぶりでは、まだ何もわかっていないような感じだったが……」
「ごめんなさい。あれにも、微妙に嘘が混じっていました。このサウザの街に移ってきた時点で、すでに私は把握していました。兄を騙して雇ったのがイスト伯爵であることも、イスト伯爵の人体実験で兄は亡くなったことも……」
彼女の発言の中に気になる単語を見つけて、ピペタは聞き返す。
「人体実験? どういう意味だ?」
「あのイスト伯爵は、多くの人々の命を弄んできた、
兄を探す妹の執念で、彼女は、かなりのことを調べ上げたらしい。
もしも彼女が騎士であるならば、さぞや優秀な警吏になったことだろうに。
そんな想像をするピペタに対して、ポリィは、一見無関係に思える言葉を口にした。
「ピペタ様。記月事件は、ご存知ですか?」
「記月事件? 昔のクーデター計画の話だろう? 騎士学院で王国史を学んだ際に習ったな」
記月事件。
今から五十年くらい前、記しの月――一年のうち七番目の月――に起こった事件なので、そう呼ばれている。
当時の十二大臣の一人が、体制を変えようという革命ではなく、あくまでも現在の王制は維持したまま、王権を簒奪しようとしたのだ。大臣自身は王族ではないし、その遠縁ですらなかったため、王家の親戚筋から傀儡の新王を擁立する計画だったらしい。
主犯格の大臣は、もともと魔法医術に長けた人物であり、その応用で生体改造にまで手を出していたという。モンスター由来の生体兵器を増産して、独自の軍備を整え、それでクーデターに及ぶ予定だったが、その開発工場に踏み込まれて、クーデターは未遂に終わった……。
これが、記月事件に関する通説だった。
「では、ピペタ様。記月事件で捕縛された大臣の名前も、ご存知ですか?」
「いや、そこまでは……」
調べれば簡単にわかるだろうが、きちんと記憶してはいなかった。ピペタは、学問は得意ではなかったのだ。
そして、この場合、わざわざ後でピペタ自身が調べる必要もなかった。話の流れの中で、当然のように、ポリィが答えを告げたのだから。
「ブロト伯爵です」
「あっ!」
名前を聞いた瞬間、ピペタは弾かれたように声を上げた。
「では、イムノ・ブロトというのは……!」
「まあ!」
今度は、ポリィが驚く番だった。
「さすが、ピペタ様。イスト伯爵の本名まで、知っておられたのですね……」
よくぞ知っていた、という意味では褒めているようだが、彼女の口調には、少し呆れたような響きもある。何故そこまで知っていながら記月事件に辿り着かないのか、と言いたいのだろう。
「いや、その名前を私が聞いたのは、屋敷の警護に行く直前でな……。詳しく調べる暇がなかったのだ」
言い訳がましいピペタの言葉は聞き流して、ポリィは説明を続ける。
「イスト伯爵――本名イムノ・ブロト――は、生体兵器開発に携わっていたブロト伯爵家の生き残りです。まだ当時は若く、捕縛を免れたのですが……」
「その後、素性を偽って、亡命貴族イスト伯爵を名乗り、兵器開発を続けていたのか」
ようやく話が繋がってきた、とピペタは得心した。
ポリィの『多くの人々の命を弄んできた
「待て。記月事件で表沙汰になった生体兵器というのは、モンスター由来だったのではないのか?」
「世間では、そういう話になっていますね。実際には、モンスターは使っているものの、人間がベースだったようです。人間にモンスターの要素を組み込んだ怪物……。それがブロト伯爵家で作られていた『兵器』であり、イムノ・ブロトも開発の中枢に関わっていたようです」
驚くべき話だが、ピペタとしては、納得できる点も多かった。
いくらクーデター側の話だとしても、王国の大臣だった者が人体実験を
また、ピペタが戦った黒ローブの怪人が、そうやって作られた存在であるというならば、異常なまでの強靭さも理解できる。普通に殺しても死なないのだから、おそらくアンデッド系モンスターの要素を取り入れていたのではないだろうか。アンデッド系モンスターには外見が人間と酷似した者も多く、その点も、人間そっくりの生体兵器を作る上で利点となったのだろう。
しかも。
そうした生体兵器開発は、もともと五十年前の話――過去の遺物――のはずなのに、ポリィの兄までもが人体実験に使われたということは……。
ピペタの顔色を見て、ポリィが頷く。
「そうです。イスト伯爵は、若い頃に作り上げた怪物を使役しているだけでなく……。その研究を、年老いた今になっても、なお続けているのです。その過程で、兄は素材として犠牲になったのです」
話終えた、といった感じで、ポリィが口を閉ざす。
ここまで聞けば、ピペタにもポリィの動機が理解できた。もちろん彼女の話を鵜呑みにするつもりはないが、少なくともイスト伯爵の本名がイムノ・ブロトであるという点に関しては間違いないだろう。赤髪の女暗殺者も、同じことを言っていたのだから。
しかし。
いくら彼女の気持ちを理解できるからといって、このまま見過ごすわけにもいかない。
いくらイスト伯爵が過去の大罪に関わった人物であり、身分を偽って暮らしているとしても、それが明るみに出るまでは一般市民だ。現在罪人として追求されていないのであれば、善良な守るべき市民なのだ。その命を狙ったら、ポリィの方が罪を問われる。
「ポリィ、私は警吏だ。都市警備騎士団の一員だ」
その言葉を聞いて、ポリィは再びため息を漏らしつつ、視線を落とした。
「存じております。ピペタ様は、私を捕縛しに来たのでしょう?」
彼女は顔を上げたが、その目の中に「見逃してください!」という気持ちは感じられない。ピペタは、彼女が観念していると感じた。
そして。
本当に自分は、彼女を
ピペタは自問自答してしまう。
実際のところ、ピペタは深く考えておらず「とりあえず襲撃犯の正体を突き止めたから真相確認に来てみました」というくらいの、単純な行動だったのだ。
だから今ここで、答えを出さなければならない。
「私は……」
言葉にして口に出すことで、かえって頭が整理されるはず。
そう思ったピペタは、考えがまとまらないまま、ポリィに話し始めた。
「都市警備騎士団としては、南部大隊の一員だ。本来、イスト伯爵の屋敷は、私の受け持ちではない」
ポリィが、少し不思議そうな顔をする。いったい何の話を始めるつもりだ、とでも言いたいらしい。
「だから……。イスト伯爵の屋敷の襲撃事件も、私ではなく、東部大隊の者たちが担当している」
「でも、実際にピペタ様は、あの場で屋敷を守っていたのでしょう?」
そうだ。
ピペタは『あの場で屋敷を守っていた』のだ。
このポリィの言葉で、ピペタは態度を決めた。
「私が君と剣を交えることになったのは、イスト伯爵の屋敷を守れと命じられたからだ。あくまでも私の任務は屋敷の警護であり、侵入者の捕縛ではない。そちらは、東部大隊の捜査班の仕事だ」
「でも……。ピペタ様の南部大隊も、別チームである東部大隊も、同じ都市警備騎士団なのでしょう?」
「それはそうだが……。恥ずかしい話、別大隊との連携は、あまり上手くいっていないのが現状だ。実際、私は警護の任務を受けて以来、一度も東部大隊の捜査班と顔をあわせていない。本来ならば、彼らから襲撃に関する情報を聞くべきなのにな」
連携云々はともかくとして、東部大隊の捜査班と面識がないのは事実だった。
「だから……。私としては、屋敷の警護中でなければ、君を捕縛する義務はない。もちろん、あの場で君を叩き伏せたならば、現行犯として捕縛せざるを得ないのだが」
無茶苦茶な理屈かもしれない。だがピペタは、兄の
ピペタの意図がポリィに伝わるまで、少しだけ時間を要したが……。
短い沈黙の後、ポリィは、複雑な顔で口を開く。
「つまり、ピペタ様には、今ここで私を
「そうだ」
「でも、屋敷の警護中ならば、話は別。再び襲って来たら、容赦はしないぞ、と」
「そうだ」
厳密には、ピペタは、そこまで言ったつもりはないが……。そう解釈してくれたのであれば、それはそれで構わない。
「だから、ピペタ様の警護中は、もうイスト伯爵の命を狙うのは諦めて……。ピペタ様の任務が終わるのを待ってから、仇討ちを再開しろ、と」
「いや、それは違う」
自分の真意を微妙に捻じ曲げられた気がして、ピペタは、慌てて彼女を止めた。
「今回は見逃す。だが、復讐は諦めなさい。間違っても『仇討ちを再開』なんて考えてはいけない」
「まあ!」
ポリィの叫びには、納得できないという気持ちが込められていた。
「たった一人の肉親であった兄を、騙されて利用されて、殺されたのですよ? どうして、黙って泣き寝入りできるのでしょう?」
「その件は、私に任せなさい。イスト伯爵の過去の罪を暴いて、都市警備騎士団が捕縛して……」
「無理ですわ!」
ポリィが、ヒステリックな声を上げる。
「五十年もの長い間、逃げおおせてきたイムノ・ブロトですよ? 今さら都市警備騎士団なんかに、どうこう出来るわけないでしょう! だいたい『亡命貴族イスト伯爵』なんて身分詐称がまかり通る時点で、彼のバックに有力者がいることは明白です!」
感情的な態度とは裏腹に、ポリィの言葉は、ピペタを納得させるに十分なものだった。
確かに、イスト伯爵は、簡単に
五十年前のクーデターの残党が、今でも計画を続行しているはずはない。だが当時捕縛を免れ、現在要職に登り詰めた者が「今さら昔の話を蒸し返されては困る」と考えても不思議ではない。自分の保身のために、イスト伯爵が
また、記月事件とは無関係であっても、イスト伯爵の持つ生体兵器開発技術が欲しくて、現在イスト伯爵を支援している者はいるかもしれない。それこそ亡命貴族だという話を信じて「東の大陸からの技術だ」ということで、彼を援助している可能性もある。
「兄が消えてから、私は兄を追い続けて……。そして、兄が亡くなったことを知ってからは、その仇討ちのために……。私は、この人生を捧げてきたのです! どうして、今さら諦めることが出来ましょうか?」
一度は穏やかになった彼女の瞳の中に、いつのまにか、復讐の炎が蘇っていた。
彼女の「人生を捧げてきた」という言葉には、色々と考えさせられるものがあった。
ピペタから見れば、ポリィは若い娘だ。これまでの彼女の『人生』は、彼よりも明らかに短い。それでも、その全てを捧げてきたのであれば、それが彼女にとっての『全て』なのだろう。
そして「自分の人生を犠牲にしてきた」というニュアンスから、ピペタは感じ取ってしまう。ポリィが現在の境遇に満足していない、ということを。初対面の頃にピペタがポリィを「身分の卑しい、夜の女」と思ってしまったように、ポリィ自身がその身分を低俗と思っていることを。
今にして思えば、ポリィがピペタに対して『騎士様』という言葉を使うのも、騎士に対する敬意というだけでなく、騎士という身分に対するコンプレックスのような気持ちが含まれていたのかもしれない
そして。
もしも、ポリィが『夜の女』として『全てを捧げてきた』のだとしたら……。兄の情報を得るために、彼女が体まで代価にしていた可能性もある。しかし、その仮定はピペタにとって不快であり、あまり想像したくなかった。彼にもたれて眠った時の『純真無垢な乙女の寝顔』が、ピペタの脳裏に焼き付いているのだから。
確かに、この寝室に招かれた時、話の流れの中で「ピペタ様が相手であるなら抱かれても構わない」という言葉はあった。だが、それだって「体を売るのも厭わない」という意味ではなく「相手を選ぶから安売りはしていない」という意味に受け取りたい……。
それ以上は考えるのも嫌になり、頭を切り替える意味で、ピペタは口を開いた。
「立場の違う私が、軽々しく『気持ちは理解できる』と言うつもりはない。しかし、ポリィ」
ポリィに対して、説得を試みるのだ。
「そのような大物が相手であるなら、なおさらだ。君のような素人娘には、仇討ちなんて不可能だろう。実際、私のような警備の騎士にも、伯爵配下の怪人にも、君は歯が立たなかったではないか」
「素人娘……? ピペタ様から見れば、私は『素人』なのですね。兄の仇討ちのために、長い時間を費やしてきた、この私が……」
ピペタは、言葉の選択を誤ったらしい。
しかし。
失言はピペタの方だけではないだろう。先ほどポリィは「都市警備騎士団なんかに」という、ピペタの職を軽んじるような言い方をしている。もはや互いに、取り繕ったりせずに、本音をぶつけ合う段階なのかもしれない。
「ピペタ様。私が素人ならば、仇討ちのプロって何ですか? 仇討ちに、いや復讐に、プロが存在するのですか?」
ポリィの質問は、ピペタの心をかき乱す。
復讐のプロ。
つまり、ピペタが王都にいた頃に裏の仕事として
彼女の言葉は質問の形式だったが、ピペタに答えを求めていたわけではないらしい。
ピペタから視線を外したポリィは、遠くを眺めるような目つきで、自ら答えを口に出したのだから。
「王都にいた頃……。噂で聞いたことがあります。復讐屋というものを」
そして彼女は、再びピペタを見つめる。
厳しく鋭い視線で、ポリィはピペタに詰問するのだった。
「ピペタ様も、ご存じですよね? 王都で暗躍していたという、復讐屋のことを」
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