第五話 桃色の髪の少女

   

「ゲルエイ! ケン坊! 悪いが、事情説明は後日だ。もう一人いるからな。じゃあな!」

 ゲルエイ・ドゥとみやこケンのおかげで怪人の一人は始末できたが、ローブ姿の怪人は、もう一人いるのだ。

 それに、守るべき対象も、もう一人いる。ピペタ・ピペトが怪人を追って長屋に飛び込んだのは「この家の者を守らなければ」という思いからだったが、彼が守るべきは本来、最初に二人組に襲われた桃髪の少女だったはずなのだから。

 二重の意味で「もう一人いるから」と口にして、ピペタは、急いで先ほどの場所へと向かう。残った怪人があの場所へ戻って再び少女を襲う前に、先回りしないと……。

 幸い、ピペタは敵よりも早く、戻ることが出来た。少女一人が同じ場所に立っているだけであり、周囲に怪しい者の姿は見えない。

「よかった、無事だったのだな」

「はい、おかげさまで……。騎士様の方こそ、大丈夫でしたか? あの二人、かなり手強てごわいようでしたが……」

 まだ怯えの色が残った顔で、ピペタの身を案ずる少女。

 日頃、ピペタが見回りをしていても「警吏が都市の住民を守るのは当然」という態度を示す人々が多いだけに、この一言で、ピペタは彼女に好感をいだいてしまう。

「私は大丈夫。残念ながら、一人は逃してしまったが……。一人は、確実に始末したぞ」

「まあ!」

 少女の驚きは、どちらだったのだろうか。強敵なのに一人は倒した、という意味か。あるいは、警吏なのに悪人に逃げられた、という意味か。

「逮捕ではなく『始末』してしまったのですか? あの者たちの正体に繋がる手がかりも得られずに?」

「そうだ。明らかに人間ではない者たちだったからな。私としても、生きたまま捕縛する余裕はなかった」

 正直に答えながら、ピペタは、少しだけ不思議に感じた。少女の質問が、冷静すぎるように思えるのだ。いきなり襲われて動揺していたら、そこまで気が回るだろうか? もしかしたら少女には、あのような怪人に襲われる心当たりが、あるのかもしれない。

「とりあえず、逃げた一人が再襲撃する可能性もあるから……。家まで送らせてもらえないか?」

「まあ! 立派な騎士様に送っていただけるなんて……。はい、喜んで!」

 こうしてピペタは、少女の家へと向かう流れになった。


 歩きながら、互いに簡単な自己紹介を交わす。

 ピペタは自分の姓名と、都市警備騎士団の小隊長という身分を告げて、今日は非番なので担当区域外を散歩していたという話もした。

 一方、少女の名前はポリィ。近くの酒場『女狐めぎつね亭』で働く、平凡な街娘だという。

 自分で「平凡な」と主張する人間に限って何か裏がある、というのはピペタの持論だが、少なくとも今のところ、ポリィに怪しい素振りは見られなかった。

「では、今朝も仕事帰りだったのかな?」

 ピペタは「酒場で働く」という発言から、深夜から明け方まで酒の相手をするような夜の女を想像してしまったのだ。しかし少女は笑いながら、可愛らしく小さく首を横に振った。

「いいえ、違います。私の仕事は、夜のうちに終わりますから……。今日は私も休みの日で、何気なく外を歩いていただけです」

「それなら、私と同じだな」

「そうですね。でもピペタ様と違って、私は、見知らぬ地域までは足を延ばせなくて……。ついつい、いつも働いているお店の近くに来てしまったのです」

 そうやって散歩していたら、突然あの二人組に襲われたのだという。

「もう、びっくりしてしまいました。時間的に、通りを出歩く人もいないから、助けを求めることもできないし……。お店の近くといっても、まだ距離があります。お店に逃げ込めるほどではありません。それでも、とりあえず、お店の方向へ走っていたら……」

「私に出くわしたというわけか」

 おおよその事情は理解できたが、これでは、あの怪人コンビの正体は謎のままだ。


 そうやって話しながら歩くうちに、通りの風景が変わってきた。東西南北で大別したら、まだ北の区域のはずだが、もう貧民街という雰囲気は完全に消えていた。

 レンガ造りの集合住宅が建ち並ぶ、古い住宅街だ。同じ『集合住宅』といっても、先ほどピペタが入ったゲルエイの長屋とは、大きく違う。茶色のレンガと白い漆喰で造られた建物は、どれも色褪せていたが、それでも趣味の良い落ち着いた感じを漂わせていた。

 それなりに人通りもある。しかも、それほど貧乏そうな身なりの人々ではない。見回りの都市警備騎士もいるようだ。ここは、いきなり怪人が襲ってくるような街ではないだろう。

「この辺りまで来れば、もう大丈夫ではないかな。そろそろ私は、お役御免だろう」

 そもそも、北の区域はピペタの受け持ちではないのだ。最初は何も考えずに散歩していたピペタだったが、同じ騎士鎧を着た警吏を何度か見かけるうちに、自分は他人の縄張りに足を踏み入れている、という気持ちが強くなってきた。

 それに、すれ違う騎士たちの視線が「あのおっさん、こんな早い時間から若い娘と二人で連れ立って、何をやっているのだ?」と言っているようにも感じる。少し恥ずかしくなってきた。また騎士寮で悪い噂を立てられるのではないか、と考えるのは、ピペタの被害妄想だろうか。

「そんなことを言わずに、せっかくだから、うちに上がっていってくださいませ。もう、すぐ近くですから」

 そう言いながら、ポリィはピペタの腕に手を回す。出会ったばかりの若い少女から、こんな態度を示されるのは、ピペタとしては慣れていないし、照れくさいのだが……。

 やはりポリィは、酒場で働く夜の女なのだろう。そう考えて、ピペタは従うことにした。


「ここです」

 集合住宅の一つに、ポリィは入っていく。彼女に手を引かれる形で、ピペタも続いた。

 居間と寝室、それに、他にもいくつか部屋があるようだ。この家の広さならば、北ではなく南でも、裕福な部類に入るのではなかろうか。あるいは、北は家賃や物価も安いからこそ、この広さの家に庶民でも住める、ということなのだろうか。

「こちらに座って……。自分の家だと思って、くつろいでください」

 促されるまま、ピペタは居間のソファーに腰を下ろした。

 二人用の、ゆったりしたソファーだ。詰めれば三人でも座れるくらい、二人分としては余裕がある。座り心地も良く、本当に自分の家のように、くつろいでしまいそうだ。

 周囲を見回せば、室内の調度品も、趣味の良い物を揃えているようだった。

「どうぞ」

 すぐにポリィが、酒と簡単なつまみを運んできた。ソファーの前のテーブルに置くと、彼女自身は、ピペタの隣に座る。なるほど、このための『二人用』ソファーなのだろう。

「いやいや、私は……」

 いつもの習性で「見回りの途中だから」と断りそうになったが、今日は非番だ。プライベートだ。それでも、知り合ったばかりの女性の部屋で二人きりで、昼間から酒を飲むというのは、ピペタには抵抗があった。

「ピペタ様、今日はお休みだと言っておられましたね。お休みの日なのに、都市警備騎士として私を守ってくださったのですから……。そんな騎士様を、もてなしもせずに帰すなんてこと、私には出来ませんわ」

「しかし……」

「それに、正直に言いますと……」

 ポリィは、少し顔を赤らめて、言いにくそうな態度を見せる。

「……私も飲みたいのです。あんなことがありましたから、もう怖くて怖くて。お酒でも飲まないと、気が変になりそうです」

 確かに、彼女が用意したグラスは二つあった。ピペタ一人に飲ませるつもりはないらしい。

 ピペタが返事を躊躇しているうちに、彼女は、ピペタの前に置いたグラスに酒を注ぎ、自分のグラスも同じように満たした。そして、その中身を一気に半分以上、喉の奥へと流し込む。

 酒をあおる、と表現したら下品な感じもするだろう。しかしポリィの場合、悪い印象は与えなかった。少し上を向いて嚥下する姿が、むしろ妙に色っぽいくらいだ。ピペタには、そう見えてしまった。

「ほら、ピペタ様。女ひとりに飲ませておくなんて、騎士らしくないのでは?」

 軽く笑いながら、冗談っぽく言うポリィ。

「そこまで言うのであれば……。確かに、このまま帰るのは失礼かもしれないな」

 しつこく固辞するのも大人げないだろう。そう思って、ピペタもグラスを手に取った。


 酒が進むうちに、ポリィは身の上話をし始めた。

 ポリィの両親は、彼女が小さい頃に二人とも亡くなった。それ以降ポリィは、年の離れた兄アンティと二人で暮らしてきた。

「幸い、両親が多額の遺産をのこしてくれましたし、兄も真面目に働く人でしたから……。私たち兄妹は、お金には困りませんでした」

 兄アンティは、近所でも評判になるくらいの、真面目な好青年。力自慢の大男で、いつも力仕事に駆り出されていた。評判を聞きつけて、遠方から彼に仕事を頼む者もいるくらいだった。

「しばしば兄は、出稼ぎに行ってくると言って、家を留守にしました。だから一ヶ月や二ヶ月の不在は、なんとも思っていなかったのですが……」

 今から数年前に、数ヶ月に及ぶ長期仕事があった。さすがに、ポリィも心配してしまう。いつまで待っても帰ってこないので、仕事を仲介した者たちを当たってみた。

「私自身が依頼人と直接会って、いつ兄を返していただけるのか、尋ねるつもりでした。ところが……」

 仲介者を辿って依頼人に行き着いたところ、そんな話は知らないと言われてしまった。どうやら途中で誰かが騙されていたらしく、本当の依頼人は別人だったようだ。

「正体を偽って仕事を頼むなど、やましい人間に違いありません。兄は、知らないうちに悪党に雇われて、悪事の片棒を担がされたのかもしれません。とにかく、それ以来、兄は行方不明になってしまいました……」

 以後ポリィは、兄アンティの行方を探そうと、必死になってきた。それらしい情報が少しでもあれば、引っ越しすら厭わない。アンティらしき人物を見かけた、という情報を辿って、街を転々としてきた。

「このサウザに来る前は、王都にも住んでいたのですよ」

「奇遇だな。私も、以前は王都で働いていたぞ。いや正確には、今でも所属は王都守護騎士団のままであり、そこからサウザの都市警備騎士団に派遣されている、という形でな」

「まあ! 王都のどこに住んでいらしたのですか? 私が暮らしていたのは……」

 そこからしばらく、二人は王都時代の話に花を咲かせた。


 王都での思い出話が一段落した頃。

「今頃になって思い出しましたが……」

 かなり酒が回った様子のポリィが、遠い目で語り始める。

「あの黒いローブの二人組。もしかしたら私、以前に見ているかもしれません」

「なんと!」

 大げさに驚くピペタ。彼も、少し酔ってきたのかもしれない。

「はい。黒いローブなんて、どこにでもありますから、さっきは『心当たりなんてない』と言ってしまいましたが……。でも昨晩、私が働く『女狐めぎつね亭』に、あんな感じの二人組の男が来たのです」

「それは大変だ! さあ、詳しく話しなさい」

 ピペタはポリィのグラスに酒を注ぎながら、話の続きを促す。

「私が担当した客で……」

 わざわざ店の奥の薄暗い席を選んだようで、その時点で、もう怪しい感じがあった。近寄りがたい雰囲気もあったのだが、それでも客は客。仕方なく、彼女は注文を取りにいった。

 二人は、店内でもローブのフードで顔を隠したままだった。ボソボソと低い声で、注文も聞き取りづらかったが、ありきたりなワインと軽い食事だったので、オーダーミスもなかったはずだ。

「騎士様は信じられないかもしれませんが、真っ当な酒場でも『いかがわしい店なんじゃないか?』って思って、顔を隠したままのお客さんは結構いるのですよ。だから、その点は私も気にしていませんでした。ただ……」

 彼女が、注文された料理を運んでいった時だった。二人組の片方が、もう片方に向かって「しっ!」と言ったのだ。それは「静かにしろ、黙れ」と言っているようだった。

 続いて男は、フードの奥からギョロリとした目を彼女に向けて、尋ねた。「聞いたか?」と。

「私が聞いたのは『しっ!』という一言だけです。もちろん『いいえ、何も』と答えました」

 しかしフードの二人組は、ポリィの言葉を信じなかったらしい。その後、彼らが店を出るまで、ポリィは彼らからの視線を感じ続けた。


「なるほど……」

 ポリィが語り終わったようなので、ピペタは、話をまとめてみる。

「……怪しい二人組が、他人に聞かれては困る会話をしていた。それをあなたが聞いてしまった。いや、実際には内容までは聞いていないのだが、その二人は『聞かれた!』と思ってしまった。それで口封じの意味であなたを探し出し、襲いかかった……」

「はい。そう考えると、辻褄が合う気がします」

 一応は、ピペタも「うん、うん」と頷いてみせる。

 しかし。

 先ほど戦った怪人は、明らかに『人間』ではなかった。それが普通に飲み食いしたり、会話をしたりというのは、話が合わない気がする。どう考えても、別人だろう。

 もちろん、別人ではあるが無関係とは言えない、という可能性もある。先ほどの怪人二人が酒場の二人組の配下である、という可能性だ。

 どちらにせよ。

 昨晩ポリィが眠っている間に襲われていないのだから、まだ、この家までは特定されていないと思っていいだろう。その点は安心していいと思う。

「安心しなさい。おそらく……」

 言いかけて、ピペタは気づいた。スヤスヤという寝息が聞こえてくることに。

 いつのまにか、ポリィは眠り込んでしまったらしい。それだけ、酒が回っていたのだろう。

「いや、酔ったせいだけではなかろう。襲撃者から助けてもらった、という安心感……。それで気が抜けた感じかな」

 ポリィは、ピペタの肩にもたれて、身を預けるような姿勢で眠っている。

 若い娘が自分に密着している……。それを意識した時点で、ピペタは初めて気づいた。部屋に充満するワインの香りに混じって、それとは違う甘い匂いがあることに。

 青春時代を思い起こさせるような、若い女性の香りだ。自分まで少し若返ったような気分になる。年甲斐もなく若い娘に手を出す男は、こういう気分になっているのだろうか。ふとピペタは、そんなことを考えてしまった。

「こんな無防備な姿をさらけ出すとは……。この娘、大丈夫なのか? 私のような紳士でなければ、今頃、貞操の危機だぞ」

 あるいは、やはり最初に思ったように、ポリィは酒場で働く夜の女であり、ピペタのような騎士とは貞操観念も大きく異なるのだろうか。

 いやいや。

 こうして眠っているポリィを見ると、とても『夜の女』には見えない。純真無垢な乙女の寝顔だった。

「ともかく……。彼女が私の肩を枕にしている以上、私が動くわけにはいかないだろう。それでは彼女を起こしてしまうから……」

 言い訳がましい独り言を口にした後で。

 ピペタも目を閉じた。

 やがて。

 室内の寝息は、二つになった。


――――――――――――


 同じ頃。

 同じサウザの街の、遠く離れた別の屋敷の中で。

 年老いた貴族が一人、薄暗い部屋で、小さな椅子に座っていた。

 老人の正面には、暖炉がある。まだ宴の月であり、ここ北の大陸では、暖房が必要な季節ではない。だから、暖炉も火はついていないのだが……。

 老人は、まるで燃え盛る炎を見つめるかのような目をしていた。

「わしは、ただ……」

 誰もいない虚空に向かって、老人が話しかけた時。

 背後の扉が音もなく開いて、誰かが入ってきた。

 それに対して老人は、振り返らぬまま、告げる。

「戻ったか。それで、首尾は?」

 老人の近くに歩み寄った男は、黒いローブを着ていた。しかも、右手首がない。つまり、ピペタと戦った二人組の生き残りだった。

 黒ローブの怪人は、老人の耳元で、ボソボソと何かを告げる。

「そうか。失敗した上に、一人、失ったか。わしの命を狙う者の仲間に、お前たちを倒すほどの手練れがいる、ということか……」

 さらに詳細な報告があったのだろう。しばらくボソボソという声が続く。ようやく終わると、老人が怪人に命じた。

「わかった。下がれ」

 黒ローブの怪人が退出し、また一人になった老人。

 昔の栄華を頭に思い描き、それを懐かしむかのように、虚空に手を伸ばす。もちろん、掴める物など、何もない。

 それでも……。

「わしは、ただ……。静かに余生を暮らしたいだけなのに……」

 だらりと力なく腕を垂らし、老人は、首を横に振りながら、また独り言を口にする。

「気は進まないが、仕方がない。身に降りかかる火の粉は、払わねばならぬ」

 老人の目は依然として、暖炉の中の、ありもしない炎に向けられていた。

   

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