第四話 三人の仲間
街でピペタ・ピペトが、必死になって黒ローブの怪人を追いかけていた頃……。
「……こんな感じで、あたしゃ本屋で、ばったりピペタと出会ったわけだよ」
ゲルエイ・ドゥは自分の部屋で、
これで話は終わり、という態度を見せると、ぽつりとケンが呟く。
「それで?」
「それで、とは……。なんだい、ケン坊。あんたにも報告しておこうと思って、呼び出してあげたのに」
ケンは忙しい用事の途中だったようだから『呼び出してあげた』という恩着せがましい言い方は悪かったかもしれない。心の中で少しだけ後悔するゲルエイだったが、ケンは気にしていない様子だった。
「ただ、それだけですか……。ピペタおじさんと再会したというから、てっきり復讐屋復活の話かと思ったのに」
「それは無理だよ。あたしとピペタとあんただけじゃ、手が足りないからね」
とりあえず、口ではそう言っておく。ゲルエイだって、本当は「再会は『復讐屋という裏稼業を再開しろ』という天のお告げ」なんて考えていたくせに。
「ああ、また例の『四人一組で行動するのが基本』ってやつですか。勇者伝説に基づいた、縁起担ぎですね」
「それもあるけど、現実的にも、三人だけじゃ無理だよ。特に、ケン坊は半人前だからね。まだ、人を
ケンが「痛いところを突かれた」という顔になる。
そう、復讐屋の一員であったにも関わらず、ケンは一人も始末していなかったのだ。
ケンは復讐屋の理念には喜んで賛同していたが、いざ実行に及ぶと躊躇してしまうのだった。
ゲルエイたちが標的を仕留める際に手伝うくらいは、ケンにも出来る。だが、最後に命を奪う段階は無理で、他のメンバーに任せる形になっていた。自分の世界では悪党にも人権があるから、とケンは言うのだが……。
それを言うなら、この世界だって同じだ。勝手に人が人を裁くことは禁じられている。だから復讐屋は非合法組織であり、王都守護騎士団に追い詰められたのだ。悪党の人権云々は言い訳に過ぎないし、おそらくケン自身、それは理解しているはずだとゲルエイは感じていた。
「いや、それは、そのうち慣れていけば……。まあ、ゲルエイさんの言うことにも、一理ありますね。確かに、三人では無理だ。やっぱり、メンチンさんのような手練れがいないと……」
そこまで言いかけて、ケンの顔色が明らかに変わった。口を滑らせたことに気づいたのだろう。出してはいけない名前を口にしてしまった、と思ったのだろう。
メンチンというのは、かつての仲間の名前だった。王都での最後の仕事において、亡くなってしまった男だ。
仲間を失ったという意味では、ケンもピペタも心を痛めたはずだが、特にゲルエイは別格だった。ゲルエイにとってのメンチンは、単なる仕事仲間ではなく、恋人でもあったのだから。
その意味でケンは「よりにもよって、ゲルエイさんの前でメンチンさんの名前を言ってしまうとは!」と反省しているようだ。慌てて、話題を変えるかのように、
「そういえば……。『勇者伝説に基づいた縁起担ぎ』といえば、ゲルエイさんが本屋に出向いたのは、元々、勇者伝説に関係した本を買うためだったのでしょう?」
「そうだよ」
「じゃあ、ピペタおじさんとの再会というゴタゴタで、本は買いそびれた?」
「いや、ちゃんと買ってきたよ。これだ」
ゲルエイは、問題の本をピペタに手渡す。
「『風の大陸の伝説』ですか。なるほど……」
ケンは、ぱらぱらとページをめくった。これも召喚魔法の仕様なのだろうが、こちらの世界に来ると同時に、脳の言語中枢が
そんなケンの姿を見ながら、ゲルエイは、かつて彼と勇者伝説について語り合ったのを思い出していた。
そもそも、勇者伝説は、あくまでも『伝説』に過ぎない。関連書物を漁ってみると、歴史書にしては、矛盾した記述が多すぎるのだ。
だから、後の時代の誰かが創作したフィクションだ、と考える者も結構いる。それどころか、まず「四人の魔王がいた」とか「神々が異世界から勇者を召喚した」とかの部分からして信じがたい、という者もいるくらいだった。
ゲルエイは、少なくとも勇者召喚の部分は嘘ではないだろう、と考えていた。彼女自身、召喚魔法が使えるのだから。
その魔法によって異世界から呼び出したケンに向かって、勇者召喚の伝説についてどう思うか、と尋ねたこともある。
ケンは首を傾げながら、
「僕の世界では、そんな感じの神話や伝説はないと思いますが……。漫画や小説ならば、よくある話ですよ」
「漫画や小説……。ああ、前に言っていた、娯楽のための創作物かい」
「そうそう。あくまでも娯楽だから、大衆受けするかどうか、っていうのが大事になってきます」
それは娯楽でなくても同じだろう。真実に基づいた伝説であっても、人々に受け入れられないものは消えていく。ゲルエイは、そう考えていた。
「自分の世界にいた頃はパッとしなかった一般人が、別の世界で英雄になる……。そんな感じの物語が、僕の世界ではウケているようです」
なるほど。そういう娯楽に慣れ親しんだケンならば、異世界召喚という現象も、すんなり受け入れるわけだ。
「でも……。神様が四人を召喚して、その四人が協力して、というのは嘘くさいな」
「おや、どうしてだい?」
「だって、どうせ複数を呼び出すなら、四人に限定する必要ないじゃないですか。下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、とも言うし……。たくさん召喚して、その中から最終的に四人がチームを組んだ、というなら、理解できる気もしますけどね」
そもそもケンは「召喚された『勇者』が、特に優れた人間だった」とは思っていないらしい。あくまでも有象無象の人間が召喚の対象だ、という考えのようだ。
「あるいは、勇者は一人だけであって、他の三人は、こっちの世界の人間だったとか……。その方が、娯楽小説としては、いかにも『主人公』って感じしますよね」
「いやいや、ケン坊。これは娯楽小説ではなくて……」
「そうですよね。これ、創作じゃなくて本当にあったこと、って扱いなんでしょう? でも……。神様の気まぐれなんて、僕には、わからないからなあ」
ケンの世界では神々への敬意も薄いようだ、とゲルエイは感じてしまった。
いやケンの世界だけでなく、この世界でも人々の信仰心は、昔より弱くなっているのかもしれない。勇者伝説の時代の生活や習慣に関する記述を読むと、多くの人々が魔法という直接的な恩恵を受けていたせいか、当時は今よりも神々を崇め奉っていたようなのだ……。
昔の会話について考えていたゲルエイは、
「ところで……」
ケンに声をかけられて、頭を回想から現実へと切り替える。
「なんだい?」
「僕の武器って、まだ残してあります?」
復讐屋として標的の命を奪うことは出来ないケンだったが、それでも一応、相手にダメージを与えられるような『武器』を使っていた。この世界の『武器』ではなく、ケンが『地球』から持ち込んだ物だ。彼がルアー
釣り道具と説明されれば、ゲルエイにも、だいたい理解できる。しかし彼女がこの世界で目にする釣り竿と、ケンのルアー
まず、糸の先に餌をつけるのではなく、代わりにオモチャにしか見えない物体が用意されている。ケンの話によれば、ルアーという名前の疑似餌だそうで、これに魚は飛びつくらしい。そのルアーには、小型の鉤爪にも見える凶悪な針――トリプルフック――が複数備えられており、確かに武器として使えそうだとゲルエイは思った。
それに、ゲルエイの知る釣り竿とは違って、釣り糸も長い。竿の長さの何倍も何十倍も、無限とも思えるくらいの長さに伸びる。小型の鉤爪を遠くへ飛ばす道具と思えば、遠距離攻撃に有効だ。しかもケンは、これをかなりの命中精度で遠投できるのだから、人殺しという行為に対する抵抗感さえ消せれば、標的の喉首を搔き切ることも容易なはずだった。
「ああ、もちろんだよ」
ケンに答えながら、ゲルエイは、部屋の隅の押入れからルアー
「そう、これです。よかった、どこも故障してなさそうだ……」
ゲルエイから渡されて、愛おしそうにルアー
召喚されてきた時には、大変な状況の真っ最中だったとか、早く戻らないといけないとか、ケンは騒いでいたのに……。どうやら、あれは照れ隠しだったようだ。実際には、懐かしい仲間の顔を見て、ここに長居したくなったのかもしれない。
「そういえば、ケン坊。あんた、さっきまで……」
からかい半分、それを指摘してやろう。そう思って、ゲルエイは言いかけたのだが。
「ゲルエイさん。なんだか、外が騒がしくありませんか?」
ケンの言葉で、ゲルエイは口を閉ざした。
復讐屋としては半人前のケン坊だったが、観察眼が鋭いのか何なのか、周囲の気配や変化には敏感だ。ゲルエイたちも、そうしたケンの感覚には助けられたことが何度かあった。
「ケン坊がそう言うなら、ちょっくら見てみるかねえ……」
外の様子が気になって、ゲルエイが、入り口の扉を開けたところに。
誰かが、部屋に飛び込んできた。
漆黒のローブを身にまとった怪人物。深々と被ったフードで顔はよく見えないが、背格好から判断すると、男のようだ。左手に剣を持ち、右手は手首から先がない。新しい切り口のようなのに、そこから血が流れている様子もないのが、妙に不気味だった。
一瞬のうちに、ゲルエイは、そこまで見て取った。
冷静に観察しながら、咄嗟に体を引いて、彼女は扉の横へと移動している。もしもゲルエイが、扉を開いた後そのまま突っ立っていたら、ローブの男と衝突していたことだろう。
侵入者は、飛び込んできた勢いで、かなり部屋の中まで足を踏み入れていた。ゲルエイの方が出入り口の近くにいるのだから、もしも彼女一人ならば、逃げ出すという選択肢もあったかもしれない。しかしケンが部屋の中にいる以上、彼を残して逃げるわけにもいかなかった。
位置関係としては、ゲルエイから見て、ローブの男の向こう側にケンがいる形だ。上手くやれば、挟み撃ちに出来るはず。そう考えたゲルエイは、呪文を唱えた。
「ソムヌス・ヌビブス!」
睡眠魔法ソムヌム。その名の通り、相手を眠らせる魔法だ。呪文の詠唱語句は、古代言語で『眠りの雲』というような意味らしい。
この魔法で眠らせた相手の頭を水晶玉で叩き割る、というのが、復讐屋として標的を始末する場合のゲルエイの手口だった。
とりあえず今は、相手を殺すかどうかは別にして、侵入者の自由を奪うために眠らせようと思ったのだが……。
「なんてこったい!」
思わず叫ぶゲルエイ。
ローブの男は、眠りに落ちることはなかった。睡眠魔法ソムヌムが、全く効いていないのだ。
しかも男は、ゲルエイから攻撃されたと認識したらしい。ゲルエイに向き直って、彼女に斬りつけようと、左手の剣を大きく振りかぶった。
「イア……」
対抗しようとして反射的に、攻撃魔法の呪文が口から出かかった。ただしゲルエイは、
しかし。
ローブの男は、突然、後ろから引っ張られるような素振りを見せる。見えない誰かに、後ろから手首を掴まれたような動きだ。
よく見れば、振りかぶった左の手首に、小型の鉤爪――トリプルフック――が、がっちりと食い込んでいた。
ケンのルアーだ!
しかもルアーは
「大物ゲットだぜ!」
男の向こう側で、ケンが叫びながらリールを巻いている。
「ナイス、ケン坊!」
ゲルエイがケンを褒めた、ちょうどその時。
「気をつけろ! 逃げろ!」
大声に加えてガチャガチャという鎧の音を立てながら、さらにもう一人、部屋に飛び込んできた。
音からして、騎士鎧だろう。ならば、ローブの怪人物を追って、街の警吏も来たのか……。そう思いながら警吏の顔を確認したゲルエイは、驚くしかなかった。
「ピペタじゃないか!」
「あっ、お前は……」
絶句するピペタよりも、ゲルエイの方が、いくらか心に余裕があった。
「あたしの家まで、わざわざ会いに来るとはねえ……。もう二度と会わない、って言ってたくせに」
「そんなわけあるか。それより……」
ピペタは剣を構えて、フードの怪人物に視線を向ける。
「軽口の暇はないぞ。そいつは化け物だ。心臓を刺しても死ななかったのだ」
その『化け物』は、今この瞬間は、ケンに『釣られた』状態。右手がないために、左手を『釣られた』だけで、かなり行動を制限されていた。
攻撃するなら、今のうちだ。
「へえ、人間じゃないのかい。じゃあ手加減の必要もないね」
今までゲルエイは復讐屋として、睡眠魔法のような補助魔法は使うけれど、攻撃魔法で標的の命を奪うことは一切しなかった。攻撃魔法で人を殺してはならない、というのが、ゲルエイのルール。魔法使いとして、絶対厳守するべきルールだったからだ。
しかし、相手が人間でないというなら、話は別だ。ゲルエイは、攻撃魔法を唱える。
「イアチェラン・グラーチェス・フォルティシマム!」
フードを着た化け物に直撃する、超氷魔法フリグガ。呪文の詠唱語句は、古代言語で『最強の氷を投げつける』という意味に相当するらしい。だからゲルエイは、常にそれを意識しながら詠唱することにしていた。
結果、化け物は一瞬で凍って、パリンと粉々に砕けた。
「ちょっと、ゲルエイさん! 何するんですか! 僕のルアーまで一緒に……」
確かに、化け物の手首に刺さったままだったルアーも、一緒に氷に包まれて、砕け散っている。
「ああ、悪かったね。今度来る時、新しいのを持ってきておくれ」
軽い口調で返すゲルエイ。侵入者を撃退した後だからこそ、こんな軽い感じで言葉を交わせるのだ、と彼女は思う。
しかし、まだまだ余裕のない者もいた。
「ゲルエイ! ケン坊! 悪いが、事情説明は後日だ。もう一人いるからな。じゃあな!」
早口でまくし立てて、ピペタは出ていってしまう。
残された二人は、顔を見合わせて、
「もう一人って……。仲間がもう一人、って意味でしょうか? ピペタおじさん、新しい復讐屋の四人目候補を見つけたのでしょうか?」
「そんなわけないだろう、ケン坊。おそらく、今みたいな化け物が、もう一人残っているのだろうさ」
だが魔法の使えぬピペタでは、あの化け物は苦労するかもしれない。ゲルエイはそう思ったが、あえて言わなかった。
それよりも。
去り際にピペタが、ゲルエイだけでなくケンの名前も口にしたということは……。
「少なくともピペタは、ここにケン坊が来ていることも、わかってくれたようだね。おそらく、そのうち事情を説明しに来るはずさ」
一瞬の戦闘ではあったが、巻き込まれた形になった以上、ゲルエイも無関係とは言えない。どういう事情があるのか、少し気になった。それはケンも同じだろうから、
「その時は、また召喚してやるよ。とりあえず、今日は帰りな」
「そうだ! 僕は試験の途中だったのだから……」
とってつけたように言うケンを見て、ゲルエイは思う。
やはり彼は、早く戻りたいというより、懐かしい仲間との再会を楽しむ気持ちの方が強かったようだ、と。
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