第六話 再び集う三人

   

「おはようございます、ピペタ隊長。昨日は、いかがでしたか?」

 宴の月の第九、火炎の日。つまり、月日としては十番目の月の九番目の日、一週間の中では二番目の曜日。

 朝、都市警備騎士団の詰所に出向いたピペタ・ピペトは、先に来ていた部下から、そんな言葉をかけられた。

「おはよう、ラヴィ。まだ、君だけかな?」

 軽く周りを見回すピペタ。四人一組で行動するのが基本なので、まずは詰所で集まってから、一日の仕事が始まる。どの隊も同様なので、朝の詰所は、それなりに混雑していた。

 ピペタの部下は、女性騎士ラヴィの他には、男性騎士が二人。ウイングとタイガという名前だが、まだ、どちらも来ていないようだった。

「はい、私だけです。ウイングもタイガも、そろそろ来ると思いますが……」

 ラヴィは少しだけ頭を下げたところから、ピペタに対して上目遣いで、悪戯イタズラっぽい口調で尋ねる。

「……もしかして、今の私の質問。わざと、はぐらかしましたか?」

 もしもピペタが若い頃に、同世代の女性から、このような態度や口調を示されたら、おそらく「少しあざとい」と感じてしまったことだろう。だが、ラヴィのように一回りくらい若い部下から同じことをされても、不思議と、そうは思えなかった。むしろ、ごくごく自然に見えてしまう。

 これが若さというものだろうか。そもそも、ピペタの頃の女性とは、仕草の意味も違うのかもしれない。そんなことを頭の中で考えながら、ピペタは彼女に告げる。

「ああ、すまない。そんなつもりはなかった。ただの挨拶であって、本気で質問されているとは思わなかったから、わざわざ答える必要もないと判断してしまったのだが……」

「あら。私、そんな社交辞令とか使うような女に見えます? 興味がなければ尋ねませんよ。立派な騎士になるためにも、尊敬すべき隊長の休日の過ごし方、知っておいて損はないと思っただけです」

「いやいや、私の休日なんて、何の手本にもならないぞ? 期待しているところ悪いが、昨日の私なんて、昼間から酒を飲んで、一日、酔い潰れておったくらいだ」

「まあ!」

 ラヴィは、冗談っぽく大げさに驚いてみせた。


 ピペタとしては、嘘は言っていない。昨日は、ポリィのところで寝てしまって、目が覚めたら夜だったのだから。

 若い女性が一人で暮らしている部屋で、長々と眠りこけていたなど、騎士らしくない振る舞いだろう。内心、ピペタは少し反省している。

 ポリィは先に起きており「こんな時間までお引き止めして……」と、彼女が悪いわけでもないのに、謝罪の言葉を口にしていた。しかも彼女は「簡単なものしか出来ませんが」と夕食の準備を始めてしまい、結局ピペタは、彼女の手料理をご馳走になったのだった。

 そんな詳細を語る必要は当然ないのだが、少しくらいは事情説明してもいいか、と考えて話を続ける。

「街を散歩していたら、市民が二人組の暴漢に襲われている場面に遭遇してしまってね。助けた礼ということで、酒と料理を振舞われてしまったのだ」

「でしたら、先にそちらを話してくださいな。ほら、休日だというのに、ピペタ隊長は、立派に都市警備騎士として働いていたわけじゃないですか!」

 ラヴィが過度に持ち上げるので、ピペタは少し、くすぐったい気持ちになってきた。軽く首を横に振って、ピペタは笑う。

「いやいや、それは違うぞ。職務で助けたのであれば、お礼に飲食を提供されるなど、言語道断だ。私たちは、都市警備騎士として、ちゃんと給料をもらっているのだからな。昨日の場合は、あくまでもプライベートだからであって……」

 ピペタが、そこまで話した時。

「おはようございます、ピペタ隊長!」

「おはようございます!」

 ウイングとタイガが、二人一緒に、ピペタとラヴィの近くへやってきた。

 ならば、朝の雑談は、ここまでだ。

「揃ったな。では、行くか」

「はい!」

 ピペタは、三人の部下と共に、街の見回りに出発した。


 市民が暴漢に襲われていた、とは説明したものの、ピペタとしては、その『暴漢』の詳細を語るつもりは全くなかった。心臓を貫かれても死なない怪物だという事実は伏せて、よくある街の小さな争いということにしておいたのだ。

 本来ならば、このサウザの街中をあのような怪物が闊歩しているというのは、大問題だ。それこそ、街の治安に関わる話であり、都市警備騎士団に正式に報告すべき一件なのだが……。

 ピペタのような手練れでも苦戦したのだから、普通の騎士では相手にならないだろう。下手をすると、無駄に犠牲者を出すだけ……。ピペタは、そう判断していた。

 それに、もしも報告するのであらば、そんな怪物の片方をどうやって倒したのか、確実に聞かれることになる。ゲルエイ・ドゥの話をする必要が出てくるのだ。

 だが、彼女がピペタの知り合いであることは、秘密にしなければならない。裏の稼業における繋がりだから、なるべく知られない方がいいのだ。また、ゲルエイが魔法を使えることも秘密だ。そちらはピペタ自身のためというより、彼女の方が困るからなのだが。

「しかし、やはり放っておくことは出来ないな」

 都市警備騎士団の手に余る怪物ならば、それこそ、ピペタが何とかするしかないだろう。いわば、乗り掛かった船だ。本来ピペタは、タダ働きは好まないのだが……。

「ピペタ隊長? 何か言いましたか?」

「いや、何でもない。忘れてくれ」

 横で一緒に歩いていたラヴィに、軽く手を振りながら誤魔化すピペタ。いつもの悪い癖で、心の中だけで考えていたつもりが、少し独り言として口に出てしまったのだろう。

 ラヴィの方でも、それ以上は追求してこなかった。彼女だって、昨日や今日の付き合いではないのだ。考え事を口にするピペタの習慣には、もう慣れっこになっていた。


 ピペタがタダ働きを好まないのは、別にケチだからではない。かつて復讐屋という裏の仕事に携わっているうちに、自然と、そうなってしまったのだ。

 そもそも復讐屋は、強者に踏みにじられた弱者の恨みを晴らす、という理念で結成された集団だ。だが勝手に人を始末する以上、非合法組織ということになる。

 ただし、誰を始末するのか、それを決めるのは復讐屋ではなく依頼人だった。復讐屋自身の判断で、勝手に悪人を裁いていたわけではない。そんなことをしたら、それは復讐屋ではなく、もう単なる人殺しだ。正義の味方を気取る、たちの悪い人殺しだ。

 だから、あくまでも依頼人から依頼料を受け取って、その代価として、依頼人の恨みを晴らす……。そんなシステムを貫いていた。

 そうした仕事をやっていれば、タダ働きは良くないものだという概念が刷り込まれるのも、無理はないだろう。もちろん、今回の場合は、勝手に悪人を殺すわけではなく、むしろ怪物から街を守ろうというのだから、理屈の上ではタダ働きでも問題ないとピペタも理解しているのだが……。

 とりあえず。

 昨日、ゲルエイ・ドゥとみやこケンの二人――かつての復讐屋の仲間――を巻き込んだ形になったので、彼らに対して事情説明をするのが先決だ。

 今後の行動方針として、ピペタは、そう考えていたので、

「では、今日は、これくらいにしておくか」

 夕方、見回りを早めに切り上げることにした。

 彼の終了宣言を耳にして、真っ先に喜びの声を上げたのが、部下の一人であるタイガだった。

「そうですよ! 他の小隊は、いつも、これくらいの時間に終わってるんですから!」

「まあまあ、タイガ。ピペタ隊長は真面目なのよ。あなただって、ピペタ隊長の勤勉さを見習うべきだわ」

 軽く笑いながら、タイガの背中をポンと叩くラヴィ。

 もう一人の部下ウイングは、少しだけ不思議そうな顔を見せた。

「確かに、ピペタ隊長が『これくらいにしておこう』と言い出すのは、珍しいですね。この後、何か予定でも?」

「いや、予定というほどでもないが……」

 せっかく早めに終わらせたのに、長々と説明するのは面倒だ。作り話を考えるより、正直に答えつつ、細かい話はラヴィに代わってもらおう。ピペタは、そういうことに決めた。

「……ちょっと気になることがあってね。ほら、ラヴィには今朝、話したろう? その関連さ」

「ああ、昨日の……」

 ラヴィが反応してくれた。ピペタの思惑通りだ。

「何かあったのですか?」

 ウイングは、ピペタとラヴィを見比べている。どちらでも構わないから説明して欲しい、という顔になっていた。

「ああ、うん。詳しい話は、ラヴィから聞いてくれ。では、先を急ぐので、私はこれで……。おそらく今夜は『女狐めぎつね亭』という酒場で過ごすので、何か緊急の用事が出来たら、騎士寮ではなく、そちらまで連絡を寄越してくれ」

「えっ、ピペタ隊長、これから飲みに行くんですか? だったら僕たちも一緒に……」

 ついてきそうな素振りを見せるタイガだったが、

「あなたはダメ。ピペタ隊長には、ピペタ隊長なりの考えがあるのだから」

 ラヴィが後ろから首根っこを掴んで、タイガを止めてくれた。

「では、ラヴィ。その『昨日の』というのは何か、教えてください」

「ええっと。ピペタ隊長は、昨日、街で……」

 さらに彼女は、タイガを捕まえたまま、ウイングの質問の相手もしてくれている。

 ありがとう、ラヴィ。心の中で彼女に感謝しながら、ピペタは、その場を離れた。


 部下たちには、『女狐めぎつね亭』へ行くとしか言っていないが、もちろんその前に、ピペタはゲルエイの長屋へと向かった。

 街の北側の、しかも裏通りだ。夕方になると、昨日のような午前中とは、かなり雰囲気も違う。

 特に、途中、店が建ち並んだ地域を通った時には、まだ夕方だというのに、早くも酒の匂いをさせながら歩く通行人までいる有様だった。

「やはり、貧民街のさかり場か……」

 少し失礼な言葉を口にしながら、通りを進むピペタ。だが彼の言葉を気にかける者など、周りにはいない。通行人たちは、目当ての店へ行き来することに忙しいのだ。

 やがて、長屋の多い住宅街へと入る。その中の一つが、昨日、怪人が飛び込んだ家、つまりゲルエイの住処すみかだった。

「ゲルエイ、いるか? 私だ。ピペタ・ピペトだ」

 扉をノックしながら、室内へと言葉を投げかける。

 返事はない。

 少しだけ待つことにして、もしも鍵がかかっていなければ、勝手に入ってしまおうか……?

 ピペタが、そんなことを考えた時。

 ガチャリという音と共に、中から扉が開いた。

「さあ、早く入っておくれ。あんたの格好、この辺りじゃ目立つんだよ」

 黒いとんがり帽子と、黒いローブ。いつもの姿のゲルエイが、ピペタを出迎えた。


「適当に座っておくれ」

 ゲルエイに言われて、ピペタは、小汚い椅子に腰を下ろした。

 昨日も訪れた長屋ではあるが、昨日は、ほんの入り口だけだったし、よく観察する余裕もなかったのだ。改めて室内を見回したピペタは、ぽつりと呟いてしまう。

「……狭い部屋だな」

「仕方ないだろ。占い師の稼ぎじゃあ、こんな長屋暮らしが精一杯さ」

 ゲルエイは、暗に「今はオモテの仕事しかやっていない」と告げているのだ。ピペタは、それを理解する。

 確かに、占い師だけで食べていくのは大変だろう。しかもゲルエイは、稼ぎの大半を、趣味の読書に費やしているはずだ。

 ゲルエイの好む歴史書は、大衆娯楽小説ではないので、売れ行きも良くない。薄利多売が出来ない、専門書のたぐいだ。どうしても、高価な本となってしまう。

 そんな本を収集しようというのだから、出費がかさむのも当然……。王都にいた頃の付き合いで、ピペタはゲルエイのことを、そこまで把握していた。

 だが、今はそれを指摘するよりも前に、言うべきことがあるだろう。そう判断して、ピペタは、そちらを口にする。

「いやあ、すまない。暮らしぶりを貶すつもりなんて、なかったのだが……」

 ピペタは軽く頭をかきながら、言葉を続けた。

「ちょうど昨日、別の女性の部屋に上げてもらったばかりでな。やはり北地区にある集合住宅なのだが、結構立派なところだったので、つい無意識のうちに、そちらと比べてしまって……」

「おやおや、珍しいこともあるもんだ」

 ゲルエイは、ニヤリと笑いながら言う。

「あんたの口ぶりだと、あたしのような年寄りじゃなくて、若い娘さんだろ? 王都守護騎士団の騎士様だった頃ですら、あんまり浮いた話がなかったのに……。ようやく、身を固める気にでもなったのかい?」

「おいおい、そんなんじゃないぞ。そもそも彼女は……」

 するとゲルエイは、途端に興味をくして、つまらなそうな顔を見せる。しっ、しっ、という感じで、軽く手を振りながら、

「わかってるよ。相変わらず、冗談の通じない男だねえ。……あれだろ、昨日の化け物に関連した話だろ? 大方おおかた、あの化け物に襲われた娘さんをあんたが助けて、その礼として部屋に招待された……。そんなところかい?」

「まあ、そんな感じだ」

 当て推量なのかもしれないが、ゲルエイは、結構真実を言い当てることが多い。まあ、だからこそ占い師なんてやっているのかもしれないが……。

 ともかく。

 今日ピペタが訪れた目的としても、この話の流れは都合が良かった。

「そこまでわかっているなら、話が早い。そもそも私は、昨日の事情説明をしようと思って来たわけで……」

「ちょっと待った!」

 本題に入ろうとしたピペタを、ゲルエイが遮った。

「あんた、何か忘れてないかい?」

「……ん?」

 一瞬意味がわからなかったが、少し考えたら、ゲルエイの言いたいことが理解できた。

「ああ、そうか。今日は、ケン坊がいないな」

「そうだよ。昨日の話なら、ケン坊にも聞かせてやるべきだろう」

 言いながら、早速ゲルエイは、オモテの商売でも使う水晶玉を用意して……。

「ヴォカレ・アリクエム!」


――――――――――――


「うっ!」

 めまいを感じた時、みやこケンは、自宅で一人で風呂にかっていた。

 普通ならば、入浴中のめまいは、湯あたりを心配するところだろう。だが彼は違う。これは、異世界召喚の予兆なのだ。今ケンが心配するべきことは「このままでは素っ裸でゲルエイの前に――外見的には若い女性であるゲルエイの前に――呼び出される」という事態だった。

「まずい!」

 慌てて風呂から上がって、急いで体を拭く。

 めまいを感じてから召喚まで、せいぜい二、三分のはず。ゆっくり丁寧に拭いている暇はなかった。

 完全に水気を取り払うのは間に合わないから、とりあえず、下着が濡れない程度で留めておく。そしてパンツ一枚を身につけたところで、グイッと体を引っ張られる感覚に襲われた。

「……!」

 前回のような、久しぶりの召喚とは違う。注意点は忘れていない。煙を吸い込まないように、彼は一瞬、息を止めた。

 そして……。

「やあ、ケン坊。今日は、随分と薄着だねえ」

「ケン坊、どうした? 体が濡れているようだが……。そんな格好では、風邪をひくぞ」

 今日はゲルエイだけではない。ピペタも一緒だ。ケンの格好を見て、二人とも、今にも笑い出しそうだ。

「仕方ないじゃないですか! こっちは何時か知りませんが、僕の世界では夜の十時。のんびりと風呂に入っていたところです!」

「おやおや。じゃあ、あの『ルアー』ってやつ、今日は持ってきてないのかい?」

 けろっとした顔で、そんな言葉を口にするゲルエイ。

 確かに昨日、ケンは「今度来る時、新しいのを持ってきて」と言われて、それを了解したのだが……。

「当たり前じゃないですか! 誰がルアー持参で風呂に入るもんですか! そりゃあ、ルアーも本来は、水の中で使うものですが……。少なくとも、お風呂のオモチャじゃありません! そもそも僕は、もう風呂でオモチャで遊ぶ年齢でもなく……」

 パンツ一枚という姿のケンは、実際以上に大げさに、怒っている素振りを見せるのだった。

   

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