第二話 再会と召喚
窓から差し込む朝日を感じて、ゲルエイ・ドゥは目を覚ました。
今日は月陰の日。普通ならば、また今日から一週間の仕事が始まる曜日であり、それだけで憂鬱になる人々もいるくらいだ。
しかし占い師であるゲルエイは、生活サイクルが少し違う。人々の心にゆとりがあって、街で遊ぶ人の数も増える休日の方が、占い師に見てもらおうとする客も多くなる。だから昨日、頑張って働いたので、代わりに今日は休もうかな、と考えていた。
「本当は、少しでも稼がないといけないけどねえ……」
商売道具の水晶玉を眺めながら、収入の少なさを嘆くゲルエイ。
彼女自身、わかっていた。占い師だけで食べていくのは容易ではない、と。実際、この街に引っ越してくる前は――王都で暮らしていた頃は――、本業の占い師よりも、むしろ副業の方で稼いでいたのだ。
強者に踏みにじられた、弱者の恨みを晴らす。
それが、かつての彼女の『副業』だった。一人で行えるような仕事ではなく、四人一組のチームで動いていた。
いわゆる復讐屋なのだが、彼女たちの依頼人は、命を奪われたり、まともに生きていけない状態になるまで追い詰められたり、というケースが多かった。そのため必然的に、その『復讐』も、相手を抹殺するところまでやることになる。
当然、非合法な仕事だった。バレたら役人に
幸い、彼女の仲間の中には、王都守護騎士団に所属する警吏がいた。もしも捜査の手が伸びることがあっても、事前に情報は筒抜けで、
一度だけ、彼女のチームは、大きな失敗をしてしまう。もちろん、こうした稼業においては、たった一度の失敗が命取りだ。仲間の一人を失うことになり、チームも解散。彼女は、逃げるように王都から離れたのだった。
見た目よりも長生きなゲルエイは、これまでの人生において、友人との死別も数多く経験している。しかし王都で失った『仲間』は、他とは違う大切な人であったため、あの事件には、特別な想いがあったのだ……。
「ああ、嫌だ、嫌だ。なんで朝から、あんなこと思い出しちまったのかねえ……」
ゲルエイは、ぶんぶんと首を左右に振った。まるで、頭の中に浮かんだ回想を振り払うかのような勢いだ。
「もう、あんな仕事はゴメンだね。あんな思いは、二度としたくない」
自分に言い聞かせるように、声に出して。
ゲルエイは、朝食の支度に取り掛かる。
「チームの中に役人がいても、あの有様だ。ましてや、この街の役人なんて、あたしゃ知らないし……」
結局。
朝食を作りながらも、まだ裏稼業について考えてしまうゲルエイだった。
ゲルエイが住んでいるのは『第三貧乏長屋』と呼ばれる集合住宅だった。地方都市サウザの中でも主に貧困層が暮らしている北街にあり、似たような長屋は、他にもチラホラ見かける。
彼女は住環境には比較的無頓着だったが、王都で住んでいたアパートより壁が薄い点だけは、あまり快く思っていなかった。もう少し防音効果の高い部屋に住みたかったな、と感じる時もある。間違っても、休みの一日を部屋でのんびりと過ごしたい、と思えるような環境ではない。
だから、朝食を済ませたゲルエイは、街へ出ることにした。
無意識のうちに、彼女の足は、近くの本屋へと向かう。
「そろそろ、新しい本が入荷されている頃かねえ……」
ゲルエイが今の長屋に住むのを決めた理由の一つが、本屋の近所だということだった。読書家の彼女は、金と暇さえあれば、本を購入してしまう。
読書に没頭していると、周囲の雑音も耳に入らなくなるから、少しくらい部屋の壁が薄くて、隣の物音が聞こえてきても平気なのだ。もちろん、その効果も『没頭』するまでは出ないので、逆に「うるさくて本に集中できない」ということで、まず『没頭』に至らない時もあるのだが。
「やあ、いらっしゃい」
彼女が本屋に入ると、顔なじみの店員が笑顔で挨拶してきた。
実は彼女は、正面入り口ではなく、裏の通用口から出入りしている。彼女の長屋からだと、そちらの方が近道なのだ。当然、最初の頃は「やめてください。そこはお客さん向けじゃないので」と、店員に注意されていたが……。
今では、お得意さんということで、すっかりこの態度だ。むしろ歓迎されている。
「やあ、おはよう。新しい歴史書、何かある?」
「ありますよ。東の大陸が、風の大陸と呼ばれていた頃の伝奇で……」
店員の言葉を耳にして、ゲルエイの目が輝く。彼女は、走るような勢いで、歴史書のコーナーへと向かった。
話の途中で去ってしまうゲルエイに対して、店員は、別に不快とは感じない。ゲルエイが歴史書に目がないことを、店員も理解しているからだろう。
二十歳くらいに見られることが多いゲルエイだが、彼女の肉体年齢は、本当は二十九歳だった。あえて『肉体年齢』と表記する必要があるのは、実年齢ならば百歳を超えているからだ。
かつて不老の魔術を会得した彼女は、それを自分に使ってみたのだ。ゲルエイが二十九歳の時の出来事だった。
以降、彼女の外見が老けることはないのだが……。不老の魔術は秘術の
そうやって長い時間を過ごす間に、ゲルエイは、歴史というものに強い興味を持つようになった。自分にとっての『昔』が、『今』の人間にとっては『歴史』として語られるくらいの、遠い過去となる……。そうやって歴史書で、自分が生きてきた時代について読んでみると、色々と再発見する部分も出てくるのだった。
だがゲルエイにとって、一番関心のある『歴史』は、彼女自身も経験できなかった、はるか昔の出来事だ。それこそ伝説と呼ばれるような時代に関して、真実を知りたいと思うようになっていた。
だから『風の大陸と呼ばれていた頃の伝奇』というのは、まさに彼女の嗜好にドンピシャだったのだ。
歴史書のコーナーには、ほとんど人がいなかった。ただ一人、鎧姿の客がいるだけだ。
格好からして、騎士なのだろう。街の役人なのだろう。それが本屋の中にいるというのは、少し変だとゲルエイは思った。
今日は平日であり、自分のような自由業でなければ、忙しく働いているはずだ。この役人は、見回りと称して街に出て、本屋で時間を潰しているのだろうか?
ゲルエイは、そんな想像をしてしまう。だいたい彼女は『役人』というものを良くは思っていない。王都で復讐屋を営んでいた頃は、王都守護騎士をチームに加えていたが、それは警吏を利用する意味もあったからだ。
そういえば、あいつも似たような騎士鎧を着ていたなあ……。目の前の役人を見て、ふと、かつての仲間を思い出してしまう。だが、鎧を着込んだ騎士の後ろ姿なんて、みんな同じような外見のはず。そもそも、王都守護騎士が、地方都市サウザにいるはずもない。
もう『あいつ』のことは忘れて、ゲルエイは、本来の目的に戻った。目当ての本を探すのだ。
書棚に並んだタイトルは、見覚えあるものばかり。見たことない本があれば目立つから、丹念に探さずとも、すぐにわかるはずだ。目を滑らせていくと……。
見つけた! これだ!
彼女は『風の大陸の伝説』と書かれた本を見つけて、それに手を伸ばそうとした。折り悪く、先ほどの鎧騎士も、同じ本に手を伸ばしている。
チッ!
内心で舌打ちしながら、負けじと、手を伸ばすゲルエイ。先に本に手が届いたが、騎士の手を弾き飛ばす形になってしまった。
いくら役人嫌いのゲルエイでも、これは謝罪するべきと感じる。
「失礼しました!」
なるべく「心から非礼をお詫びします」という口調で。
なるべく若々しく、可愛らしい少女の声で。
彼女は、その言葉を口にしたのだが……。
ゲルエイは、自分の横顔に向けられた視線を感じる。騎士鎧の男が、ジロジロと眺めているようだ。もしかしたら「若々しく、可愛らしく」の効果が強すぎたのか? 自分は今、この男にナンパされそうなのか?
だったら嫌だなあ、と思いながら、ゲルエイも男の方を向いた。
「あっ! お前は……!」
男が口にした言葉は、今まさにゲルエイも言おうとしたものと同じだった。
先ほど、この男の後ろ姿を見て、かつての仲間を思い出したのも当然だ。彼は『かつての仲間』その人、つまりピペタ・ピペトだったのだから。
「あら、偶然ね」
内心の動揺を隠しながら、ゲルエイは、そう言ってみる。こう切り出せば、ピペタは『偶然』の詳細を説明してくれるかもしれない。なぜサウザにいるのか、理由を語るかもしれない。
「こっちのセリフだぞ、それは。まさかお前が、サウザに来ていようとは……」
「おやおや。あたしがいるのを知って、わざわざサウザまで追っかけてきたのかと思ったのに」
「そんなわけあるか」
ピペタは、吐き捨てるように言う。
「そうかい? でも、あんたは、あたしが王都から脱出したのを知っていたじゃないか。一方、あたしゃ、あんたが王都を出たことすら知らなかったんだから。……ひょっとして、王都守護騎士団をクビにでもなったのかい?」
ゲルエイの言葉に、ピペタは、ギクッと驚いた態度を見せる。
まさか、真実を言い当てたのか? ゲルエイはそう思ったが、ピペタは首を横に振る。
「今でも所属は王都守護騎士団のままだぞ。そこから派遣されて、ここでは都市警備騎士として、小隊長をやっている」
ピペタは騎士鎧を着ているのだ。相変わらず役人なのだろう。彼の発言は嘘ではない、とゲルエイは判断した。
「騎士団の小隊長様かい。……なるほどね」
ゲルエイは、
小隊長ということは、四人組のリーダーだ。一応の責任者ではあるが、部下は三人だけであり、重職とは言えない。本来ならば、王都から派遣されてくる騎士が就くような役職ではないのだ。
ならば。
ピペタは、王都から地方都市に左遷されたに違いない。左遷された理由も、ゲルエイには、容易に想像できるのだった。
かつて王都で
それでも残念ながら、仲間の一人は亡くなってしまったが、もしもピペタがいなければ、仲間の遺体は官吏の手に落ちていたことだろう。その場合、復讐屋の身元を特定するような証拠まで、官吏は手に入れていたかもしれない。
おそらく、王都守護騎士のピペタは、あの
そうやってゲルエイが考えていると、ピペタは、その場から立ち去る素振りを見せた。
「おや、いいのかい? この本、あたしが買っても」
「当然だ。私よりも、お前の方が、そういうのは向いているからな」
背中を向けて歩き始めたピペタは、ふと立ち止まり、ゲルエイに告げる。
「じゃあな。もう、二度と会うこともないだろう」
「いやいや、そうもいかないんじゃないかい? 同じ街なら、嫌でも顔をあわせる機会が……」
「安心しろ。私の担当区域は、この街の南側だ。北の住民とは会うこともない。たまたま今日は、非番だから北まで足を伸ばしただけだ……」
最後にピペタは、ゲルエイに対して苦い表情を一瞬だけ見せた後、彼女の視界から消えた。
もしかしたら彼も、失った仲間のことを思い出したのだろうか。
ゲルエイは、しみじみと思った。
本を購入したゲルエイは、来た時と同じく裏の通用口を通って、本屋を出た。正面から出たピペタが、まだ本屋の近くを徘徊しているかもしれないが、こちらから近道で帰れば、彼と出くわす心配もないだろう。
長屋に戻ったゲルエイは、買ってきた本を早速読むのではなく、少し考え込んでしまった。
「もしかすると……。これも、運命かもしれないねえ」
朝、占い師としての稼ぎについて考えて、かつての副業について思い出して。
でも、このサウザでは無理だと結論づけた。仲間に出来そうな警吏の知り合いもいないし、そもそも警吏に限らずとも、サウザに仲間候補なんていないからだ。
そんなことを思い描いた直後に、かつての仲間だったピペタに出会うとは……。しかも、今ではピペタがサウザで警吏をしているとは!
これは、神様の思し召しなのだろうか。「復讐屋という裏稼業を再開しろ」という、天のお告げなのだろうか。
もしも再び、稼業を再開するのであれば、やはりチームとして四人は必要だろう。自分と、ピペタと、あと二人……。
そのうち一人は、いつでも用意できる、とゲルエイは思う。そもそも、王都で復讐屋を始める時も、最後の一人は、ゲルエイが『用意』したのだった。また、彼をメンバーにすればいい。
「とりあえずは……。ピペタと再会したことを、あいつにも報告だけしておくか」
占い師という
「ヴォカレ・アリクエム!」
召喚魔法アドヴォカビト。
時間と空間を越えて、必要な人材を一人、呼び出すことが出来る。
百年以上生きてきたゲルエイだが、この魔法を実際に使える者には会ったことがないので、これも不老の魔術と同じく、秘術の一種なのだろう。
そもそも、勇者伝説の時代とは異なり、今や魔法を使える者は少なくなっている。ただし魔力自体は人々に残っているため、例えば魔法灯のように、魔法技術を用いた道具は広く普及していた。それらは誰でも利用できるのだが、呪文を唱えて個別に魔法を発動させることは、全く話が別だった。そちらは多くの人々にとって、無から有を生み出すに等しい奇跡となっていたのだ。
魔法使いは貴重な存在だから、官吏として召し抱えられて、国を動かすような仕事に携わるのが一般的。しかし役人嫌いのゲルエイは「そんなのゴメンだ」と考えていた。スカウトされたくもないから、世間に対して、魔法が使えることは内緒にしている。ただ、占い師という職業上、魔法使いっぽい格好をして「魔法なんて使えないけど、よく当たる占い師と思ってもらうために、魔法が使えるフリをしています」という態度を装っていた。嘘の嘘が真実になってしまうような、二重の詐称だ。
だからゲルエイには、魔法使い同士の交流もない。その意味では、本当に『秘術』なのかどうか、定かではないが……。
ともかく。
そんなゲルエイが召喚魔法で異世界から呼び出した少年が、かつて彼女が『用意』したメンバーだった。残念ながら、本当に『必要な人材』という定義に相応しいのかどうか、疑いたくなるような子供だったが……。
しかも、この魔法は、一度でも誰かを呼び出すと、その『誰か』と
だから、今。
「ケホッ、ケホッ……」
ポンという音と共に立ち込めた煙の中、その煙にむせながら、異世界から一人の少年がやってきた。
煙が晴れると、彼の姿が見えてくる。
金色のボタンがついた、黒い服とズボン。ゲルエイは、それが少年の世界の『学生服』という特殊装備であることを思い出した。『高校』と呼ばれる施設に出向く時に着用するものらしい。
「やあ、ケン坊。久しぶりだねえ。元気だったかい?」
ゲルエイは、親しみを込めて呼びかけたのだが……。
「冗談じゃない! 酷いですよ! 中間テストの真っ最中に召喚するなんて!」
何やら、少年は怒っているようだ。忙しい用事の途中だったようだ。
しかし。
戻ってから続きをやればいいだけなのに、とゲルエイは思ってしまう。
なにしろ、召喚魔法アドヴォカビトは、空間だけでなく時間にも干渉する魔法だ。どういう原理かは知らないが、呼び出された人間は、こちらの世界でいくら時間を過ごそうと、元の世界では時が進まないのだという。戻った時には、召喚されたその瞬間に戻れるのだという。『瞬間』の出来事な上に、召喚前後で彼の状態も変わらないので、周りにも気づかれずに済むのだという。
それに……。
「そこまで怒ることないじゃないか。そもそも、召喚される前に、予兆らしきものを感じるんだろ? 以前にそれを教えてくれたのは、ケン坊自身だよ」
そう。
どうやらこの魔法は、召喚の瞬間よりも少し前の時点に遡って、対象者の体に小さな異変を起こして「もうすぐ召喚されますよ」と告げてくれるらしい。
そんなシステム、ゲルエイも使ってみるまで知らなかったのだが、当のケン坊が言うのだから間違いない。なるほど、例えばトイレや風呂の途中で召喚されたら困るから、そういう仕様になっているのだろう。ゲルエイは、そう理解していた。
だから、ちゃんと心の準備も済ませた上で、終わらせるべきことは終わらせてから、ケン坊はこの世界に来たはずだが……。
「予兆って、ほんの一、二分ですよ? そんな短い時間で、全部解答できるわけないじゃないですか! 日本史のテストは、まだ始まったばかりだったのに! ……ああ、もう! 早く戻らないと、せっかく一夜漬けで詰め込んだ内容を、全部忘れてしまう!」
ゲルエイの目の前で。
彼女に召喚されたケン坊は、頭を抱えながら、嘆きの声を上げていた。
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