第十一話 伯爵の屋敷
ピペタ・ピペトは部下たちと共に、庭を抜けて、イスト伯爵の住む建物へと向かう。
さすがに伯爵貴族の屋敷だけあって、門から邸宅まで、それなりの距離があった。庭には、街路樹よりも立派な大木が植えられていたり、奥の方には、ちょっとした公園にありそうな池が造られていたりする。
明るい昼間ならば、さぞや景色の良い庭園なのだろう。だが、今は暗い夜だ。魔法灯に照らされているものの、それでも景観を堪能するというレベルではなかった。
そして。
「お待ちしておりました」
建物の玄関でピペタたちを出迎えたのは、杖をついた老人だった。顔には年相応の深い
この老人が、イスト伯爵なのだろう。丁寧な口調ではあったが、むしろピペタには、慇懃無礼に聞こえてしまった。
「都市警備騎士団南部大隊所属、ピペタ・ピペトです。部下三名と共に、屋敷の警護に参りました」
ピペタがイスト伯爵に挨拶を返す間、部下たちの視線は、その背後に釘付けだったらしい。イスト伯爵が、彼の後ろに立つ男を紹介する。
「ああ、やはり、こいつは目立ちますなあ。こいつはオウサムといって、この屋敷の唯一の使用人です。こまごました家事から力仕事まで、時には用心棒の仕事まで、色々こなしてくれています」
格闘家のような体躯の大男であり、それだけでも目につく存在だ。しかし、さらに特筆すべき点は、その顔が白い仮面に覆われていることだろう。目の部分に覗き穴のような細いスリットがあるだけで、顔の大部分が隠されていた。
「顔には酷い火傷の痕跡があるので、素顔を見せられないのは、勘弁してやってください。喉もやられているらしく、自分で喋ることも出来ないのですが、私の言うことは、よく聞いてくれます。こいつは元々……」
満足に声を出せないオウサムに代わって、イスト伯爵が説明する。
まだイスト伯爵が王都で暮らしていた頃、行き倒れていたオウサムをたまたま見つけて、助けてやったそうだ。何か事件に巻き込まれたらしく、オウサムは酷い怪我をしており、記憶も失っていた。彼は自分が誰なのかすら覚えておらず、今の『オウサム』という名前も、イスト伯爵が拾った時に名づけたものだという。行くあてもないオウサムは、そのままイスト伯爵のもとに
まるでイスト伯爵の話を肯定するかのように、オウサムは、軽く頭を下げた。
「なるほど……」
声帯に問題があろうとなかろうと、とりあえず、腕っ節は強そうだ。襲撃者を撃退したという話も頷ける。ピペタは、そんな印象を受けた。
「さて、みなさん。よく来てくれました。でも明日からは、もう少し早く来ていただけるとありがたい。夕方までは、別の騎士たちがいたのですが……」
おそらく『別の騎士たち』というのは、東部大隊の捜査班なのだろう。ピペタとしても、自分たちが来るまでは屋敷に残っていて欲しかったのだが、所属が違うので、あまり無理は言えなかった。
「彼らが帰ってから、今までの間。心配で心配で、たまりませんでした」
「申し訳ありません。私たちも、今日、話を聞いたばかりでしたので……。明日からは、もっと早くに参ります」
仕事に取り掛かる前からクドクドと文句を言われたら、ピペタだって嬉しくはない。部下たちも同じ気持ちだろう。そう思ったピペタは、伯爵との話をさっさと切り上げて、警備の仕事を始めたかった。しかし、一つだけ、聞いておきたいことがあった。
「ところで……。警護の騎士として、イスト伯爵の方から私を指名なさったとか?」
ピペタの方では、イスト伯爵を知らなかったのだ。彼がどういう経緯で自分のことを知っていたのか、少しピペタは気になっていた。
「ああ、なんとも強い騎士殿がおられる、と噂で聞きましてな……。では、よろしく頼みます」
本当に、ただ、それだけなのだろうか?
疑わしい口ぶりに聞こえてしまうのは、警吏という仕事柄、人を疑ってかかる癖があるからかもしれない。そう考えながら、ピペタは、その場の会話を切り上げた。
身辺警護という意味では、本当ならば、イスト伯爵の近くで守るのが一番だろう。
しかし「それではプライベートに干渉されるようで煩わしい」ということで、イスト伯爵からは「家屋には立ち入らず、敷地内の庭で見張っておいてくれ」と頼まれてしまった。
「仕方ないですね。まあ、すぐ近くには、あのオウサムという大男を待機させておくから大丈夫、ということなのでしょう」
イスト伯爵が姿を消してから、意見を述べるウイング。
続いて、
「ピペタ隊長! もしも賊がこの庭に侵入してきても、私たちが頑張って、取り押さえればいいだけですよね」
ラヴィも、イスト伯爵の提案を素直に受け入れていた。
タイガは、肩をすくめるような仕草を見せる。彼は、特に何も考えていないようだった。
「そうだな。では……」
ピペタは、部下たちに配置を指示する。
この屋敷には、ぐるりと取り囲む高い塀がある。しかし、そこを乗り越えて襲撃される可能性だって皆無ではない。
部下たちには言えないが、実際にピペタは昨晩、見ているのだ。あの黒ローブの怪人が、街路樹を利用して塀を越えたらしい痕迹を……。
あの怪人は屋敷を襲撃した女たちとは別人のようだが、彼女たちも同じ手口を使うかもしれない。だから、門だけを見張っておくわけにもいかなかった。
とりあえず、ピペタたちの現在地ならば、正門から入ってきた場合でも、塀を越えてきた侵入者が家屋に入ろうとした場合でも、どちらも対処できるだろう。
「だから、私は、ここを守る。だが一応、裏門にも誰かを置いておきたい」
イスト伯爵の屋敷には、あの獅子の紋章のついた正門の他に、通用口のような、小さな裏門があった。
「では、そちらは、私が行きましょう」
ウイングが立候補する。これは、ピペタとしても、ありがたい話だった。三人の部下の中で、一番剣術が優れているのはウイングだというのが、ピペタの見立てだったからだ。
「うむ。しかし、さすがに一人にしておくわけにもいかない。誰か、もう一人……」
ピペタの発言に対して、瞬時にラヴィが反応する。
「タイガ、あなたが同行したら?」
「えっ、僕?」
「そうよ。あなたは、ウイングとは名コンビでしょう?」
ピペタから見れば、別に二人に『名コンビ』感はない。ただ、三人の部下のうちの男二人ということで、どうしてもセットで扱う場合も出てきてしまうだけだ。
だが同格の隊員であるラヴィが、二人を『名コンビ』と感じているのであれば、自分が思っている以上に、二人を組ませる意味があるのかもしれない。ピペタは、そう判断した。
「わかった。では、タイガはウイングと共に、裏口の守りを頼む。ラヴィは、ここで私と一緒に見張りだ」
とりあえず、今晩は、この配置で行こう。自分とウイングさえ別の班にすればいいのだから、明日は、ラヴィとタイガは担当を交代で……。
そんなピペタの考えの
四人は一晩中、持ち場を守り続けたが、結局、襲撃者なんて現れないまま、朝を迎えることとなった。
ただしピペタだけは、途中で一度、ごくわずかな殺気のようなものを感じる瞬間があった。ほとんど気のせいかもしれないような、あやふやなものだ。だが、もし本当に『殺気』なのだとしたら、おそらく塀の向こう側だろう。屋敷に忍び込むつもりで中の様子を探ったけれど、警護の騎士たちがいるから諦めたのではないだろうか。
ピペタは、そんな推測をしていた。それに、その『殺気』の主は、昨晩の黒ずくめの女だろうとも感じていた。
他の三人は気づいていないようだったし、ピペタも彼らには話さなかった。だから部下たちにとっては、平和な一晩だったに違いない。
再び建物の玄関前に集まったところで、タイガが、つまらなそうに呟く。
「襲撃なんて、その兆候すらありませんでしたね。なんだか、拍子抜けしちゃったなあ」
「そりゃそうでしょう。賊だって毎日ここに来るってわけじゃないだろうし……。そもそも、そんな連続出勤するくらい勤勉なら『賊』なんてやってないで、真面目な仕事に就いてるはずだわ」
「ラヴィは面白いことを言いますね。そんなふうに賊の心構えを推測するとは」
ウイングまでもが軽口を叩くが、ピペタは、特に注意するつもりもなかった。徹夜仕事が終わって気が緩むのは、あまり褒められたことではないが、ある程度は仕方がない。それだけ、今まで気が張っていた証拠なのだろう。そう好意的に解釈することにしたのだった。
「では、今日は、このまま解散としよう。明日は、イスト伯爵にも言われたように『もう少し早く』警護を始めるぞ。夕方、詰所に集合だ」
「ピペタ隊長、ちょっと間違っていますよ。もう朝ですから、明日というより今日の夕方ですね」
確かにラヴィの言う通り、もう水氷の日ではなく、草木の日――一週間の中で四番目の曜日――になっている。
冗談っぽく笑う彼女に頷いてから、ピペタは部下たちを解放し、自分も帰路についた。
騎士寮の自室に戻ったピペタは、軽く朝食をとってから、ベッドに入った。夕方までは眠っておくつもりだったが、昼過ぎには目が覚めてしまう。
「さて、どうするか」
普通ならば二度寝をするのだろうが、ピペタは、一度きちんと起きてしまえば体が完全に目覚めてしまうタイプだ。
ならば、夕方までの時間を有意義に過ごすとしよう。
「ふむ……」
起きたばかりの、すっきりとした頭で、考えてみる。
調書によれば、イスト伯爵は襲撃者に関して心当たりはないという。しかし、その証言は本当なのだろうか?
実際に対面した感じでは、どこか怪しいところがある老人、という雰囲気だった。まあ、他国から亡命してきた貴族なのだし、すでに長いこと生きてもいるのだから、隠し事の一つや二つあるのは当然だろう。
そもそも、ピペタがイスト伯爵を疑ってしまうのは、一種の偏見なのかもしれない。あの黒ローブの怪人という存在のせいだ。
火炎の日――二日前――の夜、黒ローブの怪人が飛び込んだのは、イスト伯爵の屋敷だった。もちろん、たまたま無関係な一般市民のところに一時的に逃げ込んだという可能性も高いが、それとは別に、イスト伯爵の邸宅こそが黒ローブの怪人のアジトだったとも考えられるのだ。
昨晩ピペタが屋敷の警護をしていた時には、怪人の気配は全く感じられなかった。だが、もしもイスト伯爵が怪人の一味に関わっていた場合、当然のように怪人の存在は秘匿するはず。あの怪人自体、気配を消すことに長けていたのだから、屋敷の奥にでも隠されたら、もうピペタでは察知しようがない。
「どちらにせよ……」
イスト伯爵が怪人に関わっているにせよ、いないにせよ。
ピペタは、少しイスト伯爵のことを調べておく必要があると思った。
もしも無関係な場合、純粋に警護のために、知っておきたい。イスト伯爵自身について知ることが、襲撃者の正体を知る手がかりに繋がるかもしれないからだ。もちろん、襲撃者に関する調査はピペタの仕事ではないが、敵を知れば、警護もしやすくなるだろう。
逆に、真っ黒な関係者である場合、それこそ怪人一味に対処するために、知らねばならない。
「まあ、公式に捜査をするという段階でもないし……。とりあえず、こういう場合、情報通の友人を当たってみるのが、一番かもしれないな」
考えをまとめる意味で、独り言として、口に出してから。
ピペタは、街に出かけることにした。
彼が『情報通の友人』として頭に浮かべたのは、女占い師のゲルエイ・ドゥだった。
まず彼女は読者家であり、それだけで、ピペタが知らない話もたくさん知っている。それに、とんでもないくらいに長生きであり、まさに生き字引だった。
イスト伯爵は東の大陸からの亡命者ということだが、ゲルエイは、東の大陸についてもピペタ以上に詳しいはず。それこそ、先日『風の大陸の伝説』なんて書物に興味を示していたくらいだ。イスト伯爵個人については知らずとも、その伯爵家については何か知っているかもしれない。彼の家柄に絡んだ理由で、襲撃を受けているとか、怪人一味に関わっているとか、そんな可能性もゼロではないだろう。
ゲルエイは今頃、南中央広場で占いの店を開いているはず。そう考えてピペタは、南中央広場へと向かったのだが……。
「……ん?」
通りを歩いていたピペタは、偶然、見覚えのある人物を見つけてしまった。
健康的な褐色がかった肌と、逆立つような赤髪が特徴的な、二十代半ばくらいの女。昨日の昼間、南中央広場の噴水の陰から、ピペタに視線と殺気を送っていた女だ。ピペタが「この赤髪こそが、あの黒ずくめの女だろう」と推定している女だ。
この近辺が彼女の昼間の行動範囲内であるならば、昨日、南中央広場でピペタに注意を向けていたのも、偶然だったのかもしれない。特に意図してピペタを追っていたわけではなく、たまたまピペタを――前の晩に戦ったピペタを――あの場で見かけただけではないだろうか。
「その『偶然』が、今日は逆になったわけだな」
内心で苦笑しながらピペタが見ていると、彼女は昨日と同じ服装で、通りに面した大きな建物の中に入っていくところだった。
イスト伯爵の屋敷の周りで怪しげな行動をしていたくらいだから、あの女ならば、ゲルエイよりも確実に、イスト伯爵について知っているはず……。
そう考えたピペタは、予定を変更して、彼女が消えた建物へと近づいていく。
「ほう……」
思わず感嘆の声が出てしまうくらいに、立派な白い建物だった。広々とした入り口の上には『アサク演芸会館』という看板が掲げられている。芝居小屋とか見世物小屋とか、そういった興行のための施設らしい。
「あの女、芝居見物でもするつもりか?」
入り口で金を払って、ピペタも中に入ってみた。
客席を見回してみたが、赤髪の女の姿は見えない。今のところ、あまり混雑していないので、見落とすはずもないのだが。
「客席にいないということは……」
もう一つの可能性を考えて、とりあえずピペタは座った。
舞台の上では、右端に立つ司会者に促されて、次々と登場する芸人たちが、それぞれの持ち芸を披露している。見世物を行う演者たちは、奇抜な格好の者が多く、それを際立たせる意味なのだろう。司会者は、黒いシルクハットと燕尾服、それに赤い蝶ネクタイという、紳士的な服装で身を固めていた。
司会者が面白おかしく説明することで、必死にフォローしているようだが、演目の多くは、特に面白いものでもない。それでもピペタが、そのまま見続けていると……。
「さあ! 続いての演目は『投げナイフの美女』です! 異国出身の褐色美人が投げるナイフは、まさに百発百中! お客様のハートだって射抜いてしまうという、彼女の妙技をお楽しみください!」
そんな司会の紹介文句と共に、赤髪の女が――黒ずくめの正体と思われる女が――舞台の上に現れたのだった。
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