第十話 夜の仕事へ
地方都市サウザの中心街に、灰白色の大理石で作られた、ひときわ目立つ建物がある。遠くから見ても目を引くのは、その特徴的な丸い屋根だろう。そして近づいてみると、建物全体は直方体と円筒形を組み合わせたデザインなのがわかる。だが、まとまりがないといった印象は皆無であり、見た者は誰もが、建築美とか機能美といった言葉を思い浮かべるという。
これが、都市警備騎士団の本部、通称『城』だった。
ピペタ・ピペトと三人の部下たちは、その『城』の中に入り、使い慣れた階段を上がる。南部大隊の隊長執務室へ向かうと、ノックの必要もなく、扉は開きっぱなしになっていた。
いつものことだ、とピペタは思う。もちろん、そう頻繁に本部へ来ることはないが、少なくとも彼が来る時は毎回、扉は開いたままになっている。
「ああ、ピペタ小隊長。よく来たな」
廊下の足音だけでわかったのだろうか。ピペタや部下たちが挨拶するよりも早く、中から、部屋の主であるウォルシュが声をかけてきた。
書類仕事をしていたウォルシュは、その手を止めて、書類を脇に寄せている。そして、なかなか喜怒哀楽を
ウォルシュはピペタと同世代であり、王都守護騎士団から派遣されてきたというところも、ピペタと同じだ。だが別にピペタのように『左遷』されてきたわけではなく、ここでは南部大隊の総責任者、つまりピペタの上司となっていた。それも直接の上司ではなく、はるか上の存在だ。
「四人全員、揃っているようだな。うん、よろしい。まずは、座ってラクにしてくれたまえ」
ウォルシュは、一つ小さく頷いてから、ピペタたちをソファーに座らせた。
ここは、それほど多くの来客があることを想定されている部屋ではない。ソファーも、ほんの形ばかりのものしか置かれておらず、四人で座ると少し手狭なくらいだった。
それでも彼らが腰を下ろしたのを見届けてから、大隊長は用件を話し始めた。
「突然で悪いのだが……。ピペタ小隊の四人には、今日から夜勤を頼む」
「夜勤ですか? しかも『今日から』ということは……」
少し不満げな口調で、驚いたように聞き返すピペタ。実際には、そこまで不満があるわけでもないし、驚いているわけでもないのだが、わざと大げさな素振りを見せたのだ。大隊長に対しては直接文句も言いにくい部下たちの、代弁をしたつもりだった。
「ああ、そうだ。今日だけではなく、しばらくの間、毎日やってもらう」
「毎日の夜勤ですか……。それならば、代わりに昼の間は休ませていただきたいですね。今日は、すでに普通に見回りに出ていたのですが……」
「わかっている。だから、本当にすまないと思う。もちろん明日からは、昼間その分たっぷり休んでもらおう。しかし、今日は仕方がない。今日になって突然、持ち込まれた話だからなあ。しかも、先方は『今晩から』と言っている」
大隊長の口ぶりでは、どうやら普通の仕事ではなさそうだ。
「わかりました。詳しい話を聞かせてください」
都市警備騎士団に持ち込まれたのは、街の東側に住む貴族からの訴えだった。夜、屋敷が強盗らしき者に襲撃されたという。しかも、一度ならず二度までも。
幸い、力自慢の使用人が奮闘したおかげで、誰も怪我をせず、何も盗まれずに済んだ。しかし、襲撃が続くようならば、素人の力で撃退するのは難しいと判断したらしい。だから、騎士団に守って欲しい、という話だった。
「つまり、襲撃事件の捜査ではなく、屋敷の警備ですか?」
「そうだ。詳しくはこちらに書いてあるから、後で読んでおいてくれたまえ」
ウォルシュはピペタに書類を渡しながら、言葉を続ける。
「そもそも、本来ならば東部大隊の管轄だからな。捜査自体は、当然そちらが
「それで、私のところに話が回ってきたのですか」
ピペタは、ため息をつきたい気持ちだった。
彼が剣術の腕を買われてピペト家の養子になった話は、王都守護騎士団でも、一部では有名だった。それだけではなく、王都守護騎士団の剣術大会において、ピペタは毎年、上位に名を連ねていた。
裏の仕事に関わるようになってからは、ピペタも「目立つのは良くない」と考えて、少しだけ手を抜くようにしていた。しかし、もしも手加減がバレれば、逆に「何故そんなことを?」と怪しまれるだろう。その危険を思うと、大きな手抜きは出来ず、結局わずかに順位を下げただけで、やはり成績優秀者の常連に入ってしまっていた。
だから、王都から来た騎士ならば、ウォルシュ以外の者でも、ピペタの強さを知っていて不思議ではない。確か東部大隊の隊長も、王都守護騎士団からの派遣組だったはず……。
そんなことをピペタが考えていると、まるでピペタの思考を読んだかのように、ウォルシュが告げる。
「勘違いしないで欲しいのだが、ピペタ小隊長、君を警護役に選んだのは我々ではない。先方からのご指名なのだよ」
意外な言葉だった。どう返したらいいのか、ピペタが一瞬、言葉に困るほどだった。
「個人的な知り合いという口調でもなかったらしいが……。イスト伯爵という名前に、心当たりはあるか?」
「いいえ、ありません」
今度は即答した。ピペタも、担当区域に住む貴族の名前ならば一応、頭に叩き込んである。だが、そのリストの中には、イスト伯爵の名前はなかった。襲撃を受けたのは東に住む貴族だという話だし、ならば自分が知らないのも当然だ、とピペタは思う。
「そうか。個人的な知り合いではないというなら、どこかで君の武勇を耳にしたのだろうな。イスト伯爵は、ここサウザに来る前は、王都で暮らしていたこともあるという話だったから……」
ウォルシュは、椅子に深々と座り直した。この部屋に来るのが初めてではないピペタは、今のウォルシュの態度から、もう用件は終わったのだと判断する。
実際そのつもりだったようだが、ウォルシュは、最後に一言だけ付け加えた。
「そうそう、言い忘れていた。イスト伯爵は、東の大陸から亡命してきた貴族だ。その点、心に留めておいてくれたまえ」
ピペタは理解した。ああ、この一件は少し政治が絡んだ話なのだ、と。
退出後、廊下を少し歩いて隊長執務室から離れたところで、ラヴィが弾んだ声を上げた。
「凄いですね、ピペタ隊長。貴族から名指しで警護を依頼されるなんて……。それだけ、ピペタ隊長の剣技が評価されたってことですよね!」
彼女は、まるで我が事のように喜んでいる。
ラヴィが一人の部下として上司のピペタを慕っているらしいことは、ピペタも日頃から感じていた。だから、彼女のこの態度も、理解できないことはない。
彼が過小評価されているとか、不当に罵られているとか、そう彼女は思ってきたのではないか。そのため、今回の名指しの依頼を歓迎しているのではないか……。勝手にピペタは、そう解釈していた。
「僕も知らなかったなあ。ピペタ隊長が、そこまで強いとは……。街のゴロツキ相手では、剣術の腕を披露する機会も、なかなかないですからね」
「そうよ、私たちの隊長は凄いのよ。だから、私たちもピペタ小隊の名に恥じぬよう、頑張らなくては」
タイガの言葉に対しても、ラヴィは肯定的に返していた。
そんな彼女の様子を見て、ピペタは少しホッとする。
ウォルシュ大隊長の話から考えるに、イスト伯爵が名前を挙げたのは、ピペタ一人だったはず。しかし、こうした警護任務も小隊単位で行うのが普通であるために、部下の三人も巻き込まれた形になる。タイガやウイングは構わないとしても、若い女性であるラヴィに夜勤の連続というのは辛かろう。自分のせいで悪いことをした、と罪悪感もあったピペタだが、彼女の言動を見るうちに、それも消えたのだった。
一方、ラヴィやタイガとは違って、冷静な態度を見せる部下もいる。
「でも問題の屋敷に住む貴族は、亡命者なんですよね。少し胡散臭い話だと思いませんか?」
「ああ。気にならないと言ったら嘘になるが……。そういう話は、東部大隊の捜査班に任せておこう。私たちは単純に、襲撃者を迎え撃ち、その貴族様を守るだけだ」
神妙な顔つきのウイングに、ピペタは努めて軽く返すのだった。
世界の国々は今、大きな戦争状態には突入していない。国境近辺での小競り合いはあっても、それぞれの国内では基本的に、平和が訪れていると言っても構わないだろう。
特にピペタたちが暮らす北の大陸は、大陸全土が一つの王国として統一されているため、国家間の紛争とは縁遠い世界となっていた。どの大陸も、他の大陸と近接する地域自体が少ないので、大陸間の争いより、大陸内の関係に注意を向けることになるからだ。
例えば、北の大陸から南東部の海峡を越えたところには東の大陸があるのだが、東の大陸には、まだ多くの小国家が乱立しているという。一応、それぞれの国の中では平和が保たれているが、いつ隣国との間に戦争が勃発してもおかしくない、と考える者たちもいるくらいだ。
そうした状態を嫌って、東の大陸から海を渡って、北の大陸の王国に亡命してくる者が、数多くいるのだった。
もちろん、いくら寛容な王国であっても、その全てを受け入れることは出来やしない。北の大陸には存在しない技術や情報など、価値あるものをもたらす有意義な人物が、どうしても優先されてしまう。
その意味で、東の大陸からの亡命者であるイスト伯爵は、
夜まで仮眠しておくということになり、ピペタ小隊の四人は、その場で解散。ピペタも騎士寮の自室に戻ったが、ベッドに横になる前に、まずは渡された書類に目を通すことにする。
イスト伯爵が襲撃事件を訴えてきた際の調書らしい。ウォルシュは「詳しくはこちらに書いてある」と言っていたが、それほど細かい事情が記載されているわけでもなかった。それでも確かに、あの場でウォルシュから聞いた以上の情報が、いくつか得られた。
まず、二度の襲撃は、一度目が太陽の日で、二度目が火炎の日。つまり、今より三日前と一日前の出来事だった。どちらも夜に起きた事件だが、太陽の日の方は夜遅くで、ほとんど月陰の日の明け方。一方、火炎の日の方は、真夜中を過ぎていたが、最初の日よりは早めの時間帯だったという。
どちらの場合も、庭で大きな物音がしたので使用人が様子を見に行くと、不審人物を発見。その使用人は用心棒を兼ねているくらいの力自慢だったため、少しの奮闘の後、襲撃者を追い返すことが出来たらしい。
「昨晩の深夜遅くか……」
もっと早い時間帯ではあったが、ちょうど昨晩ピペタも、黒ローブの怪人を追って、別の黒ずくめの女と出くわしている。
調書によれば、イスト伯爵の屋敷を襲撃した犯人も、黒っぽい服を身につけていた。そして、体つきや身のこなしから、犯人は女性と判断されていた。しかも、二度の襲撃の犯人は同一人物ではなく、別人という印象だったそうだ。
イスト伯爵としては、特に命を狙われる覚えはないが、屋敷の中には高価な物品もある。おそらく強盗なのだろうと結論づけた。その強盗が一人だけならば、使用人でも撃退できると思うが、複数となると、そうもいかない。同じ日に、複数が来るかもしれないのだ。だから今日になって、警吏に訴え出たのだという。
「この件だけで、黒装束の女が二人。そして、私も一人戦った。いったい、この街では黒衣の女が何人暗躍しておるのだ……」
口にしてから、ピペタは自分で気づいた。彼女たちが強盗であれ暗殺者であれ、夜の闇に紛れて悪事を行うのであれば、黒ずくめの格好も不思議ではない。ファッションでも流行でもなく、必然的に黒衣だらけになったのだろう。
そう納得して。
ピペタは、仮眠のために、ベッドに横になった。
仮眠から目覚めて、夕食も済ませたピペタは、まず詰所へ向かう。そこで落ち合った部下たちを連れて、指示された通りにイスト伯爵の屋敷へと赴いた。
道順は聞いているし、調書には簡単な地図も添付されていたので、迷うことはない。一応持参してきたが、すでに地図は頭に叩き込んであるので、ピペタは、それを部下に渡すことにした。
「誰か、これを預かっておいてくれ」
ピペタが紙をヒラヒラさせながら言うと、
「はい! では、僕が責任をもって保管……」
「あなたはダメよ、タイガ」
真っ先に手を挙げたタイガの言葉を、ラヴィが途中で遮った。
「……なんで?」
「だって、あなたに持たせたら、紛失するおそれがあるでしょう」
「酷いなあ。僕って、そんなに信用ないのかなあ?」
彼女の言葉に対して不満を口にするタイガの横で、ウイングが穏やかな口調で言い放つ。
「これまでの行動を考えれば、酷くないですね。真っ当な評価です。私が持っておきましょう」
「ほら、ウイングまで、こう言うくらいよ」
軽く笑うラヴィ。
これで、この件は決まりなのだろう。そう思ったピペタは、地図をウイングに託した。
そんな感じで冗談まじりの会話を続けながら、四人は、イスト伯爵の屋敷に到着した。
「やはり……」
門の前に立ったところで、ピペタは、そんな言葉を漏らしてしまう。
ピペタたちが来るのを歓迎するかのように、わずかに門扉は開いていた。そして、その扉には、見覚えのある紋章が刻まれていたのだ。今から警護する屋敷は、昨晩その門前で、ピペタが黒ずくめの女と剣を交えたところだった。
最初に地図を確認した時には「近いな」と思っただけだが、ここまで歩いてくる途中で「もしかしたら昨晩の屋敷かもしれない」とも考えるようになっていた。その想像が的中していたということだ。
ならば。
イスト伯爵の屋敷では、昨晩、訴え出た襲撃事件以外にも色々あったことになる。まず黒ローブの怪人が屋敷に逃げ込み、続いて、それを追ってきたピペタと黒ずくめの女が、門前で一戦を交えた。もしもピペタがいなければ、あの黒ずくめの女も、あの時、屋敷を襲撃していたことだろう。
しかしイスト伯爵の訴えには、黒ローブの怪人の話も、門前での戦闘の話も含まれていなかった。つまり、それらの騒ぎには気づいていなかったことになる。
もしかすると、ピペタが追い返した黒ずくめの女が、調書にあった二人の襲撃者の一人なのかもしれない。実は一晩目の襲撃者であり、それが昨晩も来ていた可能性。あるいは、それとは別人だが、ピペタから逃げた後で戻ってきて、二晩目の襲撃者となった可能性。
もちろん、二人の襲撃者には含まれない、という可能性もある。それについては定かではないが、少なくとも、黒ローブの怪人が『襲撃者』と別なのは間違いない。なにしろ例の怪人は、女性ではないどころか、人間ですらないのだから……。
そうやってピペタが考えていると、
「ピペタ隊長、知っている場所ですか?」
ピペタの呟きが耳に入ったようで、ウイングが、何気ない口調で尋ねてくる。
「大隊長に聞かれた時には、イスト伯爵については知らないと言っていましたが……。実は、知り合いでしたか?」
「いやいや、私は一介の騎士に過ぎない。伯爵貴族なんて偉いさんに、知り合いなんておらんよ」
自嘲気味に笑いながら、そう返すピペタ。
昨晩の出来事は騎士団には報告しておらず、部下たちにも話していない。そもそもピペタが昨日ここへ来たのは、黒いローブの怪人を追ってきた結果だ。街の治安にも関連するから、厳密には報告義務があるのだろうが、ピペタとしては、都市警備騎士団を怪人の一件に関わらせたくなかった。騎士たちの手に余る強敵という判断だけでなく、そんな理屈を抜きにしても、関与させない方がいいという予感のようなものがあったのだ。
「たまたま、この近くを通りかかったことがあってなあ。ほら、この紋章が妙に頭に残っていたのだよ」
ピペタは、獅子の紋章を指し示しながら、そんな言葉で誤魔化した。
「立派な紋章ですね。でも、なんだか来訪者を威嚇しているみたい……」
ラヴィの『威嚇』という言葉は、昨晩ピペタが感じたものと同じ感想だ。彼が内心で苦笑していると、彼女の言葉を補足するかのように、ウイングが語り出した。
「獅子といえば、捕食動物の頂点に立つ、百獣の王ですね。肉体的な強さだけでなく、権力や恐怖の象徴としても使われます。実際、動物の中で何かの『シンボル』として最も使われるのは、獅子だそうです。また、古くは神が獅子に騎乗して戦ったという逸話もあって……」
こうやってウイングが
ピペタとしては、辟易する場合もあるのだが、むしろ今回は助かったと感じる。
心当たりはないと告げたはずのピペタが屋敷を知っていたことに関して、ウイングは少し怪しんでいたようにも見えたが、すっかり彼の関心は移ってくれたらしい。
「ウイングの話も長くなりそうだから、立ち話ではなく、歩きながら聞こうではないか。さあ、みんな中に入るぞ」
ピペタは部下たちを促しつつ、門をくぐって、屋敷の敷地内へと足を踏み入れた。
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