夢破れてイケメンと帰る連別府竜子
今朝と同じ線路の上を、今度は逆向きの電車に運ばれる。来る時には窓に張り付いて高い建物に目を奪われていたのに、今はとても同じようには振る舞えない。
(二分くらいしか、試合場にいられなかったなあ……)
絶対に養成学校に編入すると意気込んで家を飛び出したのに、たったそれだけの時間で終わってしまった。突かれて押し退けられて場外負けしたコンフリクト。あとの二セットはもっと何もできなかった。
スカートの裾がけば立っているのを見つけて爪で擦る。
(……やれるだけのことはやったんだし、今回は一旦帰って、練習してからまた来年……)
何度も何度もスカートに爪を立て、いつの間にか力がこもって腿を引っ掻いてしまった。肌に赤く跡が残る。大した痛みじゃないのに、涙が溢れた。
こういう気分が落ち込んだ時や、落ち着かない時には決まって読む愛読書を荷物から取り出した。膝に載せても表紙がわからないくらいに視界が滲んで読めそうにないけれど、どうせ内容は全部頭の中に入っている。
(星南さんがどこかで見てくれてたのに、情けないところ試合しちゃった。きっと呆れられたし、もう……会えないんだ)
泣いて汚してはいけないと、庇って本を持ち上げて前に遠ざける。すると、手にある重みが消えた。
驚いて目を開けると目の前に驚きの人物がいた。
「近くにいたけど、どう声をかけていいかわからなくて……。でもさすがにこうなったら放っておくわけにもいかないわよね」
表紙をめくり、内側の白地にサラサラとペンを走らせる。
「『竜子さんへ』っと……サインなんていつぶりかしら。これで最後にしたいものね」
大空星南さん。今日初めて会った私のスーパースター。眼に焼き付いてもいいくらい見つめた映像や画像より、ずっと大人っぽくてもっと素敵な大人の女性。
「星南さん……?」
「はい、大空星南ですよ」
「もう会えないと思ってたから、また会えて嬉しいです!」
引く手数多でプロリーグ入りしているはずなのに、養成学校に残って後進の育成に当たる大人物。そんな人があたしと同じ電車に乗って学校から離れている。
「……なんでココに?」
星南さんはきまりが悪そうに長い髪の毛先をいじる。気のせいか顔が赤い。
「まあ、その……あなたの現状には私も責任を感じているのよ。私が出した本を読んで、私に憧れてしまったせいで……あなたは勝てなかったんだから」
「違いますよ! きちんと教育を受けた人に勝てるわけなんか、なかったんですから」
星南さんをあたしのせいで落ち込ませたくない。でも、うまく笑えなかった。
この人に憧れて同じようになりたいと願った。でも結局は、手が届かないから憧れなんだと思い知っただけ。
「それでわざわざあたしの見送りを? ありがとうございます! 忘れられない……思い出になりました」
これ以上情けない姿を見せたくなくて、意識した明るい声は最後まで持たなかった。
「……そうじゃないのよ。見送りに来たワケじゃないの」
また会えただけで感動でどうにかなってしまいそうなのに、星南さんはそっと私の手を握ってくれた。指は長くて、先が固い。こんな体の隅々までがカッコいい。
「私の責任は『残念だったね』って慰めるだけじゃ終わらない。あなたの今日の悲しみは私のせいだから。私が必ず、あなたを立派な三局戦況の選手にしてあげる」
とてつもなく、とてつもなく嬉しい約束。だからこそ恐れ多くて受け入れられない。
「……そんなのはダメです。星南さんはもっと凄いことをして世の中の役に立てる人なのに、あたしなんかに構ってちゃダメです」
あたしはもう挑戦して、そして失敗した。残されている未来は星南さんの活躍を聞く度に「このすごい人に会ったことがある」と自慢することだけ。
思い描いていた将来との断絶の深さを改めて自覚して、我慢していたものが溢れた。その涙を、星南さんが私の顔に触れ擦って消してくれる。
「色んな勘違いがあるみたいだけど、まずは一つ。あなたは諦めることなんてない。あなたはまだ三局戦況の選手になれる」
「でもあたしは試合に負けたから、養成学校には入れないんです」
三局戦況のプロ選手になるには三局連盟養成学校を卒業しなくちゃいけない。本当は絶対にそうというわけじゃないけれど、一昨年初めての卒業生がプロ入りしたことでそれが常識になった。やっぱり教育を受けた人とそうじゃない人では実力が違い過ぎる。
「勘違いの訂正二つ目。養成学校でなければいけないわけじゃなくて、指導者と設備が必要なだけ。指導者はここに私がいるし、設備も何とかする。だから――」
星南さんが目の前で膝まずいたので仰天した。漫画の騎士のようにあたしの手を取って、真剣な目に見つめられて固まる。
「私はあなたが思っているような人間じゃない。それでももし私を信じてくれるのなら、私をあなたの憧れのままでいさせてほしい」
他でもない星南さんからこんな風に頼まれたら、その内容がなんだろうとあたしの答えは決まっていた。
養成学校以外の――一般の高校教育におけるイデアエフェクトは歴史の授業で名前が出るかどうかという程度でしか扱われない。けれど今後はきっと実技として取り入れられる。そう星南さんは予測する。連盟も競技が普及することには意欲的で歓迎こそしても邪魔はしない、という話には納得した。
これから何年か先に起こる変化を先取りする形で、地方に三局戦況選手育成の環境作りをする。つまり当面の目標はあたしが元々進学していた高校に三局戦況の部活を作ること。
方針と決意を固めたあたしと星南さんが目的駅に到着したところで、中学からの同級生に出迎えられた。
「もうやってるよー」
「養成学校の公開試合はネットで観てたよ。……残念だったね。でも竜ちゃんは諦めずにそういうこと言い出すと思ってたから、先にできる準備をしておこうと思ったんだよ。でもまさかねー、こんなに早いとは思わなかった。竜ちゃん、嫌なことがあったら一旦荒れるのに。……あの人のおかげかな?」
依風ちゃんはほほ笑んで細めた目を駅の外に向けた。
そこでは星南さんが景色を眺めて「なによ、私の地元より発展してるじゃない。特急止まるし」とボヤいている。
「竜ちゃんをなだめるのがワタシの役目のつもりでいたから、ちょっと悔しいかな」
なんだか寂しそうに呟くのを聞いたので両手の人差し指で肩を連打した。
「依風ちゃんは同級生のくせにまるで〝お姉ちゃん〟みたいなこと言うねえ」
「……創部申請をしてさ、形だけでも顧問と練習場所を確保してさ、あとあと揉めそうな市役所とかにも相談しておいたんだけどね。地元スポーツ団みたいなのは欲しいから、町おこしになるなら予算も検討するってとりあえずの約束も取り付けておいたのに、そんなこと言っちゃうんだー?」
「さすがお姉ちゃん! 知らないうちに色々やってくれてありがとう!」
ぎゅっと抱き着くと、星南さんが戻って来たので慌てて離れて姿勢を正す。
「部活づくりの準備は万端ってワケね、ありがとう。全力でコーチを務めさせてもらいます。大空星南です。ヨロシク」
「あっ、ハイ。こちらこそ、よろしくお願いします」
スッと手を出し握手が交わされる。やっぱり星南さんが相手だと依風ちゃんも緊張するみたいだ。珍しく声が上ずって、ポーっとした顔で「カッコイイ……」と呟いたあとで正気に戻る。
「ああっ、でもでも、準備は万端じゃないんですよ。とりあえず練習場所は確保できてるんですけど……肝心の部員が集まらなくて。最低限公式大会に参加できることが運動部の創部条件なんですけど、三局戦況って三人のチーム戦でしょう? なのに他に入部希望者が見つからないんです。新設の部で、『三局戦況をこんな所で教われるはずない』ってみんな思ってるみたいで」
「じゃあ文化部として申請し直そう」
名案を閃いたので口を挟むと、依風ちゃんがニッコリ笑ってあたしを見つめた。「黙っててね」と目が語っている。
「えっ、もしかしてこっちでは人気ない? 三局戦況……」
星南さんが不安そうな顔をする。凛々しいだけじゃなくて表情に陰ができるとなんというか、大人っぽさが増して素敵だ。そんなことで喜んでいる場合じゃないのに。
「人気が無いと言うか、人がいないんです。単純に少子化が凄くて……」
「少子化が凄い。……そう言えば訓練校も人数多くは無かったわね。まだ希望者が少ないからだと思っていたけど」
「うちの学校の生徒は農家の一人っ子ばっかりだから、『将来は家業を継ぐのにプロスポーツ選手になる為の訓練なんて受けても仕方ない』って意見が多いです。そんなことは他の運動部も同じだと思うんですけど……」
「なるほど」
星南さんと依風ちゃんが難しい話で意見を交わしている。なんだか二人の世界に置いて行かれているようで焦った。
「大丈夫! 星南さんがコーチしてくれるって知ったら、絶対みんな教わりたくてたまりません! 部員なんてすぐ集まりますもん」
それはもう、絶対。なのに星南さんは苦しそうに唇を歪めた。
「いやまあ、うん。そうだといいけど……。でもね、人数のことならなんとかなりそうよ。チーム戦ができるように、三人揃えばいいんでしょう?」
「あっ、そっか! 星南さんが出ればいいんだ!」
今度はおかしそうに笑い、星南さんは空を見上げた。
「ああもう、分別を失っちゃって……各自、衝撃に備えて」
何でそんなことを言い出したのかはわからないけれど、とっさに依風ちゃんの腕を掴んで屈ませた。
「ちょっ、竜ちゃん!?」
そこへ、何かが落ちて来る。猛烈な風を巻いて駅舎前の路面に激突する寸前でフワリと勢いを殺し、見知った姿がゆっくりと着地した。
「……お嬢さん?」
愛近初花さん。昔お父さんが仕事を請けたことがある〝お屋敷のご令嬢〟。その人が三局戦況のタイツ型運動服を身にまとって現れた。イデアエフェクトを解いても、まだあたしの目には眩しい養成学校の制服。
お嬢さんはいきなり、星南さんを力強く指差して叫んだ。
「人さらい! そして役立たず! なんですの? 連別府さんを入学させるよう言いつけておいたのにそれも果たさず、今度はこんな所まで連れ去ったりして! ことと次第によっては連盟と警察に突き出しますわよ!」
歯をむき出して憎々しげに睨んでいる。何か大きな誤解をしているみたいだ。
「あのー、お嬢様? ここはあたしの地元の最寄り駅で、星南さんはあたしについて来てくれただけなんだよ」
「えっ、そうなんですの?」
長い睫毛がパチパチ動いて、顔つきがぎょっと固まるお嬢さんを見下ろし、星南さんはニッコリ笑った。
「ようこそ、三人目」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます