憧れに接近して色々とヨロシクする大空星南
市街まで道を下ってから乗った高速道路に入ると自動運転がじれったくなり、自分でハンドルを握り今日決別したつもりの方角へひた走る。到着したときには夜も更けて日付けが変わる。駐車は自動に頼んで運転席から転げ出て、目当ての店に入った。
私の様子が普段の愚痴吐きとは違っていたのか、大将は目が合っただけで用件を察してくれたようで黙って二階席に顎をしゃくった。今夜も来ている。
初めてこの店に来たときからそのつもりでいたのに、階段を登る足が緊張で重い。今や彼らに憧れた気持ちはくすんで、まったく変わった心境でやっとその席の前に立つ。
「ビール、ピッチャーで追加頼むわ。……んあ、店員じゃないのか。悪かったなあ。お嬢ちゃん」
店のスタッフと間違われ、それでも立ち去らない私にうさん臭げな視線が突き刺さる。
「……なんだお前、なんか用か。また十周年とかの取材か? そういうのはアムリラを通してくれよ。テキトーに断っといてくれって頼んでんだ」
ジョッキを煽り、口を拭っても無精髭に泡が残る。よく見知った顔。学生時代は壁に画像も表示して拝んでいた私の目標――勇者ロンデ。十年前に魔王を倒したメンバーで、イデアエフェクトの先駆者の一人だ。独自にその技術を身に付けた彼らならきっと連別府を導くことができる。
「折り入って、勇者様にお頼みしたいことがございます」
全力で頭を下げ、足を後ろに引いて床に土下座する。後進の為にできること、これがそうなら、辛くはなかった。
「ハイ、というわけで特別ゲスト。本日からは勇者ロンデさんに参加してもらうことになりました」
「おいーっす」
翌日の昼前には宿舎に戻った。今日は日曜で学校は休み。朝から真面目に基礎トレーニングをしていた三人を集めて紹介する。
帰りは自動運転に任せたとはいえ後部座席に偉人が同乗する状況では昂って寝ることもできず、かなり寝不足だ。
三人は呆気に取られているようで声も発しなかった。きちんと整列してくれているので昨夜勝手に出ていったことで信頼を失ったという風でもない。
「……なんか反応悪いわね。あのロンデよ? 勇者ロンデなのよ?」
思わず興奮しながら、どうやら自分の中にまだまだ憧れが残っているらしいことに気付く。しかし共感はしてもらえなかった。
「えーっと、それは凄いんでしょうけど、あたしのヒーローは星南さん一人なので」
「……お酒臭くないですか?」
「ヒモ」
連別府と偶川は興味がない素振りで、愛近に至っては鼻で笑われてしまった。言われた本人は気にしていないようで近くを飛ぶ蝶を目で追っている。
「んで、このメスガキどもを叩きのめせばいいのか?」
やっぱり怒っているのかもしれない。
あまり清潔とは言えないだらしない身なりで態度は軽薄な三十路を過ぎた中年男。移動中もずっと缶ビールを煽っていた。確かにこれでは「敬意を払え」と言っても難しい。
また、本人もそれを望んでいない。「ロンデ〝様〟はやめろ」と何度も言われた。そもそも体裁を気にする人物なら居酒屋に入り浸ったりはしないだろう。
(ああ、せめて勇者アムリラが一緒にいてくれたら……)
私が到着したときには不在だった。ロンデが飲み食いした支払いは彼女が済ませることが日常なので店で待っていてもよかったのだが、「いいから行こうぜ」と急かされ一人だけで連れて来ている。
「いえ、いじめてほしいわけではなくこの子たちを鍛えてもらいんです。ですので、訓練のうえでは叩きのめしていただいても結構です」
「鬼!」
愛近の非難と同時、それぞれの携行端末がけたたましい音を発した。付近でイデアエフェクトの反応を感知した警告音。
「お、思ったよか遅かったな」
ロンデが緊迫感の無い声で言うなり轟音を立てて地面が揺れる。練習場に何かが墜落した。草地を吹き飛ばして大きくくぼみを作り、その中心で白衣がはためく。
足元まですっぽり隠す布の多いローブ姿。フワフワした金髪。勇者アムリラだ。
だが「ゲストが増えた」とは喜べない。どう見ても怒っている。十年前、八歳の頃から変わらない愛嬌のある笑顔ばかりを教団の公報で見てきたが、今はそれとは結び付かない攻撃的な表情をしている。
「ボクからロンデ様を奪おうとしたのはどの泥棒猫? ああ……その泥棒猫」
目が合った。憎悪の感情を全身に浴びせられて寒けが走る。
「キミのこと知ってる。しょっちゅう店に来てたね。そう、そういう魂胆だったんだ」
その内容や力関係は別として、ロンデと勇者アムリラは恋人関係にある。彼を連れ出した私は浮気を疑われているらしい。
「だったらフラついた男の方を責めなさいな!」
同じことを察したらしい愛近は口では強く言いながらも気迫に押されて偶川の後ろに隠れている。その警戒が必要な状態だ。
「うるさい! ロンデ様はある程度経済力がある人にならフラッと付いて行っちゃうんだから、しょうがないでしょ!」
「クズですわね」
「うるさいうるさい!」
地団太を踏んで悔しがる様子が、物言いといい随分子供っぽい。まだまだ未成年なのでそんなにはおかしくもないことだけれど。
「ボクはおしゃべりに来たんじゃない!」
勇者アムリラが背丈を越す長い杖で地面を叩くと、先端の螺旋構造がフォンと鳴った。あれが彼女の起動弁だ。頭上に巨大な未成質量が浮かび、すぐさま彼女に吸い込まれていく。武装と言うより装飾、宝石のように輝く飾りのついた鎖がいくつも勇者アムリラの体にかかった。
(さすが、動き出しから転換までが速い!)
同じイデアエフェクトの使い手でも彼女は三局戦況連盟に属さない特例。ここまで飛んで来たことを責められはしない。国法は別だが、世界を救った英雄に国家もそうそう口は出せない。つまり彼女はどこであろうと自由に力を奮える。
しかしこちらはそうはいかない。私有地内ならともかく公道上では必ず摘発される。それを避ける為訓練場の敷地内へ飛び込んだ。
「みんな、離れ見てなさい。アムリラ先生が早速やる気になってくれてる」
「この災いは神罰にあらず、乙女の怒りの一撃なり――こんにゃろーっ!」
未成質量を後方へ噴射して突撃を仕掛けてきた。
さっき見た未成質量の抽出量ならおそらく私と同等。しかし起動弁を鳴らしそれを用意する暇は無い。新式で足から直接吸い上げて、最低限の武装に変え両手と共に前へと突き出す。ガントレットの形。
(教団員だからもっと超然としてて、補助役を担うイメージだったけど――)
加速しながら振り下ろされた杖を正面で受け止めて掴み、斜め下へ引きながら体は半身、片足は後ろ。勢いを受け流し放り捨てるようにして地面に叩きつける。
「うぇっ、ぺっぺっ……。やるじゃない、生意気!」
地面に伏せたまま横蹴りが飛んできて腹部に刺さる。無防備にもらってしまった。ローブで隠れているせいで動作が読めなかった。
未成質量の量は同等、獲得速度はあちらが上。激突した感触では武装の硬度なら私が勝っている。ならばあとは知恵と工夫だ。養成学校の教育の成果が問われる。
「勝負です。勇者アムリラ様」
「こんの、ポッと出のくせにーっ!」
「出られなかったんですよ、私は」
泣き喚くに近い――と言うよりも実際に泣いている――大声を響かせ、勇者アムリラがもう一度突撃をするべく身構える。
その瞬間、外野で声が上がった。
「アムリラぁー。俺、就職することにしたわー」
地表を
「そこのメスガキを鍛えて、金を貰う。そういうことなんだろ?」
連別府を指導するには彼の力が必要だから連れてきた。考えていたのはそれだけで、報酬については考えていなかった。社会人として失格だが、そう言えば養成学校からそのまま教官になったので私にはある意味社会経験が無い。
無論タダ働きさせるつもりはないものの、世界最強の勇者たちに支払う賃金の相場が分からない。自分の貯金が足りるのかどうかも定かでなく、つい沈黙する。
助け船は愛近が出してくれた。
「ワタクシがお支払い致します。成果次第でボーナスも検討しますし、連別府さんが養成学校に編入できた暁には必ず。なんでしたら手付金をお出ししても構いませんのよ。ロンデ――あら? 貴方、銀行口座は?」
携行端末を操作する愛近が首を傾げる。ロンデは肩をすくめた。
「アムリラを通してくれ。全部任せてある」
「働き口を見つけても精神的にはヒモですのねえ……」
二人のやり取りを見守っていた勇者アムリラが不意に「キャー!」と悲鳴を上げた。
「ロンデ様が遂に就職を! 人間社会の輪に参加を!」
歓喜の声だったようだ。涙を流して感動している。どういう心境なのかわからないが、ともかく誤解と戦意は去ったようなので武装を解くことにした。
途端、肌を晒した両手をガッと掴まれる。
「ありがとう! 大感謝! ロンデ様の上司ならボクにとっても上司と同じ! 誠心誠意お仕えします!」
「えぇっ……? 教団の人なら神様に仕えるべきでは?」
それを言った途端、勇者アムリラは疲れた顔でため息をつく。
「連中、『未成質量は神からの賜り物』とかほざくんだよ。んなわけないっつーのにねー。わたしにとっては神の声より未成質量のほうがよっぽどリアルで近しい」
生きた看板に使われているくらいなので余程熱心な教徒だと思っていたら、実はそうでもないようだ。色々とイメージが崩れてしまうものの、落胆するのは身勝手とわかっている。それはすべて私が勝手に膨らませた憧れに過ぎない。
ここに生身の勇者が二人もいて、味方に付いてくれた。過分なほどに環境が揃ってしまえば何の不満も無い。
新たに加わった二人も宿舎で寝泊まりすることに決まった。世界を救った英雄だというのに、彼らは好待遇を求めない。部屋数はまだ余るくらいあるので問題ないにしても、「本当にこれでいいのか」と気後れしてしまう。更には勇者アムリラにまで「呼び捨てでいい」と言われてしまった。
(宿舎を建て替えるのはムリだから他の福利厚生を考えないと……。そういえば私、実質的には無職なのよね……)
昨日元チームメイトを脅して今日届いた支援設備の数々を眺めながらも、二人への報酬をどうやって愛近に返すかに考えが飛ぶ。
『ちょっと、聞いてるの?』
返済計画に悩んで通話中であることを失念してしまっていた。
「ああ、うん。きちんと受け取ったよ。ありがとう」
話す相手は私と同じ二期生でかつてのチームメイト。現在はプロ入りせずイデアエフェクトを生活に活用する技術開発の分野に進んでいる。
『とりあえず試合に必要な機材を一式と、それからうちで作ってる試作品ね。試してレポート送ってちょうだい。あとアンタのことだから気にしてないだろう化粧品とかね』
「別にいいのに」
『よかないわよ、アンタ教官なんだからね? アンタのありように生徒はついてくんのよ。昔っから「他人なんて関係ありません」って
彼女には在学時から度々叱られた。仮にも天才と称賛されていた私に遠慮なく、試合でも寮生活でも挑んできた。一番大きなケンカは勇者たちへの憧れを侮辱されたことだ。
勇者たちの闘いは記録が残されていない。魔王が潜む魔の島の制圧も連合軍が遠洋から爆撃する様子だけだ。勇者たちについては「イデアエフェクトの先駆者である」という情報しかない。
それでも私が憧れたのは
それでも言いたい。世界を救うなんて、カッコいいじゃん。
『でさ、実際どうだったのよ。憧れの勇者様は』
「……凄かった。私は充分な状態じゃなかったけど、向こうも本気じゃないと思うから」
『おーおー、プロにも敵なしと
「お前もこっちに来てぶっ飛ばされろ」
鼻に付く嫌味な物言いについ言葉が荒れると、ごまかすような笑い声が返ってくる。
『でも十年前のロートルじゃん? どんな競技でも十年あれば新記録が出るって。勇者アムリラだけはうちらより若いけどもさ、鍛錬を積んでるわけじゃないなら追い抜かれるのが妥当でしょ? 才能があるって言うなら、新しい才能が生まれてる』
彼女の弁には心から同意する。
「新記録を出すのは私じゃなくていいと思ってる」
『……へえ、そう思わせるだけの素材がいるわけだ。アンタが認めるってことは、ただ強いだけじゃないね? 何があるの』
マズいことを言ったようだ。連別府が研究畑の人間の関心に晒されることは避けたい。
『何ソレ面白い。詳しく――』
しつこくなりそうなので通話を切った。
(連別府は三局戦況のプロ選手になるんだ。イデアエフェクトの進歩に役立てるとしても、協力している間に三局戦況だって進歩する。終わったときには時代に取り残されるなんてこと、絶対にさせられない)
私は連別府を私のようにするつもりはない。現在の三局戦況に見合う選手として育成し、そして今度も起こるルール変更に対応できるよう広く技術を身に付けさせる。その為の大切な時期に邪魔は入れさせない。
(直接ここに来られたらどうしよう。部活動じゃなかったらシーズンキャンプとか言って遠出するのに。……余計な心配事ができちゃったじゃないのよ)
ついため息を漏らすと、隣で資機材を眺める偶川も浮かない顔をしていた。どうしたのか聞くと、気弱に笑う。
「なんだかその……ワタシだけ場違いな気がして」
ただでさえプロを目標とする二人とチームを組んでいたところに、伝説の勇者がやって来てしまった。そういう風に考えてしまうのも無理はないだろう。でもそれはあまりにも一面的な捉え方だ。
「あなたがいなくちゃこのチームは崩壊するわよ。と言うか、そもそもここまで成らなかった。昨日駅で立ち往生しておしまい。燃え尽きていた私に火を入れてくれたのは連別府だけど、それだけでは何もできなかった。あなたが動かしてくれたのよ」
ここに資機材が集まっているのも偶川がボーっとしていた私の尻を叩いたからだ。
「場違いなんかじゃない。あなたが必要だし、感謝もしてる。ワタシをコーチにしてくれて、ありがとうね」
「どうしてもここを自分の居場所と思えないなら〝部長〟になりなさい。部活動なんだから、そういう役割は必要でしょう? だったら偶川に任せたい」
顔を真っ赤にしていた偶川は声を出して笑った。
「確かに……あの二人じゃまとまりそうにないですもんね」
本当にその通りだと思うから私も笑うと、元気を取り戻したようで資機材の説明ファイルを端末に読み込んで配置を指示し始めた。運搬は機械台車が自動で担ってくれる。
「未成質量を燃料にするコンロ……『火力調整は自力』って危なくないですか」
「へえ、面白いじゃない。新式で取り出した未成質量を燃やすわけね」
「コーチちょっと試してみてくれませんか――ってうわぁー! やっぱり危ない!」
「何これ、調整が難しくて一定にできない!」
「使うかどうかは別として、とにかくこれは外に置いておきましょう……。次は――未成質量を動力にして回る洗濯機……嫌な予感しかしない……」
ブツブツ呟き始めた偶川に荷物を任せて、連別府たちが集まっているグループに近付く。
「このときの星南さんが本当にかっこ良くて――ホラ! 見た? 今の! 撃破した相手を振り返って確認するときの流し目! めちゃくちゃスケベくないですか?」
連別府には彼女保有の豊富な映像データで三局戦況についてロンデやアムリラに説明してもらっている。とはいえ私を資料にするのは目標との齟齬が生まれるのでよしてほしい。
「なるほど。とにかく急いで壊せばいいんだ」
アムリラの理解はざっくりしていた。先行きが不安になったところですかさず連別府の訂正が入る。
「スタンプとコンフリクトはそれでもいいですけど、サーチは減点されちゃうからダメです。当たりのバルーンにはなんか波長? が出てて、魔王や怪物の一部が使われてるとかいう噂もあるんですけど」
「ははぁ、次の戦争の準備をしてんのか」
連別府の解説を聞いたロンデはボヤくように、それでも鋭いところを突いた。
愛近が頷く。
「聞いたことがありますわね。敵を察知し素早く駆けつけ撃破する。競技化したのは隠れ蓑で、実際には〝魔王の復活〟に備え戦力を高めているとか。……ですがもし本当にそうなら、そこの『イデアエフェクトお上手ゴリラ』が路頭に迷うようなこともなかったんじゃありません? 言葉のままの意味での戦力としては間違いなく業界一ですもの」
じっと責めるような目で愛近に見つめられた。
「……連盟は一枚岩じゃないから」
別に路頭に迷っていたわけではないことと私への暴言は訂正せずに、噂も否定しない。
実際に養成学校を卒業する前の時点で私から起動弁を取り上げ放逐しようとする動きもあった。でも彼らの意思が統一されていないからこそ、私は教官として採用された。
「魔王の復活って……」
アムリラが気まずそうに呟き、ロンデは面白くなさそうな顔をする。
勇者たちにしてみれば魔王の復活を懸念することは彼らの活躍が「不充分だった」と指摘するに等しいので無理もない。話題を変えたい。
「連盟の思惑がどうだろうと、我々が目指すのは連別府、愛近、偶川の三人を三局戦況の選手として育てること。……改めて、ご協力をお願いします」
仮に再び魔王と戦うことになろうと、勇者たちはまだ健在だ。それにイデアエフェクト以外の技術も十年前からかなり進歩している。また怪物が現れるとしても以前のような悲劇が起こるとは考えられない。
昼食を挟みまずは連別府が瞑想で引き起こす未成質量の発光現象を披露すると、アムリラは「なんだそんなこと」と呆れて同じことを再現して見せた。
「地中から直接未成質量を取り出す手法が新式? でもこれって元々のやり方だよ。起動弁を使った方が効率が良いから、そっちのほうが当たり前になっただけじゃない?」
驚いて何度か試したものの、どうしてもうまくできなかった。「空間に未成質量を開放する」ということがどうもイメージできずに自分の体へ引き込んでしまう。養成学校で積んだ訓練が癖を作ってしまったようだ。
「獲得の範囲を自分の外にも持つんだよ。未成質量を広げたまま掌握しておけば〝第六感〟みたいに扱える。触ってなくてもわかる、ってやつね。でも戦う相手が同じイデアエフェクトの使い手だと転換してないから持っていかれちゃうんで、人間同士では使えないね」
「連別府はそれを自然とやっているから不可視のイデアエフェクトを目視できたのか……。訓練のときには獲得の意識が強く働くせいで同じようにはならないと」
その理屈で言えば、もしかすると連別府は常にある程度運動能力を強化したうえで生活していることにもなるかもしれない。
「偶川、あなたとんでもない相手とケンカしてたことになるわね」
「いえあの……昨日の走り込みで竜ちゃんをぶっちぎってたコーチのほうが凄いことになると思うんですけど」
話の流れで、そもそも勇者たちはどうやってイデアエフェクトを身に付けたかを聞くことになった。その辺りのことは情報が規制されているはずだが当人たちは隠すつもりもないようで、アムリラはなんでもないことのように切り出した。
「ボクはね、布教とかお勤めで色んな土地を回ることが多いんだけど、そのおかげで割と早くから未成質量の存在には気付いてたんだ。なんとなく『濃い部分と薄い部分があるなあ』って。ただその頃は神の御力だと思ってた。今はもう竜穴泉は起動弁を使えばどこでも開くけど、当時はそんなわかりやすい物なかったし。だから未成質量の使い方も、こんな風に光らせるくらいしかわからなかった。教団の宣伝に使われたよ。『奇跡の御子』とか言って。部外者には信じてもらえなかったみたいだけどね」
一つの儀礼として、起動弁を鳴らす際には「竜穴泉」と呼びかける。それは言ってしまえば昔の名残りだ。イデアエフェクトが技術として確立される途上、アムリラが話したように「未成質量の濃い場所」でしか抽出できなかった頃にそういう場所を竜穴泉と呼んでいたことを由来としている。
「ボクが起動弁を見つけたのはね、未成質量の濃い場所を探して行ってたどり着いた山の中。一心不乱に地面を掘るボクを見て教団の人は『頭がおかしくなった』って思ったそうだよ。そうやって見つけたおかしな金属が、コレ」
杖の頭、螺旋の飾りを指差す。彼女の起動弁。
「分析したらカルシウム系コンクリートに近いとか学者が言ってたかな? あ、ボクが見つけたのはコレの中身ね。教団の指示で加工してカッコつけて、表面を金属で保護してあるんだ」
「へえ、そういうものなんだ……」
連別府と偶川がそれぞれに支給した起動弁をしげしげと眺める。鈴型のそれも外部はほとんどが通常の金属で、核となっているのは内部の玉だ。起動弁はその大きさが違っても効果は変わらない。
「とにかくコレのおかげで一度に取り出せる未成質量の量が段違いに増えて、扱い方もわかった――っていうか、決めた」
「決めた?」
「そう、自分で決めた。当時は魔の島発見のニュースで世間が騒いでたからね。『これは人々を救う為に戦う力なんだ』って思って、未成質量を使って戦う方法を探した」
災害の根本を発見した当時は世界中が対抗する新たな力を欲していた。そこに合致したわけだ。
「みんなも大体おんなじ感じらしいよ。ハワードは『川で拾った』って言ってたかな? あの頃はまだ塊で重かったからみんな投げてぶつけたりして使ってたから、今は便利になったよ。ほらボクちっちゃかったし、大体ウティティカにやってもらってた」
次々に他の勇者の名前を聞いて、興奮が顔に出ないよう努めるのに苦労した。
魔王打倒の英雄たちの中では最年長にある勇者ハワードは現在実業家として成功していて、連盟にも多大な貢献をしている。勇者ウティティカは少数民族の出身で故郷に帰った。
「ええっと、あなたは……?」
おずおずと、偶川が質問をロンデへ投げかけると、彼が口を開くより先にアムリラが顔を輝かせ両手を挙げた。そのままの姿勢で左右に揺れておおはしゃぎする。
「ロンデ様は起動弁なんて必要としないの! それでもボクたちより強いんだから」
惚れた贔屓目から来る大絶賛――だけではないのだろうが。強いから惚れた、のだとしたら彼女のことが心配になる。「かけっこがうまいから○○くん好き」といった子供の基準と変わらない。
「連別府、あなたも未成質量の濃度とかわかる?」
「う~ん……。小さい頃はあちこち転々としてましたけど、記憶がハッキリしてるのはこの町に来てからなんですよね。未成質量のことをちゃんと知ったのは割と最近ですし、『ある』のはわかりますけど、違いがあったかは憶えてないです」
幼い時代の頃のことならそんなものだろう。逆に言えばアムリラがしっかりし過ぎている。なにしろ連別府が不可視のイデアエフェクトを「オバケ」と思い込んで撃退した同じ年齢でアムリラは他の勇者と共に魔王を滅ぼしている。
ともかく、連別府の能力が独特のものではないことがわかった。発光現象は理屈では誰にでも可能なことで、アムリラや勇者たち並にイデアエフェクトに対して「感覚が鋭い」ということなのだろう。三局戦況に活かすなら、を考えていかなくてはいけない。
そのことについて声をかける前に、チームの三人で話し合いが始まった。昨日よりも距離感が自然になっているような気がする。
「珍しいんだったらさ、光るやつを試合でやれば相手びっくりしないかな。『眩しい! なんだコレは!』でコテーンとスパパーンって」
「うーん、でも試合中に瞑想のテンションになれる? 観客の目を惹きそうだから戦術としてはともかく演出としては使えそう。愛近先輩は使いどころ思い付きます?」
「そうですわねえ……セットの合間に試すのはいかがかしら? 特にコンフリクト戦の前なら開始後の目くらましも期待できますもの。インターバルは三十秒しかありませんけど」
「でも目がくらむほどはまぶしくはないですよ」
「ワタクシの目にはいつでも連別府さんが輝いて見えますもの」
自発的に思索する積極性はとても良い。ただし、いささか気が早いことを話しているので声をかけることにした。
「チームの形を決めるのが先よ。未成質量が光る現象は置いといて、転換の強度はかなりのものだから連別府を主軸に考えるのは良いと思う。それでも先に決めておかないといけないことがあるのよ――偶川」
「えっ? あっ、ハイ」
ここで名前を呼ばれるとは思っていなかったようで、偶川は戸惑いなら慌てて立ち上がった。別に起立してほしかったわけではないし、きっちり背筋を伸ばすほどの緊張も今は求めていない。
「チームではそれぞれが役割を負う。そこで完全素人の偶川はどういう役割を務めればいいのか。……愛近、意見は?」
こちらはずっと落ち着いて、運動着の尻を撫で草を払いつつ立ち上がる。
「〝スナイパー〟ですわね。チームメンバーに一人加えておくことが最近の流行で、流行とは現行に対する最適化。標的を打ち抜くサーチやスタンプには実際かなり有効ですもの。遠距離から参加できれば危ない場面は比較的少なく、動かずに狙い撃つことだけに集中すると決めておくなら今後身に付けなくてはいけないことを減らせる賢い選択でしてよ」
スラスラと語る愛近に他二名から注目が集まる。「さすが元・養成学校生」という尊敬の眼差しだ。この為に愛近に意見を求めた。
チーム戦では各個の意思疎通以上に上下関係の意識が重要になる。判断の即決が必要な場合、有無を言わさない上から下への〝命令〟でなくては意志を統率できないからだ。もちろん指示は妥当なものでなくてはいけないが、そのときに正しさを証明する暇は無い。
そんな指示役を任せられるのはやはり愛近だ。経験が違う。部活動としてのまとめ役は偶川でも、試合中の司令塔となる話は別だ。その為にも彼女の指示を連別府や偶川が素直に受け入れるような関係であってほしい。
「ああ、その通り。花マルの回答だ」
愛近が二人に信頼されるよう、ここでの正しさは私が保証しておく。満足そうに見えるよう大袈裟なくらい大きな動きで頷いて見せた。連別府が指先で音を立てず拍手で称えたので、愛近は先輩の尊厳を失っただらしない顔になる。台無しだが、まあいい。
「それで構わないか、偶川」
当人に確認すると偶川は神妙に頷く。何を求められても受け入れる、そう覚悟ができている顔だ。指導者としては楽ではあるが、寂しくもあった。
(まあ動かないからって訓練を減らすつもりはないけどね……)
試合で専門的な役割を背負うとしても、訓練の上では内容は偏らせない。そもそも今は基礎の段階だ。
「では愛近、連別府の役割は?」
「もちろんワタクシとコンビの前衛、〝アタッカー〟ですわね」
「何言ってんの、連別府は〝シールダー〟よ」
反射的に否定してしまい、愛近を立てて意見を言わせる予定が崩れてしまった。しかも愛近が反発してくるから軌道修正のしようがない。
「シールダーだなんて許しません! それではスナイパーとのコンビになってしまいますもの! 連別府さんと組むのはワタクシです!」
「三人チームでコンビも何もあるわけないでしょうが!」
ついさっき素直過ぎると物足りない、と考えたことは間違いだったと撤回する。
「いい、もうわかった。そこまで言うなら試してみましょう」
どうしても言うことを聞かない場合の、体育会系の掟。実力行使で従わせる。
練習場に広がって、選んだ競技は設備が不要なコンフリクト。草地の一部を焼いて剥き出しになった地面が仮想偶川。本人は戦闘できるレベルにないので、代わりにその範囲に攻撃が通ったら負け――というルールとする。
「ね? わかったでしょう」
仮想偶川陣地に私が放った槍が突き立つまで二分とかからなかった。武装の維持すらできないほど疲労した愛近が地面に這いつくばり、すぐそばで連別府がオロオロしている。
「えっ、その子、本当に優等生?」
訓練場の端にいたアムリラが思わず、という風に口を挟んだ。キッと睨まれ気まずそうに偶川の指導に戻る。
「まあ、二人の悪いところが同時に出ていたから愛近ばかりを責めるつもりはないけど……責めないわけにもいかないわよねえ……」
頭をかきながら今の訓練を振り返る。
基本的に私は横に反復運動をしながら槍を投げ放つことしかしなかった。愛近は連別府が狙われるたびに寄り添い、連別府は逸れた攻撃まで無駄に止めようとして本来塞がなければいけない射線を空けてしまう。無駄な動きが多く往復に疲れた愛近が先にダウンしてこの有様だ。
「誰かさんのせいで移動しにくくって困りますわ!」
確かに言う通りアムリラが着地した影響で練習場の中央は大きくくぼんでいる。
「実際の試合場はもっと大きくて攻め幅はもっと広がるんだから環境のせいにしない!」
「星南さんが一番大きく動き続けてたのに、息切れもしてないなんて凄い……。あたしももっと走り込まないと……」
連別府が私を見る目が昨日とは少し違ってきている気がした。単なる憧れではしゃぐのではなく、視線に闘志を絡めてくる。
「うん? そうね。その前に無駄な動きを減らすことを意識しなさい。射線上にドンと構えてさえいればあなたの防御力なら攻撃はまず通らなくて、今ので言えば愛近が自由に動けるようになる」
「走り込みで……ドンと構える……」
「あとはそうね、隙あらば接近して敵の攻撃を起点で封じることができたら花マル」
「星南さんの花マル……欲しい……」
気力は元々充実しているうえに、今はどこか凄みが加わっている。私がプレッシャーを感じるほどだ。
(一体何? 昨日の今日で……嬉しいけど)
同時に不気味でもある変化を気にしつつ、最大の問題児に向き直ると手を貸して立たせてやった。俯く顔に頬を膨らませて睨み上げられる。
「連別府さんよりも、ワタクシを叱ればいいじゃありませんか」
「そう、聞く耳があるなら聞かせてあげる。一番改善すべき点は動作の間に硬直が挟まること。何かするごとにいちいちドヤ顔でこっちを見るのはやめなさい。何回かに一回は『どうですの?』とか口に出てたわよ」
決め顔・決めポーズは『華があるプレイ』と言えなくもない。ただしそれで全体の動きが悪くなるのはもったいなかった。だが愛近は涙目で反抗する。
「褒められてたいのがどうしていけませんの? あなたのような根性論ゴリラでもワタクシたちにとっては一応教官ですのよ?」
「褒められたければ勝ってからに――うん?」
ふと、疑問に囚われた。根性論ゴリラ。咎めるのも馬鹿馬鹿しいので取り合わなかったけれど、たしか昨日も言われた言葉だ。
私は訓練の成果が順調に実を結んだおかげで「努力さえすればなんでもできる」と思い込んでいた節はあった。うまくいかないのは「努力が足りない」としか考えないせいでチームメイトとよく揉めた。それは事実だ。しかし今ではそういう風には考えていない。努力で三局戦況のルールに合わせることができなかったからだ。
にも拘わらず、どうして愛近は当時の私のことを知っている風に言うのだろうか。
三局戦況のルール変更に失望した私は卒業前にはやる気を失っていた。当然、そのあとに入学した愛近を熱心に指導した憶えはない。根性論などもっての
(他に私が努力や根性について語った場面と言えば――あっ)
思い当たり、冷や汗が噴き出る。
「愛近、お前……私の本を読んだのか?」
問いかけると、愛近は顔を真っ赤に紅潮させた。
「別に、あなたのことを尊敬しているわけじゃなくってよ! 自分が入学する学校の先輩ですもの。話題になっていれば興味を持つのは普通のことでしょう? 言うなれば……そう! あなたのファンである連別府さんとの絆が、ワタクシにそうさせたのですわ!」
読んでた。
「わあっ! お嬢さんもこの本読んでるの? あとで一緒に『ひたむきに望めば未成質量は必ず応えてくれる――』のくだり音読しようね!」
すかさず、というタイミングで連別府が例の本を掲げて騒ぎ始める。訓練中でも持ち運んでいるらしい。
あとで私情を込めて説教しようと心に決めていたら、ロンデまでが「俺も読んだぞ。参考になった」と言い出して今度は私が顔を赤くする番になった。
とても訓練を続ける心境になれず心を休める為に休憩を取ることにし、宿舎の布団を隅に片付けた居間でトランプ遊びをする三人を眺める。
「えっ、ちょー……ホントに? ……全然わかんない」
畳に手を付き、愛近の手にあるカードを睨みつけ唸る偶川は白と紺の体操服を着ている。学校指定の物と同じデザインらしいが、着替えたわけではなくイデアエフェクトによる武装だ。〝運動に向いた格好〟というイメージでそこへ落ち着いたそうだ。
「あっ、今横目で連別府さんの目線を探ろうとしましたわね。ズルはいけませんわよ。連別府さんもカードではなくワタクシのことを見つめてくださいませ」
「うん。……えっ、なんで?」
初めは愛近が「動くのは辛いけど遊びたい」と主張したことから始めたトランプ遊びだったが、それを見たロンデが「どうせなら」と口を挟み手を出した結果なかなかどうして立派な訓練の意味が生まれた。
ルールはババ抜き。普通なら穴が空くほど見つめたところで裏面から図柄は見抜けない。だがジョーカーのカードが特殊な波長を発するようになっている。サーチ戦でバルーンに仕込まれる〝当たり〟の気配だ。ロンデが何をしてそうなったのかは謎だが、ともかくこれがあれば試合用の器具だけに頼らなくとも訓練ができる。
「未成質量の転換を視覚に調整してみるといいですわよ。ホラ、丁度あちらで教官がなさっている風に」
急に注目を浴びて反射的に戻しそうになったものの、見本にされてはそうもいかない。照れを堪えて兜に増設したバイザーがよく見えるようにゆっくり首を振る。
「愛近が言った通り、転換による身体能力拡張は必要に応じて振り分けることができる。熟達した選手は攻撃と防御で瞬時に切り替えたりするわね」
「あのゴリラの発言は戦闘――コンクリフトに特化しているので話半分で結構でしてよ。普通は競技の合間に切り替えますわね。サーチ戦が終わればスタンプ戦に特化した仕様に――という具合ですわね」
愛近の付け足した説明は正論だ。まだ基本を押さえている最中の連別府や偶川に完成された上級者の話を聞かせてどうするのかと自省する。これでは立場がない。
(ああダメダメ……メゲてる暇なんかないのよ。指導者が迷ったら生徒が困る。『助手がいて助かる』くらいの気持ちでどっしり構えていればいいんだから)
それ以降は黙って見守っていると、偶川は鈴の起動弁を振って鳴らし、頭上に小さな未成質量を浮かべた。アムリラの指導が身になっている。昨日よりもスムーズだ。
新たな転換で偶川が手にしたのは虫眼鏡。「よく見よう」と意識したわかりやすい形だ。
「……あっ、ホントだ。なんか黒いモヤモヤが見える」
「そう。それがサーチ戦の標的となるバルーンの目印ですのよ。遠距離から見抜いて打ち抜くか、接近して確かめて破壊するかは選手のタイプによって分かれますわね」
「今はさっき話したみたいにスナイパーが打ち抜くのが流行りだよね。遠距離は相手選手の動きを妨害するのに向いてて、接近は遠くからの攻撃を妨害するのに向いてる」
「バルーンに向かっていない相手を攻撃するのは反則ですのでそこはお気を付けて」
「星南さんの試合は凄かったよね! 一撃で相手チームもろとも当たりも外れも全部落としちゃって」
「記録的な反則で即刻試合が終わりましたものね」
自省を続けるしかなかった。愛近もしっかり私の試合を観ているようだ。
戦意が昂るとどうしても抑えが効かなくなってどのルールでも似たような結果になってしまう。「狙っていない。余波だ」と主張しても聞き入れてもらえず、外れバルーンも合わさって酷い減点になった悲しい思い出が蘇って辛い。
「ワタシまだ試合のルール把握してないんだけど……バルーンの他はどんなのだっけ?」
「スタンプ戦は試合場に二十五設置されたポールを三分間奪い合うスピード勝負ですわ。ポールにタッチして――言わば自由に何度もひっくり返せるオセロですわね。得点はビンゴと同じですのでわかりやすくってよ。ポールは手の届かない高い位置にありますから飛べたほうが有利なのは間違いありませんわ。これに関しては相手への攻撃は一切禁止」
「禁止じゃないわよ。押し合いへし合いは普通にあるもの」
つい口を挟むと、偶川が青い顔で振り向いた。
「さっき竜ちゃんに見せてもらった映像で、コーチはやってましたもんね……」
敵を蹴飛ばした勢いを活かして空中で曲がり、味方を投げ付けてポールを占拠する戦略を得意としていた。「攻撃が目的じゃない。手段だ」と主張しても聞き入れてもらえず、チームメイトからも
「あの女傷ついた顔していますけれど、敵味方問わず他の選手のほうが大変に傷ついているのですから放っておいて構いませんわよ」
連別府だけが変わらず尊敬の眼差しを向けてくることがあまり救いにならない。もしかすると私は既にチームの人望を失っているのだろうか。
「最後。コンフリクトは名前の通りの衝突ですわね。これこそルール無用に見えるかもしれませんけれど、後ろからや防護していない箇所への攻撃は減点対象ですからお気を付けになって。最も危険なルールだけに、失格処分も簡単にありえます。反対に武装を失ったり、戦意が感じられない場合も失格ですわ。ギブアップしたいときは頭の後ろで手を組めば試合場のシステムが働いて守ってもらえますからお忘れなく」
早速偶川はギブアップの姿勢を取る。
「こう?」
「それで結構。特にコンフリクトではあなたが戦力になることを期待していませんから、さっさと退場してしまえばよろしいですわ。一度ギブアップすればその試合中そのあとのセットも参加できなくなりますけれど、ワタクシと連別府さんさえいれば充分ですもの」
これはさすがに聞き捨てならない。
「愛近、それはチームメイトに言っちゃいけない。謝りなさい」
強く言うと愛近は一度反抗的な目を向けてはきたものの、すぐに眉尻を下げてしゅんとして「すみませんでした」と呟いた。
「偶川、お前も言われたままでいるんじゃない。反論しなさい」
自分が叱られるとは思っていなかったようで、偶川は驚いて数瞬迷う素振りを見せて、落ち込む愛近の手を握り励ますように語りかけた。
「あの、ワタシちゃんと愛近先輩に認められるようにがんばりますから、どうか期待してください」
「……そのときには『どうしてギブアップするの』って言ってあげましてよ」
「ギブアップは……できるだけしないようにします」
ほほ笑み合う二人を見て感極まった様子の連別府が抱き着き、三人まとめて畳の上に倒れ込んだ。
「みんなでがんばろうね! 星南さんの指導で、養成学校の生徒をやっつけちゃおう!」
「ええ、ワタクシたちの友情の前に敵はいませんもの」
「コーチのやり方だとみんな失格になっちゃうから気をつけようね」
とりあえずチームがまとまってきた雰囲気を感じる。私が現役時代には味わえなかったものだ。
(いや……そうでもないのか)
土間に置かれたいくつかの資材を眺め、遠くで応援してくれているかつての仲間を想う。
集中力が欠ければイデアエフェクトの効果は落ちる。なので疲れが出始める一日の終わりは肉体トレーニング――というプログラムは養成学校でも採用されている。
心底嫌そうな愛近の尻を叩いて宿舎を出ると、練習場の光景が一変していた。
「は? なんで……」
与えられた面積のほとんどを占めていた木々が無くなり、雑草で埋め尽くされていた地面がむき出しの土に変わって、更には平らにならされている。アムリラが墜落した跡のクレーターすら痕跡がない。
一体何事かと思えば隅に倒木が折り重なり山を成していて、その上にロンデが腰かけていた。尻に敷く太い幹をポンと叩き、言う。
「これ薪にするか? 要らないなら彫刻にでも挑戦してみようと思うんだが」
倒木には根が残っている。完全に掘り返すか、それとも引き抜くかしない限りこうはならない。よく見ると積まれた木の周りには大ぶりな石が集められていて、これも地中から掘り出したもののようだった。心なしか練習場が全体的にくぼんでいる、というよりも地面が下がっている。踏み込んでみれば靴の下に感じる地面は固い。圧までかけて整地してあるとわかった。
無論、人に為せる業ではないからイデアエフェクトを使ってはいるのだろう。
木々を伐採して練習場所を広げる案は私も今夜から手を付けるつもりではいた。ただし、早く済んでも二晩はかかると見込んでいたので毎晩少しずつの予定だった。木と石を除き、草を抜き、荒れた地面を
「ロンデ様ステキ! 彫刻、なんて文化的!」
大騒ぎで喜ぶアムリラも含めて呆然と眺め、彼らが二人がかりで挑んだわけでもないことをなんとなく察した。
「……私はあなたたちをそんなに長い時間休憩させたかしら?」
周りの三人に向かって質問すると偶川が首を振った。
「コーチは十五分って決めて、愛近先輩が引き延ばそうとギリギリでトイレに行ったから二十分くらいです」
「貴女余計なことを!」
この際愛近のズルには目を瞑る。
私は勇者たちの実態も知らずに憧れた。かつてのチームメイトの罵倒をいよいよ認めざるを得ない。そろそろ反省もし飽きて自分が嫌になってきそうなところではあるものの、ふしぎと満足感に近い感慨しかなかった。
「……それじゃあ、せっかく広くなったんだから実戦形式をやりましょうか。大人組と子供組に分かれて」
「僭越ながらワタクシから鬼教官に、勇気をもって反抗させていただきますわね」
その勇気は頻繁に発揮されている気がする。一応聞くことにしよう。
「理由があって組まれたスケジュールを急に変更することは全体の計画を乱し、不安を呼び込むことになりましてよ? 肉体トレーニングをしましょう。ワタクシたちを物理・精神の両面から破壊したいのでしたら変更で構いませんけれど」
「愛近は訓練が嫌い?」
「ふざけたことをおっしゃらないで。加減の利いた内容で、加減ができる相手でしたら歓迎ですわよ? それなのにこの二人、貴女に輪をかけて配慮なんか期待できませんもの!」
「そんなことないよー。だってキミはロンデ様の雇い主でしょ。喜んで接待プレイするよ」
アムリラは教団の公報を担っているだけあって人当たりが良い。単なるコミュニケーション以上の腹芸もこの中では一番だろう。ロンデのこととなると激情に駆られるようだが。
「あー、成績を確実に伸ばしたいので生徒を甘やかされても困ります。それはそちらにとっても、成功報酬に関わってくる話でしょう?」
「ハッ! そうだった。ロンデ様が就職しただけで嬉しいけど、どうせならボーナスも貰っちゃおう!」
愛近に「余計なことを言うな」という風に横目で睨まれたが、輪はかけないなりに配慮はしないでおいた。
結局悩んだ末に実戦形式は取りやめにして、愛近は肉体トレーニングとして走り込み、連別府と偶川はロンデとアムリラに指導を任せた。私はそれを宿舎の前に座って眺める。
初めはロンデとアムリラの指導の様子を見守るつもりでいたけれど、正直、眠い。昨夜は一睡もしていないのでいい加減に限界だった。普段快食快眠で過ごしているから徹夜なんてしたことがない。もしこの状態で実戦形式をすれば偶川にさえ負けるか、いっそ歯止めを忘れてしまいかねない。
(愛近は多分、今の実力でも養成学校に戻れると思ってるから手を抜きたがるんだろうけど……。それじゃこっちに移った意味が無かったことになる。あの子にはもっと――)
ぼんやりと考えているうちに瞼が重くなる。そのまま、寝入ってしまった。
甘い匂いで目を覚ました。寝起きでも一発で分かる、これは「焼き肉のタレ」の匂いだ。
「ん~! 乱暴な味わいですけれど、それだけに食欲を叩き起こされましてよ。これに慣れてしまうと二度と元のワタクシには戻れそうにない気がして恐ろしくもありますわ。それでもいい気がしてしまいますわ。嫌だ、ワタクシったらはしたない」
「ホラホラたんとお食べ、親しみやすいお嬢様。それにしても普通の炭じゃないから凄い燃えかたする……避けとこ避けとこ」
賑やかな声を後ろに聞き、腕の間に沈んでいた首を持ち上げて振り返ると縦に切った焼き肉パーティが開かれていた。縦に割ったドラム缶からもうもうと上がる煙を吸い込む景色はもう夕暮れで、宿舎の背面、山の向こうから暗い色が迫っている。
騒いでいるのは主に愛近。偶川がその相手をしている。連別府は満面の笑みで一心不乱に肉を頬張っていたかと思うとすぐにこっちを向き、細めていた目をいっぱいに開いてこっちに駆け寄って来た。
「星南さん起きた! ……ハイどうぞ、お肉です。これも全部依風ちゃんが用意してくれたんですよ。わかってます、お米が好きなんですよね。『三食しっかり、米はパワー!』 ちゃんとありますよ。お昼の余りで焼きお握り。えへへ」
在学中に私が何かのキャンペーンでイメージキャラクターにされたときの恥ずかしいキャッチフレーズまで添えられて、満載の皿を差し出された。
連別府からはロンデに対するアムリラのように、「世話をするのが嬉しくてたまらない」という気持ちが伝わってくる。訓練のときに感じた闘争心がまったく感じられない。心の切り替えは必要なときに高い集中力を発揮するので嬉しくなり、「それ以上パワーをつけられたらたまりません」という愛近の不満そうな声は無視して皿を受け取った。
「ありがとう。でも私のことは気にしなくて良いから、自分たち優先で仲良く食べてていいわよ。ああもう、タレがほっぺたまでベットリじゃないの……。プロ選手になるなら身だしなみには気をつけなさい」
ハンカチで口元を拭ってやると、連別府は顔を赤くしてかしこまった態度で地面に膝を付いた。人懐っこい犬を撫でているような錯覚が起きる。
「……私が眠っている間、ちゃんと訓練してた?」
「もちろんですよ! あたしはあんまり変わらなかったけど、依風ちゃんは練度が上がったとかなんとか」
「そう、あなたは焦らなくていいからね。元々技術水準は高いんだから、あとはそれを調整するだけ。うまくいかないとしたらそれは指導者の――私の責任だから」
「ちょっと、いつまで連別府さんを撫でていますの?」
愛近に指摘されて気が付くまで、私は皿を置いて連別府の顔をワシワシと揉んでいた。すっかり実家の犬を相手にしている気になっていた。
「連別府さん! こんな時間くらいはワタクシとの旧交を温めませんこと? ワタクシもこの玉ねぎのように黒焦げになるほど燃え上がりたいですわ!」
「わっ、ちょっと見てないで動かしてよ!」
「お断りいたします。上流階級のプライドが許しませんもの」
「野菜を燃やさなきゃ保てないようなプライドは捨ててしまえ!」
偶川に頭を小突かれて愛近が涙目になっているところへ連別府が笑いながら戻っていく。すっかり打ち解けたようでなによりだ。
三人を眺めて和んでいると、箸を咥えたロンデが横を通り過ぎ練習場へ道を渡った。足は積み上げられた木材へ向いている。彫刻に挑戦するつもりだろうか。
ふと見渡すと練習場の景色がまたしても一変している。
サーチ戦のバルーン発射台やスタンプ戦のポール付き飛行ドローンが脇に設置してあり、防護幕発生装置が周囲を囲んでいる。これなら今すぐにでも試合形式の訓練ができる。競技に詳しい連別府や愛近の指示は必要にしても、ロンデの協力があったことは疑いようがない。
飲み屋に入り浸る「ヒモ」と名高い評判とは結び付かない働きぶりに改めて驚き、後ろ姿に感謝の言葉を投げかけるのを忘れた。
「意外ね……」
「ふふっ、お金だけもらって怠けまくってれば納得した?」
思わず呟いた言葉に返事があってドキリとする。恐る恐る振り向くと、アムリラが中腰で私の顔を覗き込んでいた。柔らかな笑顔が、恐い。
「えっと、あの――」
「いいの。そんな悪口言われても仕方ないよね。実際働いてなかったし、毎晩と言わず一日中どこかで飲んでたし。料金払うのはボクだし」
「いえ、あの――」
「いいんだってば。ロンデ様のことはボクがわかっていればいいんだし。でもさ、キミだって評判と違うじゃん。って言うか、訓練中とぜーんぜん別人。……それでも、どれが本当とかじゃなくて全部がキミ。そういうものでしょ?」
「ああ……はい」
ハッキリとは言わずに、ロンデに勝手な失望を抱いていたことを反省させられた。
弁解できないうちに鼻先に缶ビールを突き出される。悪戯っぽい笑みは「くだけた態度で接してほしい」と語っている。
それを察して、私は肩の力を抜き掌で隣へ座るよう促した。
「……付き合ってんの?」
思い切って聞くと声を上げて笑われる。
「いきなり踏み込んで来たよ! キミ、それが素なの? 距離感わかんないタイプ?」
「だってそういう噂があるのに、貢いでる風にしか見えなかったから。単にお金に困ってるだけならロンデってお兄さんが大金持ちじゃない? お金はどうかと思うけど、仕事くらいは紹介してもらえそうなもんだし」
ロンデの兄は実業家、同じく魔王打倒の勇者ハワード。広く知られていることだ。ロンデが働き者ならアムリラが養わなければいけない理由が見つからない。
アムリラは端から見ていれば「聖職者としてはどうか?」と眉を潜めたくなるほど節操なくロンデに好意を表している。ただしイチャついているようでもやりとりは一方的だからこそ、「ヒモ」という評判に至ることに不自然はない。
実際のところどうなのか、前々から確かめたかったことだ。ぜひ失望を裏切ってほしい。
「んーと、んとねえ……大好きなんだあ。あの人が存在するだけで、人類愛を証明してる」
語る言葉こそ宗教家らしいもののアムリラの顔つきは恋に浮かれる乙女そのものだった。
「ロンデ様がボクのことをどう思ってるかはよくわかんないけど、そんなことは気にならないの。もの凄く感謝してるし、人生すべて捧げてもいいって思ってる。そうしたいって願ってる」
「いや全然良くない。気にしろ。無職男を飼うな」
彼女は乙女のテンションかもしれないが私はそうじゃないのでハッキリ言うと、「無職じゃない。キミが雇った」と反論されて言葉に詰まる。
次に出せる言葉は二人が出会ったのが十年前――アムリラが八歳であることからくる四文字になりそうだったのでこれ以上その点を追求するのはやめることにする。完全に個人攻撃になってしまう。当時ならともかく今指摘するようなことではない。
なのでアムリラの手の内からコップを取り上げ、中身が果物ジュースであることを確認するに留めた。未成年が慣れない酒に酔ってたわ言をほざいているわけではないらしい。
「……アムリラはロンデとイチャイチャしてるからラブラブなカップル。そういう認識でいいわけね」
「やだ、そんな、恥ずかしい」
周囲の目などお構いなしに黄色い声を上げるくせに照れる様子はマトモに
そんなことを考えること自体おかしなことだ。彼らは世界を救った勇者。自分と比べても仕方がない。彼らはどんな幸福も許される栄光を掴んでいる。
「じゃあ……魔王ってさ、どんな感じだった?」
最初にぶつける好奇心はこれでまっとうだったのだと、内心自嘲しながら聞いてみる。
「その件は厳しく口止めされてるんだ。ハワードがうるさい」
政府の情報規制と同じ。あけすけなようでもそこは守るらしい。ただ変わらず乙女の表情でコップの縁を愛おしそうに指先で撫でているのを見て、聞き出せたとしてものろけ話になる気がした。
世界を危機に陥れる災厄と対決した話であっても彼女の脳にはロンデとの出会いの場として記憶されていそうだ。
でも、それほどの情熱は正直羨ましい。
「はあ、いいなあ……。のろけ話でもいいから聞かせて――ああ、やっぱりいいや。ヒモの育成日記を読まされてる気分になりそう」
「なにそれ失礼! ワタシの愛の逃走劇を聞かせてやろうか!」
「それって魔王討伐後にロンデ会いたさで教団から脱走した話でしょ? 誰でも知ってるわよ、ニュースになったもの。……ホラこれ、そのときの記事のアーカイブ。『ちびっこ神官初恋物語』。教会を半壊させて、たどり着いちゃったもんだからロンデを誘拐容疑にかけるかどうかで世間に議論を呼んだわよね。私も反対署名に参加したからよく憶えてる」
「アー! アー! 聞きたくない! 今は外せない職務があればちゃんと戻るって約束で認められてるから!」
そのあとも馬鹿馬鹿しい話をして楽しい夕暮れを過ごした。一番の疑問だけはけっして口にしないで済むように気に留めて。
私とあなた、どっちが強い? なんて。
養成学校を離れての二日目が終わり、宿舎では初めての夜を過ごした。そうして迎えた月曜日。三局戦況の部活動として活動する以上、平日昼間は学校の授業を優先せざるを得ない。家がそれなりに離れているようなので朝練も諦め今朝は連別府も偶川も宿舎に来ないように伝えておいた。
そのとき偶川が不安そうにしているのに気が付いて、そんなに訓練がしたかったのかと喜んで尋ねると「ごはんはどうするんですか?」と心配された。相当生活力が低いと思われていてコーチは悲しい。そんなものはどうにでもなる。偶川が事前に食材を支配しておいてくれているからこそなので威張れたものではないが。
ぐっすり眠り目覚まし無しで夜明けに起床。運動着に着替え、軽く体を動かしているうちに気分が乗って来たので近くの山頂までジョグで三十分。山菜取りにでも使われているのか、踏み固められた山道は走り易かった。
宿舎へ帰ると軽く濡らしたタオルで体を拭いた。シャワーがある環境、瞬間湯沸かし器の偉大さを思い知る。
愛近の布団はまだ丸く膨らんだままだった。容赦なく引っぺがすと中身が転がり出てひっくり返った虫のようにジタバタともがく。
「おい、いい加減に起きなさい」
愛近は畳に手をついて身を起こし、しばらくキョロキョロと首を巡らせたあとでホッと息を吐いて脱力した。ここがどこかを思い出したのだろう。自然な素振りで布団へ戻ろうとするのを阻止する。
「サッサと顔を洗ってきなさい。まったく、寮での生活習慣は染みついていないの?」
「新しい環境に適応致しましたの。それに昨夜は寝入るのが遅くなったもので……」
「ふうん、疲れが足りずに体力が余って眠れなかったのなら指導者の私の責任ね」
確かに昨日は午前がほぼ不在で、午後も後半は手放しになってしまった感はある。ヌルいと思われても仕方がない。
「違いますわよ! 貴女にいじめられて体はクタクタ、連別府さんがいなくなって心はズタズタでしてよ! それでも眠れなかったんですの! だって……」
言って、隣の続き間へ目をやる。
その
「気になって眠れない、か。無理もないわね」
関心がないようでも偉大な先人を身近にしては緊張するらしい。愛近にも年相応で可愛いところがあった。大きなひまわりがプリントされたパジャマ以外にも。
「えっ、貴女も起きていらしたの? ……それならワタクシの苦悶に共感していただけるでしょうから、静かなうちに寝直させてくださいませ。連別府さんが学校を終えていらっしゃる前に起こしていただければ結構ですわ」
「ダメよ。愛近にもやることがあるんだから」
「ワタクシだけ特訓ですの? 言っておきますけどワタクシの腿はパンパンでしてよ!」
「そうじゃなくて、学校に行って転入の手続きをしないといけないでしょうが。三局戦況を部活としてやるのよ? あなたが三人目の部員になるにはまず連別府や偶川と同じ学校の生徒にならないといけないじゃない」
基本的な点をわかっていなかったようなので説明してやると、愛近は寝ぼけてそれまで半ば閉じていた両目をカッと見開いて跳ね起きた。
「さ、何をグズグズしてますの。連別府さーん! ただいま愛近先輩が参りますわよー!」
連別府と同じ学校に通えると知ってテンションが上がっているようだ。
こうなることはわかっていた。そして、その場合最大の懸念となる問題に愛近が気付いていないこともわかった。
「落ち着きなさい。始業後にあちらへ伺う段取りになっているから、今から行ったって早過ぎるわよ。朝ごはんを食べてゆっくりしてから私が車で送る。顔を出していくつか登録を済ませれば手続きは終了。……ただ、ちょっとね」
これを伝えることは辛いが、知らさないままにはしておけない。
「……愛近、あなたは年齢で言えば連別府の一つ上――二年生になるはずなんだけど……。見てもらったほうが早いか。貰っておいた二年生の教科書データを送る」
携行端末を操作して送信。その中身を確認した愛近が一瞬にして涙目になった。
「教官! そんな……ワタクシ、ワタクシは!」
「そうよねえ、わからないわよねえ」
いわゆるスポーツ強豪校でも授業の大半を潰し午後はすべて練習に充てるなどして競技選手の育成を計るが、三局戦況選手養成学校の場合はそれにも増して極端だ。そもそも教育機関ではない。一般の教科を扱いはしてもその内容は狭く浅く、ハッキリ言って一般の高等学校からすれば「お粗末」の一言に尽きる。
「もしかしてワタクシ、チーム三人の中で一番〝バカ〟ですの? 連別府さんと同じ学校に入れてもらえないなんて辛いですわ! 教官、どうかお勉強を教えてくださいませ!」
すがりついて懇願されて、私は苦い思いでまぶたを閉じる。
「違うわよ、愛近。バカの一番は、〝四人〟の中で私とあなたが争うの」
私は愛近にとって紛れもない先輩だが、それは「養成学校の」であるから一般の高校教育を見てやれるほどの教養は無い。
学校へ移動後に試験を受けることになり、「今こそ絆の力を」と虚ろな表情で挑んだ愛近は案の定な結果を出した。とはいえ中学の卒業資格は持っているので、一年生としてなら入学許可はできる。
校長に「電子化のおかげで急な手続きでも一瞬で済む便利な時代ですね」と嫌味なのかよくわからないことを言われてから割り振られた教室へと移動する。
「愛近初花と申します。よろしくお願い致しますわね。連別府さーん、来ましたわよー!」
当人は同じ学校で更に同じ学年になれたことがむしろ嬉しいようで、愛近は意気揚々と教室に入って行った。教室内から偶川の困惑する声が聞こえてくる。
(連別府と一緒にプロデビューの目標を忘れて、これで満足したりしないでしょうね……)
特別頼み込まなくとも他の二人とは同じクラスになった。偶川が言っていた通り「少子化が凄い」せいだ。異分子の塊である愛近が教室で絶対に浮くと心配もしていたので、その点は気が楽になる。偶川に任せておけば何も問題は無い。
転入手続きに必要な保護者の認可――愛近父母の同意は得ている。その時に一度通話で話したが、愛近本人を見て何となく察する通りに娘を甘やかす傾向が強いらしい。昔病弱でいつ死んでもおかしくなかった子供が今は元気にしているというだけで嬉しくてたまらないようだ。転校を勝手に決めてしまったことで驚きはしても本人の意思を聞いたあとは「娘をよろしくお願いします。部活動の様子を見学したい。試合はいつですか」とむしろ応援する意欲を見せている。
養成学校は部外者の立ち入りに厳しいので今までに不満があった反動かもしれないが、娘がしごかれる姿を目撃されたら私が今度こそ名実ともに無職になる可能性があるので訓練は見に来ないでほしい。
(さて、私も自分の仕事をしないと)
まずは名義上の顧問に挨拶を、と考え職員室に戻ると該当の教員は
駐車場に戻り、携行端末を有線で車のフロントパネルに繋いだ。大容量通信を継続して行うなら車載機能を使ったほうが安定する。
(さあ、気合を入れるわよ。学校訪問の為はもちろんだけど、この為にカッチリスーツまで着込んだんだから)
深呼吸を数度。気持ちを落ち着け、心の隙間から意地や見栄を掃き出して捨てて携行端末のカメラへと顔を向ける。
「――こんにちは。私は大空星南です。この放送は地方で三局戦況の選手――いえ、イデアエフェクトの技術者を育てようと働きかける同志に対して送るものです」
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