いつも通り世話を焼く偶川依風
授業中はいつも眠そうにしている竜ちゃんが急に顔を輝かせてワタシのほうを見るから何事かと思った。顔だけじゃなくて実際に周りが光っている。以前から竜ちゃんの周りでは稀に起きる現象で、これがイデアエフェクトの一種だと知ったのは昨日のこと。
その興奮は隣の席を奪い取ってベッタリくっ付いている突然の転校生が原因じゃないことはわかる。正確な理由を知るには休み時間まで待たなくちゃいけなかった。
「依風ちんこれ見て! 通知が凄いんだよ。星南さんのことで何か盛り上がってるみたい。なんだろうね!」
授業が終わるなりワタシの席までやって来て携行端末を見せてきた。確かにパイロットランプがピカピカ光っている。
竜ちゃんは教え子になった今でも相変わらず大空コーチのファンで、「大空星南」のキーワードで常にウェブを監視している。テキストでも音声でも、オープンなサイトにその話題が出れば即座に通知が届く仕組みだ。
「なんだろうなあ。チェックしたいなあ!」
学校の中では生徒アカウントが登録された携行端末から一般のウェブ閲覧はできないよう制限されている。その他の通信手段は持ち込み禁止。通知だけは確認できるので緊急の連絡なら先生に許可を取るという手順になっている。「ネットが気になる」じゃ断られるに決まっているから竜ちゃんは増え続ける新規検索ヒット数を気にしながらやきもきしているわけだ。
「どうしよう。ロビーの共用端末で見てこようかな?」
「あそこは取り合いになるから無理だよ。今から行っても三年生が独占してるって」
「じゃあ学校サーバーからログアウトして――」
「待って! 故障以外で下校前に生徒アカウント外したら先生に叱られるから!」
「別に怒られてもいいし。だったらちょっとだけ学校から離れるのは? すぐに戻ればバレないかも」
「位置情報で即バレだよ。部ができたばっかりなんだし、問題起こすのやめようよ。『部活動を始めた悪影響』とか言われたら責められるのはコーチなんだよ?」
この一言でガマンする気になってくれたようだ。ぎゅっと閉じる唇を見てホッとする。事情も考えないで睨んでくる脇の転校生が鬱陶しいけれど。
「愛近先輩――ああいや、同級生になったんだった。でも年齢的には先輩? ……どんなときも面倒くさいなあ、この人」
「失礼ですわね。それより連別府さんを悲しませるなんて許しませんわよ!」
「そんなこと言われたって……。そうだ、先輩の携行端末はもう生徒アカウント登録してあります? ダメなら他のを持ち込んでたりは……ああ、持ってないですか、そうですか」
「その『役立たず』みたいな物言いはやめてくださいませんこと? 〝部長〟」
昨日バーベキューのとき、コーチから部長を務めるよう言われたことを話した。愛近先輩は「連別府さんこそ代表に相応しい」と反対したけれど、竜ちゃんのほうは元々そのつもりだったようで、それに従う形で愛近先輩も追認してくれた。
そういうわけでワタシは今日から正式に発足する三局戦況部の部長ということになる。
「ね~、ぶちょ~?」
甘えた声で首を傾げ、竜ちゃんが手を握ってきた。おねだりだ。「逆らうなこのアマ」と殴りかかってきた昔と比べたら随分変わった。
知り合ったばかりの頃、竜ちゃんはお父さんの影響なのか言葉遣いがハチャメチャに悪かった。竜ちゃん自身が言われた言葉なんだと思うと切なくなる。
その過去と成長に免じて、考えてあげることにした。
「位置情報を校内に残して、生徒アカウントもそのまま、アクセス制限だけを外す方法ねえ……。そういうの詳しい男子に相談したらなんとかしてもらえるかもしれないけど、見返りを要求されたら困るからなあ……。あの人たちすごいおっぱい見てくるし」
「依風ちんぽっちゃりしてるもんね、一部と一部」
「わざわざ嫌な言い方をする嫌な部員を助けるの嫌だな、部長は」
「あっ、ウソウソ! 助けて部長!」
「連別府さん、こんなことに部長かどうかなんて関係ありませんわよ? どうぞワタクシをお頼りになって!」
「ちょっと愛近先輩静かにして」
「部長だからと言って横暴は――」
「立場がどうでも、口から出すのは不満じゃなくてアイディアにしてください」
追い打ちをかけると愛近先輩は涙目で唇をすぼめて沈黙した。
やっぱり優しい人たちに囲まれてきたのか打たれ弱いなのかもしれない。ちょっとからかってみたい衝動が湧くと同時にそんな環境で生きてこられた彼女を妬んでいることを自覚して、額が机に付くまで頭を下げる。
「すみません。私のほうこそ嫌な言い方をしました。あとでもう一度ちゃんと謝りますけど、今はちょっと考えたいんです」
目配せすると、竜ちゃんが察してくれて愛近先輩の頭を撫で始めた。途端にご機嫌になってくれたのでホッとする。
(さて、じゃあ考えましょうか……)
・校内で生徒アカウントは外したくない。
・生徒アカウントでログインした状態だとアクセス先が制限される。
・アクセス先は校内の電波基地局が学校サーバーを通すことで制限される。
・校内の基地局から離れようとすると校外に出てしまう。
・提出物で必要になるので生徒アカウントは校外からでもログイン状態を維持可能。
・校外に出たら携行端末の位置情報で先生に即バレする。
(欲しいのは学校の外へ出ずに学校から離れる方法……あっ、そうか)
そこでひとつ思い付いた。
「……横の移動じゃなくて縦の移動、屋上なら校内の基地局から外れて制限されないかも。生徒アカウントは地域の基地局に切り替わってログイン状態は残るし、位置情報も校内から動かないよ。短い時間なら電波障害――って言うかデバイスの不調って思ってもらえるかもしれない」
「依風ちんあんがと!」
竜ちゃんは早速教室の外へ駆け出して行った。それまでくっ付いていた愛近先輩が弾かれてクルクル回転するのは放っておいて、あとを追いかける。
「ちょっと竜ちゃん、屋上は――!」
校舎はコンクリート三階建て。三階は生徒数の減少で使われていなくて、ガラの悪い人のたまり場になっている。屋上へは外階段で繋がっているからそこは通らずに済むから、ワタシが気にしてるのはそこじゃない。
「ああ……もう見えない! ムダに足が速いんだから……」
一階から外に出て階段を登り、竜ちゃんに追いついたのは屋上手前になった。扉の前で立ち往生している。靴も履き替えていない。
「依風ちん、ココ鍵かかってて通れない! ジャンプして壁をこうやってこう登るから踏み台になって!」
「具体的に何する気かわからないけど危な過ぎる。あのね、実際に屋上には上がらなくていいんだよ」
「じゃあ行くよ! せえの――」
「落ち着けぃ」
踏み台にしようと飛び掛かってきたところをタイミングよく脳天チョップがカウンターになった。
「ううぅ……星南さんの情報、早く見たい……」
うずくまって泣いている竜ちゃんを見下ろして、愛近先輩に続いて友達を泣かせて、ワタシにはサディストの気がある気がして嫌になる。
けど今は反省よりもフォローだ。
「竜ちゃん、新規検索結果は自動ダウンロードにしてあるよね? だったらさ、扉を開けて屋上に行かなくても、携行端末がそれ以上の高さに行けば――」
「あっ、そうか。わかった!」
気付いた竜ちゃんは携行端末を手首から外して、迷わず空に向かって放り上げた。行動に思い切りがあるのは良いことかもしれないけれど、見ていてハラハラする。
「オーライ、オーライ……あっ」
空を見上げて両手を上げていた竜ちゃんが携行端末受け止めようとして塀にぶつかった。弾みで脇腹が塀の上に乗り上げ、上半身が宙に傾いていく。
「竜ちゃん!」
持ち上がった腿を慌てて捕まえる。間に合った。四階相当から落下する命の危機と、スカートが捲れ上がる乙女の危機を同時に救えた。
「依風ちーん、やったよー。あたし端末落とさなかったよー」
バクバク鳴る心臓の音を押し退けてのんきな声が聞こえる。思わず脱力しかけて胸に抱いた腿がズルリと抜け出そうになって、 改めて力を入れる。
「もう、バカ! 竜ちゃんほんっとバカ!」
腹筋でひょいと体を持ち上げた竜ちゃんが階段に戻って来て、今度こそ全身の力を抜いて尻餅を付く。
「……もう今日なんにもしたくない」
「えっ? 困るよ。午後の宿題……は別にいいけど、放課後の訓練あるのに。でも今は星南さんの情報見よう! 一緒に見よう!」
「わかった。わかったから背中叩かないで。竜ちゃんは自分の腕力を自覚してほしい」
自分の部活のコーチがネットでどんな騒がれ方をしているか、そこはやっぱり気になる。腕に戻した竜ちゃんの携行端末の表示を二人で覗き込んだ。
ダウンロードできていたのは大量のテキストと、短い動画。動画のサムネイルにコーチが映っているのを見て竜ちゃんが熱い鼻息を吹く。
「星南さんスーツ着てる……細いネクタイめっちゃ……かぁっこいい! ちょっとお化粧もしてるね。目力ヤバ……あ、ヨダレ出ちゃった」
動画の内容は個人配信サービスの生放送の一部。再生する。
『――組合を立ち上げて、そう言ったマニュアルを統合・洗練できたらと考えます。これからイデアエフェクトの教育は地域に展開しますが、意図的にその流れを急がなければ悪用に先を越されることになります』
どうやら不特定多数の参加者からコメントを受け付けて、それに応答しているらしい。国会中継や裁判ドラマに似ている。
「これあたしも応援のメッセージ送りたい!」
「これ録画だよ。もう切断してるから無理」
「ああ~っ、やっぱり星南さんエッロい……。ホラ見た? このコメント読むときに目を伏せるところ! ゾクゾクするぅ……」
隣でドンドン体温が上がって暑苦しい。
『連盟や養成学校に敵対しようという意図はありません。ですが、現在はその中でのみ行われている競争が全国各地に拡大することでこの分野が急成長することが狙いである以上、独占状態を開放させたいとは考えています。つきましてはその方法、イデアエフェクトの指導要領をこの放送をご覧になっている関係者の皆さまと――』
語る口調は執念を感じるほど熱っぽく、ランニング中にも崩れなかった涼しい顔が額に汗を浮かべている。
動画はすぐに終わった。放り投げた一瞬でダウンロードできる要領だから仕方ない。
「竜ちゃん、コーチは真剣だよ。ワタシたちの為にこんなにも真剣になってくれてるよ」
隣の竜ちゃんもいつしかうわ言をのように興奮を漏らすのをやめて、ブロックノイズまじりで停止した画面を見つめていた。
「うん。エロいとか言ってる場合じゃなかった」
「それは最初からそうだったんだけどね」
「とにかく熱意には熱意で返さなきゃだ。依風ちんとワタシ、それにお嬢さんとで――あれ? お嬢さんは?」
言われるまですっかり忘れていた。早速訪れるチームワークの危機。
「教室に置いてきちゃったけど、あとで追い付いてくると思って……あっ! ヤバい!」
愛近先輩はこの学校に来たばかりで校舎の構造を知らない。学校の案内図にアクセスしてくれたらいいけれど、「屋上へ行く」と聞いていちいち順路を確認するより階段を登ってしまうはずだ。一階に降りて外階段へは回らない。
校舎三階。そこは使われていない教室、不良のたまり場。教室に孤立して大人しく待っているような人じゃないから間違いなくそこへ行ってしまう。
「急いで助けに行かないと……! 〝転校初日〟の〝都会〟から来た〝お嬢様〟なんて絶対絡まれるに決まってるって!」
外階段は非常階段でもあるから三階とも繋がっている。ただ非常口だけあって内側からは簡単に開けられても外側――こっちからは開けられない。
「下りる途中でガラス越しに中の様子を窺って、状況次第では戸をぶち破る。平気なようなら騒いで愛近先輩を呼んで内側から鍵を開けてもらう。いいね、竜ちゃん?」
「うんっ!」
方針を手早くまとめて階段を飛ばし飛ばしで降り、ガラス戸に飛び付き中の様子を見る。
奥まで見渡せる廊下で愛近先輩の姿が見えた。やっぱり絡まれている。と言っても声をかけられている初期段階のようだ。ニヤつく不良どもと迷惑そうにする愛近先輩。かろうじて声が聞こえてくる。
「あの、連別府さんを見かけていないのでしたら貴方がたに用はないのですけれど。と言うかワタクシ連別府さん以外の事象に関心がありませんの」
ワタシも省かれてしまっていることはちょっと寂しい。
「屋上の行き方を教えてくださ――ああ、もう結構ですわ」
話している間にチャイムが鳴った。休み時間終了の合図。ワタシたちも教室に戻って来ることがわかった愛近先輩が離れて行こうとするのを、不良たちが阻んだ。
「なんですの? ですから、ワタクシは貴方がたと遊ぶつもりなんて――ちょっと! なにをなさいますの、馴れ馴れしい!」
肩に手が置かれ、絡まれ段階が進んだ。
これはまずいと思ったら唐突に目の前の戸がバンと大きな音を立てた。隣で竜ちゃんがガラスに手を付いて怒っている。
「おいコォラっ、クソカス! うちのお嬢にヘタなことしたらタダじゃ済まさねえぞ!」
この狭い町に来たばかりで気性が荒かった頃の竜ちゃん(小学生)は顔を合わせた不良とことごとく揉めている。なので素行の良くない在校生とも大体良くない面識があった。口調がその当時に戻っている。
良い傾向ではないけれど、これで不良たちの注意が竜ちゃんに移った。この隙に下から回って愛近先輩を救出するよりも、今は竜ちゃんを落ち着かせたい。部活を健全にスタートさせる為には学校を破壊せずにやり過ごしたほうがいいに決まっている。
「竜ちゃん、一旦ココ離れよう?」
「嫌だ。アイツら粉々にする」
「それはあとでやらせたげるから! いい? ああいう人たちは相手がいなくなったり離れようとしたら『逃げた』って考えて調子づくバカなんだから、こっちが隠れてやればまっすぐ追いかけて来るんだよ。しゃがんでれば勝手にここを開けてもらえるんだって!」
体重をかけてムリヤリ引っ張ったらやっと身を屈めてくれた。
「あ、それあたしも昔、依風ちんにやられた」
「集まって大きな声で脅かすしかないんだからあの人たちは竜ちゃんより楽だよ。自動化が進んでるって言っても資材の積み込みだって手伝わないガリひょろ――あれ? ……来ないね」
戸のガラス部分は上側だけだから、座るだけで中からは姿を隠せる。それなのに不良たちが近づいてくる気配がなかった。相手が立ち去ったら自分の勝ち、という犬のルールにまで価値観が進歩したんだろうか。
まさかそんなと疑いつつも顔を出して確認すると、廊下では愛近先輩が大暴れしていた。
「貴方がた、連別府さんに何を? 過ぎたことでも赦しませんわよーっ! キエーッ」
捕まえようとする腕を払いその反動で平手を喰らわせる。「ビンタ」と呼ぶには可愛すぎる、腰も捻ってしっかり体重を乗せた強烈な一撃。現に体格で勝る男子がフラついた。
「事情は存じませんけれど、ワタクシは常に連別府さんを正義と判定しますのでご承知おきくださいませ」
牽制の軽いミドルキックを腰を落とした肘でトンと受ける。残った軸足の膝裏にローキックをパンと当てる。相手が後ろへ転んだところへ体を回転させ喉をギュッと踏む。踊るように鮮やかな手際だ。スカートを手で絞って押さえ覗かれないようにする余裕まである。
それでいよいよ頭に来た不良たちが一斉に躍りかかり、愛近先輩は動じることなく手足をブンブン振って目で追えない技でわけなく撃破していった。
「ハハ、すっごい……」
思わず乾いた笑いが漏れた。竜ちゃんと顔を見合わせると、感想は同じらしかった。そんな顔をしている。
体力がなかったり平然と留年したりで冴えないところを多く見ていたけれど、そういえばこの人はとっくに競技者だった。コンフリクトには接近戦もある以上きっと格闘訓練も受けている戦闘のエキスパート。大空コーチが比較対象になりがちだから霞んで見えていたけれど、ワタシの目のほうが曇っていた。コーチと比べたら誰だって霞む。
「……ゆっくり一階から回って行こうか。ああいや、授業が始まるから急がないとだ」
先輩に余計なことを言って怒らせるのはよすことにしよう。
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