田舎から出て来た女の子がかつての自分過ぎて困る大空星南

「ふぁいっおー、ふぁいっおー」

 号令に合わせて声を上げスタジアムを駆け回る姿を、頬杖つきながら眺める。

(若者は眩しいねえ……)

 三局戦況連盟専用演習場。体力づくりに精を出しているのは国内各地から招集された優秀な生徒たちだ。ここで十五歳から三年間鍛えられ、三局戦況リーグを賑わわせる。

(私もちょっと前まであの中にいたはずなのに、遠いなあ……)

 走る生徒たちがスタンドにいる私を見つけ、かけ声を止めてヒソヒソと話す。何を言われているのかは想像がついた。

(はいはい、『遅過ぎた天才』ですよー。それとも『カリスマの燃えカス』のほうかしら)

 今でこそこうして練習を眺める姿も我ながら無気力そのものになっているけれど、ああして生徒として汗を流していた時代にはそれはもう熱血していたものだった。

 魔王討伐の英雄たちが操った技から生まれた三局戦況、そのプロスポーツリーグ。私もそこに入るつもりでいたからここ連盟の養成学校で訓練を受けていた。誰よりも努力して、誰よりも高い評価を得ていた。

 けれど、私はプロ入りできなかった。そのことがショックで以来どうにもやる気が起きない。

 どこのプロチームからも声がかからないまま卒業、見かねた連盟に教育指導員として採用してもらったこともあまり幸運には思えなかった。「燃え尽きた」と囁かれる評判にも反論する意欲さえ湧かないでいる。

 正式採用を前提としていたはずの試用期間はこの秋で一年を越え、当初は現場での指導を任されていたのに今では書類仕事の方が多くなっている。次期の契約更新は多分無い。

 天才天才と持てはやされたことで調子に乗って――と噂されるけれど、事実は違う。

 三局戦況のプロスポーツ発足は五年前と業界が若く、ルールはまだ安定していない。現在の形に落ち着いたのは私が卒業する目前の二年前で、元々戦闘技術であったものが競技としてより洗練され荒っぽさを失いすっかり〝安全なスポーツ〟になってしまった。

 プロスポーツというものは試合に観客を集め映像の放映権を販売する娯楽である。そこに安全を求められるのは当然ではあるけれど、私が憧れたのはプロスポーツ選手ではなくて先駆者たる英雄たちだ。だから新しく生まれ変わった競技の中に自分が求めたものを見つけられず、卒業前に進路を選ぶ段階で「もうどうでもいいです」という投げやりな心持ちになってしまった。

 養成学校で後進の育成を任されてからもうまくはいかなかった。鳴り物入りでプロデビューするはずがしくじり、訓練校へ戻った私が鳴り響かせたのは「カリスマの燃えカス」という悪評。

 客観的に言えば「成人すればただの人」という以上の話じゃないのだと思う。

(アマチュアに行っても資材や設備でレベルがかなり落ちるし、第一私が試合に出たらプロ相手より余計にまずいものねえ……。もっと小さい子向けに教室でも開くか……。ハァ、年棒は良いから貯金はあるし、しばらくブラブラして過ごそう……)

 来年から無職になることをぼんやり考えていたら、走り込みを終えたらしい男子生徒が近づいてきた。口の端が卒業するまで浴びたことがなかった嘲笑の形に歪んでいる。

「センセー、ちょっとご指導願えませーん? あっ、ヒマだったらでいいんですけど」

 明らかにナメている態度。それでも怒りがこみ上げたりはしない。

 彼は若く、私よりも将来性がある。これから能力も伸びるし人格が修正されることもあるだろう。私はどちらも手遅れだ。今更方針を変えて新しく学ぶ意欲は無い。

「教官と生徒だもの、仕方ないわね。このあとの訓練に響かない程度でなら――」

「いやいや、本気でやろーよ。何か賭けてさ」

 塀に足をかけグラウンドへ降りようとしていた動きを止める。

「……校内で金品の受け渡しは認められないわ」

「でも模擬試合の結果が悪ければ罰訓練とかあるじゃん。金とかじゃなくてさ、こっちが勝ったら一種目に付き……〝一晩〟付き合ってよ」

 要求の内容にゾッとするよりも「模擬試合」と呼んだほうが気にかかった。「模擬戦」ではなく。ほんの少し、ずっと凪の状態にあった心が波立つ。

「……教官と生徒だから、そういうのが良いのかしら。……いいわよ。もしもあなたが勝てたなら、性奴隷にでもなんにでもなってあげる」

 後ろにいた取り巻きまで下卑た顔で笑う。もう勝ったつもりでいるらしい。

 どうやら彼らは何か勘違いしている。

「じゃあ、さっさと始めましょう。待ちきれないわよね?」

 グラウンドへ降りて足を軽く踏み鳴らすと、足元のクレーが割れて生えた柱状の端末を操作する。

「三局戦況の演習を開始。権限、教官『大空おおぞら星南せな』」

≪申請者のアカウントを確認、申請を承認します≫

 機械音声が聞こえ、グラウンドとスタンドの間に半透明のスクリーンが浮かんだ。観客を守るする防護幕だ。安全への配慮。大変結構。

「競技の順序は標準のサーチ、スタンプ、コンクリフト、でいいわね?」

 三局戦況はその名の通り三種目を総合した競技で、それぞれの獲得ポイント数を合計して勝敗を競う。単純に言えば宝探し、旗取り、押しくら饅頭の三種だ。

≪第一セット、サーチ――競技開始≫

 グラウンドのあちこちから、宙に向かって幾つものバルーンが打ち出された。

 二十個のうち特殊な波長を出している五つの当たりを打ち抜くとチームの得点になる。バルーンの挙動を制御するドローン部分を損傷させなければ更に加算、という仕組みだ。だから宝探し。

 さっさと終わらせてしまいたい。そう考える私より男子生徒のほうが動き出しは早かった。手のひらで強く、地面を叩く。

「開け、竜穴泉ボルテクス!」

 地面から離した腕に、それまではなかった鎖が絡んでいる。地中から草の根を引きずり出すようにして現れた鎖は浮き上がるとひとりでに先端が動いて宙に広がりいくつかのバルーンを打ち抜いた。クレーの上に五つ、〝当たり〟の金属板が落ちてくる。

 正確な探知。的確な動作。申し分のないプレー、素晴らしい選手だ。しかし気になるところはある。

「……どうして正規の手順に従わないの?」

「遅いからっスよ。実際それで勝ったじゃん」

 新しい技術の吸収に貪欲。それはそれで若さなのだろう。

「まだ一セットでしょう」

「このあと逆転があるとでも?」

 どうやら、教官として生徒に指導しなければいけないようだ。

「……もういいわ」

 息を吐き、片足の浮かせた踵を外へ開く。

「目を覚ませ、星の力」

 勢いよく戻した踵を打ち合わせ、キン、と音が響くと同時に視界が白く輝いた。動揺した生徒たちは頭上へと視線を転じる。

「これが未成質量ヒュレー――? フザケんな、こんな規模なんてありえるかよ!」

 頭上には輝く巨大な球体が浮かんでいる。さっきまでこんなものはなかった。

 十年前に英雄たちが披露したことで初めて人類の前に現れた大地に宿る力、未成質量。現在は三局戦況連盟が管理する特殊な器具で表出化させられる超常の物質だ。そのままでは何の性質も持たず実体さえ曖昧なエネルギーの塊は、熱でも応力でもなく人の思念によってのみ干渉を受ける。この質量を運動または火力に転用することで英雄たちは魔王軍を撃退した。以後四年で一般人にも理解できるよう解明され三局戦況の根幹となっている。

「起動弁によって竜穴泉から未成質量を抽出、思念によってそれを己の物とし、更に武装とする――この一連の現象をイデアエフェクトと呼ぶ。お前はその段階を飛ばした。そんなに〝新式〟がご自慢?」

「未成質量の抽出量だけが三局戦況の技量じゃない! いかにポイントを取るかには、早さが重要だ!」

「確かに早かった。だって手順を飛ばしたんだから。……でもね――」

 種目は既に次の〝スタンプ〟に移っている。空中に整列した二十五のターゲット、攻撃を当てると自チームの色に変わるそれを占拠した数だけポイントを得る。ビンゴのように列を揃えれば加算される。

 男子生徒はターゲットを狙おうとしたが、操る鎖はバルーンを打ち抜いた鮮やかを失い無様に地面を這った。

「未成質量が安定する前に獲得してしまうから、より大きな質量に影響されて自由を失う。まずは自分にしっかりと結び付けないとね。少なくとも武装を作る分には従来のやり方を通したほうがいい」

 瞼を閉じて腕を広げ、頭上の未成質量に心で呼びかける。人の想いに応えるのが未成質量だ。願った形に、求める力を。

「だったら直接叩けばいい!」

 一セット目の手際を見る限りこの男子生徒は遠距離を得意とするタイプ。その基本の戦術を捨てて駆け出した。機転を働かせたつもりなのかもしれないが、やぶれかぶれにしか見えない。

「直接叩けばいい……ね。心の底から賛成する」

 走る背中へ向けて指を突き出すと、隅で見学していた他の生徒までが駆け出した。ただし我先にとグラウンドの外へ。防護幕は威力を伴わなければ武装していても通過できる。

 プロデビューし損ない、教官を任されては生徒にナメられ、久しぶりに力を奮って聞こえるのが歓声ではなく悲鳴だということが切ない。

 私は大空星南。「十年前の戦争に参加できていれば活躍で来ていたのに」という意味で「遅過ぎた天才」と呼ばれている。別に弱いからプロデビューできなかったわけではない。



(初めから私が間違っていたんだよねえ……)

 私が憧れたのは魔王討伐の先頭に立った四人の英雄。養成学校に行き、イデアエフェクトを学べば彼らのようになれると勘違いをした。けれど彼らが参加したのは〝戦争〟で、私が参加する予定でいたのは〝スポーツ〟。そこをまるでわかっていなかった。

 安全性を高める目的でのルールの改定に適応できなかった私は、自身が何も変わらないまま落ちこぼれになった。

 逆に言えばルールが変わったこと自体私のせいと言えなくもない。要は連盟が破壊的に優秀な成績を残した私を見て「これが模範になったら困る」と判断したのだと思う。

 もしプロ入りできていたとして、よくて悪役。反則連発で即出場停止処分になる。どの団体もまだ立ち上げたばかりで風評を気にしたのか、どこからも声はかからなかった。

 そのあと教官として養成学校に留まることになってからも、学校側が教えてほしい――生徒たちが教わりたいと望むことと、私が実演できる内容には齟齬があった。教えたくても教えられない。生徒も授業もヌルく感じるのに、彼らは将来プロ入りしていくと思うと心は荒む。

 そういうわけで私は燃え尽きつつ教官なんかをやっている。今日はちょっとやる気を出した結果、叱られることになったわけだけれど。

「どういうつもりなんだ大空教官! なぜ生徒を病院送りにした?」

 教員室で校長の前に立ち、目の前にいる真っ赤な顔を見下ろす。

 学習内容の由来が英雄たちの超技術であろうとここが学校である以上、暴力教師は責められる。とても正しいことだ。

「訓練中の事故です。指導を求められたので、指導をしました」

 我ながらふてぶてしいと思う。必要な教育の実態と合わないとわかったうえ、お情けで雇われている職員の態度ではない。

「まだわからないぞ大空教官。君の受け持ち時間ではなかったはずだ。それに、君が君の流儀で指導をしちゃあダメだろう? 一体どうしてくれるんだ! 彼は三年生でスカウトの話だって来ている有望選手なんだぞ!」

 スカウト。私には来なかったスカウト。

「私より弱いくせに」

「何か言ったかね?」

 欠片は存在したかもしれない「申し訳ない」という気持ちが消し飛んだことで、余計な本音がこぼれてしまった。こうして在校時代からよく知った先生方に囲まれているとつい失念してしまうけれど、そう言えば私は社会人だった。建前を取り繕わなくてはいけない。

「……彼はイデアエフェクトを扱ううえで重要な危機意識を欠いていました。その油断が今回のような事故を招いたのだと考えます」

「マトモなことを言っているように聞こえるけどね、君が何をしたかはしっかり映像に残っているんだよ」

 校長が言うと、背面のモニターが月間予定表から訓練場の映像に切り替わった。さっきの私と生徒たちが映っている。これはまずい。訓練風景を記録しておいて振り返ることができる行き届いた設備が仇になった。

 映像では問題の二セット目が始まる。私が靴の踵の起動弁を鳴らして未成質量が浮かび上がると、周りで様子を窺っていた他の教員たちが「なんて巨大な」「獲得が速い」とどよめいた。鼻が高い。

 次にその未成質量を武装に転化した私が後ろから襲いかかる様子に進むと、どよめきはため息へと変わった。居心地が悪い。

「……手加減はしましたよ。彼がもっと防御を重視していれば結果は違ったと思います」

「スタンプ戦で相手を直接攻撃するのはルール違反だ。コンフリクト戦でも狙っていいのは武装だけ! そんなことは基本だろう?」

「お言葉ですが、ルールなんて戦場では――」

「戦場じゃないんだよ! 競技なんだよ! どうするんだ、彼は明日の公開試合に参加する予定だったんだぞ?」

「それでしたら私が――」

「まだ選手を壊したりないか、この――壊し屋!」

 どうやらまた通り名が増えそうな予感がした。


「言い訳にしか聞こえないんだろうけどねえ、本当に手加減はしたんだよ? 後ろから襲いかかったって、当てたわけじゃないもの。……ただその、余波がね……」

 カウンターの向こうでヒゲの大将が苦笑いする。校長に散々叱られたあとは今度は私が顔を赤くする番だ。アルコールが入って緩くなった口で愚痴を吐く。

「あの男子だってケガしたわけじゃないのよ。吹き飛ばされて気を失っただけで……念の為病院に搬送されただけじゃない。それが危険な事故ってことになるなら、フツーの体育だって合法かどうか怪しくなるのに」

 教育機関に酒を出す施設があるはずもなく、ここは学校から三十分ほど車で移動した市街地の飲み屋だ。校内に気を許せる相手がいない私にとって唯一感情を吐き出せる場所になっている。

「大将、つくねー。私のつくねまだー? ……あ、今食べてたや」

 やけに塩味がキツいと思ったら、泣いていた。おしぼりで涙を拭って、カウンターに突っ伏す。

「……私だってわかってるわよ。攻撃して失神したんだから、警察の取り調べを受けずに済んで助かったくらいだって。あーあ、これでもう来期から無職決定だわ。……来期まで待ってもらえるのかしら。やだ、大将。支払いは大丈夫よ? 私これでも結構小金持ちなんだから。も、じゃんじゃんお酒持って来て。なんだったらみんなの代金も請け負っちゃうわよー!」

 ジョッキを高く掲げると、他の席がやんやと盛り上がった。

(ああ……歓声って気持ち良い。私が欲しかったのはこういうのじゃないけど……)

 二十歳を過ぎたばかりで酒に飲まれてくだを巻くことになるなんて思わなかった。英雄に憧れ、天才と誉めそやされ、たどり着いたのがこの飲み屋。それを「落ちぶれた」と受け止めていいのかどうかわからない。

 なぜならここには英雄がいる。

 カウンター席の上部、吹き抜けを通して見える二階席。ソファにどっかり座った男が上機嫌で酒を煽っている。不健康そうな細身の青年の印象からそうとは窺えないが、彼が十年前に世界を救った四人のうちのひとり、勇者ロンデだ。実業家として成功している〝兄〟が有名なせいで影が薄い部分はあるが、だからと言ってこんな所で飲んだくれていていいような人物ではない。

 そしてもう一人。隣で勇者ロンデにしなだれかかっている白いローブの女、ニコニコ笑って酌をする彼女も同じ立場にいる。

 勇者アムリラ。彼女の存在があるからこそ三局戦況の世界にも堂々と女性が参加していられる。彼女は宗教組織の人間で、今も現役のはずだ。教会の前を通ると彼女の姿を写したポスターを見ることができる。

「ちょっと大将、いくら飲まないったって飲み屋に未成年が入り込んでるわよー。……うんまあ、私も昔からよくここ来てるけど」

 魔王討伐から十年経ってなお、未だ勇者アムリラは成人していない。当時八才だったというから私から見て年下。自分より若い相手に憧れるなんておかしいとはまったく思わなかった。だからこそインターネットで彼らがこの店に入り浸っているという情報を見つけ、養成学校入学前に学校よりも先にこの店を訪ねた。それ以来の常連だ。

(昔は『勇者と勇者のカップルなんてステキ』とか思ってたっけ……)

 もうあの頃のように「チャンスがあったら話しかけたい」とは考えない。

 彼らは観察し続けたこの五年もの間イチャイチャし続けるだけで変わらないけれど、私のほうは違ってきている。天才から時代遅れになり、子供から大人になった。苦手だったいくつかの薬味はもう無ければ物足りなく感じる。酒は酔っぱらいたくて飲んでいるだけなので実はまだ楽しめていない。価値観や感覚が変われば見え方も違ってきて、彼らに対して憧れの他にも思うことが出てきた。

 私がこの店で二人を見つけた時点で勇者ロンデは二十九歳、一方勇者アムリラは十三歳。いつから男女の仲なのかは知らないけれど、その時にはもう今と同じようにイチャイチャしていた。ロンデの倫理観を疑わざるを得ない。

 そしてこれまで一度だってロンデが支払いをするところを見たことがなかった。

 財布を出すのはいつもアムリラ。ロンデがひとりで飲んでいるところに遅れてやって来て、彼の世話を焼き、他の客に絡まれたら助け、店員に頭を下げ下げ精算する。これではタチの悪い〝ヒモ〟だ。アムリラ当人は幸せそうではあるけれど。

 死ぬほど憧れて、死ぬほど軽蔑した。逆恨みらしき想いを抱いたこともある。

 けれどそもそも彼らは魔王という絶対悪があったからこそ輝いた暴力の星だ。敵がいなくなれば英雄であり続けられるはずもない。飲み屋の奥でくすぶっているのはいっそ似合いかも知れなかった。

「大将、おあいそ。……大丈夫よ。運転はちゃんとオートで帰るから」

 そんな彼らに憧れた自分もまた――そう考えると切ない。


 白昼の駅前にただただ佇む。掲げる看板には「三局戦況連盟行き シャトルバスはこちら→」の印字。手首に巻く携行端末でも空中に映像を投影できる時代だというのに、木とペンキの看板を人間が持って往来に立つなんてどうかしている。

 養成学校では秋の入学後に新入生やその保護者に向けて公開試合が開かれる。それを見学する未来の新入生や在校生の保護者を案内する役を任命された。見事な雑用――と言うより罰ゲームだ。看板を重しで立てて音声を繰り返し再生しておけばいいのでは、と考えずにはいられない。

(どこでもいいから、列車に乗って旅立ってしまいたい)

 鉄道駅を見つめながら知らずこぼれたため息が深い。

 すると、横手から非難の声が上がった。

「ちょっと、息がお酒臭いですわよ。気を遣って風下に立つか呼吸を止めてくださる?」

 私がボーっとしている隙にいつの間にか、隣に女子生徒がいた。

 純白のテーブルと揃いの椅子に腰かけて気取った手つきでティーカップを口元へ運ぶ。髪は艶々のロングヘア、肌も「生まれたてかな?」と思うほど無垢で綺麗。ここは歩道上であって喫茶コーナーではないのだがテーブルとイスは持ち込みだろうか。おかしな風景も自然にしてしまうくらいには優雅な仕草の似合う上流人だった。

 気になったのは制服。養成学校の物を身に付けている。ならば学生のデータベースから身元を参照できるはず、そう考えて携行端末で学校のサーバーへアクセスした。

愛近あいちか初花ういか、二年生ね。へえ……成績まで高級だこと)

 タグを兼ねている襟元の校章を頼りに呼び出した情報を端末で閲覧しつつ、向かいの椅子が空いているので無言で座るとキッと睨まれた。目鼻立ちがクッキリしているだけに冷徹な表情がよく似合う。

「あの、そこは予約席でしてよ? これからワタクシの大切なお友達が来るのですから、空けておいてくださいまし」

 指摘された通り、テーブルには「予約」の札が乗っていた。これも自前で用意したのだろうか。マメなことだ。

「そう邪険にしないで。来た時にはどくからさ、それまで座らせておいてくれない? 今本当に具合が悪くて」

 昨夜は居酒屋が閉店する深夜三時まで粘って、結局宿舎には戻らず駐車場の車中で一眠りしてから事前に支持されていた通りここへ来た。完全に二日酔いだ。

「翌日に残るほどアルコールに溺れるだなんて貴女、アスリートの自覚が足りないのではなくて?」

 アスリート。それがわからないからこんな仕事を押し付けられている。

「……飲まずに済むならそうするんだけどね」

 自分で情けなくなるほど悲しい声色になった。向かいで愛近がハッとした顔をする。

「そう、大人は大変ですものね。……嫌な態度を取って申し訳ありませんでしたわ。どうぞそのまま座ってらして結構でしてよ、大空教官。カップには余りがございますし、冷たいお水はいかが?」

 表情を曇らせ反省する態度で気を遣われてしまった。「ヤケ酒の結果」とは言い出しづらく、厚意に甘えることにする。初めの印象ほど「お高くとまっている」わけではないらしい。口ぶりは突き放すようなトゲを感じない。彼女のほうが私よりもよほど大人だ。

「ありがとう。……はぁ、生き返る心地ね。ところであなたのお友達、このタイミングで来るっていうことは、もしかして公開試合に来るの?」

「ええ、その通りでしてよ」

 紅茶で湿らせた唇をふんわりと横へ広げ、薄くほほ笑む。駅舎を眺める目元が優しい。友人との再会を楽しみにしているのが伝わって心が和んだ。

 しかし、次の言葉で愕然とする。

「もちろん〝見学〟ではなくて〝参加〟ですのよ」

「……はい?」

 私に原因があるアクシデントによって公開試合に参加を予定していた生徒が負傷欠場となってしまった為、減った数を補う目的で急遽外部からも参加を募ることになったことは聞いている。本校の生徒と試合をさせ、成績如何では編入も受け付けるという。

 しかし募集は何しろ昨日の今日のことで、敏感に情報をキャッチして声を上げたのはたった一人だった。応募者のリストも受け取っているが、それが愛近の友人であり、出迎える為に彼女はこうして案内看板(私)のそばでスタンバイしているらしい。

「ええ、きっと来るはずですわ」

 自信満々な頷きほど、言葉は正確ではなかった。

「『きっと』『はず』って……約束してるんじゃないの? まさか遅れてるとか?」

「それはわかりませんわよ。だって連絡先を知りませんもの」

「……うん?」

 なにやら話の流れがおかしなことになってきている。

「まさか、来ると思い込んで勝手に待ってるってこと? 大丈夫?」

 約束もしていない相手との待ち合わせ。どうかしているとしか思えない。

「『運命を信じている』と言ってほしいところですわね。心配なさらなくても彼女は必ず現れますわよ。なぜならばワタクシたちの間にはけっして切れない絆がありますもの!」

 私が心配したのは友達が現れるかどうかの点ではないのだけれど、そこはまあいい。絆と一緒に連絡回線も繋いでおいてほしかった。

「ああ、うん。……来るといいわね」

 応募者の名前を教えてあげたらその運命の真偽はわかるのだろうけれど、審判を下すようなマネをするのは気が進まずに曖昧な返事を返す。

「来ますわよ。絶対でしてよ」

 崩れない自信を前に気まずくなって駅の方に視線を転じると、丁度駅舎から一人の少女が出て来たところだった。

 変哲の無いセーラー服にスニーカー。エナメルのショルダーバックのベルトを額にかけて首で支え、キョロキョロと不安げに辺りを見回す素振りはいかにも「都会に出て来たのは初めて」といった風。いっそ鼻に絆創膏でも貼っていたら似合いそうなほど田舎臭い。

 五年前に故郷から出て来たときには自分もああだったと懐かしさを覚えた。

「ああ、あの子ね」

 公開試合の参加者――のつもりで言ったら、愛近が向かいの席を蹴って駆け出した。急いでていても走る後ろ姿は女の子らしくて可愛らしい。

「お久しぶりですわ! どんなに会いたかったか――」

 突然声をかけてきたお嬢様に、田舎娘は戸惑ったようだ。遠目にもわかるほど縮んだ肩と顔つきが「あんた誰」と語っている。

 声は聞こえないやり取りが始まって、私が遅れて近づく間に意思の疎通が成功したようで、二人はきゃっきゃと飛び跳ねて喜び始めた。どうやら愛近の一方的な片思いというわけでもなかったようだ。運命は確かに存在したらしい。

(『一緒に三局戦況の選手になろうね』って約束したとか、そういうのかしら。プロリーグ発足が五年前だもの、まだ憶えていて不思議じゃないわよね。でも……だったら可哀想なことになるわね)

 三局戦況の歴史は浅く、正式な専門教育機関は連盟が運営する我が校が唯一。必要な設備と、何より指導者が完全に集中してしまっている。田舎で一念発起したところでそこからプロ入りへたどり着くことは不可能だ。もし当人に見込みと意欲があるのなら既に入学していたはずだった。

 にもかかわらず学校が編入を餌に外部から参加者を募ったのは「本校の生徒がいかに優秀か」を見せつける目的があるからだ。出来レースと言っても言い過ぎには当たらない。

 ただ、二人が喜んでいるからにはこの再会には意味があったと信じたい。どうかケガのないように記念受験を楽しんでもらって、今後はメッセージのやり取りでもしたらいい。

「ひゃー、本当に久しぶりだね! えっ? お嬢様がここにいるってことは――それにその制服! 三局戦況養成学校にいるの? 何それすっごい偶然!」

「何をおっしゃいますの? 当然あなたを待っていましたのよ。この秋で入学しているものと思っていたのに新入生の中にいないんだから……。本当にもう、心配させないでくださいまし」

「あー、受験は申し込みしてたんだけど……色々あって」

 早口で語り合う二人に近寄って行きつつ、表情からは意識して同情を消した。

連別府れびゅう竜子りゅうこさん? 三局戦況選手養成学校の公開試合に参加予定の……うん?」

 資料で確認した名前を呼ぶと、田舎娘――連別府は私を見るなり硬直した。ポカンと開いた口に拳が入りそうだ。

 よく日に焼けて髪は癖が強い。男の子のようだけれど、まん丸の目には子供らしい愛嬌がある。愛近のように眺めていたいよくできた〝美〟とは違う、撫で回してやりたくなる魅力だ。

「大空星南さん……ですか?」

「ええ、そうだけど」

 答えると、連別府の目つきがポワンと蕩けた。この雰囲気には覚えがある。在学中はよくこういう風に、学年が下の女子に囲まれた。

「うわぁ……ホンモノだ! ホンモノぉ! あっ、そうだ」

 頬に赤みが差したかと思うと、素早くショルダーバックから何かを取り出す。

「こっ、これにサインをお願いします!」

「サインって……あっ、これは――!」

 連別府が差し出してきたのは今時珍しい物理書籍。この本は知っている。なにしろ表紙には瞳を輝かせた痛々しい私が印刷されている。

(まさかまだ残っていて、こうしてまた見ることになるだなんて、悪夢か!)

 在学中、私がそれはもう絶好調で、当時を省みると大変に頭に乗っていた時期に学校の勧めもあって出版した本だ。タイトルは「私と三局戦況 ~大空星南 栄光のスタートは素晴らしい教育環境から~」とあって今となっては色んな感情が吹き出しそうになる品だ。

「あたしあたし、毎日欠かさずこれを読んでて――ああっ、何をするんですか!」

 とっさに取り上げて破り捨てようとしたら止められた。

「離しなさい、こんなものは処分すべきなのよ!」

「えっ? もしかしてサインはNGですか? でもあたし本当に星南さんのファンで……特に気に入ってるところは――ココ! 『この業界に才能は関係ない。自身がどこまで高みに登れるか己に問い続け、積み重ねた努力が私をここまで高めてくれた――』っていうココ! 最高にカッコいい!」

 黒歴史を読み上げられて顔が熱くなった。

 本当にファンなら私の心境を察してほしいところなのに、連別府は手首の携行端末でドキュメンタリー番組の動画を再生しながら熱っぽく語り始めた。

「見てください。ファンだから星南さんが出た番組は全部保存してるんですよ。でも本人は動画より美人! 背ぇおっきーい!」

 はしゃぐ連別府。一方事情を知っている愛近には気の毒そうに見つめられた。

 客観的に見れば私が積み重ねてきた努力はすべて不意になって、私に才能という存在がわからなかったのはそれが見えない位置にいたからだ。低い所にいて曇っていたら、そういう輝くものは見えない。私は星にはなれなかった。

「星南さんはあたしと同じ田舎から都会へ出て大成功したスーパースター。そんな風になれたらって、憧れてます。ちょっと高望みな夢ですけど。えへへ……」

 共通点は、確かにあるようだった。

(私にとっての英雄たちが、この子にとっての私なのね……)

 憧れの対象を間違えて、そのせいで今日彼女は夢破れる。

 手渡された本はページの端が擦り切れていた。相当読み込んだのは本当のことらしい。

 こんなもの、内容はほとんど学校の宣伝と私の自慢話に過ぎない。イデアエフェクトに関することはほんのさわり程度で、とても教材としては頼れないものだ。

 沈んだ気持ちでいると、愛近の咳払いが聞こえた。

「大空教官、連別府さんを編入させなさい。彼女は大成しますわよ!」

 強い推薦を受けても、私には応えられない。そんな権限はない。

「……試合会場へのシャトルバスはあっちよ」

 務めを果たす一言を告げる他には何もできない私の胸に、元気の良い返事が刺さった。

「ハイ! 必ず勝ちますから、見ていてくださいね!」


 気が進まないものの、やはり見届けないわけにはいかない。そう覚悟を決めて公開試合の会場、観客席を訪ねた。最後方の高い位置から試合会場となった訓練場を見渡す。

『選手紹介! 連別府竜子、招待選手。健闘を祈ります』

 アナウンスに元気よく応え、一段高い試合場へ駆け上がる姿が見えた。緊張が窺える手が握るのは連盟が支給する鈴型の起動弁。ついさっき受け取った物だろう。彼女は自身の起動弁を持たない。つまりこれが初めての挑戦。初めてのイデアエフェクトだ。

 対戦相手の紹介が始まったが、誰が相手だろうと彼女は勝てない。私のお粗末な本でイメージトレーニングを重ねてきただけでは。

 そもそも彼女は十六才。本校生徒ならまだ一年生で基礎教育の段階だ。そしてこの公開試合に臨む他の選手は二年と三年。きちんと訓練を積んで、費やしてきた期間の長さが違う。比較することが間違っている。

(こんなの、まるで公開処刑じゃないの……!)

 そうするつもりなのだ。学校側は。ここより他では三局戦況の選手は生まれないと、それを知らしめる為の犠牲にする目的で彼女を誘った。

 コイントスで競技の選択権を得た連別府はコンフリクトを一セット目に選んだ。きっとそれは私が得意とした種目だからだ。どんどんまずい方へと展開していく。

 的を狙う他の種目と違い、選手が直接激突するコンフリクトは三局戦況の花形だけあって観客席は盛り上がる。私には惨劇を求める狂気の声に聞こえた。大勢が彼女の敗北を楽しみにしている。

≪コンフリクト、スタート≫

 機械音声が始まりを告げる。起動弁が鳴らされて、大きな未成質量が宙に浮かぶ。その中には連別府が呼び出したものがわずかに混じっているのを感じた。

(ああ……できてるわよ。すごいじゃない。それだけでいいじゃない。もうこれで終わりでいいじゃない)

 試合場に飛び込んで行きたい衝動が沸く。そうしなければ酷いことになる。

 イデアエフェクトの技量は三つの要素によって測られる。抽出する未成質量の量、それを我が物として獲得する速度、そして武装として転化する際の強度。確かに連別府は未成質量の抽出に成功したものの、量にすればそれはほんのわずか全体の数%に過ぎない。しかもそこから始まる未成質量を引っ張り合う綱引きにはほとんど太刀打ちできていない。遅い。自分で呼び出した分さえほとんど奪われてしまった。

 ほんの一握りの力だけを蓄え、連別府は武装を具現化した。薙刀と飾りのついた鉢金。アスリートとは異なることが明かな「戦う力」のイメージに偏った武装だ。

 その有様に観客たちは顔をしかめ、あるいはせせら笑った。

 対する相手は運動機能を補佐するタイツの上から動作を阻害しない程度に防具をきっちり身に付けている。養成学校が指導する標準的な装備だ。連盟の教育は憎らしいほど確かと言える。

 結果はもう見えている。それでも連別府は戦意を失わずに吠えた。

「あたし、諦めないよ。信じていれば必ず夢は叶うって、もう証明してる人がいるんだから! 見てくれていますか星南さん!」

 見届けなくてはいけないのに、つい顔を覆って目を逸らした。

(違うのよ、あなたと私は違うの……!)

 才能という言葉を否定して自分が信じる努力を重ねた。それでも、私はとてつもなく恵まれていた。三局戦況連盟養成学校に入学し、当時の適切な教育を受け、天狗になるほどの実力を備えた。施設と指導が私にはあった。だが彼女には何も無い。

 淡泊な実況の声が一方的な試合展開を報せる。とっさに耳を押さえようとした手を、決意を持って握り締めた。

(私のことはもういい。でもあなたのことまで失敗にさせるわけにはいかない……!)

 閉じていた瞼を開いた途端、決着の瞬間が目に入る。だが私はもうそんなことで道を見失ったり腐ったりはしない。

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