ここから再出発のつもりが初日から教え子に怖気づく大空星南

 聞かされたときには気が遠くなりかけた長い移動時間も、その間に必要な手続きは済ませられたのでかえって良かった。かつてのチームメイトに協力を要請する内容の脅迫文を送り、連盟には辞意を伝えた。それから独立してイデアエフェクトの指導に当たっていそうな同窓生の情報を洗っておく。

 前の座席でチラチラと後ろを振り向き席を移りたがっている様子を見せていた連別府は、私の隣で偶川が眠り始めたのを見て諦めたようだ。彼女に好意を前面に押し出して迫られると罪悪感で胸がチクチクするので助かった。お礼として、偶川には喜んで肩を枕代わりに貸したままにしておく。

 車窓の景色は時間が経つにつれ段々と寂しいものになっていき、山中に入ってからかなり時間が経ったので「まだ山を越えないのかな」と考えていたら、どうやらそのまま目的地に着いたらしかった。民家はポツポツ、あとは見渡す限り緑の山野。かろうじて道路は舗装されている、という程度の田舎。これは凄い。

「合併で一応ここも〝市〟にはなってますけど、自治体の単位が大きくなっただけで古い町なんです。っていうか〝村〟ですね。海が遠いおかげで魔王討伐以前も怪物に襲われたことがありませんし。百年前からの景色が残っているんじゃないでしょうか」

 寝起きで半分閉じた瞼をこすりながら偶川が説明してくれた。

 性格は大人びている偶川だが、見た目は膨らんだおさげ髪に垂れ目と、連別府とは別方向で麦わら帽子を被せたくなる。磨いて光らせるよりこのままでいてもらいたい。

「今時の農作業はほとんど機械で自動化されてるから、農地はもっと奥地で住居は市街に――なんて人もいるくらいなんですよ。だから住民はほとんどいませんし、高齢者ばっかりですね」

 偶川と連別府はこの土地では希少な子供で、似たような集落から集まった子供が通う高校が車で一時間ほど行ったところにあると言う。一学年二十人程度だそうだ。そんな有様で他の部活動は成り立つのか不思議に思って聞いてみたら、特に文化部は近所のお年寄りを交えた趣味のクラブと化しているらしい。

「それが結構良い仕組みになってるんですよ。地域奉仕――っていう意味だけじゃなくて、お年寄りは習い事の年季が違うから先生に代わって指導できたり」

「それは面白いけど、うちが望めることじゃないわね。イデアエフェクトに詳しいおじいちゃんおばあちゃんなんているわけないんだから」

 部活動に部外者が入り込むことに慣れているのなら、私がコーチに入ることで苦情を受けることもなさそうだ。

「で、ここがこれから私たちの練習場所になるわけね」

 部として借り受けた用地が今案内されたここ。見渡す限りの緑で、草原が木々に囲まれている。面積を聞けば試合場なら三つほど収まりそうなほど広大ではあるものの、ほとんどは木に呑まれているから使えそうにない。万全とはいかなくても無い物を用意してもらっているのだから贅沢を言うつもりはなかった。

「とにかく平たい土地を借りました。学校やワタシや竜ちゃんの家から見ても離れた土地ですし設備の搬入とかは大変になりますけど、内容的にあんまり人が近付かないところが良いかなと思って。地主は学校じゃなくて個人ですけど区役所からの紹介なので、許可の関係は問題ありません。敷地は赤いビニールひもで囲んであるから、好きに使って構わないそうです」

 有能な秘書を持った気分で頷く。

「さて、気になるのは未成質量の量だけど……」

 靴の踵に仕込んだ起動弁を打ち鳴らすと中空に光が浮かんだ。けっして多いとは言えない。鼻で笑う音が後ろから聞こえた。

「あらあら! 散々『天才』と持てはやされた割には、大したことありませんのね」

 そう言って愛近が起動弁を取り出した。養成学校の支給品と同じ鈴型だが、装飾が凝っている。

 スポーツ選手も人気商売だけあって、三局戦況の選手は〝見た目〟を重要視する。養成学校では成績如何で申請すれば特注品を扱ってもよいことになっている。私が生徒たちとは違う物を使っているのも同じ理由からだ。

 愛近が自身の起動弁を慣らして、「あれ?」という顔をした。先に私が呼び出した未成質量に混じって、総量は大して変わっていない。

「未成質量の獲得量は土地に依存するのよ。一般に人の出入りが多い場所だと多くなる傾向があるから、ここならまあ……こんなものでしょうね」

 説明すると愛近は「知ってますわよ!」と顔を真っ赤にした。座学で教わる内容ではあるものの、同じ場所でしか訓練をしない養成学校の生徒はどうしてもその辺りの認識が疎かになる。だからこそ、養成学校から駅まで空を飛んで来た彼女が途中の土地土地から均一でない未成質量を呼び出しては充填しつつ移動した技量は立派なものなのだが。

 未成質量が散って地面に戻っていくのを見届けていると、偶川がモジモジしながら尋ねてきた。

「あの……でしたらもしかして、練習場所選びからやり直したほうがいいですか?」

 既に携行端末を構えてどこかへ連絡を取ろうとしている。彼女が段取りを間違ったわけではないので、安心させたくて笑いかけ首を振る。

「これだけ産出するなら四人で分けるには充分だわ。部員が集まらなかったのもいっそ幸いね。大勢で来られたら練習にならないし、単純に私の目が行き届かなかった」

 どのみち公式試合は養成学校の施設を使うことになる。ここでは未成質量の扱い方について身に付けばそれでいい。

 偶川は安心したようで肩から力みを抜いた。

「でしたら場所は決定ですね。それとコーチが泊まる所は――ここを使ってください」

 掌の動きに従って後ろを振り返ると、藪の中に埋もれるようにして家屋があった。屋根がブリキでできた平屋の民家で、都心では考えられないくらい大きい。「百年前の景色」では済まない古めかしい建築物だ。

「……そう言えば自分が生活する場所を考えてなかった」

 なにしろ衝動的な行動だったので、連別府を三局戦況の選手にすること以外は頭になかった。未成年に世話を焼かれて恥ずかしくなる。

「コーチがいらっしゃることは知りませんでしたし元々は休憩場所にするつもりでいたんですけど、どうぞ使ってください。一応簡単に掃除と、雨漏りとかの修繕も済ませてあります。食事も用意しますから心配しないでください」

「あなた、そろそろ凄いわね? 〝有能な秘書〟どころじゃないわよ」

 いい加減に偶川が「ただの高校生」であることが疑わしくなって、物言いが雑になってしまった。ケラケラ子供らしく笑うのを見てなんだか安心する。

「ワタクシは連別府さんのおうちに厄介になりたいですわ!」

 唐突に愛近が声を上げて、連別府が苦笑いする。

「一日くらいなら怒られないと思うけど……。ずっとは……ちょっと」

「連別府さんを怒るだなんて! 謝礼ならお支払い致しますわよ?」

 明らかに連別府が迷惑がっている様子だったので、助け舟を出すことにした。こんなことでチーム内に亀裂を生みたくはない。

「ワガママ言わない。お嬢様でも元々寮暮らしなんだから細かいことは言わないでしょう? ガマンして私とここに住みなさい」

 あからさまに不満そうに唇を尖らせる。そして別なところからも反応があった。

「星南さんと? いいなあ、それならあたしもここがいい!」

「連別府さんも一緒でしたらワタクシもここでよろしくてよ」

 熱を持った勢いで二人に迫られて困っていたら、偶川が助けてくれた。

「『合宿』とか言って入り浸ればいいよ。養成学校の生徒と競うんだからどうせ練習は毎日でしょ? それより生活用品! コーチの身の回りの品を買いに行きたい人はいる?」

 わあわあ騒いで連別府が手を挙げて、同じく色々と買い揃えなければいけない愛近を連れて道を下って行った。

 今のうちに宿舎になる民家の中の様子を確かめようとしたら、偶川が話しかけてきた。深刻な暗い顔をしている。

「竜ちゃんの――連別府さんのことなんですけど」

「『竜ちゃん』でいいわ。こんな少人数で形式なんて気にしてもしょうがないし厳しい上下関係を強いるつもりも無いから、あなたももっと砕けた態度で構わないのよ? そうね、お嬢様くらいになられると困るけど」

 ため息をついて見せると子供らしく笑ってくれた。気が利きすぎるタチなようなので、必要ない部分にまで責任を感じ胃に穴が空く前にリラックスできる関係になっておきたい。

「竜ちゃん、両親が亡くなってるんです。今は母方の親戚の家に引き取られてまして、あんまり、その……」

 すべてを聞かなくても、そういう事情なら愛近を家に招きたがらなかったことも理解できる。厳密には自分の家ではない、ということなのだろう。

「お母さんは竜ちゃんが生まれてすぐ。お父さんは放浪癖があって、竜ちゃんを連れて色んな所を転々としていたそうです。造園の腕が良かったから食べるのは困らなかったらしいんですけど、そのうち体を壊して……」

 人生の中で関わったことがない話だ。「自分は恵まれている」ということを余計意識せざるを得ない。

「それで親戚に引き取られてこの町に来た頃は結構荒んでたんですけど、三局戦況の放送でコーチのことを知って、変わったんです。『この人みたいになりたい』って」

 よくも連別府の為に率先して部活を作る気になったと不思議なくらいだったが、偶川の世話焼きぶりはずっと前から始まっていたらしい。

「それより前はよくケンカしました。『同情して見下すな』『近くで勝手に不幸になるな』って言い合って、そりゃもうお互いボッコボコに。でもワタシがケガしたら竜ちゃんが家の人に責められることを知ってからは反撃もできなくなって。竜ちゃんもそれがわかったから、かえって悔しがって泣いたりして。ケンカができなくなったら一緒にテレビとか観るようになったんですよね」

「……聞いててもちょっとわからないくらい、歴史があるのね」

「公開試合に行く前もケンカしたんですよ。田舎者としては都会に出て行こうとする人にはコンプレックスを刺激されるじゃないですか」

 私も故郷を出た人間なので舌を奥に引っ込めて黙る。

「本音を言うと今日の公開試合でうまくいって編入できるなんて信じてなかったから色々準備してたんですけど、竜ちゃんが三局戦況の選手になれるようにワタシも願ってることは本心です。……あの子に居場所ができるように、どうかよろしくお願いします」

 深く下がった頭にプレッシャーを感じた。そして同様のものが偶川にもあることを察する。だがこれは彼女ではなく、私が背負わなくてはいけないものだ。

「〝才能〟って言葉。昔は好きじゃなかったのよね。『君は才能がある』『才能があるお前と一緒にするな』なんて言われてさ。『私がんばってるのに』って腐って。何の為にある言葉なのかわからなくて」

 脱線した話をキョトンとして聞く偶川の手を取り、誓いのつもりで胸に当てる。体を引き寄せることになったのでバランスを崩した偶川の腰を抱いて支えた。

「今はあると思うのよ、そういうの。どんなジャンルでも成功に必要な才能は〝応援される才能〟。偶川がそばにいることで連別府の才能は証明される」

 私にはその才能が足りなかった。だが連別府は違う。

「偶川、今度は私があなたの才能を証明する」

 なぜならコーチだから。生徒の可能性を信じて応援する。

 今更、自分が選手を諦める決心が着いて、そこにまだ執着していたことを遅れて思い知った。視界がじんわり滲むことだけを最後の未練としたい。



「イデアエフェクトの技量は抽出量・獲得速度・転換練度の三つによって計ります。未成質量をどれだけ取り出せるか、どれだけ速く取り込めるか、どれだけ自在に扱えるか、ということね」

 当座の生活用品の調達と代金の支払いを済ませると、早速練習に入った。顧問が来るのはあちらの暇次第、ということになっている。

「とりあえずは現状を知りたいから、まずは最初に説明した通りにやって見せて。まだ他の設備が無いから種目は直接激突するから選手だけいればいいコンフリクトにしましょう」

 草地に並ぶ三人は運動着に着替えている。連別府たちの高校の物で、用意が無かった愛近は二人とほとんど体格が変わらないので予備を借りている。

 基本は既に修めている愛近が退屈そうな顔をした。彼女は常に手本を務めてもらわなければならないから、その退屈はここまでだ。

「じゃあまずは愛近。遠慮はいらないから私をブチのめすつもりで、かかって来なさい」

 声をかけると勝気な表情で進み出てくるのを見て「やれやれ」といった気持ちになる。

「言われなくても元々遠慮する気なんてございません。さあ――お出でなさい、ワタクシの竜穴泉!」

 鈴の起動弁が鳴り未成質量が浮かび上がる。連別府と偶川が十分な距離まで離れるのを見届けてから、私も遅れて踵の起動弁を鳴らした。途端、愛近があんぐりと口を開けた。

「はっ? ああっ、ええっ?」

 先に呼び出しされた塊を包み込んで未成質量が膨らみ溜まってゆく。愛近は動揺から覚めて獲得へと手順を進めたが、私は在学中からこの引っ張り合いで負けたことがない。訓練に招待されたプロ選手が相手でもだ。

「――このように、実戦では簡単に獲得させてもらえないから速度はとっても重要。抽出を得意とする選手が獲得を得意とする対戦相手にそっくり持っていかれる――なんてこともあるわね」

 愛近に渡さず獲得した未成質量を武装に転換しないまま頭上に掲げ、隅で体育座りをしている二人に向かって説明する。連別府は「そういう試合見たことある」と答え、偶川は熱心にメモを取っている。

「獲得速度だけが、三局戦況のすべてはありませんわよ!」

 優等生のプライドを砕かれたか、愛近が猛然と突進してきた。

 わずかながらに獲得した未成質量で築く装備はやはりタイツのアスリート型。そういうことにいちいち腹を立てるのはもうやめる。

 途中地面を撫でた愛近の手に短刀が握られた。未成質量の抽出と獲得を同時にこなす〝新式〟だ。

「それはまだちょっと腹立つわね」

 掌の先に浮かべた未成質量を瞬時に武装に転換、大剣に変えて振り下ろす。愛近は短刀で受けたが呆気なく吹き飛ばされて地面に転がった。

 再び脇の二人に呼びかける。

「今、愛近がやって見せたのは起動弁を頼りにせず地中から直接未成質量を抽出する方法。新しいやり方ね。個人的に手順を踏まないのは下品だと思うけど、これなら相手に奪われることもないし、必要だと思って挑戦した機転は花マル。でも……フンッ」

 膝を曲げて屈み両拳で地面を叩くと、周囲に幾つもの馬上槍が浮かび上がった。もちろんイデアエフェクトによるものだ。

「……やるならこれくらいはやって見せろ」

 槍の先端を一斉に向けられ、尻餅をついたままの愛近が悔しそうな顔で唇を噛み、頭の後ろで手を組んだ。降参の姿勢だ。ただし目つきはまだ攻撃的に尖っている。

「『やれ』と言われてできるのならば苦労はありませんわよ、この根性論ゴリラ!」

 実力差を目の当たりにしても心を折らない負けん気を捻じ伏せてやりたくなる衝動を刺激され、そうして引きずるくらいならもっと本気を出せばよかったのにといきどおる不満で血がたぎっていく。

 しかし今は講義中だ。愛近を徹底的に叩きのめす時間ではない。

「……全力で来るよう言ったのにあとから新式で未成質量を取り出せたってことは、あらかじめ余力を残していたね? 保険の意味だったとしたらお粗末過ぎる」

 昨日の男子生徒の件もそうだけれど、どうも私はかなり見くびられているようだ。改変された三局戦況のルールが合わないだけで弱いわけではないのに。それに新式は好まないだけで苦手なわけでもない。

「今はわかりやすいように地面を触って見せたけど、私は足の下からでも未成質量を抽出できる。起動弁と同時でも、相手の武装を砕いて散る分を再回収することも――」

「ああもう! ワタクシの未熟はわかりましたわよ! つらつらつらつら、自慢話はもう結構ですわ!」

「いいや、まだまだ言い足りない。愛近お前、私が未成質量を持っていった時点で獲得を諦めたな? まだ私は転換していなかったから引っ張り合いは続いていたのに。さっきの問題点はそこ。機転を利かせる前にもっと粘りなさい。決断が早いのは結構だけれど単にカッカ来てるだけじゃ――」

「連別府さーん! 助けてくださいませ! 『燃えカス』とまで呼ばれた教官が無職になった途端にやる気を出して困りましてよ!」

 不甲斐ない教官だったことを指摘され、あらかじめ伝えておいたほうが良さそうなことに思い当たった。

「先に言っておくけど、私多分スパルタだから」

 愛近から「もうわかっていますわよ」と睨まれ、遠くで偶川まで苦笑いをしていた。


 次は連別府。養成学校からチョロまかしてきた標準の起動弁を構え「お願いします」と声を張り上げる。戦意というよりこれから遊具に飛びつこうとする子供のような、喜びに満ちた明るい顔つきをしている。

「星南さんの本で勉強したすべてをお見せします!」

 午前中に公開試合で叩きのめされたことは忘れていそうだ。

「ワタクシの仇をとってくださいまし! 連別府さんはワタクシが見込んだ方ですもの、天才相手でも充分戦えますわ!」

「落ち着いて、ゆっくり見せてねー」

 外野からの声援に親指で応え、起動弁が鳴る。

 抽出された未成質量の量は悪くはないけれど平凡。彼女と引っ張り合いをしても結果は見えているので、準備が整うまでこっちから手を出すつもりはない。そのせいで手持ち無沙汰になったからというわけではなく、つい顔をしかめてしまうほど獲得が遅く感じた。

「……これは私の責任ね」

 連別府が愛読書にしている私の本では転換練度について重きを置いて語ったと記憶している。単にその当時転換が面白くなっていただけのことで、今なら獲得速度について多く語るだろう。

 ともかく連別府は転換に意識が先走っているせいで獲得の流れを阻害している。

「一つ一つの段階に集中しなさい! 最初は取りこぼしてもいいから、未成質量の流れを自分に向けて作るの」

 アドバイスしても変わらなかった。起動弁もなく、出来損ないのテキストで自主的にイメージトレーニングを積んでしまっているのだろう。イデアエフェクトが意識を主体とする技術である以上、ついた癖は簡単には抜けない。それを解きほぐしてまたゼロから教育することは難航を予感させる。

 未成質量が半分ほどに減ったところまで待って、こちらも起動弁を鳴らしすぐさま転換まで追い付いた。さっきと同じ大剣を手に構えたときにはもう眼前に連別府が肉薄している。印象通り思い切りが良い攻めの姿勢だ。

 連別府の武装は公式試合でも見た鉢金と薙刀。接近戦を望むならイデアエフェクトの技術だけでなく自身の格闘能力も問われる。

「偶川とのケンカでつちかった技を見せてみろ!」

 手始めに軽く突いてみると長い柄で横に受け流された。我を忘れてはいなさそうだ。意思のある瞳ときちんと目が合い、怯えてもいない。むしろランランと輝いて「憧れの相手と戦えて嬉しい」という想いが伝わってくる。

「やる気があるのはわかってるけど、その気持ちの強さはどうかな?」

 今度は少し強く上から叩きつけてみるとこれはかわされ、足元から刃先が伸び迫って来た。上体を横へ傾がせやり過ごし、前へ出ながら剣の握りでアッパー気味にこめかみを打つ。そのまま進んで後ろへ回ったところでハッと気づいた。やり過ぎた。

「……しまった。ちょっと良い攻撃だったから反射的にやっちゃったわ」

 外野から「鬼!」と非難の声がするのを聞き流しつつ、「どうか失神で助かっていますように」と祈りながら足元を振り返る。すると、連別府が襲いかかってきた。何事もなかったのように猛然と。

「は?」

 驚きで反応が遅れて、回避よりも薙刀の動きが速い。半身になって後ろへ跳ぶと残った腕が払われた。武装の篭手が弾け飛ぶ。

 これにまた驚いた。接触するだけで防具が破壊されるなんて初めての体験だ。

「この子のイデアエフェクト、恐ろしく強度が高い!」

 武装の硬さは転換練度の高さ。それだけ未成質量を自在に扱えているということ。転換練度を重んじた私の本からしっかり学んだ成果と言えるのかもしれない。

「それはそうですわよ。今日の公開試合では押し出されこそしましたけれど、攻撃はすべて受け切っていましたもの」

 私の動揺を鼻で笑う愛近の説明を聞き、更に驚かされる。

「……なんだって? ただの場外負けじゃなかったのか」

 その会場にいたのだから結果はもちろん知っている。ただ武装するのを見ただけで心を揺さぶられてしまい途中はきちんと見ていない。手も足も出せず場外負け、そういう風にしか認識していなかった。

「さすがワタクシが見込んだ真の天才! そのままやっちゃってくださいな連別府さん!」

 武装の強度にも度肝を抜かれたが、何より良いのは連別府の目。惑わず、揺れず、これは紛れもない戦士の目だ。彼女の予想外の健闘に戸惑い隙を見せた私よりもよほどらしい・・・

「これはまた、師の背筋を正す立派な弟子だわ」

「……えっ、弟子! あたしが星南さんの弟子ですか? 感激です!」

 急に、連別府の眼がポワンと蕩ける。

「ハイー、油断したー」

 唐突にキュッと足幅・肩幅が縮むのを見て、すかさず鉢金目がけて大剣を振り下ろした。私も彼女も、まだまだのようだ。


 偶川はまだ実戦に挑むレベルではない為、一連のイデアエフェクトを指導しながら体験させて終わった。どれもスムーズにはいかなかったので「本来素人ならこんなもの」とかえって安心する。本と空想だけであそこまでできた連別府は特殊な例だ。

 気になっていた公開試合の映像記録を連盟に要求しようと思ったら、偶川が連別府の試合だけは放送を録画していたので四人で携行端末を覗き込んで確認することになった。

「うわあ……このときは『負けない』って気張ってたけど、客観的に見ると格が違うよ」

「そ、そんなことありませんわよ。立派ですわ!」

「ワタシは竜ちゃんが試合場に出てきただけでもう泣けちゃってたよ」

 ワイワイ騒ぐ三人の頭を越して、画面に釘付けになる。

 確かに内容は一方的。動きを手数で封じられ一度も攻勢には回れていない。ただ逆に言えば、養成学校の生徒が無我夢中で手数を増やさざるを得ないほどに健闘している。武器も戦意も手放さないのでは審判も試合を止めることができず、強引に外へと押しやられての場外負け。武装は最後まで解除されなかった。その点ではむしろ押し勝っている。

 負けとは言えこの内容なら編入を認めてもよさそうなものだが、公開試合には在校生の実力を喧伝する目的があった為にそうはできなかったのだろう。養成学校も実に勿体ないことをしたものだ。

「エースは愛近としか考えていなかったけど、これを見せられたらどうなるかわからないわね。獲得速度の遅ささえ解決できれば連別府は大化けするわよ。と言うより、そこは解決できないと話にならない」

 当人は鼻息荒く「がんばります!」と意気込んでいる。

 こういう時にいつもうるさい愛近が絡んでこないと思ったら、いつの間にか離れた所に行って誰かと通話していた。相手は予想がつく。連盟、つまり養成学校だ。

「ですから、緊急事態でしたの! 大の親友を誘拐されていながら手段を選んでなんかいられませんわよ。まして許可を求める余裕なんて!」

 とてもそうは聞こえないものの、叱られ弁明している。それはそうだ。養成学校から駅まで飛んで来た、あれが問題視されないわけがない。指摘して出頭されたり引き返されると困るので今の今まで口に出さなかったが。

 連盟の認可を受けた指導員の監督下になく、かつ起動弁を許可なく用い、更に公道上でイデアエフェクトを起こす。立派な違反行為。

 場合によっては兵器を凌ぐ強力な攻撃力が市民の頭上を高速で移動して公共に不安を与え、自分たちで事実上独占している技術を使い交通費を浮かせた。これが一般に知れ渡ったら大変なことになる。武力放棄主義、権利や安全が侵害されることへの過敏症、他人が得をすることを許さない僻み根性。大衆のあらゆる層を刺激するからだ。

 それを避けたい連盟の揉み消しと、親の権威と、少年法が愛近を守ってくれることを願うだけにして干渉はしないでおく。

 私の場合は指導員当人で、この練習場は三局戦況の部活動で使用する私有地として申請が済んでいる。問題があるとすれば誘拐犯にされていることくらい。さすがに信じないはずだ。はずだが、不安なので通話の様子をそっと見守る。

「ええ、ええ! 元々転校するつもりでしたから、いっそ退学にしていただいて構いませんわよ! ワタクシは連別府さんと一緒にプロデビューするのですから!」

 叫びに近い声で通話が打ち切られるのを見届ける。明確に刑事罰に値する罪を犯したこと、私を犯罪者に仕立て上げようとしたこと、どちらから注意したらいいものか考えを巡らせた結果、ひとつの疑問に行き当たった。

「連別府と『一緒にプロデビュー』って言ったけど……あなたたち学年が違うのに、まさか留年するつもりなワケ?」

 失念していたようでショックを受けていた。


 休憩のついでに宿舎の様子を確かめる。

 表にはガスボンベが設置されていたので偶川の手回しと協力してくれた誰かに感謝しかない。表の流し場に据え付けられた水道も当たり前に使えて、トイレの水洗も生きている。昨日今日準備を始めたわけではなさそうだ。畳も百年物には見えない。

 ただし構造自体は本当に古い家屋で、入ってすぐは時代劇でしか見たことがない土間。壁際のキッチンはかまどの名残りこそあるもののここはさすがにコンロが乗っていた。

 キッチンとは逆側に段差があり、横にも奥にも続いている廊下に囲われた居間らしい畳の部屋があった。そこには布団が二人分運び込まれている。

「ここって田舎暮らしに憧れた都会の人がこだわって建てた古民家〝風〟民家、なんですよね。茅葺かやぶきの屋根は珍しいだけあって施工費用が高過ぎて断念したとか。だから再現してあるだけで、本当に見た目通りの時代から残ってるわけじゃないんです。それでもワタシたちが生まれる前ですけどね」

「へえ、変わった人がいるものねえ」

 自然とガイドしてくれる偶川の解説に耳を傾ける。

「最初は本当に薪と油で生活してたらしいんですけど、そのうち生活がしんどくなってガスを入れ水道を引き、電気を取り入れ――ってやっているうちにこんな感じになったんだそうで。しかも結局都会に戻っちゃったんですって」

「それで実際に時代が経過したみたいな道具の持ち込まれ方をしているんだ。まあ、経緯はなんだって、ありがたく使わせていただくわね」

「で、使い方なんですけど、コーチはガスコンロって使ったことありますか?」

「昔、小さい頃に見たことがあるような……」

 今時可燃性のガスなんて趣味か非常用以外で出番がある例を聞かない。私はどちらも縁が無かった。

「でも操作感は電熱式と変わりないでしょう? 人が扱う物なんだから」

「フフッ、その調子だとお風呂は使いこなせないかもしれませんね。そもそも湯沸かし器が動いてくれるかどうかわからないですけど」

「ちょっとー、愛近! あなたも来て説明聞きなさい! 私少し不安になって来たから!」

 浴室へ移動すると水色の細かなタイルは傷んで汚れが目立ち、浴槽は正直小さい。それでもとりあえずの使用に問題はなさそうだ。だが愛近は露骨に嫌そうな顔をする。

「狭さはともかく、どうして四角いんですの? これじゃ足も伸ばせない……」

「じゃあやって見せますからね。先に必ず水を入れて……湯沸かし器の操作はまずレバーをガス管の向きに合わせてガスを通したら、次はこっちのツマミを『点火』に倒して、最後にこのハンドルを回す。……ここちょっとやってみてください、お嬢様」

 普通なら「お嬢様」と呼ぶと嫌味になりそうなところだが、本物のお嬢様は気に障らないらしい。素直に指示された通り浴槽横の湯沸かし器と取っ組み合いを始めた。

「ガチガチって凄い音が鳴ってますわ! これ本当に正しい操作ですの?」

「途中で手を止めちゃうと爆発するよ」

 声色が面白がっているので冗談だと察した。もし本当にそうなら偶川も私も巻き添えを食う状況だというのに、愛近はわからなかったようで泣きながらハンドルを加速させた。

「騙しましたわね? ずっとこんなことをしていたらお風呂に入れないじゃありませんの! 昔の道具は不合理ですわ!」

 愛近を偶川が手玉に取っている。訓練を通して距離が近しくなっているようだ。指導者として非常に喜ばしい。

「……それにしても、本当に凄い音。昔の湯沸かし器って火打石フリントロック式だったんだ。こんなところでも戦争の技術が生活に密着していたのね……」

「え? コーチ、何か言いました?」

「凄い音する!」

「情報価値ゼロですわよその会話! それよりいつまで回していればよろしいんですの? ワタクシそろそろ覚悟が決まってまいりましてよ」

「じゃあ代わります。でもワタシも使い方を聞いたことあるだけなんですよね。けっこう強くしないとダメだって話で、こう、思いっ切り――」

 偶川が代わってハンドルを握り、ぐっと力を込めて勢いよく動かす。爆発した。


 幸いケガをするようなことにはならなかったものの、さすがに古過ぎた湯沸かし器から煙が出始めたので風呂場は使えないことになった。偶川の代替案は早い。

「この町には銭湯とか旅館とかありませんから、ドラム缶風呂にしましょう。田舎暮らし満喫ですね! ワタシたちもそんな生活してませんけど」

 ぴっと指を立てる偶川の肩を掴み、愛近が必死の剣幕で乱暴に揺さぶる。

「随分楽しそうですわね? 笑っている場合じゃありませんわよ! ドラム缶風呂? 無人島に取り残される映画で観たことがあるアレでしたらワタクシは嫌! 大空教官だって同じに決まっていますわ!」

「私は別に構わないわよ。サバイバルで野営生活とか一回やってみたいのよね」

「ゴリラは無邪気で結構ですわね!」

 例によって偶川の手配で、あっという間に宿舎の表に簡易風呂場が用意された。ドラム缶、表の流し場から注水するホース、熱源はガスが引っ張ってある。更にはそこらで刈り取った草を束ね目隠しの囲いまで用意された。サバイバルの空気は味わえないほど手が入った造りだ。

「ほーらコレなら外から覗かれなくてお嬢様も安心」

「できませんわよ! 普通に入って来れますもの。セキュリティについて述べてよろしいのでしたら、この家そもそも鍵が付いていないのですけれど?」

「心配し過ぎだってお嬢様。星南さんがいるんだから何も困ることないじゃん」

「そのゴリラもワタクシの心配の種でしてよ? 襲われたらひとたまりもありませんもの」

「訓練でしか襲わない」

 愛近はまだ何か言おうとしたものの弱り顔をプルプル振るわせたあと、諦めが付いたかうんざりした顔で長い息を吐いた。

「はあ……こんな所で冬を越すことになるだなんて……。ですが、次はありませんわよ。この生活、長く続けるつもりはありませんわよね?」

 言われ、見抜かれていることを知ってドキリとした。だが特別隠すようなことでもない。むしろ共有すべき目標だ。

 私の目的は連別府を三局戦況のプロ選手にすること。その為には〝養成学校への編入〟が最良の道になる。仮にこの環境でそれを超える実力を身に付けたとしても、リーグがそれを正当に評価するとは限らないのでやはり養成学校にはこだわるべきだ。ついでに愛近のことも戻せたら御の字。

「……そうね。年明けの定期公開試合に編入試験をねじ込むわ。三局戦況教育の本場へ、地方からの挑戦状よ」

 私のせいで道を踏み外した連別府を救えるのか。その結果が出るまでほんの数ヶ月。


 現状の実力では愛近が群を抜いている。当たり前だが良い環境で一年過ごしたという有利は大きい。尖った伸び方をしている連別府が他を補えたなら切り札エースは代わるもしれないが、あくまで主力は愛近だ。ここぞという好機で、耐え忍ぶ苦境で、様々な場面で存在感を発揮してくれることだろう。彼女を優等と認めた養成学校の評価は正しい。

 そう思っていたのだが、基礎トレーニングで長距離走をさせてみると、愛近は極端に体力がなかった。ものの数分で息を切らし他の二人から引き離され周回遅れになった。

「お嬢さんファイトっ、ホラホラがんばろう!」

「連別府さんの、ヒィ……お気持ちは大変嬉しいのですが、フゥ……背中を押されても足が、足が……。ああもう! デコボコで走りにくいったらありませんわ!」

「わ、都会っ子ぽいこと言った。でもこんなんで試合とかできてるの?」

「見下さないでくださいませ。三局戦況の試合時間は数分、装備の運動補助もありますし、そう体力は要りませんことよ!」

 私の聴覚は距離があろうと愚かしい弁明を聞き逃さない。

「体力が要らないわけあるかぁ!」

 思い切り怒鳴りつけると、愛近だけでなく他の二人まで震え上がった。一層声量を上げて続ける。

「平常心で高い集中力を保つ為には体力が不可欠! それができなくては訓練の質は上がらない。それよりなにより、コンクリフトでは直接取っ組み合うんだ。私が率いるチームで『コンフリクトが苦手』なんて絶対に許さないからな! 連別府と偶川も、愛近に合わせてないで自分のペースで走れ!」

 今度は返事が「ハイ!」と三人揃った。

(……さて、これだけ威張り散らしたからには成果を出さないとね。迷っている暇は無いくらいやれることは山積みだし)

 まずは弱点がわかった愛近の成績の中身を確かめたい。さすがに養成学校が流出させてくれるとは思えないので、これはテストで測る。差し当たって体力作りは必須だ。イデアエフェクトに関してはこのまま卒業でもいいくらいに完成されてはいるが、肉体面を強化すれば数段は精度が上がる。基礎学習は済んでいるのであとは試合形式を積み重ねるだけでも勝手に強くなるだろう。

 連別府は最大のネックである獲得の遅滞を解消すること。これには座学を通して意識を変えることも必要になってくる。転換練度が特級レベルなことは一旦忘れ、完全に一から鍛えて我流の癖を抜く。

(さて、問題は……)

 誰より扱いに困るのは偶川だった。理由はモチベーションの低さ。

 もちろん指示は素直に聞いてくれるのだがその態度は実に淡々として、うまくできてもできなくても執着しない。事実「どっちだっていい」のだろう。彼女の立場は「連別府に巻き込まれた」以外の何でもなく、三局戦況のプロ選手になりたいわけではないからイデアエフェクトを習得する意欲が初めから無い。

 しかし彼女自身、連別府に協力することを望んでいる以上このチームの弱点になってしまうことまでは望んでいないはずだ。彼女の献身は嫌々ながらでできることだろうか。

(ここで友情の限界を証明したってしょうがないわけで……)

 考え頭を悩ませているうちに、今日の訓練の締めとして走らせていた三人と同じように草地を周回していたことに気が付く。無意識にストレスを発散しようとしたのなら、私の体は随分単純で前向きなようだ。

 横を抜き去ると愛近は忌々し気な顔をして、他の二人を探して後ろを振り向けば連別府が息を切らしながらついて来ていた。偶川はずっと後方にいる。

 このバランスがバラバラな三人を私が一手に鍛えるのは難しい。



 走り込みのあとはたっぷり整理体操をして、夕暮れに合わせて初日の訓練は終了。「お疲れさまでした」と声をかけても連別府以外は返事をする気力が無いようだった。

 連別府と偶川は「夕食を用意する」と出かけ、残った愛近は風呂で汗を流したいと言い出した。草の囲いだけでは不安を訴えられたので仕方なく入口を向いて見張りに立つ。

 もちろん、真剣に周囲を警戒したりはしていない。頭の中はこれからの育成計画に支配されている。そばにいるのは火力の調整役が必要だからだ。

(いっそ偶川もプロを目指させ――ダメだったらどうするのよ。それに本人にその意思を確かめて断られたら、いよいよこのチームがバラバラになるんじゃないかしら)

 うんうん唸る後ろで水音が聞こえた。案外愛近はドラム缶風呂を楽しんでいるようだ。

「狭さはともかく、平常の浴室と環境が異なる風情を楽しむのが露天風呂の醍醐味だとしたら……悪くはありませんわね。良いお湯でしてよ」

「うん……ああ、そうね……」

 愛近が何か言っている。端末で今更「教育の手引き」を眺めて考え事をしながらなので返事はおざなりなものになった。

「それにしても体を洗うのが石鹸ひとつだなんて、この村の乙女はどうなっていますの? そうと知っていればもっと早くに注文していましたのに……」

「どうなっているのかしらねえ……」

 ぼんやりテキトーに答えていたら、頭をコツンと叩かれた。見上げ振り向くと愛近がドラム缶の縁に体を預け手桶を手に精一杯腕を伸ばしている。

「ワタクシが話しかけていますのに、なんですか気のない返事をなさって。言っておきますけれどワタクシ寂しがりですわよ。構ってくれなければ拗ねてしまいますからね? そうなると機嫌を取るには倍の手間をかけていただくことになりましてよ」

 揃えた指を顎に添え首を傾げて気取ってもドラム缶から生えた状態では決まらない。

「一番手がかからない生徒だと思っていたのに、なかなか面倒くさいことを言い出すわね」

「教えやすい環境を捨ててわざわざ難儀なほうへと漕ぎだしたのは貴女でしょう?」

 グウの音も出ない。

「愚痴でしたらあとにしてくださいまし。今はワタクシがリラックスする時間ですもの。……そろそろ体を洗いますから、手を貸していただけますかしら?」

 どうやら自力では出られない状態になっているらしい。

「このお風呂、立ち上がろうとすると腰が引っかかって……。それに散々走り回らされたせいで膝がガクガクですのよ」

 断って茹で上がっても困るので大人しく要求を呑む。湯の中に腕を差し入れ、脇を捉まえて抱え上げた。

「……気遣わせている身でこんなことを言うのもなんですけれど、別に目を閉じて裸を見ないようにしなくても結構ですわよ。意識されているようでかえってソワソワしてしまいますもの」

「あらそう? ……あなたって薄いのは肌の色だけじゃないのね」

「やっぱり気を遣っていただけます? ひとつ配慮をやめたらそこまでデリカシーを失うってどういうことですの」

「だって目の前にあるから話題にしないわけにはいかないでしょうが」

 湯気を上げる裸をすのこの上に下ろす。見られること自体は恥ずかしくないらしい。それどころか、棒立ちのまま「洗ってくださいまし」とお嬢様らしいことを言い放った。

「あなたねえ、今まで寮でどうやって暮らしていたのよ」

「ルームメイトに洗っていただきました。嫌がられませんでしたもの」

「ああ、あるある。私は断ってたけどそういう子いたな。懐かしい」

 学校という区切りのある空間の中では実力者と親しくすることはそれなりにメリットがあることなのだろう。愛近の場合、家の裕福さもあるかもしれない。

 ただ、それ以外にもこの場で私が納得する理由があった。

 愛近の肌はとても綺麗だ。苦労など何一つ知らないかのように、くすみもなく透き通った無垢。触れて世話を焼きたい気持ちが湧く。

「手が届く部分は自分でやりなさいね」

 石鹸を泡立てたスポンジを背中へ、軽く撫でる。力を入れて擦らなければいけないほど汚れているとは考えられない。

「それで、一体どうするつもりですの?」

 無心になっていたので不意の質問に戸惑う。直前まで悩んでいたことだけにすぐに返答できないでいると、焦れた愛近が早口で続けた。

「養成学校と変わらない内容で指導を始めたらワタクシ笑ってしまいますわよ? かと言って下手なことをして連別府さんの才能を潰すのも赦しません」

 彼女が気にするのは連別府のことばかりだ。それで、内心引っかかっていたことに思い当たった。

「愛近、あなた連別府のことを『天才』って呼んでいたけど……どうして?」

 問うと、愛近はニンマリ笑って振り返った。裸でいることを忘れているのか腰に手を当て自信満々に薄い胸を反らす。

「それは連別府さんがワタクシの運命の人だからでしてよ!」

 そう言えば二人の関係をまだハッキリとは知らない。連別府にとって愛近は「お嬢さん」で、父親と一緒に各地を転々としていたというからにはその間にどこかで知り合い三局戦況の選手になろうと約束したという話だろう。

 思い出話を聞くつもりでいると、なんと話題は愛近の出生まで遡った。

「ワタクシは生まれつき体が弱く、保養地で母と暮らしておりました。もちろん他に世話人もいはしましたけれど、同じ年頃の話し相手がいなくては退屈してしまうのはおわかりでしょう? すぐに具合を悪くしてしまうせいで世話人も怖がって、ろくに部屋から出してもらえませんでしたし」

 今はもうプロスポーツ選手を目指すほど元気にしているのだから過去のこと。私が「体力不足を責めて悪かったかな」と反省せずにいられるのは語る口調がウキウキと弾んでいるからだ。その理由はわかり切っている。

「そんなときにワタクシと連別府さんは巡り合ったのです! 運命によって!」

 とても幸せそうだ。病気がちな幼少時代がすべて幸せな記憶に変わっているのだろう。

「部屋から出られないワタクシの為、母は中庭の庭園に手をかけ『せめて良い香りを届けよう』と気遣ってくれておりました。その庭園で草花の世話を任された庭師をお手伝いしていた幼い子供が、連別府さんでしたのよ。ああ、なんて運命的な出会い!」

 そうだろうか。偶川の話では連別府の半生は辛いものだったようで「児童労働」「教育機会の剥奪はくだつ」としか感じない。

「同年代の子供がいることを知ったワタクシは強く興味を惹かれました。『お話がしたい』『一緒に遊びたい』と母や世話人に頼みましたが、それは許されませんでした。ですからワタクシの部屋がある二階の窓に張り付いて中庭にいる連別府さんを眺めてばかりいましたのよ」

 そこからどう「運命の人」に繋がるのか。クネクネと身をよじって陶酔の世界にいる愛近に何を言っても届きそうにないので、引き続き体を洗ってやりながら話を聞いた。

「連別府さんもワタクシに関心を抱いてくれているのはひと目でわかりました。ワタクシが見ていることに連別府さんも気付いて、ワタクシたちは目と目で通じ合っていたのです。友情を育んだのです」

 頭からお湯をかけても愛近の恍惚が覚めない。もの凄い集中力に感心しながら体を拭いてやる。こんなことで湯冷めして具合を悪くされたら馬鹿馬鹿しい。

(連別府は愛近のことを『かろうじて憶えている』ってレベルだった気がするけど……。それにしても、いつになったら三局戦況のプロを志すのかしら)

 新しい肌着を着せている間にも愛近の言葉は熱を増していく。

「想いを通わせていたワタクシたちですが、意地悪な大人たちに阻まれて出会うことはできません。こっそり部屋を抜け出そうとしても体調を崩してしまうばかりで……。ですが! 連別府さんはワタクシよりもよほど強く、ワタクシのことを求めてくださったのですわ!」

 今の様子からはとても信じられない。むしろ「嘘だ」とすら思う。

「連別府さんはワタクシの部屋の下にハシゴをかけ、届かない高さからは壁をよじ登ろうとして落ち、同じ二階のバルコニーから他の部屋の窓を飛び移って渡ろうとして落ち、そのたびに連別府さんのお父様から叱られていました」

「へえ、そこまでして? というか生身も頑丈なのねえ、あの子」

 つい感想が漏れた。邪魔にはならなかったようで愛近は余計に目を輝かせて頷く。

「それはもう! 連別府さんは強く、そして情熱的でしたのよ。ワタクシすっかりおとぎ話のお姫様のつもりで、王子様が助けてくださるのを待つ心地に浸っていましたもの」

 囚われのお姫様のもとを目指す王子。確かに構図としてはそうかもしれないが、それだけに真剣には聞けない。愛近の髪をタオルで挟んで軽く叩きながら、この物語が早くハッピーエンドを迎えるよう念じる。

「そんなある日、ワタクシはとても具合を悪くしてしまいました。ベッドから降りることもできないほど弱って……あのときは本当に辛かったのですけれど、『あの子に一目会うまでは』と必死になって耐えたのです。憔悴した母も世話人も心労が極まったのでしょう、ワタクシの傍らでみんな眠ってしまいました。しかしワタクシは苦痛で眠れず……そのときばかりはさすがにもう駄目かと思いました」

 愛近がこうして無事でいる以上ハラハラしては聞けない。抱え上げて宿舎の中へ運び、広げた布団の上に寝かせる。髪が絡まないように広げてやっている間にふと気になって、ひとふさ手に取って鼻にあてた。シャンプーは無かったので髪は洗っていないはずが、ふしぎと石鹸とも違う良い匂いがする。

「そんな夜、連別府さんが会いに来てくださったのですわ。屋根からロープでぶら下がり、窓を蹴り壊してワタクシの部屋へ!」

 使用人の子供が夜間に主人の屋敷の窓をって死に瀕したるご息女の部屋に侵入。

「えっ、大変じゃないの?」

 愛近をいじる手を止めて顔を覗き込む。相変わらずウットリとしていた。

「連別府さんはワタクシに飛びかかっていらして……ワタクシそのときに気を失ってしまったものですからそのあとのことは憶えていないのですけれど……とっても強引で素敵でしたわ……」

「それあなたの中でどういう思い出として処理されてるのよ。っていうか、なんだって連別府はそんなことしたのよ」

 今の話を聞く限りでは王子様というより夜盗だ。

「それはそのときわかりませんでしたわ。ワタクシが目を覚ましたときには怒った母が連別府さんのお父様をクビにしてしまって、連別府さんともそれきりになってしまったので」

 それは「出会った」とは言わないのではないか。三局戦況の選手になる約束もしていないし、一体何の話を聞かされているのか完全に見失った。

(あとで連別府のほうに聞き直してみても、〝天才〟の根拠についてはわからないかもね)

 まだ何か喋っている愛近を無視して胡坐を組む。これ以上付き合うのは馬鹿馬鹿しい。

 瞑想は訓練と同じく身に付いた大切な習慣だ。イデアエフェクトには精神面が大きく作用するので、集中が乱れがちな食事前や訓練後を選んで毎日続けてきた。

 意識を闇に広げた途端、「あー」と納得した風な声を聞く。閉じたばかりの瞼を持ち上げると土間に偶川が立っていた。手に夕飯が入っていると思しきタッパーを抱えている。

「お嬢様って、そのお嬢様だったんだ。竜ちゃんはホラ、色んなお屋敷に行ってたから……。その話なら竜ちゃんから聞いたことあるよ。あとでお父さんにメチャクチャお仕置きされて、『こんなことなら助けなきゃ良かった』って言ってた」

 どうやら偶川は愛近のことを聞いているらしい。助かった。彼女ならいくらかはマトモな話をしてくれそうだ。

 説明を期待して見つめていたら、偶川はクスと笑った。

「コーチもなさるんですね? 瞑想。竜ちゃんも授業中とか、動けないときによくやってますよ。今外でお風呂に入ってるから、やってるんじゃないかな」

 本人が戻っているのなら疑問は直接ぶつけてみよう。そして宿舎を出て目にした光景に、愕然とした。

 偶川が言った通り、連別府はドラム缶風呂に浸かっている。その周囲が光り輝いていた。一瞬「蛍か」とも間違えそうになるがそれにしては光が強い。

 良く知っている。これは未成質量の光だ。大気に未成質量が溶け出して、夜に切り替わりつつある景色を舞っている。同じものを眺める愛近が「さすが連別府さん」とわかったようなことを言う。

「さきほどの話には続きがありますのよ。あとでわかったことですけれど、ワタクシの体の不調は病気や体質によるものではありませんでしたの」

「……と言うと?」

「家督を狙う分家の者がワタクシを亡き者にすべく放った刺客――イデアエフェクトの使い手によるものでした。まあ、〝暗殺〟ですわね」

 聞いたことはある。まだまだ今後増加・深刻化するであろうイデアエフェクトによる犯罪の始まり。使い手が人間である以上は銃火器でも対抗はできるが、イデアエフェクト自体の認知が浅くまだそうと認識できていない頃には怪事件として扱われたらしい。だからこそ現在の携行端末には周囲のイデアエフェクトを感知し警告音を発する機能が標準採用されている。駅前に愛近が現れたときに聞いたのがその音だ。

 そうした対策が導入されるキッカケとなった事件の一つに、標的に取り付き衰弱させるというイデアエフェクトによる殺人未遂があった。

「呪いじみた不可視のイデアエフェクト――あなたあの事件の被害者だったの? 歴史の授業で教わりはしたけど、名前までは憶えてなかった」

 実行犯に別段特殊な才能があったわけでなく肉眼では捉えることはできないほど希薄で、イデアエフェクトとしては弱小も弱小。だがそうとわからなければ未知の攻撃を仕掛けてくる脅威となる。だからこそ暗殺にも利用された。

「ワタクシがこの道を選ぶことをお父様お母様が許してくださったのは、身を守る為に役立つからでしてよ。イデアエフェクトで拡張された五感を通してなら、そうしたものも発見は容易たやすいことですもの。あの時代には望めることではなかっただけで」

 自分が命を狙われた過去を懐かしい記憶としてほほ笑み、愛近は連別府に向かって声をかける。

「連別府さん! 今、連別府さんのことを話していましたのよ。ワタクシと連別府さんの出会いの軌跡を!」

 声を聞き連別府がドラム缶の中でくるりと回転しこっちを向く。その途端、周囲の発光現象が収まった。疑いようもなく、これは彼女が意図して起こした未成質量の操作だ。当人は驚いてもいない、当たり前の出来事。

「あー、お嬢さんとの出会いかあ。……最初はもの凄いガン飛ばしてくるから、『なにこの見下しやがって』とかムカついて睨み返してたけど、なんかお嬢さんの後ろで変なのがフワフワしてるのが見えたんですよ。それで『お嬢さんがオバケに連れていかれるヤバイ』――と思って」

 それが幼少時の連別府が愛近に執着し、窓を破って侵入までした真相らしい。

「ってことはつまり何? それを止めて愛近を守ったのが連別府だったとでも言うつもりなワケ?」

「ハイ、そのつもりですけど。……でもアレ今思うとなんだったんだろう? オバケとか実在しないし。……しませんよね?」

 連別府は身震いしてキョロキョロ見回し、愛近は得意げな顔をする。

 驚くのは一旦やめにして、とりあえずは話を全部聞いてみることにする。そうしなくては今抱えている疑問についても掴めない。

「あー……ちょっとパッと思い出せないけどその事件って何年前のことだったかしら」

「事件? ……えーと、あのあとクソオヤ――お父さんが死ぬ少し前だから、八年前ですか。あたしが八歳のときです」

 丁度三局戦況のプロリーグが始まった年。養成学校が開かれる三年前。その頃にイデアエフェクトを身に付けながらも三局戦況に参加せず、犯罪に手を染めた連中はある意味で今の私と同じ立場だ。スポーツに馴染めない形でしか力をコントロールできない者たち。何も知らない子供が生身で対抗できる相手ではない。

 そもそも今の話には不自然な部分がある。いつのことかを聞いても解消できなかった。

「それじゃ連別府はそれ・・が見えたって言うの? イデアエフェクトを通じてしか認識できなかったっていう話なのに」

 連別府はあっさりと頷く。

「見えましたよ? なのに『変なのがお嬢さんのそばにいる』って大人に知らせても誰も信じてくれないし、怒られるし。死神っぽかったから『お嬢さんは体が弱い』って聞いてたのも『それでかー』って納得できて。そういうのって大人には見えないのもなんとなくわかるじゃないですか? だから『じゃああたしが解決してやらあ』って意地になって、部屋に突撃してマウントとってボコボコにしました」

 イデアエフェクトを生身で見抜いて殴り倒した。そう事も無げに話す。相手が何であったかもわかっていなかったらしい。

 一層自慢げに、愛近がほほ笑む。

「いかがかしら。〝天才〟、でしょう?」

 納得するしかなかった。瞑想で未成質量を浮かび上がらせるなんて芸当、私はできた試しがない。誰にもできない。

 おそらく連別府にとって未成質量は一般の使い手よりも近しい距離にあるのだろう。抽出量とは違う形で。自然と獲得し転換していたからこそ不可視のイデアエフェクトを見通し、また撃退できたと考えられる。

「その才があればこそ、ワタクシは連別府さんが必ず三局戦況に絡んでくると信じて待ちました。……連別府さんはワタクシの命を助けてくださったのに、誤解した母が連別府さんのお父様を解雇してしまったのです。そのあと連別府さんの証言通りワタクシの不調がイデアエフェクトによるもので、屋敷の者に犯人がいるとわかってからも首謀者の分家との紛争が収まるまでに時間がかかってしまって……」

 一転すまなそうにする愛近に対し、連別府は明るい調子で「ああ!」と声をあげた。

「それでお嬢さん車で話したとき謝ってたんだ。あたし何のことを言われてるのか全然わかんなかったよ」

「ええ、本当に申し訳ないことをしたと……」

「そんなの別にいいのに。クビになってなくたってどうせ同じ所になんか長くいないんだからさ」

「落ち着いてから連絡を取ろうとしたのですが、親族の方に取り次ぎを断られてしまいましたの。連別府さんのお父様が亡くなったことを聞いてお悔やみのお香典と――助けていただいた謝礼はお支払いしたのですが……」

 この言葉に、連別府だけでなくいつの間にか宿舎を出て隣に来ていた偶川も反応した。

「えっ、なにソレ。あたし知らない」

「あいつら……! 竜ちゃんには内緒で着服しやがったな!」

 偶川のこめかみに青筋が浮かんで怒り出したものの、私はそれどころではなくなった。頭の中では少し前に愛近に忠告された言葉が巡っている。

『それで、一体どうするつもりですの?』

『養成学校と変わらない内容で指導を始めたらワタクシ笑ってしまいますわよ? かと言って下手なことをして連別府さんの才能を潰すのも赦しません』

 瞑想で未成質量を浮かび上がらせ、不可視のイデアエフェクトを看破する。才能という言葉の意味について考えるまでもなく、間違いなくある。圧倒された。それだけで充分な証明になった。

 そんなものをどうやって指導すればいいのか。手のひらに脂汗が浮かんだ。

 私は養成学校のカリキュラムをこなしただけの――凡人だ。稀なる天才を教え導く方法なんて知らない。その手を取って切り拓いた道を行くことはできない。

(大体、手探りでイデアエフェクトを扱うなんてこと、世界のどこにも――あっ)

 閃きの瞬間、草の囲いの外からクラクションの音が聞こえた。何かしら必要になると予想して、自動運転で呼び寄せておいた私の愛車。

 やることが決まった。

「ごめん。ちょっと出かける用事ができた。愛近、イデアエフェクトの基礎座学を二人にしておいて。解散時間は任せる」

「えっ、こんな時間からどこへ? 夕飯の用意もできてるのに」

 偶川が抱えたタッパーからおにぎりを一つ取る。

「ちょっと居酒屋に行ってくる」

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